四諱篇
俗有大諱四。一曰諱西益宅。西益宅謂之不祥,不祥必有死亡,相懼以此,故世莫敢西益宅,防禁所從來者遠矣。傳曰:魯哀公欲西益宅,史爭以為不祥。哀公作色而怒,左右數諫而弗聽,以問其傅宰質睢曰:「吾欲西益宅,史以為不祥,何如?」宰質睢曰:「天下有三不祥,西益宅不與焉。」哀公大說。有頃,復問曰:「何謂三不祥?」對曰:「不行禮義,一不祥也。嗜欲無止,二不祥也。不聽規諫,三不祥也。」哀公繆然深惟,慨然自反,遂不益宅。
俗には大きな忌みが四つある。一つは、家を西に広げるのを忌むことである。家を西に広げるのを不祥といい、不祥なら必ず死が起こるとして、これで互いを恐れさせるので、世の人はだれも家を西に広げようとしない。この禁じ防ぐことの由来は遠い。伝えに言う。魯の哀公が家を西に広げようとしたところ、史官が争って不祥だと言った。哀公は顔色を変えて怒り、側近が何度も諫めたが聞かず、その師の宰質睢に問うた。「私は家を西に広げたいのだが、史官は不祥だという。どうか。」宰質睢は言った。「天下に三つの不祥がありますが、家を西に広げることはその中に入りません。」哀公は大いに喜んだ。しばらくして、また問うた。「何を三つの不祥というのか。」答えた。「礼義を行わないことが一つめの不祥です。好み望むことに止まるところがないのが二つめの不祥です。諫めを聞かないのが三つめの不祥です。」哀公は黙って深く考え、感じ入って自ら省みて、ついに家を広げなかった。
令史與宰質睢止其益宅,徒為煩擾,則西益宅祥與不祥未可知也。令史、質睢以為西益宅審不祥,則史與質睢與今俗人等也。夫宅之四面皆地也,三面不謂之凶,益西面獨謂不祥,何哉?西益宅何傷於地體,何害於宅神?西益不祥,損之能善乎?西益不祥,東益能吉乎?夫不祥必有祥者,猶不吉必有吉矣。宅有形體,神有吉凶,動德致福,犯刑起禍。今言西益宅謂之不祥,何益而祥者?且惡人西益宅者,誰也?如地惡之,益東家之西,損西家之東,何傷於地?如以宅神不欲西益,神猶人也,人這處宅欲得廣大,何故惡之?而以宅神惡煩擾,則四(而)〔面〕益宅,皆當不祥。諸工技之家,說吉凶之占,皆有事狀。宅家言治宅犯凶神,移徙言忌歲月,祭祀言觸血忌,喪葬言犯剛柔,皆有鬼神凶惡之禁,人不忌避,有病死之禍。至於西益宅何害而謂之不祥?不祥之禍,何以為敗?
史官と宰質睢が家を広げるのをやめさせたのが、ただの煩わしさにすぎなかったのなら、家を西に広げることが吉か不祥かは分からない。史官と質睢が、家を西に広げるのは確かに不祥だと考えていたのなら、史官と質睢は今の俗人と同じである。そもそも家の四方はどれも地なのに、三方は凶といわず、西側を広げることだけが不祥だというのは、どういうわけか。家を西に広げることが、地の体の何を損ない、家の神の何を害するのか。西に広げるのが不祥なら、減らせばよいのか。西に広げるのが不祥なら、東に広げれば吉なのか。そもそも不祥があれば必ず祥があり、不吉があれば必ず吉があるのと同じだ。家には形があり、神には吉凶があって、徳を動かせば福を招き、刑を犯せば禍を起こす。いま家を西に広げるのを不祥というなら、どちらに広げれば祥なのか。また人が家を西に広げるのを憎むのは、だれなのか。地が憎むというなら、東の家の西側を広げることは西の家の東側を減らすことなのに、地の何を損なうのか。家の神が西に広げることを望まないというなら、神は人と同じであって、人が家に住むのに広く大きいことを望むのに、どういうわけで憎むのか。家の神が煩わしさを憎むというなら、四方に家を広げることはどれも不祥であるはずだ。さまざまな工人や技の家が吉凶の占いを説くのには、どれも事のありさまがある。家相を見る家は家を造るのに凶の神を犯すといい、引っ越しは年や月を忌むといい、祭祀は血の忌みに触れるといい、喪や葬りは剛柔を犯すという。どれも鬼神の凶悪な禁じごとがあって、人が忌んで避けなければ病み死ぬ禍があるという。ところが家を西に広げることについては、何を害して不祥というのか。不祥の禍とは、何によって破れとなるのか。
實說其義,不祥者義理之禁,非吉凶之忌也。夫西方,長老之地,尊者之位也。尊長在西,卑幼在東。尊長,主也;卑幼,助也。主少而助多,尊無二上,卑有百下也。西益主益,主不增助,二上不百下也,於義不善,故謂不祥。不祥者,不宜也,於義不宜,未有凶也。何以明之?夫墓,死人所藏;田,人所飲食;宅,人所居處。三者於人,吉凶宜等。西益宅不祥,西益墓與田,不言不祥。夫墓,死人所居,因忽不慎。田,非人所處,不設尊卑。宅者長幼所共,加慎致意者,何可不之諱?義詳於宅,略於墓與田也。
実際にその意味を説けば、不祥とは義理の上での禁じごとで、吉凶の忌みではない。そもそも西方は年長者の地であり、尊い者の位である。尊く年長の者は西にいて、卑しく若い者は東にいる。尊く年長の者は主であり、卑しく若い者は助けである。主は少なく助けは多い。尊いものに二つの上はなく、卑しいものには百の下がある。西に広げるのは主を増やすことであり、主が助けを増やすのではないから、二つの上があり百の下ではないことになり、義において善くないので、不祥というのだ。不祥とは、ふさわしくないということで、義においてふさわしくないだけで、凶があるわけではない。どうしてそう言えるか。そもそも墓は死んだ人が納められる所、田は人が飲み食いする所、家は人が住む所である。この三つは人にとって吉凶が同じであるべきだ。家を西に広げるのは不祥だというのに、墓や田を西に広げることは不祥と言わない。そもそも墓は死んだ人の住む所なので、おろそかにして慎まない。田は人が住む所ではないので、尊卑を設けない。家は年長者も若い者もともにする所だから、慎んで心を配る者が、どうして忌まずにいられよう。義が家についてはくわしく、墓と田については大まかなのである。
二曰諱被刑為徒,不上丘墓。但知不可,不能知其不可之意。問其禁之者,不能知其諱,受禁行者亦不要其忌。連相放效,至或於被刑,父母死,不送葬;若至墓側,不敢臨葬。甚失至於不行吊傷、見佗之人柩。
二つめは、刑を受けて徒(と)となった者が墓に上るのを忌むことである。ただいけないと知るだけで、そのいけない理由は知らない。禁じる者に問うてもその忌みの理由を知らず、禁じられて従う者もその忌みを問いただすことをしない。次々に真似て、刑を受けた者が、親が死んでも葬りを送らず、墓のかたわらまで来ても葬りに臨もうとしないまでになる。ひどい外れ方としては、弔問に行かず、他人の棺を見ないまでになる。
夫徒,(善)〔睾〕人也,被刑謂之徒。丘墓之上,二親也,死亡謂之先。宅與墓何別,親與先何異?如以徒被刑,先人責之,則不宜入宅與親相見。如徒不得與死人相見,則親死在堂,不得哭柩。如以徒不得升丘墓,則徒不得上山陵,世俗禁之,執據何義?實說其意,徒不上丘墓有二義,義理之諱,非凶惡之忌也。徒用心以為先祖全而生之,子孫亦當全而歸之。故曾子有疾,召門弟子曰:「開予足,開予手,而今而後,吾知免夫,小子。」
そもそも徒とは罪ある人で、刑を受けた者を徒という。墓の上にいるのは両親であり、死んだ者を先祖という。家と墓に何の違いがあり、親と先祖に何の違いがあるのか。徒が刑を受けたことで先人がとがめるというなら、家に入って親と顔を合わせることもするべきでない。徒が死んだ人と顔を合わせられないというなら、親が死んで堂にあっても棺に泣くことができない。徒が墓に上れないというなら、徒は山にも登れない。世俗が禁じるのに、拠っている理由はどんな義なのか。実際にその意味を説けば、徒が墓に上らないことには二つの意味があり、義理の上の忌みで、凶悪の忌みではない。徒は心の内で、先祖は自分を完全な体で生んでくれたのだから、子孫もまた完全な体で帰るべきだと考える。だから曾子が病んだとき、門下の弟子を呼んでこう言った。「私の足を開いて見よ。私の手を開いて見よ。今からのち、私は免れたと分かる、おまえたち。」
曾子重慎,臨絕效全,喜免毀傷之禍也。孔子曰:「身體髪膚,受之父母,弗敢毀傷。」
曾子は重く慎んで、息の絶えるときに体の完全なことを示し、毀ち傷つける禍を免れたのを喜んだのである。孔子は言った。「身体や髪や肌は父母から受けたものだ。あえて毀ち傷つけない。」
孝者怕入刑辟,刻畫身體,毀傷髪膚,少德泊行,不戒慎之所致也。愧負刑辱,深自刻責,故不升墓祀於先。古禮廟祭,今俗墓祀,故不升墓。慚負先人,一義也。墓者,鬼神所在,祭祀之處。祭祀之禮,齊戒潔清,重之至也。今已被刑,刑殘之人,不宜與祭,供侍先人,卑謙謹敬,退主自賤之意也。緣先祖之意,見子孫被刑,惻怛慘傷,恐其臨祀,不忍歆享,故不上墓,二義也。昔太伯見王季有聖子文王,知太王意欲立之,入吳采葯,斷髪文身,以隨吳俗。太王薨,太伯還,王季辟主,太伯再讓,王季不聽,三讓,曰:「吾之吳越,吳越之俗,斷髪文身,吾刑餘之人,不可為宗廟社稷之主。」王季知不可,權而受之。
孝ある者は、刑罰に落ちて体に刻みを入れられ、髪や肌を毀ち傷つけられるのを恐れる。それは徳が少なく行いが薄く、戒め慎まなかったことが招いたことだ。刑の恥を負ったことを恥じて深く自らを責めるので、墓に上って先祖を祀らないのだ。古い礼では廟で祀り、今の俗では墓で祀るので、墓に上らないのである。先人に対して恥じ入ること、これが一つめの意味だ。墓は鬼神のいる所であり、祭祀をする場である。祭祀の礼は身を清め戒め清らかにするもので、重んじることの極みである。いますでに刑を受け、刑で体を損なわれた人は、祭りに加わって先人に仕え侍るべきではない。身を低くし謙り、慎み敬って、退いて自分を賤しいとする心である。先祖の心に沿って考えれば、子孫が刑を受けたのを見て痛ましく悲しみ、その者が祀りに臨むとき、心苦しくて享けられないのではないかと恐れるので、墓に上らない。これが二つめの意味だ。昔、太伯は王季に聖なる子の文王がいるのを見て、太王の心がその子を立てようとしているのを知り、呉に入って薬を採り、髪を切り体に文様を入れて、呉の俗に従った。太王が亡くなって太伯が帰ると、王季は主の座を譲ろうとした。太伯は二度辞退し、王季が聞き入れないので三度辞退して、こう言った。「私は呉越に行ったが、呉越の俗では髪を切り体に文様を入れる。私は刑を受けた残りの身であって、宗廟や社稷の主にはなれない。」王季は無理だと分かって、やむを得ずそれを受けた。
夫徒不上丘墓,太伯不為主之義也。是謂祭祀不可,非謂柩當葬,身不送也。
そもそも徒が墓に上らないのは、太伯が主にならなかった義である。これは祭祀に加わってはならないという意味であって、棺が葬られるときに身を送らないという意味ではない。
葬死人,先祖痛;見刑人,先祖哀。權可哀之身,送可痛之尸,使先祖有知,痛尸哀形,何愧之有!如使無知,丘墓田野也,何慚之有?慚愧先者,謂身體刑殘,與人異也。古者用刑,形毀不全,乃不可耳。方今象刑,象刑重者,髡鉗之法也。若完城旦以下,施刑,彩衣繫躬,冠帶與俗人殊,何為不可?世俗信而謂之皆凶,其失至於不吊鄉党尸,不升佗人之丘,惑也。
死んだ人を葬れば先祖は痛み、刑を受けた人を見れば先祖は哀しむ。やむを得ず哀しまれるべき身で、痛まれるべき屍を送るのだから、先祖に知があるとしても、屍を痛み姿を哀しむだけで、何の恥ずかしさがあろう。知がないとすれば、墓は田や野と同じで、何の恥ずかしさがあろう。先祖に恥じ入るというのは、体が刑で損なわれて人と違うことをいうのだ。昔の刑では、姿が毀たれて完全でなかったので、それならいけないというだけのことだ。いまは象刑であって、象刑の重いものは、髪を剃り首に鉄をはめる法である。完城旦以下のようなものでは、刑を加えるときに色染めの衣を身に着け、冠と帯が俗人と違うだけで、どうしていけないことがあろう。世俗はこれを信じてどれも凶だといい、その外れ方は、村里の屍を弔わず、他人の墓に上らないまでに至る。惑いである。
三曰諱婦人乳子,以為不吉。將舉吉事,入山林,遠行度川澤者,皆不與之交通。乳子之家,亦忌惡之。丘墓廬道畔,逾月乃入,惡之甚也。暫卒見若為不吉,極原其事,何以為惡?夫婦人之乳子也,子含元氣而出。元氣,天地之精微也,何凶而惡之?人,物也,子亦物也。子生與萬物之生何以異?諱人之生謂之惡,萬物之生又惡之乎?生與胞俱也,如以胞為不吉,人之有胞,猶木實之有(扶)〔〕也,包(里)〔裹〕兒身,因與俱出,若鳥卵之有殼,何妨謂之惡?如惡以為不吉,則諸生物有(扶)〔〕殼者,宜皆惡之。萬物廣多,難以驗事。人生何以異於六畜,皆含血氣懷子,子生與人無異,獨惡人而不憎畜,豈以人體大氣血盛乎?則夫牛馬體大於人,凡可惡之事,無與鈞等,獨有一物,不見比類,乃可疑也。今六畜與人無異,其乳皆同一狀。六畜與人無異,諱人不諱六畜,不曉其故也。世能別人之產與六畜之乳,吾將聽其諱;如不能別,則吾謂世俗所諱妄矣。
三つめは、婦人が子を生むのを忌んで、吉でないとすることである。めでたい事を行おうとする者、山林に入る者、遠くへ行って川や沢を渡る者は、みなその家と行き来しない。子を生んだ家のほうでも忌み嫌う。墓や仮小屋や道のかたわらに、月を越してからでなければ入らない。嫌うことがひどい。ふと急に見ることが吉でないというが、その事をつきつめて考えて、何をもって悪いとするのか。そもそも婦人が子を生むとき、子は元気を含んで出てくる。元気は天地の精微なものなのに、何が凶で嫌うのか。人は物であり、子も物である。子が生まれることと万物が生まれることと、何が違うのか。人が生まれるのを忌んで悪いというなら、万物が生まれるのも嫌うのか。生まれるときは胎とともにある。胎を吉でないとするなら、人に胎があるのは、木の実に殻があるのと同じであって、子の体を包み、それとともに出てくるのは、鳥の卵に殻があるのと同じだ。何が差し支えて悪いというのか。嫌って吉でないとするなら、生きている物で殻や皮のあるものは、どれも嫌うべきである。万物は広く多いので、事で確かめるのは難しい。人が生むことが六畜とどう違うのか。どれも血気を含んで子をはらみ、子が生まれることは人と変わりがない。それなのに人だけを嫌って家畜を憎まないのは、人の体が大きく気血が盛んだからなのか。だが牛や馬は体が人より大きい。およそ嫌うべき事に、ほかに並ぶものがなく、ただ一つの物だけがあって比べるたぐいが見えないなら、疑ってもよい。いま六畜は人と変わりがなく、その生み方はどれも同じ一つのありさまだ。六畜が人と変わりないのに、人を忌んで六畜を忌まない。その理由が分からない。世が人の出産と六畜の出産を区別できるなら、私はその忌みを聞き入れよう。区別できないなら、私は世俗の忌みはでたらめだという。
且凡人所惡,莫有腐臭。腐臭之氣,敗傷人心。故鼻聞臭,口食腐,心損口惡,霍亂嘔吐。夫更衣之室,可謂臭矣;鮑魚之肉,可謂腐矣。然而有甘之更衣之室,不以為忌;肴食腐魚之肉,不以為諱。意不存以為惡,故不計其可與不也。凡可憎惡者,若濺墨漆,附著人身。今目見鼻聞,一過則已,忽亡輒去,何故惡之?出見負豕於塗,腐澌於溝,不以為凶者,辱自在彼人,不著己之身也。今婦人乳子自在其身,齋戒之人,何故忌之?
また、およそ人が嫌うものに、腐って臭いものに及ぶものはない。腐って臭い気は人の心を損ない傷つける。だから鼻で臭いを嗅ぎ、口で腐ったものを食べれば、心が損なわれ口が嫌がって、腹を下し吐く。そもそも着替えの部屋は臭いと言ってよく、塩漬けの魚の肉は腐っていると言ってよい。ところが着替えの部屋には平気で入って忌まず、腐った魚の肉を酒のさかなに食べて忌まない。心に置いて悪いとしないので、それが良いか悪いかを考えないのである。およそ憎み嫌うべきものは、墨や漆を跳ねかけるように、人の身に付くものだ。いま目で見、鼻で嗅ぐのは、一度過ぎればそれまでで、ふっと消えてすぐ去ってしまうのに、どういうわけで嫌うのか。外に出て道で豚を背負っているのを見、溝で腐りただれたものを見ても凶だと思わないのは、その汚れがあの人の方にあって、自分の身に付かないからだ。いま婦人が子を生むのはその人の身のことなのに、身を清め戒めている人が、どういうわけでこれを忌むのか。
江北乳子不出房室,知其無惡也。至於犬乳,置之宅外,此復惑也。江北諱犬不諱人,江南諱人不諱犬,謠俗防惡,各不同也。夫人與犬何以異,房室宅外何以殊,或惡或不惡,或諱或不諱,世俗防禁,竟無經也。月之晦也,日月合宿,紀為一月,猶八日,〔日〕月中分謂之弦;十五日,日月相望謂之望;三十日,日月合宿謂之晦。晦與弦望一實也,非月晦日月光氣與月朔異也。何故逾月謂之吉乎?如實凶,逾月未可謂吉;如實吉,雖未逾月猶為可也。實說,諱忌產子乳犬者,欲使人常自潔清,不欲使人被污辱也。夫自潔清則意精,意精則行清,行清而貞廉之節立矣。
江北では子を生んでも部屋から出さない。悪いことではないと分かっているのだ。犬が子を生むと家の外に置くが、これはまた別の惑いである。江北では犬を忌んで人を忌まず、江南では人を忌んで犬を忌まない。言い伝えと俗が悪を防ぐやり方は、それぞれ同じではない。そもそも人と犬はどう違うのか、部屋と家の外はどう異なるのか。嫌ったり嫌わなかったり、忌んだり忌まなかったりで、世俗の禁じごとには、結局きまりがない。月の晦は、日と月が宿を合わせるので、それをもって一月と記す。八日に日と月が中を分けるのを弦といい、十五日に日と月が相向かうのを望といい、三十日に日と月が宿を合わせるのを晦というのと同じだ。晦と弦・望とは同じ一つのことであって、月の晦の日や月の光や気が、月の朔と違うわけではない。どういうわけで月を越せば吉だというのか。ほんとうに凶なら、月を越しても吉とは言えない。ほんとうに吉なら、月を越さなくてもやはりかまわない。実のところを説けば、子を生むことや犬が子を生むことを忌むのは、人につねに自分を清くさせ、人に汚れを受けさせないためである。そもそも自ら清ければ意が澄み、意が澄めば行いが清く、行いが清ければ貞しく清廉な節が立つ。
四曰諱舉正月、五月子。以為正月、五月子殺父與母,不得已舉之,父母禍死,則信而謂之真矣。
四つめは、正月と五月の子を育てるのを忌むことである。正月と五月の子は父と母を殺すと考え、やむを得ず育てて、父母が禍で死ぬと、それを信じてほんとうだという。
夫正月、五月子何故殺父與母?人之含氣在腹腸之內,其生十月而產,共一元氣也。正與二月何殊,五與六月何異,而謂之凶也?世傳此言久,拘數之人,莫敢犯之。弘識大材,實核事理,深睹吉凶之分者,然後見之。昔齊相田嬰賤妄有子,名之曰文。文以五月生,嬰告其母勿舉也,其母竊舉生之。及長,其母因兄弟而見其子文於嬰,嬰怒曰:「吾令女去此子,而敢生之,何也?」文頓首,因曰:「君所以不舉五月子者何故?」嬰曰:「五月子者長至戶,將不利其父母。」文曰:「人生受命於天乎,將受命於戶邪?」嬰嘿然。文曰:「必受命於天,君何憂焉。如受命於戶,即高其戶,誰能至者?」嬰善其言,曰:「子休矣!」
そもそも正月と五月の子が、どういうわけで父と母を殺すのか。人は気を含んで腹や腸の内にあり、生まれるときは十月で生まれる。どれも同じ一つの元気である。正月と二月に何の違いがあり、五月と六月に何の違いがあって、凶だというのか。世にこの言葉が伝わって久しいので、数にとらわれた人はだれもこれを犯そうとしない。広い見識と大きな才で、ほんとうに事の理を調べ、深く吉凶の分かれ目を見た者だけが、その後でこれを見抜く。昔、斉の宰相田嬰が、身分の低い妾に子があって、文と名づけた。文は五月に生まれたので、嬰はその母に育てるなと告げたが、その母はこっそり育てて生かした。成長してから、その母が兄弟を通じてその子の文を嬰に会わせると、嬰は怒って言った。「私はおまえにこの子を捨てよと言ったのに、よくも生かしたな。どういうことだ。」文は頭を下げ、そのうえでこう言った。「父上が五月の子を育てないのは、どういう理由からですか。」嬰は言った。「五月の子は育って戸の高さに届くと、その父母によくないのだ。」文は言った。「人の生は天から命を受けるのですか、それとも戸から命を受けるのですか。」嬰は黙った。文は言った。「必ず天から命を受けるのなら、父上は何を憂えるのですか。戸から命を受けるのなら、その戸を高くすれば、だれが届くでしょうか。」嬰はその言葉をよしとして言った。「おまえはもうよい。」
其後使文主家,待賓客,賓客日進,名聞諸侯。文長過戶,而嬰不死。以田文之說言之,以田嬰不死效之,世俗所諱,虛妄之言也。夫田嬰俗父,而田文雅子也。嬰信忌不實義,文信命不辟諱。雅俗異材,舉措殊操,故嬰名暗而不明,文聲馳而不滅。
その後、文に家をつかさどらせ賓客をもてなさせると、賓客は日ごとに集まり、名は諸侯に聞こえた。文は育って戸の高さを越したが、嬰は死ななかった。田文の説で言い、田嬰が死ななかったことで確かめれば、世俗の忌みは空ごとででたらめな言葉である。そもそも田嬰は俗な父であり、田文は雅な子である。嬰は忌みを信じて義を実のものにせず、文は命を信じて忌みを避けなかった。雅と俗で才が違い、ふるまいで節操が違ったので、嬰の名は暗くて明らかでなく、文の評判は走り広がって消えないのである。
實說,世俗諱之亦有緣也。夫正月歲始,五月盛陽,子以生,精熾熱烈,厭勝父母,父母不堪,將受其患,傳相放效,莫謂不然。有空諱之言,無實凶之效,世俗惑之,誤非之甚也。
実のところを説けば、世俗が忌むのにもわけがある。そもそも正月は年の始めであり、五月は陽が盛んであるから、子がそれで生まれると、精が燃え立ち熱く烈しく、父母を押さえ勝ち、父母は堪えられずにその患いを受けることになる、というので、伝え聞いて互いに真似て、そうでないと言う者がいない。空ろな忌みの言葉があるだけで、ほんとうに凶であるという証拠はないのに、世俗は惑わされる。誤り方がひどい。
夫忌諱非一,必托之神怪,若設以死亡,然後世人信用。畏避忌諱之語,四方不同,略舉通語,令世觀覽。若夫曲俗微小之諱,眾多非一,咸勸人為善,使人重慎,無鬼神之害,凶丑之禍。世諱作豆醬惡聞雷,一人不食,欲使人急作,不欲積家逾至春也。
そもそも忌みは一つではなく、必ず神や怪しいものに託し、死を持ち出して言うようにして、はじめて世の人が信じて従う。恐れて避ける忌みの言葉は四方で同じでないので、おおよそ広く通じるものを挙げて、世の人に見てもらうことにする。あの偏った俗のこまごまとした忌みは多くて一つではないが、どれも人に善を勧め、人を重く慎ませるもので、鬼神の害も、凶く醜い禍もない。世では豆の醤を仕込むときに雷の音を聞くのを忌み、一人は食べないというが、これは人に急いで仕込ませて、家に積んで春を越させないためである。
諱厲刀井上,恐刀墮井中也;或說以為刑之字,井與刀也,厲刀井上,井刀相見,恐被刑也。毋承屋檐而坐,恐瓦墮擊人首也。毋反懸冠,為似死人服,或說惡其反而承塵溜也。毋偃寢,為其象尸也。毋以箸相受,為其不固也。毋相代掃,為修冢之人冀人來代己也。諸言毋者,教人重慎,勉人為善。禮曰:「毋摶飯,毋流。」
井戸の上で刀を研ぐのを忌むのは、刀が井戸の中に落ちるのを恐れるからだ。あるいは、刑という字は井と刀だから、井戸の上で刀を研ぐと井と刀が向かい合って、刑を受けるのを恐れるのだと説く者もある。軒の下に当たって座るなというのは、瓦が落ちて人の頭を打つのを恐れるからだ。冠を逆さに掛けるなというのは、死んだ人の装いに似るからで、あるいは逆さになって塵や雨だれを受けるのを嫌うからだと説く者もある。仰向けに寝るなというのは、それが屍をまねるからだ。箸で互いに受け渡しするなというのは、それがしっかりしないからだ。互いに代わって掃くなというのは、墓を手入れする人が、他人が来て自分の代わりをしてくれることを願うからだ。さまざまな「するな」という言葉は、人に重く慎むことを教え、人に善を勧めるものである。礼に言う。「飯を握りかためるな、こぼすな。」
禮義之禁,未必吉凶之言也。
礼義の上の禁じごとであって、必ずしも吉凶の言葉ではない。