いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

指瑞篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 17 · 漢字 2,403字 · 朗読 9.6分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

儒者說鳳皇、騏為聖王來,以為鳳皇、騏仁聖禽也,思慮深,避害遠,中國有道則來,無道則隱。稱鳳皇、騏之仁知者,欲以褒聖人也,非聖人之德不能致鳳皇、騏。此言妄也。夫鳳皇、騏聖,聖人亦聖。聖人

儒者は、鳳皇や騏驎は聖王のために来るのだと言う。鳳皇や騏驎は仁しく聖なる禽であって、思慮が深く、害を避けることが遠く、中国に道があれば来、道がなければ隠れるのだと考えている。鳳皇や騏驎の仁しさと知を称えるのは聖人を褒めようとするもので、聖人の徳でなければ鳳皇や騏驎を招くことはできないというのである。この言はみだりである。鳳皇や騏驎が聖であるなら、聖人もまた聖である。聖人が

憂世,鳳皇、騏亦宜率教;聖人游於世間,鳳皇、騏亦宜與鳥獸會。何故遠去中國,處於邊外,豈聖人濁,鳳皇、騏清哉?何其聖德俱而操不同也!如以聖人者當隱乎,十二聖宜隱;如以聖者當見,鳳、亦宜見。如以仁聖之禽,思慮深,避害遠,則文王拘於里,孔子厄於陳、蔡,非也。文王、孔子,仁聖之人,憂世憫民,不圖利害,故其有仁聖之知,遭拘厄之患。凡人操行能修身正節,不能禁人加非於己。

世を憂えるのなら、鳳皇や騏驎もまた教えを率(ひき)いるべきであり、聖人が世の中に遊ぶのなら、鳳皇や騏驎もまた鳥獣と集まるべきである。どうして中国を遠く離れて、辺(はて)の外にいるのか。まさか聖人は濁っていて、鳳皇や騏驎が清いというのか。どうして聖なる徳はどちらにもありながら、身の持ちようが同じでないのか。聖である者は隠れるべきだというのなら、十二人の聖も隠れるべきであり、聖である者は現れるべきだというのなら、鳳も騏驎も現れるべきである。仁しく聖なる禽で、思慮が深く害を避けることが遠いというのなら、文王が羑里に拘(とら)われ、孔子が陳や蔡で苦しんだことは誤りになる。文王と孔子は仁しく聖なる人で、世を憂え民を憐れんで、利害をはからなかった。だから仁しく聖なる知がありながら、拘われ苦しむ患いに遭ったのである。人の身の持ちようは、身を修め節を正しくすることはできても、他人が自分に非を加えるのを禁じることはできない。

案人操行莫能過聖人,聖人不能自免於厄,而鳳、獨能自全於世,是鳥獸之操,賢於聖人也。且鳥獸之知,不與人通,何以能知國有道與無道也?人同性類,好惡均等,尚不相知;鳥獸與人異性,何能知之?人不能知鳥獸,鳥獸亦不能知人,兩不能相知;鳥獸為愚於人,何以反能知之?儒者咸稱鳳皇之德,欲以表明王之治,反令人有不及鳥獸,論事過情,使實不著。

思うに、人の身の持ちようで聖人を越えられる者はいないのに、聖人は苦難からみずから免れられず、鳳や騏驎だけがみずから世で身を全うできるというのなら、それは鳥獣の身の持ちようが聖人より賢いことになる。また鳥獣の知は人と通じていないのに、何によって国に道があるかないかを知ることができるのか。人は性も類も同じで、好き嫌いも等しいのに、それでも互いに知りあえない。鳥獣は人と性が異なるのに、どうして知ることができようか。人は鳥獣を知ることができず、鳥獣もまた人を知ることができず、両方とも互いに知りあえない。鳥獣は人より愚かなのに、どうしてかえって知ることができるのか。儒者はみな鳳皇の徳を称えて、明らかな王の治めを表そうとして、かえって人を鳥獣に及ばないものにしてしまう。事を論ずるのに実情を越えて、実を明らかでなくしているのである。

且鳳、豈獨為聖王至哉!孝宣皇帝之時,鳳皇五至,騏一至,神雀、黃龍,甘露、醴泉,莫不畢見,故有五鳳、神雀、甘露、黃龍之紀。

また鳳や騏驎が、どうして聖王のためだけに至るだろうか。孝宣皇帝のとき、鳳皇が五たび至り、騏驎が一たび至り、神雀・黄龍・甘露・醴泉と、現れないものはなかった。だから五鳳・神雀・甘露・黄龍という年号がある。

使鳳、審為聖王見,則孝宣皇帝聖人也;如孝宣帝非聖,則鳳、為賢來也。為賢來,則儒者稱鳳皇、騏,失其實也。鳳皇、騏為堯、舜來,亦為宣帝來矣。夫如是,為聖且賢也。

鳳や騏驎がほんとうに聖王のために現れるのなら、孝宣皇帝は聖人である。もし孝宣帝が聖でないなら、鳳や騏驎は賢者のために来たことになる。賢者のために来るのなら、儒者が鳳皇や騏驎を称えるのは、その実を失っている。鳳皇や騏驎は堯や舜のために来たし、宣帝のためにも来た。さてこのようであれば、聖のためでもあり賢のためでもあることになる。

儒者說聖太隆,則論鳳、亦過其實。《春秋》曰:「西狩獲死。」人以示孔子,孔子曰:「孰為來哉?孰為來哉?」

儒者が聖を言うのがあまりに高いので、鳳や騏驎を論ずるのもその実を越える。『春秋』に「西に狩りをして死んだ麟を獲た」とある。人がそれを孔子に見せると、孔子は言った。「誰のために来たのか。誰のために来たのか。」

反袂拭面,泣涕沾襟。儒者說之,以為天以命孔子,孔子不王之聖也。夫為聖王來,孔子自以不王,而時王魯君無感之德,怪其來而不知所為,故曰:「孰為來哉?孰為來哉?」

袂(たもと)を返して顔を拭(ぬぐ)い、涙が襟をぬらした。儒者はこれを説いて、天が孔子に命じたのであり、孔子は王とならなかった聖だと考える。聖王のために来たのに、孔子はみずから王でないと思い、その時の王である魯の君には天を感じさせる徳がなかったので、その来たことを怪しんで何のためだか分からず、それで「誰のために来たのか。誰のために来たのか」と言ったのだという。

知其不為治平而至,為己道窮而來,望絕心感,故涕泣沾襟。以孔子言「孰為來哉」,知為聖王來也。曰:前孔子之時,世儒已傳此說,孔子聞此說而希見其物也,見之至,怪所為來。實者至,無所為來,常有之物也,行邁魯澤之中,而魯國見其物遭獲之也。孔子見之獲,獲而又死,則自比於,自謂道絕不復行,將為小人所蹊獲也。故孔子見而自泣者,據其見得而死也,非據其本所為來也。然則之至也,自與獸會聚也。其死,人殺之也。使有知,為聖王來,時無聖主,何為來乎?思慮深,避害遠,何故為魯所獲殺乎?夫以時無聖王而至,知不為聖王來也;為魯所獲殺,知其避害不能遠也。聖獸不能自免於難。聖人亦不能自免於禍。禍難之事,聖者所不能避,而云鳳、思慮深,避害遠,妄也。

それが治めの平らかさのために至ったのではなく、自分の道が窮まって来たのだと知り、望みが絶えて心が動いたので、涙が襟をぬらしたのだという。孔子が「誰のために来たのか」と言ったことから、聖王のために来たのだと分かる、というのである。答える。孔子より前の時に、世の儒者はすでにこの説を伝えていて、孔子はこの説を聞いていながら、その物をまれに見るばかりだった。麟が至ったのを見て、何のために来たのかを怪しんだのである。実際には麟が至ったのに何のためということはなく、いつもいる物であって、魯の沢の中を歩いていて、魯の国がその物を見て出あい獲ったのである。孔子は麟が獲られ、獲られてまた死んだのを見て、みずから麟に比べ、自分の道が絶えて二度と行われず、これから小人に踏まれ獲られるだろうと思ったのである。だから孔子が麟を見てみずから泣いたのは、それが獲られて死んだことによるのであって、もともと何のために来たかによるのではない。とすれば、麟が至ったのは、おのずと獣と寄り集まっていたのである。その死は、人が殺したのである。麟に知があって聖王のために来るのなら、その時に聖なる主がいないのに、何のために来たのか。思慮が深く害を避けることが遠いのなら、どうして魯に獲られて殺されたのか。その時に聖王がいないのに至ったことから、聖王のために来たのではないと分かり、魯に獲られて殺されたことから、それが害を避けるのに遠くまではできないと分かる。聖なる獣もみずから難を免れることはできない。聖人もまたみずから禍を免れることはできない。禍や難の事は聖なる者も避けられないのに、鳳や騏驎は思慮が深く害を避けることが遠いというのは、みだりである。

且鳳、非生外國也,中國有聖王乃來至也。生於中國,長於山林之間,性廉見希,人不得害也,則謂之思慮深,避害遠矣。生與聖王同時,行與治平相遇,世間謂之聖王之瑞,為聖來矣。剝巢破卵,鳳皇為之不翔;焚林而畋,漉池而漁,龜、龍為之不游。鳳皇,龜、龍之類也,皆生中國,與人相近。巢剝卵破,屏竄不翔,林焚池漉,伏匿不游,無遠去之文,何以知其在外國也!龜、龍、鳳皇,同一類也。希見不害,謂在外國;龜、龍希見,亦在外國矣。

また鳳や騏驎は外国で生まれるのではなく、中国に聖王があればすぐに来て至るという。中国で生まれ、山林の間で育ち、性が廉(いさぎよ)くてまれに現れ、人が害することができないので、思慮が深く害を避けることが遠いと言われる。生まれが聖王と同じ時で、歩きまわることが治めの平らかさと出あえば、世間はそれを聖王の瑞といい、聖のために来たという。巣を剥(は)ぎ卵を破れば鳳皇はそのために飛ばず、林を焼いて猟(か)り池を干して漁をすれば、亀や龍はそのために遊ばない。鳳皇は亀や龍と同じ類であり、どれも中国で生まれ、人と互いに近い。巣が剥がれ卵が破れれば身を引いて隠れて飛ばず、林が焼け池が干されれば伏し隠れて遊ばないのであって、遠くへ去るという文はない。何によってそれが外国にいると分かるのか。亀・龍・鳳皇は同じ一つの類である。まれに現れて害さないことを外国にいるからだというのなら、亀や龍もまれに現れるのだから、やはり外国にいることになる。

孝宣皇帝之時,鳳皇、騏、黃龍、神雀皆至,其至同時,則其性行相似類,則其生出宜同處矣。龍不生於外國,外國亦有龍。鳳、不生外國,外國亦有鳳、。然則中國亦有,未必外國之鳳、也。人見鳳、希見,則曰在外國;見遇太平,則曰為聖王來。夫鳳皇、騏之至也,猶醴泉之出、朱草之生也。謂鳳皇在外國,聞有道而來,醴泉、朱草何知,而生於太平之時?醴泉、朱草,和氣所生,然則鳳皇、騏,亦和氣所生也。和氣生聖人,聖人生於衰世。物生為瑞,人生為聖,同時俱然,時其長大,相逢遇矣。衰世亦有和氣,和氣時生聖人。聖人生於衰世,衰世亦時有鳳、也。孔子生於周之末世,騏見於魯之西澤。光武皇帝生於成、哀之際,鳳皇集於濟陽之地。聖人聖物,生於(盛)衰世。聖王遭見聖物,猶吉命之人逢吉祥之類也,其實相遇,非相為出也。

孝宣皇帝のとき、鳳皇・騏驎・黄龍・神雀がみな至り、その至ったのが同じ時だったのだから、その性と行いは互いに似た類であり、その生まれ出るところも同じであるはずである。龍は外国で生まれないが、外国にもまた龍がいる。鳳や騏驎は外国で生まれないが、外国にもまた鳳や騏驎がいる。とすれば中国にもいるのであって、必ず外国の鳳や騏驎ではない。人は鳳や騏驎がまれに現れるのを見て外国にいると言い、太平に出あったのを見て聖王のために来ると言う。鳳皇や騏驎が至るのは、醴泉が出て朱草が生えるのと同じである。鳳皇が外国にいて、道があると聞いて来るというのなら、醴泉や朱草は何を知って太平の時に生ずるのか。醴泉や朱草は和らいだ気が生ずるものであるから、鳳皇や騏驎もまた和らいだ気が生ずるものである。和らいだ気が聖人を生み、聖人は衰えた世に生まれる。物が生まれれば瑞となり、人が生まれれば聖となる。同じ時にそろってそうなり、それが育って大きくなるころに、互いに出あうのである。衰えた世にもまた和らいだ気はあり、和らいだ気はときに聖人を生む。聖人が衰えた世に生まれるのだから、衰えた世にもときに鳳や騏驎がいるのである。孔子は周の末の世に生まれ、騏驎は魯の西の沢に現れた。光武皇帝は成帝・哀帝のころに生まれ、鳳皇は済陽の地に集まった。聖人も聖なる物も、衰えた世に生まれる。聖王が聖なる物に出あい見るのは、吉い命の人が吉祥の類に出あうのと同じで、その実は互いに出あったのであって、互いのために出てきたのではない。

夫鳳、之來,與白魚、赤烏之至,無以異也。魚遭自躍,王舟逢之;火偶為烏,王仰見之。非魚聞武王之德而入其舟,烏知周家當起集於王屋也。謂鳳、為聖王來,是謂魚、烏為武王至也。王者受富貴之命,故其動出見吉祥異物,見則謂之瑞。瑞有小大,各以所見,定德薄厚。若夫白魚、赤烏小物,小安之兆也;鳳皇、騏大物,太平之象也。故孔子曰:「鳳鳥不至,河不出圖,吾已矣夫!」

鳳や騏驎が来るのは、白い魚や赤い烏が至ったのと変わらない。魚はたまたま跳ねて、王の舟がそれに出あった。火はたまたま烏となり、王が仰いでそれを見た。魚が武王の徳を聞いてその舟に入ったのではなく、烏が周の家がこれから起こると知って王の屋根に集まったのではない。鳳や騏驎が聖王のために来るというのは、魚や烏が武王のために至ったというのと同じである。王者は富貴の命を受けているので、動き出れば吉祥の珍しい物に出あい、出あえばそれを瑞という。瑞に小さいものと大きいものがあり、それぞれ見たものによって、徳の薄さ厚さを定める。あの白い魚や赤い烏は小さい物で、小さな安らぎの兆しであり、鳳皇や騏驎は大きい物で、太平の象である。だから孔子は言った。「鳳の鳥は至らず、河は図を出さない。わたしはもう終わりだ。」

不見太平之象,自知不遇太平之時矣。且鳳皇、騏,何以為太平之象?鳳皇、騏,仁聖之禽也,仁聖之物至,天下將為仁聖之行矣。《尚書大傳》曰:「高宗祭成湯之廟,有雉升鼎耳而鳴。高宗問祖乙,祖乙曰:『遠方君子殆有至者。』祖乙見雉有似君子之行,今從外來,則曰遠方君子將有至者矣。」

太平の象を見ないので、みずから太平の時に出あわないと知ったのである。また鳳皇や騏驎は、何によって太平の象となるのか。鳳皇や騏驎は仁しく聖なる禽であり、仁しく聖なる物が至れば、天下はこれから仁しく聖なる行いをするだろうというのである。『尚書大伝』に言う。「高宗が成湯の廟を祭ったとき、雉が鼎の耳に上って鳴いた。高宗が祖乙にたずねると、祖乙は言った。『遠方の君子に、おそらく至る者があるでしょう。』祖乙は雉に君子の行いと似たところがあるのを見て、いまそれが外から来たのだから、遠方の君子に至る者があるだろうと言ったのである。」

夫鳳皇、騏猶雉也,其來之象,亦與雉同。孝武皇帝西巡狩,得白一角而五趾,又有木枝出復合於本。武帝議問群臣,謁者終軍曰:「野禽并角,明同本也;眾枝內附,示無外也。如此瑞者,外國宜有降者,(是)若〔是〕應,殆且有解編發、削左衽、襲冠帶而蒙化焉。」其後數月,越地有降者,匈奴名王亦將數千人來降,竟如終軍之言。終軍之言,得瑞應之實矣。推此以況白魚、赤烏,猶此類也。魚,(木)〔水〕精;白者,殷之色也;烏者,孝鳥;赤者,周之應氣也。先得白魚,後得赤烏,殷之統絕,色移在周矣。據魚、烏之見以占武王,則知周之必得天下也。

鳳皇や騏驎は雉と同じで、その来ることの象も、やはり雉と同じである。孝武皇帝が西に巡狩して白い麟を得たが、角が一本で趾が五つであり、また木の枝が出てまた本(もと)に合わさっていた。武帝が議して群臣にたずねると、謁者の終軍が言った。「野の禽が角を一つに合わせているのは、本を同じくすることを明らかにするものであり、多くの枝が内に付くのは、外のないことを示すものです。このような瑞であれば、外国に降(くだ)る者があるはずで、この応(しるし)であるなら、おそらく編んだ髪を解き、左の衽(おくみ)を削り、冠と帯を身につけて教化を受ける者があるでしょう。」その後数か月して、越の地に降る者があり、匈奴の名だたる王もまた数千人を率いて来降し、ついに終軍の言ったとおりになった。終軍の言は、瑞の応の実を得ていた。これを推して白い魚や赤い烏をおしはかれば、やはりこの類である。魚は水の精である。白は殷の色である。烏は孝の鳥である。赤は周の応ずる気である。先に白い魚を得て、後に赤い烏を得たのだから、殷の統(すじ)が絶え、色が移って周にあるのである。魚や烏の現れたことに拠って武王を占えば、周が必ず天下を得ると分かる。

世見武王誅紂,出遇魚、烏,則謂天用魚、烏命使武王誅紂,事相似類,其實非也。春秋之時,鵒來巢,占者以為凶。夫野鳥來巢,魯國之都且為丘墟,昭公之身,且出奔也。

世の人は、武王が紂を誅しに出て魚や烏に出あったのを見て、天が魚や烏を使って武王に紂を誅するよう命じたのだと言う。事は互いに似た類だが、その実はそうではない。春秋の時、鵒が来て巣を作り、占う者は凶だと考えた。野の鳥が来て巣を作れば、魯の国の都はこれから丘や廃墟となり、昭公の身はこれから逃げ出すだろうというのである。

後昭公為季氏所攻,出奔於齊,死不歸魯。賈誼為長沙太傅,服鳥集舍,發書占之,云服鳥入室,主人當去。其後賈誼竟去。野鳥雖殊,其占不異。夫鳳、之來,與野鳥之巢、服鳥之集,無以異也。是鵒之巢,服鳥之集,偶巢適集,占者因其野澤之物,巢集城宮之內,則見魯國且凶,傳(舍)〔主〕人不吉之瑞矣。非鵒、服鳥知二國禍將至而故為之巢集也。王者以天下為家,家人將有吉凶之事,而吉凶之兆豫見於人,知者占之,則知吉凶將至。非吉凶之物有知,故為吉凶之人來也,猶蓍龜之有兆數矣。龜兆蓍數,常有吉凶,吉人卜筮與吉相遇,凶人與凶相逢,非蓍龜神靈知人吉凶,出兆見數以告之也。虛居卜筮,前無過客,猶得吉凶。然則天地之間,常有吉凶,吉凶之物來至,自當與吉凶之人相逢遇矣。或言天使之所為也,夫巨大之天,使細小之物,音語不通,情指不達,何能使物!物亦不為天使,其來神怪,若天使之,則謂天使矣。

後に昭公は季氏に攻められ、斉に逃げ出し、死んで魯に帰らなかった。賈誼が長沙の太傅となったとき、服鳥が家に集まったので、書を開いて占うと、服鳥が室に入れば主人は去るはずだとあった。その後、賈誼はついに去った。野の鳥は違っていても、その占いは異ならない。鳳や騏驎が来るのは、野の鳥が巣を作り服鳥が集まるのと変わらない。この鵒の巣や服鳥の集まりは、たまたま巣を作りちょうど集まったのであって、占う者は、その野や沢の物が城や宮の内に巣を作り集まったことによって、魯の国がこれから凶であり、伝舎の主人が吉でない兆しを見たのである。鵒や服鳥が二つの国の禍がこれから至ると知って、わざわざそのために巣を作り集まったのではない。王者は天下を家とするので、家の人にこれから吉凶の事があろうとするとき、吉凶の兆しがあらかじめ人に現れ、知る者がそれを占えば、吉凶がこれから至ると分かる。吉凶の物に知があって、わざわざ吉凶の人のために来るのではなく、蓍(めどぎ)や亀に兆しや数があるのと同じである。亀の兆しや蓍の数にはいつも吉凶があり、吉い人が卜(ぼく)や筮(ぜい)をすれば吉と出あい、凶の人は凶と出あう。蓍や亀が神霊で人の吉凶を知り、兆しを出し数を見せてそれを告げるのではない。何もないところで卜筮をして、前に過ぎる客がなくても、やはり吉凶を得る。とすれば、天と地の間にはいつも吉凶があり、吉凶の物が来て至れば、おのずと吉凶の人と出あうのである。あるいは天が使ってさせたことだという者もあるが、巨きく大きい天が細く小さい物を使うのに、音も語も通ぜず、情も指し示すことも届かないのに、どうして物を使えようか。物もまた天の使いとなるのではないが、その来ることが神怪(あやしく)て、天が使ったかのようであれば、天が使ったと言うのである。

夏後孔甲畋於首山,天雨晦冥,入於民家,主人方乳。或曰:「後來之子必大貴。」或曰:「不勝之子必有殃。」

夏后の孔甲が首山で猟をしたとき、天が雨で暗くなり、民の家に入ったところ、主人がまさに子を産んだところだった。ある人は「君が来たときの子だから、必ず大いに貴くなる」と言い、ある人は「君に勝てない子だから、必ず災いがある」と言った。

夫孔甲之入民室也,偶遭雨而蔭庇也,非知民家將生子,而其子必〔吉〕凶,為之至也;既至,人占則有吉凶矣。夫吉凶之物見於王朝,若入民家,猶孔甲遭雨入民室也。孔甲不知其將生子為之故到。謂鳳皇諸瑞有知,應吉而至,誤矣。

孔甲が民の室に入ったのは、たまたま雨に遭って庇(ひさし)に隠れたのであって、民の家がこれから子を産み、その子が必ず吉か凶であると知って、そのために至ったのではない。至ってみると、人が占ってそこに吉凶があった。吉凶の物が王の朝廷に現れたり、民の家に入るのは、孔甲が雨に遭って民の室に入ったのと同じである。孔甲はその家がこれから子を産むと知って、そのために至ったのではない。鳳皇やさまざまな瑞に知があって、吉に応じて至るというのは、誤りである。