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企羨世説新語 企羡第十六

世説新語(世に語られた新しい話) 世說新語 · 劉義慶 編 · 劉孝標 注 · 南朝・宋(5世紀)· 梁の劉孝標の注 · 段落 6 · 漢字 244字 · 朗読 1.0分

世説新語(世に語られた新しい話) 「日は遠いです。人が日のそばから来たという話を聞いたことがありませんから、それで分かります」 — 幼い子が父の膝で言った答えである。翌日もう一度問われると「日は近いです。目を上げれば日は見えますが、長安は見えません」と答えた。後漢の末から東晋まで二百余年、人びとが交わした言葉と身ぶりだけを三十六の類に分けて集めた。徳行・言語・政事・文学から始まり、奢り・怒り・妬み・仇まで下るので、称えるべきものと責めるべきものを同じ重さに置いたことになる。竹林の七人が現れ、王羲之が婿に選ばれ、雪の降る夜に舟を漕いで友の家の前まで行き、興が尽きたと言って帰る。一片はおおむね三、四行、長くても一頁を越えない。劉孝標が百余種の書を引いて付けた注は、それらの書がほとんど失われた今、かえって本文より長く残った。

1阿龍はほんとうに自ずと抜きん出ている

王丞相拜司空,桓廷尉作兩髻、葛帬、策杖,路邊窺之,歎曰:「人言阿龍超,阿龍故自超。」不覺至臺門。

王丞相が司空に任ぜられたとき、桓廷尉は髻を二つに結い、葛の裳を着て杖をつき、路のそばからこれを覗いて嘆じた。

「人は阿龍が抜きん出ていると言うが、阿龍はほんとうに自ずと抜きん出ている。」

気づかないうちに台の門まで来てしまった。

夾注 1

阿龍,丞相小字。

阿龍は丞相の幼名である。

2ただ、あのころがもう得られないことを思うだけだ

王丞相過江,自說昔在洛水邊,數與裴成公、阮千里諸賢共談道。羊曼曰:「人久以此許卿,何須復爾?」王曰:「亦不言我須此,但欲爾時不可得耳!」

王丞相が江を渡ってきてから、自ら語って、昔は洛水のほとりで、しばしば裴成公や阮千里ら諸々の賢人とともに道を談じたと言った。

羊曼が言った。「人は久しくそのことであなたを認めているのに、どうしてまた繰り返される必要がありますか。」

王丞相は言った。「私がこれを必要としていると言うのではない。ただ、あのころがもう得られないことを思うだけだ。」

夾注 1

欲,一作歎。

欲は、一本では歎となっている。

3蘭亭集序を金谷詩序に並べたので、ひどく喜ぶ色があった

王右軍得人以《蘭亭集序》方《金谷詩序》,又以已敵石崇,甚有欣色。

王右軍は、人が「蘭亭集序」を「金谷詩序」に並べ、また自分を石崇に匹敵させてくれたので、ひどく喜ぶ色があった。

夾注 1

王羲之《臨河敘》曰:「永和九年,歲在癸丑,莫春之初,會于會稽山陰之蘭亭,修禊事也。群賢畢至,少長咸集。此地有崇山峻嶺,茂林修竹。又有清流激湍,映帶左右。引以為流觴曲水,列坐其次。是日也,天朗氣清,惠風和暢,娛目騁懷,信可樂也。雖無絲竹管絃之盛,一觴一詠,亦足以暢敘幽情矣。故列序時人,錄其所述。右將軍司馬太原孫丞公等二十六人,賦詩如左,前餘姚令會稽謝勝等十五人,不能賦詩,罰酒各三斗。」

王羲之の「臨河叙」に言う、「永和九年、歳は癸丑に在る晩春の初め、会稽山陰の蘭亭に会して、禊の事を修めた。多くの賢人がことごとく至り、若い者も年長の者も皆集まった。この地には高い山と険しい嶺、茂った林と長い竹があり、また清らかな流れと激しい瀬があって、左右に映り巡っている。それを引いて觴を流す曲水とし、その順に並んで座った。この日は空が晴れて気は清く、恵みの風は和やかで爽やかで、目を楽しませ思いを馳せて、まことに楽しむに足りた。糸や竹、管や弦の盛んなさまはなかったが、一杯の酒に一つの詠があって、やはり奥深い情を述べるに十分であった。そこで当時の人を並べ記し、その述べたところを録する。右将軍司馬、太原の孫丞公ら二十六人が詩を賦したのは左のとおりで、さきの余姚令、会稽の謝勝ら十五人は詩を賦すことができず、罰の酒をそれぞれ三斗飲んだ。」

4淵源がいま着いたばかりですから、なお数日ともに過ごすことを貪りたいのです

王司州先為庾公記室參軍,後取殷浩為長史。始到,庾公欲遣王使下都。王自啟求住曰:「下官希見盛德,淵源始至,猶貪與少日周旋。」

王司州は先に庾公の記室参軍となっていたが、のちに殷浩を取って長史とした。

着いたばかりのころ、庾公は王司州を使いとして都に下らせようとした。

王司州は自ら申し上げて留まることを願い、言った。「下官は盛んな徳に会うことがまれなのに、淵源がいま着いたばかりですから、なお数日ともに過ごすことを貪りたいのです。」

5郗嘉賓は人が自分を苻堅に比べてくれて大いに喜ぶ

郗嘉賓得人以己比符堅,大喜。

郗嘉賓は、人が自分を苻堅に比べてくれたので、大いに喜んだ。

6これはまことに神仙の中の人だ

孟昶未達時,家在京口。嘗見王恭乘高輿,被鶴氅裘。于時微雪,昶於籬間窺之,歎曰:「此真神仙中人!」

孟昶がまだ世に出ていなかったとき、家は京口にあった。

かつて王恭が高い輿に乗り、鶴の毛の上着をまとっているのを見た。

そのとき雪が少し降っていたが、孟昶は垣の間からこれを覗いて嘆じた。「これはまことに神仙の中の人だ。」

夾注 1

《晉安帝紀》曰:「昶字彥達,平昌人。父馥,中護軍。昶矜嚴有志局,少為王恭所知。豫義旗之勳,遷丹陽尹。盧循既下,昶慮事不濟,仰藥而死。」

『晋安帝紀』に言う、「孟昶は字は彦達、平昌の人である。父の孟馥は中護軍である。孟昶は誇り高く厳しく志と器量があって、若くして王恭に知られた。義の旗の功に加わり、丹陽尹に移った。盧循がすでに下ってくると、孟昶は事が成らないことを憂えて、薬を仰いで死んだ。」