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終わりを慎むことを論じる論慎終第四十

貞観政要(貞観の治における政の要) 貞觀政要 · 呉兢 · 8世紀初め · 段落 22 · 漢字 3,370字 · 朗読 13.5分

貞観政要(貞観の治における政の要) 論慎終第四十 唐の太宗が臣下と交わした言葉を主題ごとに集めた書。君主の道から始まり、諫言を受け入れる法、官吏を選ぶ法、刑罰と税と征伐を経て「終わりを慎む」で終わる。魏徴が面を合わせて折って諫め、太宗がそれを受け入れる場面が書の骨格である。高句麗の安市城をついに落とせずに退き、城主に絹を与えたこと、房玄齢が死に臨んで遼東征伐を止めた上疏もここにある。

貞觀五年,太宗謂侍臣曰:「自古帝王亦不能常化,假令內安,必有外擾。當今遠夷率服,百穀豐稔,盜賊不作,內外寧靜。此非朕一人之力,實由公等共相匡輔。然安不忘危,治不忘亂,雖知今日無事,亦須思其終始。常得如此,始是可貴也。」魏徵對曰:「自古已來,元首股肱不能備具,或時君稱聖,臣即不賢,或遇賢臣,即無聖主。今陛下明,所以致治。向若直有賢臣,而君不思化,亦無所益。天下今雖太平,臣等猶未以為喜,惟願陛下居安思危,孜孜不怠耳!」

貞観五年、太宗が侍臣に言った。

「昔から帝王もまた、つねに教化を行き渡らせられたわけではない。たとえ内が安らかでも、必ず外に擾れがあった。いまは遠い夷もみな服し、百穀は豊かに実り、盗賊は起こらず、内外が寧らかに静かである。これは朕一人の力ではなく、まことに公らがともに互いに匡し輔けたことによる。

けれども安らかなときに危うさを忘れず、治まったときに乱れを忘れてはならない。今日は事がないと知っていても、その始めと終わりを思わなければならない。つねにこのようでありえてこそ、はじめて貴ぶに足る。」

魏徴が答えた。

「昔から、元首と股肱が備わることができず、ときに君が聖と称えられても臣が賢くなく、ときに賢い臣に遇っても聖なる主がないということがありました。いま陛下が明らかですから、それで治まりに至ったのです。もしただ賢い臣だけがあって、君が教化を思わなければ、やはり益はありません。天下は今は太平ですが、臣らはまだこれを喜びとはしておりません。ただ陛下が安らかなところに居て危うさを思い、こつこつと怠られないことを願うだけです。」

貞觀六年,太宗謂侍臣曰:「自古人君為善者,多不能堅守其事。漢高祖,泗上一亭長耳,初能拯危誅暴,以成帝業,然更延十數年,縱逸之敗,亦不可保。何以知之?孝惠為嫡嗣之重,溫恭仁孝,而高帝惑於愛姬之子,欲行廢立,蕭何、韓信功業既高,蕭既妄系,韓亦濫黜,自餘功臣黥布之輩懼而不安,至於反逆。君臣父子之間悖謬若此,豈非難保之明驗也?朕所以不敢恃天下之安,每思危亡以自戒懼,用保其終。」

貞観六年、太宗が侍臣に言った。

「昔から人の君で善をなした者が、多くはその事を堅く守りきれなかった。漢の高祖は、泗水のほとりの一人の亭長にすぎなかったが、初めは危うさを拯い暴を誅して帝の業を成すことができた。けれども、さらに十数年を延べていたなら、気ままに逸れて敗れることも、ないとは言えなかった。

何でそれがわかるか。孝恵帝は嫡の嗣としての重さがあり、温かく恭しく仁く孝であったのに、高帝は愛する姫の子に惑って、廃し立てることを行おうとした。蕭何と韓信は功業がすでに高かったのに、蕭何はみだりに繋がれ、韓信もみだりに黜けられた。その他の功臣、黥布の輩が懼れて安らかでなく、ついに反き逆らうに至った。君臣、父子のあいだが悖り謬ることがこのとおりであったのだから、どうして保ちがたいことの明らかな験でないだろうか。朕がそれで天下の安らかさを恃むことをあえてせず、つねに危うさと亡びを思って自ら戒め懼れ、その終わりを保とうとしているのである。」

貞觀九年,太宗謂公卿曰:「朕端拱無為,四夷咸服,豈朕一人之所致,實賴諸公之力耳!當思善始令終,永固鴻業,子子孫孫,遞相輔翼。使豐功厚利施於來葉,令數百年後讀我國史,鴻勛茂業粲然可觀,豈惟稱隆周、炎漢及建武、永平故事而已哉!」房玄齡因進曰:「陛下撝挹之志,推功群下,致理升平,本關聖德,臣下何力之有?惟願陛下有始有卒,則天下永賴。」太宗又曰:「朕觀古先撥亂之主皆年逾四十,惟光武年三十三。但朕年十八便舉兵,年二十四定天下,年二十九升為天子,此則武勝於古也。少從戎旅,不暇讀書,貞觀以來,手不釋卷,知風化之本,見政理之源。行之數年,天下大治而風移俗變,子孝臣忠,此又文過於古也。昔周、秦以降,戎狄內侵,今戎狄稽顙,皆為臣妾,此又懷遠勝古也。此三者,朕何德以堪之?既有此功業,何得不善始慎終耶!」

貞観九年、太宗が公卿に言った。

「朕が端かに拱いて為すところなくしていても、四夷がみな服すのは、どうして朕一人の致したところであろうか。まことに諸公の力に頼ったにすぎない。善く始め令く終えて、鴻きな業を永く固め、子々孫々が代わり代わり互いに輔け翼たることを思わなければならない。豊かな功と厚い利が来る世に施され、数百年の後に我が国の史を読めば、鴻きな勛と茂んな業が粲然として見るに足るようにするのだ。どうして、ただ隆んな周や炎える漢、建武・永平の故事を称えるだけに止まろうか。」

房玄齢がそこで進み出て言った。

「陛下が撝り挹られる御志で、功を群れなす下の者に推されます。治まりが升り平らぐに至ったのは、もともと聖なる徳に関わることで、臣下に何の力がありましょうか。ただ陛下に始めがあり卒わりがあられることを願います。そうすれば天下が永く頼れます。」

太宗がまた言った。

「朕が見るに、古の先に乱を撥めた主はみな年が四十を越えていて、ただ光武帝だけが三十三であった。それなのに朕は十八で兵を挙げ、二十四で天下を定め、二十九で昇って天子となった。これはつまり武が古に勝るのである。

若くして戎旅に従い、書を読む暇がなかったが、貞観以来は手から巻を釈さず、風と化の本を知り、政と治めの源を見た。これを行って数年で天下は大いに治まって風は移り俗は変わり、子は孝に臣は忠になった。これはまた文が古に過ぎるのである。

かつて周と秦より以降、戎狄が内に侵したが、いま戎狄は顙を稽げて、みな臣や妾となった。これはまた遠くを懐けることが古に勝るのである。この三つを、朕はどんな徳で堪えられよう。すでにこうした功業があるのだから、どうして善く始め終わりを慎まずにいられようか。」

貞觀十二年,太宗謂侍臣曰:「朕讀書見前王善事,皆力行而不倦,其所任用公輩數人,誠以為賢。然致理比於三、五之代,猶為不逮,何也?」魏徵對曰:「今四夷賓服,天下無事,誠曠古所未有。然自古帝王初即位者,皆欲勵精為政,比跡於堯、舜;及其安樂也,則驕奢放逸,莫能終其善。人臣初見任用者,皆欲匡主濟時,追縱於稷、契;及其富貴也,則思茍全官爵,莫能盡其忠節。若使君臣常無懈怠,各保其終,則天下無憂不理,自可超邁前古也。」太宗曰:「誠如卿言。」

貞観十二年、太宗が侍臣に言った。

「朕は書を読んで前の王の善い事を見れば、みな力を尽くして行って倦まず、任じ用いた公ら数人を、まことに賢いと思っている。それでも治まりに至ったさまを三皇五帝の代に比べれば、なお及ばない。なぜであろうか。」

魏徴が答えた。

「いま四夷は賓として服し、天下に事なく、まことに曠い古にもなかったことです。けれども昔から帝王で位に就いたばかりの者は、みな精を励まして政をなし、堯や舜に跡を比べようとしましたが、安らかに楽しくなるに至っては、驕り奢り放ち逸れて、その善を終えられる者がありませんでした。臣で任じ用いられたばかりの者は、みな主を匡し時を済おうとして、后稷や契に縦を追おうとしましたが、富み貴くなるに至っては、かりそめに官と爵を全うすることばかり思って、その忠の節を尽くせる者がありませんでした。

もし君臣につねに懈りや怠りがなく、それぞれがその終わりを保つようにできれば、天下が治まらないことを憂える必要はなく、おのずと前の古を超え邁ぐことができます。」

太宗が言った。

「まことに卿の言うとおりだ。」

貞觀十三年,魏徵恐太宗不能克終儉約,近歲頗好奢縱,上疏諫曰:

貞観十三年、魏徴は太宗が倹約を克く終えられず、ここ数年かなり奢りと放縦を好まれることを恐れて、上疏して諫めた。

臣觀自古帝王受圖定鼎,皆欲傳之萬代,貽厥孫謀。故其垂拱巖廊,布政天下。其語道也,必先淳樸而抑浮華;其論人也,必貴忠良而鄙邪佞;言制度也,則絕奢靡而崇儉約;談物產也,則重穀帛而賤珍奇。然受命之初,皆遵之以成治;稍安之後,多反之而敗俗。其故何哉?豈不以居萬乘之尊,有四海之富,出言而莫己逆,所為而人必從,公道溺於私情,禮節虧於嗜欲故也?語曰:「非知之難,行之為難;非行之難,終之斯難。」所言信矣。

臣が見ますに、昔から帝王が図を受け鼎を定めると、みなこれを万代に伝え、その孫に謀を貽そうとしました。ですから巖廊に拱いて垂れたまま、政を天下に布きました。

その道を語るときは、必ず淳らかな樸さを先にして浮わついた華やかさを抑え、その人を論ずるときは、必ず忠く良い者を貴んで邪で佞る者を鄙しみました。制度を言うときは奢り靡しさを絶って倹約を崇び、物産を談ずるときは穀と帛を重んじて珍しく奇しいものを賤しみました。

けれども命を受けた初めはみなこれに遵って治まりを成しましたが、やや安らかになった後は、多くこれに反いて俗を敗りました。その理由は何でしょうか。万乗の尊さに居て四海の富を有し、言を出せば己に逆らう者がなく、為すところを人が必ず従うので、公の道が私の情に溺れ、礼の節が嗜みと欲に虧けたからではないでしょうか。

言葉に「知るのが難しいのではなく行うのが難しい、行うのが難しいのではなく終えるのがここで難しい」とあります。言われていることは信です。

伏惟陛下年甫弱冠,大拯橫流,削平區宇,肇開帝業。貞觀之初,時方克壯,抑損嗜欲,躬行節儉,內外康寧,遂臻至治。論功則湯、武不足方,語德則堯、舜未為遠。臣自擢居左右,十有餘年,每侍帷幄,屢奉明旨。常許仁義之道,守之而不失;儉約之志,終始而不渝。一言興邦,斯之謂也。德音在耳,敢忘之乎?而頃年以來,稍乖曩志,敦樸之理,漸不克終。謹以所聞,列之於左:

伏して思いますに、陛下は年がちょうど弱冠で、横に流れる世を大いに拯い、区宇を削り平らげて、帝の業を肇め開かれました。貞観の初めは、時まさに壮んな年ごろでありながら、嗜みと欲を抑え損い、みずから節と倹を行われたので、内外は康らかに寧らかで、ついに至れる治まりに臻られました。功を論ずれば湯王と武王も方べるに足らず、徳を語れば堯と舜も遠くはありません。

臣が擢かれて左右に居ること十年あまり、帷幄にお仕えするたびに、たびたび明らかな御旨を奉りました。つねに仁義の道を守って失わず、倹約の志を終始変えないと許されました。一言が邦を興すとは、これを言うのです。徳の音が耳にありますのに、どうしてこれを忘れましょうか。

ところがここ数年来、昔の御志とやや乖き、敦く樸やかな理めを、次第に克く終えられなくなっています。謹んで聞いたところを、左に列ねます。

夾注 1

底本はこの箇所を湯、十七番目を成湯、十八番目を殷湯と記すが、いずれも同じ商の湯王なので、一つの名にまとめた。― 訳者

陛下貞觀之初,無為無欲,清靜之化,遠被遐荒。考之於今,其風漸墜,聽言則遠超於上聖,論事則未逾於中主。何以言之?漢文、晉武俱非上哲,漢文辭千里之馬,晉武焚雉頭之裘。今則求駿馬於萬里,市珍奇於域外,取怪於道路,見輕於戎狄,此其漸不克終一也。

陛下は貞観の初めには、為すところなく欲するところなく、清らかで静かな化が遠く遐かな荒れ地まで被りました。いま考えてみますと、その風は次第に墜ちて、言を聴けば遠く上の聖を超えておられますのに、事を論ずれば中ほどの主を逾えておられません。

何でそう言うのでしょうか。漢の文帝と晋の武帝はどちらも上の哲ではありませんでしたが、漢の文帝は千里を走る馬を辞し、晋の武帝は雉の頭の毛の裘を焼きました。それがいまは万里に駿馬を求め、域の外に珍しく奇しいものを市い、道路の人々に怪しまれ、戎狄に軽んじられます。これがその、次第に克く終えられないことの一つです。

昔子貢問理人於孔子,孔子曰:「懍乎,若朽索之馭六馬。」子貢曰:「何其畏哉?」子曰:「不以道導之,則吾仇也,若何其無畏?」故《書》曰:「民惟邦本,本固邦寧。」為人上者,奈何不敬?陛下貞觀之始,視人如傷,恤其勤勞,愛民猶子,每存簡約,無所營為。頃年以來,意在奢縱,忽忘卑儉,輕用人力,乃云:「百姓無事則驕逸,勞役則易使。」自古以來,未有由百姓逸樂而致傾敗者也,何有逆畏其驕逸而故欲勞役者哉?恐非興邦之至言,豈安人之長算?此其漸不克終二也。

かつて子貢が孔子に人を理めることを問うと、孔子は「懍れることだ、朽ちた索で六頭の馬を馭すようなものだ」と言いました。子貢が「どうしてそれほど畏ろしいのですか」と言うと、孔子は「道でこれを導かなければ、私の仇となるのだ。どうして畏れがないだろうか」と言いました。

ですから『書経』に「民は邦の本である、本が固ければ邦は寧らかである」とあります。人の上に立つ者が、どうして敬まずにいられましょうか。

陛下は貞観の始めには、人を見れば傷ついた者を見るようにして、その勤め労うことを恤れみ、民を子のように愛し、つねに簡と約を心に置いて、営み為すところがありませんでした。ここ数年来は、意が奢りと放縦にあって、ふと卑しさと倹しさを忘れ、人の力を軽々しく用いて、「民は事がなければ驕り逸れる。労役を課せば使いやすい」とまで言われます。

昔から、民が逸み楽しんだことによって傾き敗れるに至った例はありません。どうして逆に、その驕り逸れるのを畏れて、わざわざ労役を課そうとされるのでしょうか。おそらく邦を興す至れる言ではないでしょうし、人を安らかにする長い算でもありません。これがその、次第に克く終えられないことの二つです。

陛下貞觀之初,損己以利物,至於今日,縱欲以勞人,卑儉之跡歲改,驕侈之情日異。雖憂人之言不絕於口,而樂身之事實切於心。或時欲有所營,慮人致諫,乃云:「若不為此,不便我身。」人臣之情,何可復爭?此直意在杜諫者之口,豈曰擇善而行者乎?此其漸不克終三也。

陛下は貞観の初めには、己を損って物を利されましたのに、今日に至っては欲を縦にして人を労されます。卑しく倹しかった跡は歳ごとに改まり、驕り侈る情は日ごとに異なります。人を憂える言葉が口に絶えないとはいえ、身を楽しませる事が実は心に切なのです。

ときに営もうとされるものがあって、人が諫めてくるのを慮られると、「もしこれをしなければ、我が身が便らない」と言われます。臣の情として、どうしてさらに争えましょうか。これはただ意が諫める者の口を杜ぐことにあるのであって、どうして善を択んで行うことと言えましょうか。これがその、次第に克く終えられないことの三つです。

立身成敗,在於所染,蘭芷鮑魚,與之俱化,慎乎所習,不可不思。陛下貞觀之初,砥礪名節,不私於物,惟善是與,親愛君子,疏斥小人。今則不然,輕褻小人,禮重君子。重君子也,敬而遠之;輕小人也,狎而近之。近之則不見其非,遠之則莫知其是。莫知其是,則不間而自疏;不見其非,則有時而自昵。昵近小人,非致理之道;疏遠君子,豈興邦之義?此其漸不克終四也。

身を立てる成敗は、染まるところにあります。蘭や芷、塩漬けの魚、それと共にあれば、それとともに化してゆきます。習うところを慎み、思わないわけにはいきません。

陛下は貞観の初めには、名と節を砥ぎ礪いて、物に私されず、ただ善のみを与とし、君子を親しみ愛し、小人を疏け斥けられました。いまはそうではなく、小人を軽んじて褻れ、君子を礼で重んじられます。君子を重んじられるので、敬いながら遠ざけられ、小人を軽んじられるので、狎れながら近づけられます。近づければその非が見えず、遠ざければその是が知れません。その是が知れなければ、間を置かなくてもおのずと疏くなり、その非が見えなければ、やがておのずと昵しくなります。小人を昵しみ近づけるのは治まりに至る道ではなく、君子を疏くし遠ざけるのが、どうして邦を興す義でしょうか。これがその、次第に克く終えられないことの四つです。

《書》曰:「不作無益害有益,功乃成;不貴異物賤用物,人乃足。犬馬非其土性不畜,珍禽奇獸弗育於國。」陛下貞觀之初,動遵堯、舜,捐金抵璧,反樸還淳。頃年以來,好尚奇異,難得之貨,無遠不臻,珍玩之作,無時能止。上好奢靡而望下敦樸,未之有也。末作滋興,而求豐實,其不可得亦已明矣。此其終不克終五也。

『書経』に「益のないものを作って益のあるものを害さなければ功は成り、異しい物を貴んで用いる物を賤しまなければ人は足る。犬や馬はその土地の性でないものは畜わず、珍しい禽や奇しい獣は国で育てない」とあります。

陛下は貞観の初めには、挙措に堯と舜を遵い、金を捐て璧を抵げて、樸やかさに反り淳らかさに還られました。ここ数年来は、奇しく異しいものを好み尚ばれるので、得がたい貨は遠くても臻らないものがなく、珍しい玩びものを作ることはやむ時がありません。上が奢り靡しさを好みながら、下が敦く樸やかであることを望むのは、あったことがありません。末の作りが滋り興って、豊かで実あることを求めても、得られないことはもう明らかです。これがその、ついに克く終えられないことの五つです。

貞觀之初,求賢如渴,善人所舉,信而任之,取其所長,恒恐不及。近歲以來,由心好惡,或眾善舉而用之,或一人毀而棄之,或積年任而用之,或一朝疑而遠之。夫行有素履,事有成跡,所毀之人,未必可信於所舉,積年之行,不應頓失於一朝。君子之懷,蹈仁義而弘大德;小人之性,好讒佞以為身謀。陛下不審察其根源,而輕為之臧否,是使守道者日疏,幹求者日進。所以人思茍免,莫能盡力。此其漸不克終六也。

貞観の初めには、賢者を求めることは渇いたときのようで、善い人が挙げるところを信じて任じ、その長じたところを取り、つねに及ばないのではと恐れられました。ここ数年来は、心の好みと憎みによって、多くの善い人が挙げて用いられることもあれば、一人が毀って棄てられることもあり、年を積んで任じ用いられることもあれば、一朝にして疑って遠ざけられることもあります。

そもそも行いには素より履んできたところがあり、事には成った跡があります。毀る人が、挙げた人より信じるに足るとは限らず、年を積んだ行いが、一朝にして頓に失われるはずもありません。君子の懐は、仁義を蹈んで大いなる徳を弘めるものであり、小人の性は、讒り佞ることを好んで身の謀とするものです。陛下がその根源を審らかに察せられず、軽々しくその臧否を決められるので、道を守る者は日ごとに疏くなり、幹め求める者は日ごとに進みます。それで人はかりそめに免れることばかり思って、力を尽くせません。これがその、次第に克く終えられないことの六つです。

陛下初登大位,高居深視,事惟清靜,心無嗜欲,內除畢弋之物,外絕畋獵之源。數載之後,不能固志,雖無十旬之逸,或過三驅之禮。遂使盤遊之娛,見譏於百姓,鷹犬之貢,遠及於四夷。或時教習之處,道路遙遠,侵晨而出,入夜方還。以馳騁為歡,莫慮不虞之變,事之不測,其可救乎?此其漸不克終七也。

陛下が初めて大位に登られたときは、高く居て深く視られ、事はただ清らかで静かで、心に嗜みや欲がありませんでした。内では畢と弋の物を除き、外では畋り猟る源を絶たれました。数年の後には志を固められず、十旬の逸れはないとはいえ、ときに三駆の礼を過ぎられます。ついに盤り遊ぶ娯しみが民に譏られ、鷹や犬の貢が遠く四夷にまで及びます。ときに教え習う所が道路遥かで、晨を侵して出て、夜に入ってようやく還られます。馳せ騁せることを歓びとされ、不虞の変を慮られませんが、事が測りがたくなってから、それを救えましょうか。これがその、次第に克く終えられないことの七つです。

孔子曰:「君使臣以禮,臣事君以忠。」然則君之待臣,義不可薄。陛下初踐大位,敬以接下,君恩下流,臣情上達,咸思竭力,心無所隱。頃年以來,多所忽略。或外官充使,奏事入朝,思睹闕庭,將陳所見,欲言則顏色不接,欲請又恩禮不加,間因所短,詰其細過,雖有聰辯之略,莫能申其忠款。而望上下同心,君臣交泰,不亦難乎?此其漸不克終八也。

孔子は「君は礼をもって臣を使い、臣は忠をもって君に仕える」と言いました。そうであれば、君が臣を待遇するのに、義が薄くてはなりません。

陛下が初めて大位を践まれたときは、敬をもって下を接せられ、君の恩が下に流れ、臣の情が上に達して、みな力を尽くすことを思い、心に隠すところがありませんでした。ここ数年来は、忽せに略されることが多くあります。外の官が使に充てられ、事を奏しに朝へ入り、闕庭を睹ることを思って見たところを陳べようとしても、言おうとすれば顔色を接してもらえず、請おうとすればまた恩と礼を加えてもらえません。その短いところに乗じて、その細かな過ちを詰められますので、聡く辯つ略があっても、その忠の款を申べられません。それでいて上下が心を同じくし、君臣が交わって泰らかであることを望まれるのは、やはり難しくはありませんか。これがその、次第に克く終えられないことの八つです。

「傲不可長,欲不可縱,樂不可極,志不可滿。」四者,前王所以致福,通賢以為深誡。陛下貞觀之初,孜孜不怠,屈己從人,恒若不足。頃年以來,微有矜放,恃功業之大,意蔑前王,負聖智之明,心輕當代,此傲之長也。欲有所為,皆取遂意,縱或抑情從諫,終是不能忘懷,此欲之縱也。志在嬉遊,情無厭倦,雖未全妨政事,不復專心治道,此樂將極也。率土乂安,四夷款服,仍遠勞士馬,問罪遐裔,此志將滿也。親狎者阿旨而不肯言,疏遠者畏威而莫敢諫,積而不已,將虧聖德。此其漸不克終九也。

「傲りは長じさせてはならず、欲は縦にしてはならず、楽は極めてはならず、志は満たしてはならない」といいます。この四つは前の王が福を致したところであり、通じた賢者が深い戒めとしたところです。

陛下は貞観の初めには、こつこつと怠らず、己を屈して人に従い、つねに足りないかのようにされていました。ここ数年来は、わずかに矜り放つところがあって、功業の大きさを恃んで意は前の王を蔑み、聖なる智の明らかさを負って心は当代を軽んじられます。これが傲りの長じたことです。

為そうとされることがあれば、みな意を遂げることを取られ、たとえときに情を抑えて諫めに従われても、ついには懐いから忘れられません。これが欲を縦にされたことです。

志が嬉び遊ぶことにあって、情に厭きも倦みもありませんので、まだ政事を全く妨げてはいないとはいえ、もう治めの道に心を専らにされません。これが楽がまさに極まろうとしていることです。

率土は治まって安らかで、四夷は款を尽くして服しているのに、それでも遠く士と馬を労して、遐かな裔に罪を問われます。これが志がまさに満ちようとしていることです。

親しく狎れている者は旨に阿って言おうとせず、疏く遠い者は威を畏れて敢えて諫めません。積もってやまなければ、まさに聖なる徳を虧くことになります。これがその、次第に克く終えられないことの九つです。

昔陶唐、成湯之時,非無災患,而稱其聖德者,以其有始有終,無為無欲,遇災則極其憂勤,時安則不驕不逸故也。貞觀之初,頻年霜旱,畿內戶口並就關外,攜負老幼,來往數年,曾無一戶逃亡、一人怨苦,此誠由識陛下矜育之懷,所以至死無攜貳。頃年已來,疲於徭役,關中之人,勞弊尤甚。雜匠之徒,下日悉留和雇;正兵之輩,上番多別驅使。和市之物不絕於鄉閭,遞送之夫相繼於道路。既有所弊,易為驚擾,脫因水旱,穀麥不收,恐百姓之心,不能如前日之寧帖。此其漸不克終十也。

かつて陶唐氏や湯王の時にも、災いや患いがなかったわけではないのに、その聖なる徳が称えられるのは、彼らに始めがあり終わりがあって、為すところなく欲するところなく、災いに遇えばその憂えと勤めを極め、時が安らかであれば驕らず逸れなかったからです。

貞観の初めには、年ごとに霜と旱が続いて、畿内の戸口があわせて関の外へ出て、老いた者や幼い者を携え負って数年のあいだ往き来しましたのに、ついに一戸の逃げ亡ぶ者も、一人の怨み苦しむ者もありませんでした。これはまことに、陛下が矜み育てられる御心を知ったことによるのであり、それで死に至るまで二心を携かなかったのです。

ここ数年来は、徭役に疲れ、関中の人の労と弊えがとりわけ甚しくあります。雑多な匠の徒は、下がる日にもことごとく値を払って留め置かれ、正兵の輩は、番に上がりながら多く別に駆り使われます。値を払って市う物が郷や閭に絶えず、代わり代わり送る夫が道路に相次ぎます。すでに弊えたところがあれば、驚き擾されやすくなりますので、もし水や旱によって穀や麦が収まらなければ、民の心が先の日のように寧らかに帖らないのではと恐れます。これがその、次第に克く終えられないことの十です。

臣聞「禍福無門,唯人所召。」「人無釁焉,妖不妄作。」伏惟陛下統天御宇十有三年,道洽寰中,威加海外,年穀豐稔,禮教聿興,比屋喻於可封,菽粟同於水火。暨乎今歲,天災流行。炎氣致旱,乃遠被於郡國;兇醜作孽,忽近起於轂下。夫天何言哉?垂象示誡,斯誠陛下驚懼之辰,憂勤之日也。若見誡而懼,擇善而從,同周文之小心,追殷湯之罪己,前王所以致禮者,勤而行之,今時所以敗德者,思而改之,與物更新,易人視聽,則寶祚無疆,普天幸甚,何禍敗之有乎?然則社稷安危,國家治亂,在於一人而已。當今太平之基,既崇極天之峻;九仞之積,猶虧一簣之功。千載休期,時難再得,明主可為而不為,微臣所以郁結而長嘆者也。

臣が聞きますに「禍いと福には入る門がなく、ただ人が招くところである」といい、「人に釁がなければ、妖は妄りに作らない」といいます。

伏して思いますに、陛下が天を統べ宇を御されて十三年、道は寰の中に洽り、威は海の外に加わり、年の穀は豊かに実り、礼と教えがここに興って、家並みは封じてよいと喩えられ、菽と粟は水や火と同じほどになりました。

今年に至って、天の災いが流れ行っています。炎える気が旱を致して遠く郡や国に被り、凶く醜い者どもが孽を作して、ふと近く轂の下に起こりました。そもそも天が何を言いましょうか。象を垂れて戒めを示すのですから、これはまことに陛下が驚き懼れられる辰であり、憂え勤められる日です。

もし戒めを見て懼れ、善を択んで従い、周の文王の小心と同じようにされ、湯王が自らを罪したことを追われ、前の王が礼に致したところを勤めて行い、今の時に徳を敗るところを思って改められ、物とともに新たになり、人の視聴を易えられるなら、宝の祚は疆りなく、普天が大いに幸いで、何の禍いや敗れがありましょうか。

そうであれば、社稷の安危、国家の治乱は、一人にあるだけです。いま太平の基は、すでに天を極める峻さを崇くしましたが、九仞の積みに、なお一簣の功が虧けています。千載の休い期は、時として再び得がたいのに、明らかな主が為しうるのに為されないので、微かな臣が郁り結んで長く嘆くのです。

臣誠愚鄙,不達事機,略舉所見十條,輒以上聞聖聽。伏願陛下采臣狂瞽之言,參以芻蕘之議,冀千慮一得,袞職有補,則死日生年,甘從斧鉞。

臣はまことに愚かで鄙しく、事の機に達しておりませんが、おおよそ見たところの十条を挙げて、聖なる聴に上げ聞こえさせます。伏して願いますに、陛下が臣の狂い瞽いた言を采られ、芻や蕘を採る者の議として参えられますよう。千の慮りに一つの得があって、袞の職に補いがあることを冀います。そうであれば、死ぬ日は生まれた年と同じで、甘んじて斧と鉞に従います。

疏奏,太宗謂徵曰:「人臣事主,順旨甚易,忤情尤難。公作朕耳目股肱,常論思獻納。朕今聞過能改,庶幾克終善事。若違此言,更何顏與公相見?復欲何方以理天下?自得公疏,反復研尋,深覺詞強理直,遂列為屏障,朝夕瞻仰。又尋付史司,冀千載之下識君臣之義。」乃賜徵黃金十斤,廄馬二匹。

疏が奏されると、太宗が魏徴に言った。

「臣が主に仕えるのに、旨に順うのははなはだ易しく、情に忤らうのはとりわけ難しい。公は朕の耳と目、股と肱となって、つねに論じ思って献り納れてくれる。朕はいま過ちを聞いて改めうるのだから、おおむね善い事を克く終えられよう。もしこの言葉に違えば、あらためてどんな顔で公と相見えようか。また何の方で天下を理めようか。

公の疏を得てから、返し返し研ぎ尋ねて、詞が強く理が直いことを深く覚った。ついに列ねて屏障とし、朝夕に瞻ぎ仰いでいる。またやがて史の司に付して、千載の下に君臣の義を識らせたいと冀う。」

そして魏徴に黄金十斤と廄の馬二匹を賜った。

貞觀十四年,太宗謂侍臣曰:「平定天下,朕雖有其事,守之失圖,功業亦復難保。秦始皇初亦平六國,據有四海,及末年不能善守,實可為誡。公等宜念公忘私,則榮名高位,可以克終其美。」魏徵對曰:「臣聞之,戰勝易,守勝難。陛下深思遠慮,安不忘危,功業既彰,德教復洽,恒以此為政,宗社無由傾敗矣。」

貞観十四年、太宗が侍臣に言った。

「天下を平定したことは、朕がその事をなしたとはいえ、これを守るのに図りを失えば、功業もまたあらためて保ちがたい。秦の始皇帝も初めは六国を平らげ、四海を据え有したが、末年に善く守れなかったのだから、まことに戒めとするに足る。公らは公を念い私を忘れるべきである。そうすれば栄えある名と高い位も、その美しさを克く終えることができる。」

魏徴が答えた。

「臣が聞きますに、戦って勝つのは易しく、勝ちを守るのは難しいといいます。陛下は深く思い遠く慮られ、安らかなときに危うさを忘れられませんので、功業はすでに彰れ、徳と教えはさらに洽っています。つねにこれによって政をなされれば、宗廟と社稷が傾き敗れる由はありません。」

貞觀十六年,太宗問魏徵曰:「觀近古帝王有傳位十代者,有一代兩代者,亦有身得身失者。朕所以常懷憂懼,或恐撫養生民不得其所,或恐心生驕逸,喜怒過度。然不自知,卿可為朕言之,當以為楷則。」徵對曰:「嗜欲喜怒之情,賢愚皆同。賢者能節之,不使過度,愚者縱之,多至失所。陛下聖德玄遠,居安思危,伏願陛下常能自制,以保克終之美,則萬代永賴。」

貞観十六年、太宗が魏徴に問うた。

「近い古の帝王を見るに、位を十代まで伝えた者もあり、一代か二代だけの者もあり、また自分の身で得て自分の身で失った者もある。朕がそれでつねに憂えと懼れを懐き、生きている民を撫し養うのにその処を得られないのではと恐れ、心に驕りと逸れが生じて喜びと怒りが度を過ぎるのではと恐れている。けれども自分では気づけないから、卿が朕のためにこれを言ってくれれば、楷と則とするつもりだ。」

魏徴が答えた。

「嗜みと欲、喜びと怒りの情は、賢い者も愚かな者もみな同じです。賢い者はこれを節して度を過ぎさせず、愚かな者はこれを縦にして、多くは処を失うに至ります。陛下は聖なる徳が玄かに遠く、安らかなところに居て危うさを思われます。伏して願いますに、陛下がつねに自ら制しえられて、克く終える美しさを保たれますよう。そうすれば万代が永く頼れます。」