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聖徳王聖德王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 39 · 漢字 3,175字 · 朗読 12.7分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1聖徳王が即位する

聖德王立。諱興光,本名隆基,與玄宗諱同,先天中改焉。神文王第二子,孝照同母弟也。孝照王薨,無子,國人立之。唐則天聞孝照薨,爲之擧哀,輟朝二日,遣使吊慰,冊王爲新羅王,仍襲兄將軍都督之號。

聖徳王が即位した。諱は興光、もとの名は隆基であったが、玄宗の諱と同じであったので、先天年間に改めた。神文王の第二子で、孝照王の同母弟である。孝照王が薨じて子がなかったので、国人が彼を立てた。唐の則天は孝照が薨じたと聞き、そのために哀を挙げ、二日のあいだ朝を止め、使者を遣わして弔い慰め、王を冊して新羅王とし、続いて兄の将軍・都督の号を襲わせた。

夾注 1

《唐書》言金志誠。

『唐書』には金志誠とある。

2元年 — 大赦を行う

元年九月,大赦。增文武官爵一級,復諸州郡一年租税。以阿飡元訓爲中侍。冬十月,歃良州,橡實變爲栗。

元年九月、大赦を行った。文武の官の爵を一級上げ、諸州郡の一年の租税を免じた。阿飡の元訓を中侍とした。冬十月、歃良州で橡の実が変じて栗となった。

3二年 — 日本の使者二百四人が来る

二年,春正月,親祀神宮。遣使入唐貢方物。秋七月,靈廟寺災。京都大水,溺死者衆。中侍元訓退,阿飡元文爲中侍。日本國使至,摠二百四人。遣阿飡金思讓朝唐。

二年春正月、みずから神宮を祭った。使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。

秋七月、霊廟寺に火災があった。都に大水があり、溺れ死んだ者が多かった。中侍の元訓が退いたので、阿飡の元文を中侍とした。日本国の使者が至ったが、あわせて二百四人であった。阿飡の金思譲を遣わして唐に朝させた。

4三年 — 最勝王経を献じる

三年,春正月,熊川州進金芝。三月,入唐金思讓廻,獻《最勝王經》。夏五月,納乘府令蘇判金元泰之女爲妃。

三年春正月、熊川州が金色の芝を献じた。三月、唐に入っていた金思譲が帰り、『最勝王経』を献じた。夏五月、乗府令である蘇判の金元泰の娘を迎えて妃とした。

5四年 — 殺生を禁じる

四年,春正月,中侍元文卒,以阿飡信貞爲中侍。三月,遣使入唐朝貢。夏五月,旱。秋八月,賜老人酒食。九月,下敎禁殺生。遣使如唐獻方物。冬十月,國東州郡饑,人多流亡,發使賑恤。

四年春正月、中侍の元文が卒したので、阿飡の信貞を中侍とした。三月、使者を遣わして唐に入り朝貢させた。

夏五月、旱があった。秋八月、老人に酒と食を賜った。九月、教を下して殺生を禁じた。使者を遣わして唐に行き、その地の産物を献上した。

冬十月、国の東の州郡が飢え、人が多く流れ散ったので、使者を発して賑恤した。

6五年 — 倉を開いて分け与える

五年,春正月,伊飡仁品爲上大等,國内饑,發倉廩賑之。三月,衆星西流。夏四月,遣使入唐貢方物。秋八月,中侍信貞病免,以大阿飡文良爲中侍。遣使入唐貢方物。穀不登。冬十月,遣使入唐貢方物。十二月,大赦。

五年春正月、伊飡の仁品を上大等とした。国内が飢えたので、倉廩を開いて賑わした。

三月、衆星が西に流れた。夏四月、使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。

秋八月、中侍の信貞が病で免じられたので、大阿飡の文良を中侍とした。使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。穀が実らなかった。

冬十月、使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。十二月、大赦を行った。

7六年 — 一日三升を分け与える

六年,春正月,民多饑死,給粟人一日三升,至七月。二月,大赦。賜百姓五穀種子,有差。冬十二月,遣使入唐貢方物。

六年春正月、民に飢え死ぬ者が多かったので、一人に一日三升の粟を給し、七月に至った。二月、大赦を行った。百姓に五穀の種子を、差を設けて賜った。冬十二月、使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。

8七年 — 沙伐州が瑞芝を献じる

七年,春正月,沙伐州進瑞芝。二月,地震。夏四月,鎭星犯月。大赦。

七年春正月、沙伐州が瑞芝を献じた。二月、地震があった。夏四月、鎮星が月を犯した。大赦を行った。

9八年 — 罪人を赦す

八年,春三月,菁州獻白鷹。夏五月,旱。六月,遣使入唐貢方物。秋八月,赦罪人。

八年春三月、菁州が白い鷹を献じた。夏五月、旱があった。六月、使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。秋八月、罪人を赦した。

10九年 — 天狗が落ちる

九年,春正月,天狗隕三郞寺北。遣使入唐貢方物。地震。赦罪人。

九年春正月、天狗が三郎寺の北に落ちた。使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。地震があった。罪人を赦した。

11十年 — 百官箴を作って示す

十年,春三月,大雪。夏五月,禁屠殺。冬十月,巡狩國南州郡。中侍文良卒。十一月,王製百官箴,示羣臣。十二月,遣使入唐貢方物。

十年春三月、大雪が降った。夏五月、屠殺を禁じた。冬十月、国の南の州郡を巡狩した。中侍の文良が卒した。十一月、王が「百官箴」を作り、群臣に示した。十二月、使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。

12十一年 — 金庾信の妻を夫人に封じる

十一年,春二月,遣使入唐朝貢。三月,以伊飡魏文爲中侍。大唐遣使盧元敏,勅改王名。夏四月,駕幸温水。秋八月,封金庾信妻爲夫人,歳賜穀一千石。

十一年春二月、使者を遣わして唐に入り朝貢させた。三月、伊飡の魏文を中侍とした。大唐が使者の盧元敏を遣わし、勅によって王の名を改めさせた。夏四月、温水に行幸した。秋八月、金庾信の妻を封じて夫人とし、毎年穀一千石を賜った。

13十二年 — 玄宗が詔書を下して封じる

十二年,春二月,置典祀署。遣使入唐朝貢,玄宗御樓門以見之。冬十月,入唐使金貞宗廻,降詔書,封王爲驃騎將軍特進行左威衛大將軍使持節大都督雞林州諸軍事雞林州刺史上柱國樂浪郡公新羅王。冬十月,中侍魏文請老,從之。十二月,大赦。築開城。

十二年春二月、典祀署を置いた。使者を遣わして唐に朝貢させると、玄宗が楼門に出て引見した。

冬十月、唐に入っていた使者の金貞宗が帰るとき、詔書を下して、王を驃騎将軍・特進・行左威衛大将軍・使持節・大都督鶏林州諸軍事・鶏林州刺史・上柱国・楽浪郡公・新羅王に封じた。冬十月、中侍の魏文が老いたといって退くことを請うたので、これに従った。十二月、大赦を行った。開城を築いた。

14十三年 — 金守忠を宿衛に遣わす

十三年,春正月,伊飡孝貞爲中侍。二月,改詳文師爲通文博士,以掌書表事。遣王子金守忠入唐宿衛,玄宗賜宅及帛以寵之,賜宴于朝堂。閏二月,遣級飡朴裕如唐賀正。賜朝散大夫員外奉御還之。夏旱,人多疾疫。秋,歃良州山橡實化爲栗。冬十月,唐玄宗宴我使者于内殿,勅宰臣及四品已上諸官預焉。

十三年春正月、伊飡の孝貞を中侍とした。二月、詳文師を通文博士と改め、書と表のことを掌らせた。王子の金守忠を遣わして唐に入り宿衛させると、玄宗は宅と帛を賜って寵み、朝堂で宴を賜った。

閏二月、級飡の朴裕を唐に遣わして賀正させると、朝散大夫・員外奉御を授けて帰らせた。

夏に旱があり、人が多く病んだ。秋、歃良州の山で橡の実が変じて栗となった。冬十月、唐の玄宗が新羅の使者に内殿で宴を賜い、宰臣および四品以上の諸官に参加するよう勅した。

15十四年 — 理暁を召して雨を祈る

十四年,春三月,遣金楓厚入唐朝貢。夏四月,菁州進白雀。五月,赦。六月,大旱,王召河西州龍鳴嶽居士理曉,祈雨於林泉寺池上,則雨浹旬。秋九月,太白掩庶子星。冬十月,流星犯紫微。十二月,流星自天倉入大微。赦罪人。封王子重慶爲太子。

十四年春三月、金楓厚を遣わして唐に入り朝貢させた。夏四月、菁州が白い雀を献じた。五月、赦を行った。

六月、大いに旱となったので、王は河西州の竜鳴嶽の居士である理暁を召し、林泉寺の池の上で雨を祈らせると、たちまち十日のあいだ雨が降った。

秋九月、太白が庶子星を掩った。冬十月、流星が紫微を犯した。十二月、流星が天倉から太微に入った。罪人を赦した。王子の重慶を封じて太子とした。

16十五年 — 成貞王后を出す

十五年,春正月,流星犯月,月無光。三月,遣使如唐獻方物。出成貞王后,賜彩五百匹、田二百結、租一萬石、宅一區,宅買康申公舊居,賜之。大風拔木飛瓦,崇禮殿毀。入唐賀正使金楓厚欲歸國,授員外郞還之。夏六月,旱,又召居士理曉祈禱,則雨。赦罪人。

十五年春正月、流星が月を犯し、月に光がなかった。三月、使者を遣わして唐に行き、その地の産物を献上した。

成貞王后を出し、彩五百匹・田二百結・租一万石・宅一区を賜った。宅は康申公の旧居を買って賜ったものである。

大風が吹いて木を抜き瓦を飛ばし、崇礼殿が壊れた。唐に入って賀正していた使者の金楓厚が国に帰ろうとしたので、員外郎を授けて帰らせた。

夏六月、旱となり、また居士の理暁を召して祈らせると、たちまち雨が降った。罪人を赦した。

夾注 1

一云嚴貞。

成貞は、厳貞ともいう。

17十六年 — 孔子と弟子の図を入れる

十六年,春二月,置醫博士、筭博士各一員。三月,創新宮。夏四月,地震。六月,太子重慶卒,諡曰孝殤。秋九月,入唐大監守忠廻,獻文宣王、十哲、七十二弟子圖,即置於大學。

十六年春二月、医博士と算博士をそれぞれ一人置いた。三月、新しい宮を建てた。夏四月、地震があった。六月、太子の重慶が卒し、諡を孝殤といった。

秋九月、唐に入っていた大監の守忠が帰り、文宣王と十哲と七十二弟子の図を献じたので、これを大学に置いた。

18十七年 — 初めて漏刻を作る

十七年,春正月,中侍孝貞退,波珍飡思恭爲中侍。二月,王巡撫國西州郡,親問高年及鰥寡孤獨,賜物有差。三月,地震。夏六月,震皇龍寺塔。始造漏刻。遣使入唐朝貢,授守中郞將還之。冬十月,流星自昴入于奎,衆小星隨之,天狗隕艮方。築漢山州都督管内諸城。

十七年春正月、中侍の孝貞が退いたので、波珍飡の思恭を中侍とした。

二月、王は国の西の州郡を巡って撫で、みずから高年の者と鰥・寡・孤・独の者を問い、物を差を設けて賜った。三月、地震があった。

夏六月、皇竜寺の塔に雷が落ちた。初めて漏刻を作った。使者を遣わして唐に入り朝貢させると、守中郎将を授けて帰らせた。

冬十月、流星が昴から奎に入り、多くの小さな星がこれに従い、天狗が東北の方に落ちた。漢山州の都督の管内の諸城を築いた。

19十八年 — 弥勒寺に雷が落ちる

十八年,春正月,遣使入唐賀正。秋九月,震金馬郡彌勒寺。

十八年春正月、使者を遣わして唐に入り賀正させた。秋九月、金馬郡の弥勒寺に雷が落ちた。

20十九年 — 順元の娘を王妃に迎える

十九年,春正月,地震。上大等仁品卒,大阿飡裴賦爲上大等。三月,納伊飡順元之女爲王妃。夏四月,大雨,山崩十三所。雨雹傷禾苗。五月,命有司埋骸骨。完山州進白鵲。六月,冊王妃爲王后。秋七月,熊川州獻白鵲。蝗蟲害穀。中侍思恭退,波珍飡文林爲中侍。

十九年春正月、地震があった。上大等の仁品が卒したので、大阿飡の裴賦を上大等とした。三月、伊飡の順元の娘を迎えて王妃とした。

夏四月、大雨が降り、山が十三か所で崩れた。雹が降って稲の苗を傷めた。五月、有司に命じて骸骨を埋めさせた。完山州が白い鵲を献じた。

六月、王妃を冊して王后とした。秋七月、熊川州が白い鵲を献じた。蝗が穀を害した。中侍の思恭が退いたので、波珍飡の文林を中侍とした。

21二十年 — 北の境に長城を築く

二十年,秋七月,徴何瑟羅道丁夫二千,築長城於北境。冬,無雪。

二十年秋七月、何瑟羅道の丁夫二千を徴して、北の境に長城を築いた。冬、雪がなかった。

22二十一年 — 百姓に丁田を給する

二十一年,春正月,中侍文林卒,伊飡宣宗爲中侍。二月,京都地震。秋八月,始給百姓丁田。冬十月,遣大奈麻金仁壹入唐賀正,并獻方物。築毛伐郡城,以遮日本賊路。

二十一年春正月、中侍の文林が卒したので、伊飡の宣宗を中侍とした。二月、都に地震があった。

秋八月、初めて百姓に丁田を給した。

冬十月、大奈麻の金仁壹を遣わして唐に入り賀正させ、あわせてその地の産物を献上した。毛伐郡城を築いて、日本の賊の道を遮った。

23二十二年 — 美女二人を送ると玄宗が帰らせる

二十二年,春三月,王遣使入唐,獻美女二人。一名抱貞,父天承奈麻,一名貞菀,父忠訓大舍。給以衣着、器具、奴婢、車馬,備禮資遣之。玄宗曰:「女皆王姑姊妹,違本俗,別所親,朕不忍留。」厚賜還之。貞菀碑云:「孝成六年,天寶元年歸唐。」未知孰是。夏四月,遣使入唐,獻果下馬一匹、牛黄、人蔘、美髢、朝霞紬、魚牙紬、鏤鷹鈴、海豹皮、金銀等,上表曰:「臣鄕居海曲,地處遐陬,元無泉客之珍,本乏賨人之貨,敢將方産之物,塵瀆天官,駑蹇之才,滓穢龍廐。竊方燕豕,敢類楚雞。深覺靦顔,彌增戰汗。地震。

二十二年春三月、王は使者を遣わして唐に入り、美女二人を献じた。一人は名を抱貞といい、父は奈麻の天承、一人は名を貞菀といい、父は大舎の忠訓である。衣着・器具・奴婢・車馬を給し、礼を備え資を与えて遣わした。玄宗は言った。「女はみな王の姑や姉妹である。もとの俗に背き、親しい者と別れさせることは、朕には忍びない。」厚く賜って帰らせた。貞菀の碑には「孝成六年、天宝元年に唐に帰った」とあり、どちらが正しいか分からない。

夏四月、使者を遣わして唐に入り、果下馬一匹・牛黄・人参・美しい髢・朝霞紬・魚牙紬・彫った鷹の鈴・海豹の皮・金銀などを献じ、表を上して言った。

「臣の郷は海の曲にあり、地は遠い隅に位して、もとより泉客の珍もなく、もとより賨人の貨も乏しくあります。あえてその地に産する物をもって天の官を塵で汚し、鈍く足なえの才で竜の廐を汚します。ひそかに燕の豕に方え、あえて楚の鶏に類えます。顔の熱くなるのを深く覚え、震える汗がいよいよ増します。」地震があった。

24二十三年 — 玄宗が絹を賜る

二十三年,春,立王子承慶爲太子。大赦。熊川州進瑞芝。二月,遣金武勳入唐賀正。武勳還,玄宗降書曰:「卿,毎承正朔,朝貢闕庭,言念所懷,深可嘉尚。又得所進雜物等,並踰越滄波,跋渉草莽,物既精麗,深表卿心。今賜卿錦袍、金帶及綵素共二千匹,以答誠獻,至宜領也。」冬十二月,遣使入唐獻方物。炤德王妃卒。

二十三年春、王子の承慶を立てて太子とし、大赦を行った。熊川州が瑞芝を献じた。

二月、金武勲を遣わして唐に入り賀正させた。武勲が帰るとき、玄宗は書を下して言った。

「卿は毎に正朔を承け、闕庭に朝貢する。思うところを言い念えば、深く嘉すべく尚ぶべきである。また進めた雑物などを得たが、いずれも滄波を越え、草莽を跋渉して来たものであり、物はすでに精しく麗しく、卿の心を深く表している。いま卿に錦の袍・金の帯および綵と素あわせて二千匹を賜り、誠の献に答える。よろしく領けよ。」

冬十二月、使者を遣わして唐に入り、その地の産物を献上した。炤徳王妃が卒した。

25二十四年 — 白い虹が見える

二十四年,春正月,白虹見。三月,雪。夏四月,雹。中侍宣宗退,伊飡允忠爲中侍。冬十月,地震。

二十四年春正月、白い虹が見えた。三月、雪が降った。夏四月、雹が降った。中侍の宣宗が退いたので、伊飡の允忠を中侍とした。冬十月、地震があった。

26二十五年 — 金欽質を唐に遣わす

二十五年,夏四月,遣金忠臣入唐賀正。五月,遣王弟金欽質入唐朝貢,授郞將還之。

二十五年夏四月、金忠臣を遣わして唐に入り賀正させた。五月、王の弟の金欽質を遣わして唐に入り朝貢させると、郎将を授けて帰らせた。

27二十六年 — 永昌宮を修める

二十六年,春正月,赦罪人。遣使入唐賀正。夏四月,以一吉飡魏元爲大阿飡,級飡大讓爲沙飡。冬十二月,修永昌宮。上大等裴賦請老,不許,賜几杖。

二十六年春正月、罪人を赦した。使者を遣わして唐に入り賀正させた。夏四月、一吉飡の魏元を大阿飡とし、級飡の大譲を沙飡とした。冬十二月、永昌宮を修めた。上大等の裴賦が老いたといって退くことを請うたが、許さず、几と杖を賜った。

28二十七年 — 子弟を国学に入れることを請う

二十七年,秋七月,遣王弟金嗣宗,入唐獻方物,兼表請子弟入國學,詔許之。授嗣宗果毅,仍留宿衛。上大等裴賦請老,從之。以伊飡思恭爲上大等。

二十七年秋七月、王の弟の金嗣宗を遣わして唐に入り、その地の産物を献上させ、あわせて表を上して子弟を国学に入れることを請うと、詔してこれを許した。嗣宗に果毅を授け、続いて留めて宿衛させた。上大等の裴賦が老いたといって退くことを請うたので、これに従った。伊飡の思恭を上大等とした。

29二十八年 — 唐に朝貢する

二十八年,春正月,遣使入唐賀正。秋九月,遣使入唐朝貢。

二十八年春正月、使者を遣わして唐に入り賀正させた。秋九月、使者を遣わして唐に入り朝貢させた。

30二十九年 — 志満を太僕卿とする

二十九年,春二月,遣王姪志滿朝唐,獻小馬五匹、狗一頭、金二千兩、頭髮八十兩、海豹皮十張。玄宗授志滿太僕卿,賜絹一百匹、紫袍、錦細帶,仍留宿衛。冬十月,遣使朝唐貢獻方物,玄宗賜物有差。

二十九年春二月、王の甥の志満を遣わして唐に朝させ、小さな馬五匹・犬一頭・金二千両・頭髪八十両・海豹の皮十張を献じた。玄宗は志満に太僕卿を授け、絹一百匹・紫の袍・錦の細い帯を賜り、続いて留めて宿衛させた。

冬十月、使者を遣わして唐に朝させ、その地の産物を献上すると、玄宗は物を差を設けて賜った。

31三十年 — 日本の兵船三百艘を破る

三十年,春二月,遣金志良入唐賀正,玄宗授太僕少卿員外置,賜帛六十匹放還,降詔書曰:「所進牛黄及金銀等物,省表具之。卿二明慶祚三韓善隣,時稱仁義之鄕,代著勳賢之業。文章禮樂,闡君子之風。納款輸忠,效勤王之節,固藩,維之鎭衛,諒忠義之儀表。豈殊方悍俗,可同年而語耶?加以慕義克勤,述職愈謹,梯山航海,無倦於阻脩,獻幣貢琛,有常於歳序。守我王度,垂諸國章,乃眷懇誠,深可嘉尚。朕毎晨興佇念,宵衣待賢。想見其人,以光啓沃,俟卿覯止,允副所依。今使至,知嬰疾苦,不遂抵命,言念遐闊,用增憂勞。時候暄和,想痊復也。今賜卿綾綵五百匹,帛二千五百匹,宜即領取。」夏四月,赦。賜老人酒食。日本國兵船三百艘,越海襲我東邊,王命將出兵,大破之。秋九月,命百官會的門,觀射車弩。

三十年春二月、金志良を遣わして唐に入り賀正させると、玄宗は太僕少卿・員外置を授け、絹六十匹を賜って放ち帰らせ、詔を下して言った。

「献じた牛黄と金銀などの物は、表を見て具に知った。卿は二つの明の慶福によって、三韓と隣をよく保ち、時に仁義の郷と称され、代々勲賢の業を顕している。文章と礼楽で君子の風を明らかにし、誠を献じ忠を送って王のための節に努めている。まことに藩の守りであり、まことに忠義の模範である。どうして遠い地の荒い俗と同じ年に語ることができようか。

まして義を慕って勤め、職を奏することをいよいよ慎み、山を梯とし海を舟として、塞がり遠い道を怠らず、幣を献じ宝を献ずることを年ごとに常としている。我が王の法度を守り、諸国の模範を垂れているのであり、この切なる誠は深く嘉すべく尚ぶべきである。

朕は常に夙に起きて思いを留め、夜の衣のままで賢者を待ち、その人を見て明らかに導かれることを思っている。卿に会う時を待ち、まことに頼むところに適うことを望む。

いま使者が至って、病を患って命を果たせなかったことを知った。遠く隔たっていることを思うと、憂いと労とが増す。季節は暖かく和らいでいる。癒えることを思う。いま卿に綾羅五百匹と絹二千五百匹を賜る。よろしくすぐに領けよ。」

夏四月、赦を行った。老人に酒と食を賜った。日本国の兵船三百艘が海を越えて新羅の東の辺を襲ったので、王は将に命じて兵を出させ、大いにこれを破った。

秋九月、百官に命じて的門に集まり、車弩を射るのを見させた。

32三十一年 — 四人を将軍とする

三十一年,冬十二月,以角干思恭、伊飡貞宗、允忠、思仁,各爲將軍。

三十一年冬十二月、角干の思恭と伊飡の貞宗・允忠・思仁をそれぞれ将軍とした。

33三十二年 — 渤海を討つ

三十二年,秋七月,唐玄宗以渤海靺鞨,越海入寇登州,遣太僕員外卿金思蘭歸國。仍加授王爲開府儀同三司寧海軍使,發兵撃渤海南鄙。會,大雪丈餘,山路阻隘,士卒死者過半,無功而還。金思蘭本王族,先因入朝,恭而有禮,因留宿衛。及是,委以出疆之任。冬十二月,遣王姪志廉,朝唐謝恩。初,帝賜王白鸚鵡雄雌各一隻及紫羅繍袍、金銀鈿器物、瑞紋錦、五色羅綵共三百餘段。王上表謝曰:「伏惟,陛下,乾象開元,聖文神武,應千齡之昌運,致萬物之嘉祥。風雲所通,咸承至德,日月所照,共被深仁。臣地隔蓬、壺,天慈洽遠,鄕睽華夏,睿澤覃幽。伏覩瓊文,跪披玉匣,含九霄之雨露,帶五彩之鵷鸞。辯慧靈禽,素蒼兩妙,或稱長安之樂,或傳聖主之恩,羅錦彩章,金銀寶鈿,見之者爛目,聞之者驚心。原其獻款之功,實由先祖,錫此非常之寵,延及末孫,微効似塵,重恩如嶽。循涯揣分,何以上酬。」詔饗志廉内殿,賜以束帛。

三十二年秋七月、唐の玄宗は、渤海の靺鞨が海を越えて登州に攻め入ったとして、太僕員外卿の金思蘭を遣わして国に帰らせ、続いて王に開府儀同三司・寧海軍使を加えて、兵を出して渤海の南の辺を討たせた。ちょうど大雪が一丈あまり降り、山道が塞がって、兵の半ば以上が死んだので、功なく帰った。金思蘭はもとより王族であり、先に朝廷に入ったとき恭しく礼があったので、留めて宿衛させていたが、このときに至って境の外に出る任を委ねたのである。

冬十月、王の甥の志廉を遣わして唐に朝させ、恩を謝させた。はじめ皇帝が王に白い鸚鵡の雌雄それぞれ一羽、紫の羅の繍の袍、金銀で飾った器、瑞の文の錦、五色の罽あわせて三百余段を賜ったので、王は表を上して謝した。

「伏して思いますに、陛下は天の姿で時代を開かれ、聖なる文徳と神なる武徳で、千年の昌んな運に応じ、万物の美しい瑞を成されました。風と雲の通うところはみな至徳を承け、日と月の照らすところはともに深い仁を被ります。

臣の地は蓬萊と方壺に隔てられていますが、天の慈しみは遠くまで潤い、郷は中国と離れていますが、明らかな恩沢は幽かなところにまで及びます。伏して玉のような書を見、跪いて玉の匣を開くと、九天の雨と露を含み、五色の鶢と鸞を帯びていました。

よく物を言い賢い神なる鳥は、白いものと青いものとがともに妙で、一つは長安の楽しみを称え、一つは聖なる君の恩を伝えます。錦の彩しい文と金銀の宝の飾りは、見る者の目を眩ませ、聞く者の心を驚かせます。その誠を献じた功を尋ねれば、まことに先祖に由るものですが、この並でない寵みを下されたことは末の子孫にまで及びました。小さな報いは塵のようで、重い恩は山のようですから、端を顧みて分を量ると、何をもって上に報いましょうか。」

詔して志廉に内殿で宴を賜い、束ねた絹を賜った。

34三十三年 — 金忠信が表を上する

三十三年,春正月,敎百官,親入北門奏對。入唐宿衛左領軍衛員外將軍金忠信上表曰:「臣所奉進止,令臣執節,本國發兵馬,討除靺鞨,有事續奏者。臣自奉聖旨,誓將致命。當此之時,爲替人金孝方身亡,便留臣宿衛。臣本國王,以臣久侍天庭,遣使從姪志廉代臣。今已到訖,臣即合還。毎思前所奉進止,無忘夙夜。陛下先有制,加本國王興光寧海軍大使,錫之旌節,以討凶殘,皇威載臨,雖遠猶近,君則有命,臣敢不祗。蠢爾夷俘,計已悔禍,然除惡務本,布憲惟新。故出師義貴乎三捷,縱敵患貽於數代。伏望:陛下因臣還國,以副使假臣,盡將天旨,再宣殊裔。豈惟斯怒益振,固亦武夫作氣,必傾其巢穴,靜此荒隅,遂夷臣之小誠,爲國家之大利。臣等復乘桴滄海,獻捷丹闈,効毛髮之功,答雨露之施,臣所望也。

三十三年春正月、百官に教えて、みずから北門に入って奏し対えさせた。唐に入って宿衛していた左領軍衛員外将軍の金忠信が表を上して言った。

「臣が奉った進止の命は、臣に節を執らせ、本国から兵馬を発して靺鞨を討ち除き、事があれば続いて奏せよというものでした。臣は聖旨を奉って以来、命を致すことを誓いました。

このとき、臣に替わる人の金孝方が身を亡くしたので、そのまま臣を留めて宿衛させました。臣の本国の王は、臣が長く天の庭に侍っているとして、使者として従姪の志廉を遣わし、臣に代わらせました。いますでに到りましたので、臣はただちに還るのが当然です。

常に先に奉った進止の命を思い、夙夜に忘れませんでした。陛下は先に制を設けて、本国の王の興光に寧海軍大使を加え、旌と節を賜って凶残を討たせられました。皇帝の威が載って臨めば、遠くてもなお近く、君に命があれば、臣はあえて祗まないでしょうか。

蠢くあの夷の俘は、計るにすでに禍を悔いたでしょう。しかし悪を除くには本に務めねばならず、憲を布くには新しくあらねばなりません。ゆえに師を出す義は三たび勝つことを貴び、敵を縦す患いは数代に遺します。

伏して望みますに、陛下は臣が国に還る便に、副使の名を臣に仮し、天の旨を尽く持たせて、遠い裔に再び宣べさせてください。どうしてこの怒りがいよいよ振るうだけでしょうか、まことに武夫も気を作し、必ずその巣穴を傾けて、この荒れた隅を静めるでしょう。ついに臣の小さな誠を遂げることが、国家の大きな利となります。

臣らが再び桴に乗って滄海を渡り、丹の闈に捷を献じ、毛髪ほどの功を効し、雨露の施しに答えることが、臣の望むところです。

35三十三年 — 金端竭丹が賀正する

伏惟陛下圖之。」帝許焉。夏四月,遣大臣金端竭丹,入唐賀正。帝宴見於内殿,授衛尉少卿,賜緋襴袍、平漫銀帶及絹六十匹。先時遣王姪志廉謝恩,獻小馬兩匹、狗三頭、金五百兩、銀二十兩、布六十匹、牛黄二十兩、人蔘二百斤、頭髮一百兩、海豹皮一十六張。及是授志廉鴻臚少卿員外置。

伏して思いますに、陛下はこれを図ってください。」皇帝はこれを許した。

夏四月、大臣の金端竭丹を遣わして唐に入り賀正させた。皇帝は内殿で宴して引見し、衛尉少卿を授け、緋の襴の袍・平漫の銀の帯および絹六十匹を賜った。

先に王の甥の志廉を遣わして恩を謝したとき、小さな馬二匹・犬三頭・金五百両・銀二十両・布六十匹・牛黄二十両・人参二百斤・頭髪一百両・海豹の皮十六張を献じた。このときに至って志廉に鴻臚少卿・員外置を授けた。

36三十四年 — 浿江以南の地を受ける

三十四年,春正月,熒惑犯月。遣金義忠入唐賀正。二月,副使金榮在唐身死,贈光祿少卿。義忠廻,勅賜浿江以南地。

三十四年春正月、熒惑が月を犯した。金義忠を遣わして唐に入り賀正させた。二月、副使の金栄が唐で身を死したので、光禄少卿を贈った。義忠が帰るとき、勅して浿江以南の地を賜った。

37三十五年 — 謝する表を上する

三十五年,夏六月,遣使入唐賀正,仍附表陳謝曰:「伏奉恩勅,賜浿江以南地境。臣生居海裔,沐化聖朝,雖丹素爲心,而功無可効,以忠貞爲事,而勞不足賞。陛下降雨露之恩,發日月之詔,錫臣土壤,廣臣邑居,遂使墾闢有期,農桑得所。臣奉絲綸之旨,荷榮寵之深,粉骨糜身,無由上答。」冬十一月,遣從弟大阿飡金相朝唐,死于路。帝深悼之,贈衛尉卿。遣伊飡允忠、思仁、英述,檢察平壤、牛頭二州地勢。狗登在城鼓樓,吠三日。

三十五年夏六月、使者を遣わして唐に入り賀正させ、続いて表を附して謝して言った。

「伏して恩勅を奉り、浿江以南の地境を賜りました。臣は生まれて海の裔に住み、聖なる朝の化に沐しました。丹素を心としたとはいえ、効すべき功はなく、忠貞を事としたとはいえ、労は賞されるに足りません。

陛下は雨露の恩を降し、日月のような詔を発して、臣に土壤を賜り、臣の邑居を広めてくださいました。ついに墾き闢くに期があり、農と桑が所を得るようにしてくださいました。臣は絲綸の旨を奉り、栄寵の深さを荷い、骨を粉にし身を糜しても、上に答える由がありません。」

冬十一月、従弟の大阿飡の金相を遣わして唐に朝させたが、路で死んだ。皇帝は深くこれを悼み、衛尉卿を贈った。伊飡の允忠・思仁・英述を遣わして、平壌と牛頭の二州の地勢を検察させた。犬が在城の鼓楼に登って三日のあいだ吠えた。

38三十六年 — 聖徳王が薨じる

三十六年,春二月,遣沙飡金抱質入唐賀正,且獻方物。王薨。諡曰聖德,葬移車寺南。

三十六年春二月、沙飡の金抱質を遣わして唐に入り賀正させ、またその地の産物を献上させた。王が薨じた。諡を聖徳といい、移車寺の南に葬った。

39三国史記 巻第八

三國史記,第八卷

三国史記 巻第八。