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神武王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 3 · 漢字 306字 · 朗読 1.2分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1神武王が即位する

神武王立,諱祐徴。元聖大王孫均貞上大等之子,僖康王之從弟也。禮徴等既淸宮禁,備禮迎之,即位。追尊祖伊飡禮英,爲惠康大王,考爲成德大王,母朴氏眞矯夫人爲憲穆太后,立子慶膺爲太子。封淸海鎭大使弓福爲感義軍使,食實封二千戸。利弘懼,棄妻子,遁山林,王遣騎士,追捕殺之。秋七月,遣使如唐,遺淄靑節度使奴婢。帝聞之,矜遠人,詔令歸國。王寢疾,夢利弘射中背,既寤,瘡發背。至是月二十三日,薨。諡曰神武,葬于弟兄山西北。

神武王が即位した。諱は祐徴、元聖大王の孫である均貞上大等の子であり、僖康王の従弟である。礼徴らがすでに宮禁を清め、礼を備えてこれを迎えたので、即位した。

祖の伊飡の礼英を恵康大王と、考を成徳大王と追尊し、母の朴氏の真矯夫人を憲穆太后とし、子の慶膺を立てて太子とした。清海鎮の大使の弓福を封じて感義軍使とし、食実封二千戸を与えた。

利弘は懼れて妻子を棄て、山林に遁れたので、王は騎士を遣わして追い捕らえて殺した。

秋七月、使者を唐に遣わして、淄青節度使に奴婢を遺った。皇帝はこれを聞いて遠い人を矜み、詔して国に帰らせた。

王は病んで臥したが、夢に利弘が射て背に中った。覚めると、背に瘡が出た。この月の二十三日に至って薨じた。諡を神武といい、弟兄山の西北に葬った。

夾注 1

一云孝眞。

孝真ともいう。

2史論 — 君を弑して立った者もそのまま書く

論曰:「歐陽子之論曰:『魯桓公,弑隱公而自立者;宣公,弑子赤而自立者;鄭厲公,逐世子忽而自立者;衛公孫剽,逐其君衎而自立者。聖人於《春秋》,皆不絶其爲君,各傳其實,而使後世信之,則四君之罪,不可得而掩耳,則人之爲惡,庶乎其息矣。』羅之彦昇,弑哀莊而即位;金明,弑僖康而即位;祐徴,弑閔哀而即位。今皆書其實,亦《春秋》之志也。」

論じて言う。

欧陽子の論にこうある。「魯の桓公は隠公を弑してみずから立った者、宣公は子赤を弑してみずから立った者、鄭の厲公は世子の忽を逐ってみずから立った者、衛の公孫の剽はその君の衎を逐ってみずから立った者である。聖人は『春秋』において、いずれもその君であることを絶たず、それぞれその実を伝えて後の世に信じさせた。であれば四人の君の罪は掩うことができなくなり、人が悪を為すことはほぼ息むであろう。」

新羅の彦昇は哀荘を弑して即位し、金明は僖康を弑して即位し、祐徴は閔哀を弑して即位した。いまいずれもその実を書くのは、これもまた『春秋』の志である。

3三国史記 巻第十

三國史記,第十卷

三国史記 巻第十。