梁恵王 上梁惠王上
1なぜ利を説かれるのですか
孟子見梁惠王。王曰:「叟!不遠千里而來,亦將有以利吾國乎?」 孟子對曰:「王!何必曰利?亦有仁義而已矣。王曰:『何以利吾國?』大夫曰:『何以利吾家?』士庶人曰:『何以利吾身?』上下交征利而國危矣。萬乘之國,弒其君者,必千乘之家;千乘之國,弒其君者,必百乘之家。萬取千焉,千取百焉,不為不多矣。苟為後義而先利,不奪不饜。未有仁而遺其親者也,未有義而後其君者也。王亦曰仁義而已矣,何必曰利?」
孟子が梁の恵王に会った。王が言った。「ご老人、千里を遠いともせずにおいでくださいました。あなたにも、わが国を利するものがおありでしょうか。」
孟子が答えた。「王はなぜ利を説かれるのですか。ただ仁(じん)と義(ぎ)があるだけです。王が『何によってわが国を利そうか』と言えば、大夫は『何によってわが家を利そうか』と言い、士や民は『何によってわが身を利そうか』と言います。上と下が互いに利を争えば、国は危うくなります。
万乗(ばんじょう)の国でその君を殺す者は、必ず千乗の家です。千乗の国でその君を殺す者は、必ず百乗の家です。万のうち千を取り、千のうち百を取るのは、少ないとは言えません。それなのに義を後にして利を先にすれば、奪わずには満足しません。
仁でありながら自分の親を捨てた者はなく、義でありながら自分の君を後にした者はありません。王はただ仁と義を説かれればよいのです。なぜ利を説かれるのですか。」
2賢者こそこれを楽しむ
孟子見梁惠王。王立於沼上,顧鴻雁麋鹿,曰:「賢者亦樂此乎?」 孟子對曰:「賢者而後樂此;不賢者雖有此,不樂也。詩云:『經始靈台,經之營之。庶民攻之,不日成之。經始勿亟,庶民子來。王在靈囿,麀鹿攸伏。麀鹿濯濯,白鳥鶴鶴。王在靈沼,於牣魚躍。』文王以民力為台為沼,而民歡樂之,謂其台曰靈台,謂其沼曰靈沼,樂其有麋鹿魚鱉。古之人與民偕樂,故能樂也。《湯誓》曰:『時日害喪,予及女皆亡。』民欲與之偕亡,雖有台池鳥獸,豈能獨樂哉?」
孟子が梁の恵王に会った。王は池のほとりに立ち、雁(がん)や鹿を見回して言った。「賢者もこのようなものを楽しむのですか。」
孟子が答えた。「賢者こそこれを楽しみます。賢くない者は、これがあっても楽しめません。『詩』に、『霊台(れいだい)を造りはじめ、はかり、縄を張る。民が寄り集まって働き、幾日もかからず成し遂げた。急ぐなと言われたのに、民は子のように集まって来た。王が霊囿(れいゆう)におられると、牝鹿(めじか)が伏せている。牝鹿は肥え、白い鳥は清らかだ。王が霊沼(れいしょう)におられると、ああ、いっぱいに魚が躍る』とあります。
文王は民の力で台を造り池を掘ったのに、民はかえって喜び楽しんで、その台を霊台と呼び、その池を霊沼と呼び、そこに鹿や魚がいることを楽しみました。昔の人は民とともに楽しんだので、楽しむことができたのです。
『湯誓(とうせい)』に、『あの日はいつ滅びるのか、私はおまえとともに亡びよう』とあります。民がともに亡びることを願うなら、台や池や鳥や獣があったとしても、どうして独りで楽しめましょうか。」
3五十歩で百歩を笑う
梁惠王曰:「寡人之於國也,盡心焉耳矣。河內凶,則移其民於河東,移其粟於河內;河東凶亦然。察鄰國之政,無如寡人之用心者。鄰國之民不加少,寡人之民不加多,何也?」 孟子對曰:「王好戰,請以戰喻。填然鼓之,兵刃既接,棄甲曳兵而走。或百步而後止,或五十步而後止;以五十步笑百步,則何如?」 曰:「不可,直不百步耳,是亦走也。」 曰:「王如知此,則無望民之多於鄰國也。不違農時,穀不可勝食也;數罟不入洿池,魚鼈不可勝食也;斧斤以時入山林,材木不可勝用也。穀與魚鼈不可勝食,材木不可勝用;是使民養生喪死無憾也。養生喪死無憾,王道之始也。五畝之宅,樹之以桑,五十者可以衣帛矣;雞豚狗彘之畜,無失其時,七十者可以食肉矣;百畝之田,勿奪其時,數口之家可以無饑矣。謹庠序之教,申之以孝悌之義,頒白者不負戴於道路矣。七十者衣帛食肉,黎民不饑不寒,然而不王者,未之有也。狗彘食人食而不知檢,塗有餓莩而不知發。人死,則曰:『非我也,歲也。』是何異於刺人而殺之,曰:『非我也,兵也。』王無罪歲,斯天下之民至焉。」
梁の恵王が言った。「わたしは国に心を尽くしているだけです。河内(かない)が不作になればその民を河東に移し、穀物を河内に移します。河東が不作のときも同じようにします。隣国の政治を見ても、わたしほど心を用いる者はいません。それなのに隣国の民は減らず、わたしの民は増えません。どうしたことでしょうか。」
孟子が答えた。「王は戦がお好きですから、戦でたとえましょう。どんと太鼓を打ち鳴らし、刃が触れ合ったあとで、鎧(よろい)を捨て武器を引きずって逃げる者があります。ある者は百歩行ってから止まり、ある者は五十歩行ってから止まります。五十歩の者が百歩の者を笑ったら、どうでしょうか。」
王が言った。「いけませんね。ただ百歩でないだけで、それも逃げたのです。」
「王がそれをご存じなら、民が隣国より多くなることをお望みにならぬことです。
農の時節を妨げなければ穀物は食べ尽くせず、目の細かい網を池に入れなければ魚や亀は食べ尽くせず、斧を時節に合わせて山林に入れれば材木は使い尽くせません。穀物や魚を食べ尽くせず材木を使い尽くせないなら、それは民が生きている者を養い死んだ者を送るのに心残りのないようにすることです。生きている者を養い死んだ者を送るのに心残りがないこと、それが王道(おうどう)のはじまりです。
五畝(ごほ)の家に桑を植えれば五十の者が絹を着られ、鶏や豚や犬を飼って時節を失わなければ七十の者が肉を食べられ、百畝の畑からその時節を奪わなければ数人の家族が飢えずにすみます。学校の教えをつとめ、孝と悌(てい)の義を重ねて説けば、白髪まじりの者が道で荷を背負い頭に載せて歩くことはなくなります。七十の者が絹を着て肉を食べ、民が飢えも凍えもしないのに王となれなかった者は、これまでありません。
犬や豚が人の食べ物を食べていても取り締まることを知らず、道に飢え死にした者があっても蔵を開くことを知りません。人が死ぬと『わたしのせいではない、不作のせいだ』と言います。これは人を刺し殺して『わたしのせいではない、武器のせいだ』と言うのと何が違いましょうか。王が不作のせいにされないなら、天下の民が集まって来るでしょう。」
4棒で殺すのと政治で殺すのと
梁惠王曰:「寡人願安承教。」 孟子對曰:「殺人以梃與刃,有以異乎?」 曰:「無以異也。」 「以刃與政,有以異乎?」 曰:「無以異也。」 曰:「庖有肥肉,廄有肥馬,民有饑色,野有餓莩;此率獸而食人也。獸相食,且人惡之;為民父母行政,不免於率獸而食人,惡在其為民父母也?仲尼曰:『始作俑者,其無後乎?』為其像人而用之也。如之何其使斯民饑而死也!」
梁の恵王が言った。「わたしは心安らかに教えを受けたいと思います。」
孟子が答えた。「人を棒で殺すのと刃で殺すのとに、違いがありますか。」
「違いはありません。」
「刃で殺すのと政治で殺すのとに、違いがありますか。」
「違いはありません。」
「台所に肥えた肉があり、馬屋に肥えた馬がいるのに、民に飢えた色があり、野に飢え死にした者があるなら、それは獣を駆り立てて人を食わせるものです。獣が互いに食い合うことさえ人は憎むのに、民の父母となって政治を行いながら、獣を駆り立てて人を食わせることを免れないなら、どこに民の父母であることがありましょうか。
仲尼(ちゅうじ)は『はじめて人形(ひとがた)を作った者には、後継ぎがないであろう』と言われました。それが人に似せて用いたからです。それなのに、どうしてこの民を飢え死にさせるのですか。」
夾注 1
仲尼は孔子の字(あざな)です。― 訳者
5仁者に敵なし
梁惠王曰:「晉國,天下莫強焉,叟之所知也。及寡人之身,東敗於齊,長子死焉;西喪地於秦七百里;南辱於楚。寡人恥之,願比死者壹洒之,如之何則可?」 孟子對曰:「地方百里,而可以王。王如施仁政於民,省刑罰,薄稅斂,深耕易耨;壯者以暇日修其孝悌忠信,入以事其父兄,出以事其長上;可使制梃以撻秦楚之堅甲利兵矣。彼奪其民時,使不得耕耨以養其父母。父母凍餓,兄弟妻子離散。彼陷溺其民,王往而征之,夫誰與王敵?故曰:『仁者無敵。』王請勿疑。」
梁の恵王が言った。「晋(しん)の国より強い国は天下になかったことは、ご老人もご存じのところです。ところがわたしの代になって、東では斉(せい)に敗れて長男が死に、西では秦(しん)に土地七百里を失い、南では楚(そ)に恥をかかされました。わたしはこれを恥として、死んだ者たちのために一度そそぎたいと思いますが、どうすればよいでしょうか。」
孟子が答えた。「土地が四方百里でも王となれます。王がもし民に仁の政治を施され、刑罰を減らし税を軽くし、深く耕して草を取りやすくし、若い者が暇な日に孝・悌・忠・信を修めて、家では父や兄に仕え、外では年長者や上の者に仕えるようにされれば、棒を作らせてでも秦や楚の堅い鎧と鋭い武器を打つことができます。
あの者たちは自分の民から農の時節を奪い、耕し草を取ってその父母を養うことをさせません。父母は凍え飢え、兄弟や妻子は離ればなれになります。あの者たちが自分の民を苦しみに落としているのですから、王が行って討たれるなら、誰が王に敵対しましょうか。だから『仁者に敵なし』と言うのです。王はどうかお疑いになりませぬよう。」
6人を殺すことを好まぬ者が天下を一つにする
孟子見梁襄王。出,語人曰:「望之不似人君,就之而不見所畏焉。卒然問曰:『天下惡乎定?』「吾對曰:『定於一。』「『孰能一之?』「對曰:『不嗜殺人者能一之。』『孰能與之?』「對曰:『天下莫不與也。王知夫苗乎?七八月之間旱,則苗槁矣。天油然作雲,沛然下雨,則苗浡然興之矣。其如是,孰能御之?今夫天下之人牧,未有不嗜殺人者也。如有不嗜殺人者,則天下之民皆引領而望之矣。誠如是也,民歸之,由水之就下,沛然誰能御之?』」
孟子が梁の襄王(じょうおう)に会って出てきて、人々に言った。「遠くから見ても君主らしくなく、近くへ行っても畏れるべきところが見えなかった。それなのにいきなり『天下はどこで定まるのか』と問うので、私は『一つに定まります』と答えた。
『誰が一つにできるのか』と問うので、『人を殺すことを好まぬ者が一つにできます』と答えた。
『誰がその人に従うのか』と問うので、こう答えた。『天下に従わぬ者はありません。王は苗(なえ)をご存じですか。七、八月のあいだに日照りがあれば苗は枯れます。天がむくむくと雲を起こし、ざあざあと雨を降らせれば、苗はすくすくと起き上がります。そうであるなら、誰がこれを止められましょう。
今、天下の民を牧する者のうちに、人を殺すことを好まぬ者はありません。もし人を殺すことを好まぬ者があれば、天下の民はみな首を伸ばしてその人を仰ぐでしょう。まことにそうなれば、民がその人に帰すことは水が低いところへ流れるようなもので、そのざあざあと流れるのを誰が止められましょう。』」
7牛は見たが羊は見なかった
齊宣王問曰:「齊桓、晉文之事可得聞乎?」 孟子對曰:「仲尼之徒,無道桓、文之事者,是以後世無傳焉;臣未之聞也。無以,則王乎?」 曰:「德何如,則可以王矣?」 曰:「保民而王,莫之能禦也。」 曰:「若寡人者,可以保民乎哉?」 曰:「可。」 曰:「何由知吾可也?」 曰:「臣聞之胡齕曰,王坐於堂上,有牽牛而過堂下者,王見之,曰:『牛何之?』對曰:『將以釁鐘。』王曰:『舍之!吾不忍其觳觫,若無罪而就死地。』對曰:『然則廢釁鐘與?』曰:『何可廢也?以羊易之!』不識有諸?」 曰:「有之。」 曰:「是心足以王矣。百姓皆以王為愛也,臣固知王之不忍也。」 王曰:「然。誠有百姓者。齊國雖褊小,吾何愛一牛?即不忍其觳觫,若無罪而就死地,故以羊易之也。」 曰:「王無異於百姓之以王為愛也。以小易大,彼惡知之?王若隱其無罪而就死地,則牛羊何擇焉?」 王笑曰:「是誠何心哉?我非愛其財而易之以羊也。宜乎百姓之謂我愛也。」 曰:「無傷也,是乃仁術也,見牛未見羊也。君子之於禽獸也,見其生,不忍見其死;聞其聲,不忍食其肉。是以君子遠庖廚也。」 王說曰:「《詩》云:『他人有心,予忖度之。』夫子之謂也。夫我乃行之,反而求之,不得吾心。夫子言之,於我心有戚戚焉。此心之所以合於王者,何也?」 曰:「有復於王者曰:『吾力足以舉百鈞,而不足以舉一羽;明足以察秋毫之末,而不見輿薪。』則王許之乎?」 曰:「否。」 「今恩足以及禽獸,而功不至於百姓者,獨何與?然則一羽之不舉,為不用力焉;輿薪之不見,為不用明焉;百姓之不見保,為不用恩焉。故王之不王,不為也,非不能也。」 曰:「不為者與不能者之形,何以異?」 曰:「挾太山以超北海,語人曰:『我不能。』是誠不能也。為長者折枝,語人曰:『我不能。』是不為也,非不能也。故王之不王,非挾太山以超北海之類也;王之不王,是折枝之類也。老吾老,以及人之老;幼吾幼,以及人之幼;天下可運於掌。《詩》云:『刑於寡妻,至於兄弟,以御於家邦。』言舉斯心加諸彼而已。故推恩足以保四海,不推恩無以保妻子。古之人所以大過人者,無他焉,善推其所為而已矣。今恩足以及禽獸,而功不至於百姓者,獨何與?權,然後知輕重;度,然後知長短。物皆然,心為甚。王請度之。抑王興甲兵,危士臣,構怨於諸侯,然後快於心與?」 王曰:「否。吾何快於是?將以求吾所大欲也。」 曰:「王之所大欲,可得聞與?」 王笑而不言。 曰:「為肥甘不足於口與?輕暖不足於體與?抑為采色不足視於目與?聲音不足聽於耳與?便嬖不足使令於前與?王之諸臣,皆足以供之;而王豈為是哉?」 曰:「否。吾不為是也。」 曰:「然則王之大欲,可知已:欲闢土地,朝秦楚,蒞中國而撫四夷也。以若所為,求若所欲,猶緣木而求魚也。」 王曰:「若是其甚與?」 曰:「殆有甚焉。緣木求魚,雖不得魚,無後災;以若所為,求若所欲,盡心力而為之,後必有災。」 曰:「可得聞與?」 曰:「鄒人與楚人戰,則王以為孰勝?」 曰:「楚人勝。」 曰:「然則小固不可以敵大,寡固不可以敵眾,弱固不可以敵強。海內之地,方千里者九,齊集有其一;以一服八,何以異於鄒敵楚哉?蓋亦反其本矣。今王發政施仁,使天下仕者皆欲立於王之朝,耕者皆欲耕於王之野,商賈皆欲藏於王之市,行旅皆欲出於王之途,天下之欲疾其君者皆欲赴愬於王。其若是,孰能御之?」 王曰:「吾惛,不能進於是矣。願夫子輔吾志,明以教我。我雖不敏,請嘗試之。」 曰:「無恆產而有恆心者,惟士為能。若民,則無恆產,因無恆心。苟無恆心,放辟邪侈,無不為已。及陷於罪,然後從而刑之,是罔民也。焉有仁人在位,罔民而可為也?是故明君制民之產,必使仰足以事父母,俯足以畜妻子;樂歲終身飽,凶年免於死亡;然後驅而之善,故民之從之也輕。今之制民之產,仰不足以事父母,俯不足以畜妻子;樂歲終身苦,凶年不免於死亡;此惟救死而恐不贍,奚暇治禮義哉?王欲行之,則盍反其本矣:五畝之宅,樹之以桑,五十者可以衣帛矣;雞豚狗彘之畜,無失其時,七十者可以食肉矣;百畝之田,勿奪其時,八口之家可以無饑矣;謹庠序之教,申之以孝悌之義,頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉,黎民不饑不寒,然而不王者,未之有也。」
斉(せい)の宣王が尋ねた。「斉の桓公(かんこう)と晋の文公(ぶんこう)の事績を聞かせていただけますか。」
孟子が答えた。「仲尼の門人のうちに桓公や文公の事績を語った者がなく、後世に伝わったものがありませんので、わたしは聞いておりません。どうしてもと言われるなら、王道を申しましょうか。」
「徳がどのようであれば、王となれるのですか。」
「民を守って王となるなら、誰もこれを止められません。」
「わたしのような者でも、民を守れるでしょうか。」
「できます。」
「何によってわたしができるとお分かりなのですか。」
「わたしは胡齕(こかつ)にこう聞きました。王が堂の上に座っておられたとき、牛を引いて堂の下を通る者がありました。王がそれを見て『牛をどこへ連れて行くのか』と問われると、『これから鐘に血を塗るのです』と答えました。王は『放してやれ。おびえ震えながら罪もなく死に場所へ行くのを、わたしは見るに堪えない』と言われました。『それでは鐘に血を塗るのをやめましょうか』と問うと、『どうしてやめられよう。羊に換えよ』と言われたとのことです。そのようなことがありましたか。」
「ありました。」
「その心であれば王となるに十分です。民はみな王が物を惜しまれたのだと思っていますが、わたしは王が見るに堪えなかったのだと、はじめから分かっておりました。」
王が言った。「そうです。まことにそう思う民がありました。斉の国は狭く小さいとはいえ、わたしがどうして牛一頭を惜しみましょう。ただおびえ震えながら罪もなく死に場所へ行くのを見るに堪えず、羊に換えたのです。」
「王は、民が王を物惜しみだと思うことを不思議に思われませぬよう。小さいもので大きいものを換えられたのですから、あの者たちにどうして分かりましょう。王が罪もなく死に場所へ行くことを哀れまれたのなら、牛と羊に何の選ぶところがありましょうか。」
王が笑って言った。「それはまことにどういう心だったのでしょう。わたしは物を惜しんで羊に換えたのではないのに、民がわたしを物惜しみだと言うのも当然でしょうね。」
「お気になさいますな。それこそ仁を行う道です。牛は見たが羊は見なかったからです。君子は獣について、生きているのを見れば死ぬのを見るに堪えず、その声を聞けばその肉を食べるに堪えません。だから君子は台所を遠ざけるのです。」
王が喜んで言った。「『詩』に『他人の心を、わたしが推しはかる』とあるのは、先生のことです。わたしはそうしておきながら、振り返って求めても自分の心が分かりませんでした。先生が言われると、わたしの心に迫るものがあります。この心が王道にかなうというのは、どうしてですか。」
「ある者が王に『わたしの力は百鈞(ひゃくきん)を持ち上げるには足りるが、羽一枚を持ち上げるには足りない。わたしの目は秋の毛の先を見分けるには足りるが、車に積んだ薪(たきぎ)は見えない』と申し上げたら、王はそれをお認めになりますか。」
「いいえ。」
「今、恵みが獣に及ぶには足りているのに、功が民に至らないのは、いったいどうしてでしょう。それなら羽一枚を持ち上げられないのは力を用いないからであり、車の薪が見えないのは目を用いないからであり、民が守られないのは恵みを用いないからです。ですから王が王となられないのは、なさらないのであって、できないのではありません。」
「しないこととできないことの姿は、どう違うのですか。」
「太山(たいさん)をわきに抱えて北海を飛び越えることを『わたしはできない』と言うなら、それはまことにできないのです。年長者のために枝を折ることを『わたしはできない』と言うなら、それはしないのであって、できないのではありません。ですから王が王となられないのは、太山を抱えて北海を飛び越える類ではなく、枝を折る類です。
自分の老いた親を敬ってそれを人の親にまで及ぼし、自分の子を愛してそれを人の子にまで及ぼせば、天下を手のひらの上で動かせます。『詩』に『妻に手本を示して兄弟に至り、それで家と国を治める』とあるのは、この心を取り上げてあちらに加えるだけだという意味です。ですから恵みを推し及ぼせば四海を守るに十分であり、恵みを推し及ぼさなければ妻子すら守れません。昔の人が人より大きく優れていた理由はほかにありません。その行うところをよく推し及ぼしただけです。
今、恵みが獣に及ぶには足りているのに、功が民に至らないのは、いったいどうしてでしょう。秤(はかり)にかけてはじめて軽重が分かり、測ってはじめて長短が分かります。物はみなそうですが、心はなおさらです。王はどうかお測りください。
それとも王は、兵を起こして臣下を危うくし、諸侯に恨みを結んでから、心が晴れるのでしょうか。」
王が言った。「いいえ。わたしがどうしてそれを晴れやかに思いましょう。これからわたしの大きな望みを求めようとするのです。」
「王の大きな望みを聞かせていただけますか。」
王は笑って言わなかった。
「脂っこく甘いものが口に足りないからですか。軽く暖かいものが身に足りないからですか。それとも美しい色が目に足りないからですか。音が耳に足りないからですか。側近の者が前で用を果たすに足りないからですか。王の臣下はみなそれをそろえるに十分です。王がどうしてそのようなことをお望みになりましょう。」
「いいえ。わたしはそのようなことを望みません。」
「それなら王の大きな望みは分かります。土地を広げ、秦と楚の朝貢を受け、中国に臨んで四方の夷(い)をなだめようとされるのです。そのようなやり方でそのような望みを求められるのは、木に登って魚を求めるようなものです。」
王が言った。「そこまでひどいのですか。」
「おそらくそれよりひどいでしょう。木に登って魚を求めれば、魚は得られなくても後の災いはありません。しかしそのようなやり方でそのような望みを求め、心と力を尽くしてなされるなら、後に必ず災いがあります。」
「聞かせていただけますか。」
「鄒(すう)の人と楚の人が戦えば、王はどちらが勝つとお考えですか。」
「楚の人が勝ちますね。」
「それなら小さいものはもとより大きいものに敵対できず、少ないものはもとより多いものに敵対できず、弱いものはもとより強いものに敵対できません。天下の地には四方千里のものが九つあり、斉は集めてもその一つを持つだけです。一つで八つを従わせようとするのは、鄒が楚に敵対するのと何が違いましょう。どうしてその根本に帰られないのですか。
今、王が政治を行い仁を施され、天下の仕えようとする者がみな王の朝廷に立つことを願い、耕す者がみな王の野で耕すことを願い、商人がみな王の市に品を置くことを願い、旅人がみな王の道を行くことを願い、天下の自分の君を憎む者がみな王のもとへ走って訴えることを願うなら、そうであるのに誰がこれを止められましょう。」
王が言った。「わたしは暗くて、ここから先へ進めません。先生がわたしの志を助け、はっきりと教えてください。わたしは利発ではありませんが、ひとつやってみましょう。」
「定まった生業がなくても定まった心を持てるのは、士だけができることです。民について言えば、定まった生業がなければそれによって定まった心がありません。定まった心がなければ、放埒(ほうらつ)に偏り、邪(よこしま)に奢(おご)ることを、しないではいられなくなります。そうして罪に落ちてから追って罰するなら、それは民を網にかけるものです。仁の人が位にありながら、どうして民を網にかけることをしましょうか。
ですから明らかな君主は民の生業を定め、必ず上は父母に仕えるに足り、下は妻子を養うに足るようにして、豊年には年中満ち足り、不作の年にも死を免れるようにします。そのうえで導いて善に向かわせるので、民が従うのはたやすいのです。
今の民の生業の定め方は、上は父母に仕えるに足らず、下は妻子を養うに足らず、豊年にも年中苦しく、不作の年には死を免れません。これはただ死を免れることさえ足りないのを恐れる有様ですから、どこに礼儀を修める暇がありましょうか。
王がこれを行おうとされるなら、どうしてその根本に帰られないのですか。五畝の家に桑を植えれば五十の者が絹を着られ、鶏や豚や犬を飼って時節を失わなければ七十の者が肉を食べられ、百畝の畑からその時節を奪わなければ八人の家族が飢えずにすみます。学校の教えをつとめ、孝と悌の義を重ねて説けば、白髪まじりの者が道で荷を背負い頭に載せて歩くことはなくなります。老いた者が絹を着て肉を食べ、民が飢えも凍えもしないのに王となれなかった者は、これまでありません。」