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地を分けて封ずる封建第八

貞観政要(貞観の治における政の要) 貞觀政要 · 呉兢 · 8世紀初め · 段落 11 · 漢字 2,652字 · 朗読 10.6分

貞観政要(貞観の治における政の要) 封建第八 唐の太宗が臣下と交わした言葉を主題ごとに集めた書。君主の道から始まり、諫言を受け入れる法、官吏を選ぶ法、刑罰と税と征伐を経て「終わりを慎む」で終わる。魏徴が面を合わせて折って諫め、太宗がそれを受け入れる場面が書の骨格である。高句麗の安市城をついに落とせずに退き、城主に絹を与えたこと、房玄齢が死に臨んで遼東征伐を止めた上疏もここにある。

貞觀元年,封中書令房玄齡為邗國公,兵部尚書杜如晦為蔡國公,吏部尚書長孫無忌為齊國公,並為第一等,食邑實封一千三百戶。皇從父淮安王神通上言:「義旗初起,臣率兵先至,今玄齡等刀筆之人,功居第一,臣竊不服。」太宗曰:「國家大事,惟賞與罰。賞當其勞,無功者自退。罰當其罪,為惡者咸懼。則知賞罰不可輕行也。今計勛行賞,玄齡等有籌謀帷幄,畫定社稷之功,所以漢之蕭何,雖無汗馬,指蹤推轂,故得功居第一。叔父於國至親,誠無愛惜,但以不可緣私濫與勛臣同賞矣!」由是諸功臣自相謂曰:「陛下以至公,賞不私其親,吾屬何可妄訴。」初,高祖舉宗正籍,弟侄、再從、三從孩童已上封王者數十人。至是,太宗謂群臣曰:「自兩漢已降,惟封子及兄弟,其疏遠者,非有大功,如漢之賈、澤,並不得受封。若一切封王,多給力役,乃至勞苦萬姓,以養已之親屬。」於是宗室先封郡王其間無功者,皆降為縣公。

貞観元年、中書令の房玄齢を邗国公、兵部尚書の杜如晦を蔡国公、吏部尚書の長孫無忌を斉国公に封じ、あわせて第一等として食邑実封千三百戸を与えた。帝の従叔父の淮安王李神通が奏した。

「義の旗が初めて挙がったとき、臣は兵を率いて先に至りました。いま玄齢たち刀筆の人々が功の第一にあるのでは、臣はひそかに伏しておられません。」

太宗が言った。

「国家の大事は、ただ賞と罰である。賞がその労に当たれば功のない者は自ら退き、罰がその罪に当たれば悪を為す者はみな懼れる。だから賞と罰は軽々しく行えないと分かる。いま勲功を計って賞を行うにあたり、玄齢たちは帷幄の内で謀を出し、社稷を画し定めた功がある。だから漢の蕭何は汗した馬の労がなくとも、跡を指し車を推したことで功が第一となったのだ。叔父は国にきわめて近い間柄で、まことに惜しむところはないが、ただ私に藉ってみだりに勲ある臣と同じ賞を与えることはできないだけだ。」

これによって諸々の功臣は自ら互いに言った。

「陛下は至公をもって賞を与え、その親戚を私されない。われらがどうしてみだりに訴えようか。」

初め、高祖は宗室の籍を挙げて、弟や甥、再従・三従の童子以上で王に封じた者が数十人であった。この時に至って、太宗が群臣に言った。

「二つの漢より以来、ただ子と兄弟だけを封じ、その疎く遠い者は大きな功がなければ、漢の劉賈や劉沢のようにあわせて封を受けられなかった。もしみな王に封ずるなら、重い賦役を多く課することになり、ついに万民を労し苦しめて自分の親戚を養うことになる。」

そこで宗室で先に郡王に封じられた者のうち、功のない者はみな降して県公とした。

貞觀十一年,太宗以周封子弟,八百餘年,秦罷諸侯,二世而滅,呂後欲危劉氏,終賴宗室獲安,封建親賢,當是子孫長久之道。乃定制,以子弟荊州都督荊王元景、安州都督吳王恪等二十一人,又以功臣司空趙州刺史長孫無忌、尚書左僕射宋州刺史房玄齡等一十四人,並為世襲刺史。禮部侍郎李百藥奏論駮世封事曰:

貞観十一年、太宗は、周が子弟を封じて八百余年を保ち、秦は諸侯を除いて二世で亡び、呂后が劉氏を危うくしようとしたときついに宗室に藉って安らかさを得たことを考え、親しい者と賢い者を封じ立てることこそ子孫が長く久しく続く道だと考えた。そこで制を定めて、子弟である荊州都督の荊王李元景と安州都督の呉王李恪ら二十一人、また功臣である司空趙州刺史の長孫無忌と尚書左僕射宋州刺史の房玄齢ら十四人を、あわせて世襲の刺史とした。礼部侍郎の李百薬が世襲の封を論駁して奏した。

臣聞經國庇民,王者之常制;尊主安上,人情之大方。思聞理定之規,以弘長世之業,萬古不易,百慮同歸。然命歷有餘促之殊,邦家有理亂之異。遐觀載籍,論之詳矣。咸云周過其數,秦不及期,存亡之理,在於郡國。周氏以鑒夏、殷之長久,遵皇王之並建,維城磐石,深根固本,雖王綱弛廢,而枝幹相持,故使逆節不生,宗祀不絕。秦氏背師古之訓,棄先王之道,踐華恃險,罷侯置守,子弟無尺土之邑,兆庶罕共治之憂,故一夫號呼而七廟隳圮。

臣が聞きますに、国を治め民を覆うことは王たる者の常の制であり、君を尊び上を安んずることは人の心の大いなる方向です。理を定める法度を聞き、永く続く業を広めようとすることは、万古に変わらず、あらゆる思いが一つに帰します。しかし天が与える年には余裕と促迫の違いがあり、国には治と乱の違いがあります。

遠く古の記録を見ますに、これを論じたものは詳らかです。みな、周はその算えた年を越え、秦はその期に及ばなかったのだから、存亡の理は郡県か封国かにあるといいます。周氏は夏と殷が長く久しかったことを鑑として、歴代の王があわせて立てた法に遵い、姓を結んで磐石とし、根を深くし幹を固めました。だから王の綱が緩み壊れても、枝と幹が相い支えて、逆らう節が生じず、宗廟の祀りが絶えませんでした。始皇の秦は古を師とする教えに背き、先王の道を棄て、華山を踏んで険しさを恃み、諸侯を除いて守令を置きました。子弟に一尺の地もなく、万民にともに治めるという思いが稀でした。だから一人の男が呼び叫ぶと、七つの廟が崩れたのです。

臣以為自古皇王,君臨宇內,莫不受命上玄,冊名帝錄,締構遇興王之運,殷憂屬啟聖之期。雖魏武攜養之資,漢高徒役之賤,非止意有覬覦,推之亦不能去也。若其獄訟不歸,菁華已竭,雖帝堯之光被四表,大舜之上齊七政,非止情存揖讓,守之亦不可焉!以放勛、重華之德,尚不能克昌厥後。是知祚之長短,必在於天時,政或興衰,有關於人事。隆周卜世三十,卜年七百,雖淪胥之道斯極,而文、武之器尚存,斯龜鼎之祚,已懸定於杳冥也。至使南征不返,東遷避逼,禋祀闕如,郊畿不守,此乃陵夷之漸,有累於封建焉。暴秦運距閏餘,數終百六。受命之主,德異禹、湯,繼世之君,才非啟、誦。借使李斯、王綰之輩盛開四履,將閭、子嬰之徒俱啟千乘,豈能逆帝子之勃興,抗龍顏之基命者也!

臣が思いますに、古来、君主が天下に臨むには、上は天から命を受け、帝王の録に名が記されない者はありません。創め建てることは王の興る運に遇わねばならず、深い憂えは聖人が開かれる時に属します。たとえ魏の武帝が養われた家の資りであり、漢の高祖が賦役をする賤しい身であっても、ただ志に望みがあったばかりでなく、押し退けようとしても去らせることができなかったのです。

もし玉の訟えが帰らず、芳しさがすでに尽きていたなら、たとえ堯の光が四方の外まで覆い、舜の明らかさが上は七星に斉しくあっても、ただ情に辞するところがあったばかりでなく、守ろうとしても守れなかったでしょう。放勲と重華の徳でさえ、なおその後を昌んにできませんでした。これで、祚の長短は必ず天の時にあり、政の興衰は人の事に係ると分かります。

盛んであった周は、代を三十、年を七百と卜しました。相い溺れる路が尽きても、文王と武王の器がなお残っていましたから、この亀と鼎の福はすでに遥かなところで定め懸けられていたのです。南に征って帰らず、東に遷って逼迫を避け、祀りが欠け、京畿を守れないに至りましたが、これはつまり次第に崩れ落ちたのであって、封建に係ることではありません。

暴虐な秦は、運が閏余に止まり、算が百六で終わりました。命を受けた君は徳が禹や湯と異なり、代を継いだ君は才が啓や誦ではありませんでした。たとえ李斯や王綰の輩が四方の地を大きく開き、張閭や子嬰の輩がみな千乗の車を開いていても、どうして帝の子の蹶ち起こるのに逆らい、龍の顔が基を受けた命に抗えたでしょうか。

然則得失成敗,各有由焉。而著述之家,多守常轍,莫不情忘今古,理蔽澆淳,欲以百王之季,行三代之法,天下五服之內,盡封諸侯,王畿千里之間,俱為采地。是則以結繩之化行虞、夏之朝,用象刑之典治劉、曹之末,紀綱弛紊,斷可知焉。鍥船求劍,未見其可;膠柱成文,彌多所惑。徒知問鼎請隧,有懼霸王之師;白馬素車,無復藩維之援。不悟望夷之釁,未堪羿、浞之災;既罹高貴之殃,寧異申、繒之酷。此乃欽明昏亂,自革安危,固非守宰公侯,以成興廢。且數世之後,王室浸微,始自藩屏,化為仇敵。家殊俗,國異政,強陵弱,眾暴寡,疆場彼此,幹戈侵伐。狐駘之役,女子盡髽;崤陵之師,只輪不反。斯蓋略舉一隅,其餘不可勝數。陸士衡方規規然云:「嗣王委其九鼎,兇族據其天邑,天下晏然,以治待亂。」何斯言之謬也!而設官分職,任賢使能,以循良之才,膺共治之寄,刺舉分竹,何世無人?至使地或呈祥,天不愛寶,民稱父母,政比神明。曹元首方區區然稱:「與人共其樂者人必憂其憂,與人同其安者人必拯其危。」豈容以為侯伯則同其安危,任之牧宰則殊其憂樂?何斯言之妄也!

それならば、得失と成敗には、おのおの由るところがあります。それなのに文を作る者は、多くはつねに通った轍だけを守り、情では古と今を忘れ、理では薄さと厚さに蔽われない者がありません。百王が過ぎた末に三代の法を行おうとして、天下五服の内をすべて諸侯に封じ、王の都千里の間をすべて采地にしようとします。これはつまり縄を結んでいた時代の治めで虞と夏の朝を行い、画いた衣で罰した法で劉氏・趙氏の末の世を治めようとするもので、綱が緩み乱れることは断じて分かります。

舟に刻んで剣を探すことは可とは見えず、柱を膠で止めて文を成すことは惑いを増すばかりです。いたずらに鼎の重さを問い、路を通すことを請うことに覇王の兵を懼れることがあると知るだけ、白馬と白車にもう藩となる助けがないと知るだけです。望夷宮の隙が芮や錯の禍に当たるものではないと悟らず、高貴郷公が禍に遇ったことが、どうして申侯や繒国の悪と異なりましょうか。これはつまり君が明らかか暗いかから自ら安危が分かれるのであって、まことに守令か諸侯かで興廃が成るのではありません。

また数代の後には王室が次第に微弱になり、初めは藩であった者が転じて仇となります。家ごとに俗が異なり、国ごとに政が異なり、強い者が弱い者を侮り、衆い者が少ない者に暴虐を加え、あちこちの境で戈と矛で相い攻めます。瓠台の戦いでは女たちがみな髪を刈って髻を結い、崤山の軍は車輪一つも帰りませんでした。これはおおよそ一隅を挙げただけで、その残りは数え尽くせません。

それなのに陸士衡はいたましくも「代を継いだ王がその九鼎を棄て、凶悪な輩がその天の都を占めたが、天下は安らかで、治めで乱れを待った」と言いました。どうしてこの言はこれほど誤っているのでしょうか。

また官を設け職を分けて、賢い者に委ね能ある者を使い、そこで賢才がともに治める任を受けさせ、刺史と太守を分けて立てるのですから、どの代に人がなかったでしょうか。地が瑞を現し、天が宝を惜しまず、民が父母と称え、政が神明に比べられるに至りました。それなのに曹元首はくだくだしく「人とその楽しみを同じくする者は、人が必ずその憂えを憂え、人とその安らかさを同じくする者は、人が必ずその危うさを救う」と称えました。どうして諸侯や伯となればその安危を同じくし、守令を任ずればその憂えと楽しみが異なるといえましょうか。どうしてこの言はこれほど妄りなのでしょうか。

封君列國,藉其門資,忘其先業之艱難,輕其自然之崇貴,莫不世增淫虐,代益驕侈。離宮別館,切漢淩雲,或刑人力而將盡,或召諸侯而共樂。陳靈則君臣悖禮,共侮徵舒;衛宣則父子聚麀,終誅壽、朔。乃云為己思治,豈若是乎?內外群官,選自朝廷,擢士庶以任之,澄水鏡以鑒之,年勞優其階品,考績明其黜陟。進取事切,砥礪情深,或俸祿不入私門,妻子不之官舍。班條之貴,食不舉火;剖符之重,居惟飲水。南陽太守,弊布裹身;萊蕪縣長,凝塵生甑。專云為利圖物,何其爽歟!總而言之,爵非世及,用賢之路斯廣;民無定主,附下之情不固。此乃愚知所辨,安可惑哉?至如滅國弒君,亂常幹紀,春秋二百年間,略無寧歲。次睢咸秩,遂用玉帛之君;魯道有蕩,每等衣裳之會。縱使西漢哀、平之際,東洛桓、靈之時,下吏淫暴,必不至此。為政之理,可以一言蔽焉。

国に封じられた君たちは、その門閥の資りに藉って先人の業が難しかったことを忘れ、自ら得た高さと貴さを軽んじて、代ごとに淫と暴を加え、代ごとに驕りと奢りを加えない者がありません。別の宮や別の館が天に届き雲を越え、あるいは人の力を使い尽くして滅ぼし、あるいは諸侯を招いてともに楽しみます。陳の霊公は君臣が礼を乖らせてともに夏徴舒を侮り、衛の宣公は父子が同じ女を取ってついに急子と朔を殺しました。これで自分の身のために治めを思うというのですから、どうしてこのようなことがありましょうか。

内外の諸々の官は朝廷が択びますから、士や民から択んで任じ、清い鏡で照らし察し、年と労でその階を厚くし、功績を考えてその黜陟を明らかにします。進み取ろうとする思いが切で、磨き琢く情が深く、あるいは禄が私家に入らず、妻子が官舎に行かないこともあります。条を列ねた貴い座にあっても飯を炊く煙が立たず、符を割いた重い座にあっても暮らしがただ水を飲むばかりです。南陽太守は破れた布で身を包み、内無県長は凝った埃が甑に生じました。もっぱら利のために物を謀るというのですから、どうしてこれほど違うのでしょうか。

総じて言えば、爵位が代々に及ばなければ賢者を用いる路が広がり、民に定まった主がなければ下に附く情が固まりません。これはつまり愚かな者と智い者がともに択べることですから、どうして惑えましょうか。

国を除き君を殺し、常を乱し綱を犯したような事は、春秋二百年の間にほとんど安らかな年がありませんでした。次睢の祀りではついに玉と帛を持つ君を犠牲に用い、魯の道が揺らいで、つねに衣の裾が擦れ合う会合ぐらいしかありませんでした。たとえ西漢の哀帝・平帝のころや、東洛の桓帝・霊帝の時であっても、下の官の淫と暴が必ずここに至ることはありませんでした。政を行う理は、一言で覆うことができます。

伏惟陛下握紀御天,膺期啟聖,救億兆之焚溺,掃氛祲於寰區。創業垂統,配二儀以立德;發號施令,妙萬物而為言。獨照神衷,永懷前古。將復五等而修舊制,建萬國以親諸侯。竊以漢、魏以還,餘風之弊未盡;勛華既往,至公之道斯乖。況晉氏失馭,宇縣崩離;後魏乘時,華夷雜處。重以關河分阻,吳、楚懸隔,習文者學長短從橫之術,習武者盡幹戈戰爭之心,畢為狙詐之階,彌長澆浮之俗。開皇在運,因藉外家。驅御群英,任雄猜之數;坐移明運,非克定之功。年逾二紀,民不見德。及大業嗣立,世道交喪,一時人物,掃地將盡。雖天縱神武,削平寇虐,兵威不息,勞止未康。

伏して思いますに、陛下は綱を執って天を御し、時に応じて聖を開かれ、億兆の民を火と水から救い、暴虐な気を宇内から掃われました。業を開き大いなる幹を垂れ、二儀に合わせて徳を立てられ、号令を発するに万物を妙にして言葉とされました。独り霊なる胸のうちで照らして永く古を慕われ、まさに五等を蘇らせて古の制を修め、万国を立てて諸侯を親しくしようとされています。

ひそかに思いますに、漢と魏より以来、遺った俗の弊がまだ尽きず、堯・舜がすでに過ぎてから、至公の道は乖れました。まして司馬氏の晋が治めを失って国土が崩れ散り、後魏が時に乗じて華と夷が雑じり住みました。重ねて関と河で分かれ塞がり、呉と楚が遥かに隔たって、文を習う者は短長縦横の術を学び、武を習う者は戈や矛で戦う心だけを尽くして、みな詐りの階段となり、薄く浮いた俗をいっそう長じさせました。

開皇の間は運に乗じて、外戚の家に藉りました。群雄を駆り使うのに暴虐と嫉みの術を用い、座ったまま明らかな運を移したのであって、克ち平らげた功ではありませんでした。年が二紀を越えても民は徳を見ませんでした。大業の間に至って代を継ぐと、世の道があわせて崩れ、一時の人物が地を掃うようになくなりました。たとえ天が生まれさせた霊なる武で盗賊の暴虐を削り平らげられても、兵の威が止まらず、労しさがまだ安らいでいません。

自陛下仰順聖慈,嗣膺寶歷,情深致治,綜覈前王。雖至道無名,言象所紀,略陳梗概,實所庶幾。愛敬烝烝,勞而不倦,大舜之孝也。訪安內豎,親嘗御膳,文王之德也。每憲司讞罪,尚書奏獄,大小必察,枉直咸舉,以斷趾之法,易大辟之刑,仁心隱惻,貫徹幽顯,大禹之泣辜也。正色直言,虛心受納,不簡鄙訥,無棄芻蕘,帝堯之求諫也。弘獎名教,勸勵學徒,既擢明經於青紫,將升碩儒於卿相,聖人之善誘也。群臣以宮中暑濕,寢饍或乖,請移御高明,營一小閣。遂惜十家之產,竟抑子來之願,不吝陰陽之感,以安卑陋之居。頃歲霜儉,普天饑饉。喪亂甫爾,倉廩空虛。聖情矜湣,勤加賑恤,竟無一人流離道路,猶且食惟藜藿,樂徹簨虡。言必淒動,貌成臒瘦.公旦喜於重譯。文命矜其即敘.陛下每見四夷款附,萬里歸仁,必退思進省,凝神動慮,恐妄勞中國,以求遠方,不藉萬古之英聲,以存一時之茂實。心切憂勞,志絕遊幸,每旦視朝,聽受無倦,智周於萬物,道濟於天下。罷朝之後,引進名臣,討論是非,備盡肝膈,惟及政事,更無異辭。才日昃,必命才學之士,賜以清閑,高談典籍,雜以文詠,間以玄言,乙夜忘疲,中宵不寐。此之四道,獨邁往初,斯實生民以來,一人而已。弘茲風化,昭示四方,信可以期月之間,彌綸天壤。而淳粹尚阻,浮詭未移,此由習之久,難以卒變。請待斫雕成器,以質代文,刑措之教一行,登封之禮云畢,然後定疆理之制,議山河之賞,未為晚焉。《易》稱:「天地盈虛,與時消息,況於人乎?」美哉斯言也。

陛下が仰いで聖なる慈しみに従い、宝の座を継ぎ受けられてからは、情を治めに至らせることに深く、先の王たちを集め較べられました。至道は名がなく、言葉や形で記せるものではありませんが、おおよそその大きな幹を申し上げますと、まことにほぼ近くおられます。

愛と敬が厚く、労しても懈らないのは舜の孝です。安否を伺わせに内侍を遣わし、自ら膳を味わわれるのは文王の徳です。憲司が罪を奏し、尚書が獄を奏するたびに、大小を必ず察して曲直をことごとく挙げられ、足を切る法で首を斬る刑を替えられ、仁の心が隠れて痛み、幽かなところと顕れたところを貫かれるのは、禹が罪人を見て泣いた事です。色を正して直く言わせ、心を虚しくして納れられ、卑しく訥い者を隔てず、草を刈る者の言も棄てられないのは、堯が諫めを求めた事です。名と教えを大いに褒め、学ぶ徒を勧め励まされ、すでに経に明らかな者を高い官に抜き、まさに大儒を卿相に上げようとされるのは、聖人がよく導く事です。

群臣が、宮中が暑く湿っていて寝所と膳が損なわれるだろうとして、高く明るいところへ移られるよう請い、小さな閣を一つ建てようとしました。それでもついに十戸の財を惜しまれ、子のように走り来て建てたいという願いを抑え、陰と陽の害を惜しまず、低く狭い居に安んじておられました。

過ぎた数年、霜が降って不作となり、天下が飢えました。乱が収まったばかりで倉が空でした。聖なる情で憐れまれ、勤めて賑恤を加えられたので、ついに一人も路に流れる者がありませんでした。それでも召し上がるものはただ藜と藿、音楽は懸けるものまで撤されました。お言葉は必ず悽然として動き、お顔は痩せられました。

周公は重訳して来たことを喜び、禹はその序に従うことを誇りました。それでも陛下は、四方の夷が誠で附き従い、万里から仁に帰するのを見られるたびに、必ず退いて思い進んで省み、精神を凝らし思いを動かされ、みだりに中国を労して遠方を求めることを懼れ、万古の芳しい名に藉って一時の茂った実を置こうとはされません。

心は憂えと労に切で、志は遊び歩くことを絶たれ、朝ごとに朝を見、聴き納れることに懈られません。智は万物にあまねく及び、道は天下を救います。朝を罷められた後は、名ある臣を引き入れて是非を論じ、胸のうちを具に尽くして、ただ政にだけ及び、ほかの話はありません。日が傾けば必ず才と学ある士を召して閑かな時を賜り、典籍を高く語り、文や詩を交え、幽かな言を挟んで、二更になっても指すことを忘れ、夜半になっても寝まれません。

この四つの道は独り過ぎた古を越えますから、これはまことに民が生まれてから一人だけです。この風と教えを広め、四方に明らかに示されるなら、まことに一月のうちに天地にあまねく及べます。しかし厚く純なるものがまだ塞がり、浮き詐ることがまだ移されていないのは、習ってきたことが久しく、急には変えがたいからです。

願いますに、彫りを削って器を成し、素で飾りに代えるのを待ち、刑を措いておく教えが一度行われ、封禅の礼が終わったと申せるようになってから、その後に境を治める制を定め、山と河の象を議られても遅くはありません。『易』に「天地の盈と虚も、時とともに消え息む。まして人においてはどうか」と称えています。美しいことです、この言葉は。

中書舍人馬周又上疏曰:

中書舎人の馬周がまた上疏した。

伏見詔書令宗室勛賢作鎮藩部,貽厥子孫,嗣守其政,非有大故,無或黜免。臣竊惟陛下封植之者,誠愛之重之,欲其緒裔承守,與國無疆。可則?以堯、舜之父,猶有朱、均之子?況下此以還,而欲以父取兒,恐失之遠矣。儻有孩童嗣職,萬一驕逸,則兆庶被其殃,而國家受其敗。政欲絕之也,則子文之理猶在;政欲留之也,而欒黡之惡已彰。與其毒害於見存之百姓,則寧使割恩於已亡之一臣,明矣。然則鄉之所謂愛之者,乃適所以傷之也。臣謂宜賦以茅土,疇其戶邑,必有材行,隨器方授,則翰翮非強,亦可以獲免尤累。昔漢光武不任功臣以吏事,所以終全其世者,良由得其術也。願陛下深思其宜,使夫得奉大恩,而子孫終其福祿也。

伏して見ますに、詔して宗室と勲ある賢者を辺州に鎮めさせ、その子孫に伝えて代々その政を守らせ、大きな理由がなければ黜けたり免じたりすることがないようにされました。

臣がひそかに思いますに、陛下が植え立てられたのは、まことに彼らを愛し重んじられ、その後を継いで守らせ、国とともに終わりがないようにされたいからです。しかしどうでしょうか。堯や舜のような父にも、なお丹朱や商均のような子がありました。ましてこれより下に降って、父によって子を取ろうとされるのですから、失うことが遠からぬのを恐れます。

もし幼い子が職を継いで、万一驕り懈れば、万民がその災いを被り、国家がその崩れを受けます。政でそれを絶とうとすれば子文の治めがまだ残っており、政でそれを置こうとすれば欒黶の悪がすでに現れています。いま生きている民に毒と害を及ぼすよりは、すでに死んだ一人の臣への恩を割くほうがよいことは明らかです。それならば、先にいわゆる愛するということが、かえってちょうど彼を傷つけることになります。

臣が申しますに、茅と土を分け与えてその戸口と州を償われ、必ず才と行いがあればその器に従ってはじめて任じられるなら、羽根が強くなくても、やはり過ちと累いを免れられます。昔、漢の光武帝が功臣に官吏の事を任じず、ついにその代を全うしたのは、まことにその方法を得たことに由ります。願いますに、陛下はその宜しさを深く思われ、彼らが大きな恩を奉じ、その子孫がその福と禄を終わりまで享けられますよう。

太宗並嘉納其言。於是竟罷子弟及功臣世襲刺史。

太宗はあわせてその言を嘉して納れた。そこでついに子弟と功臣を世襲の刺史とすることを止めた。