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衛満朝鮮衛滿朝鮮

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 4 · 漢字 636字 · 朗読 2.5分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 紀異 第1 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1千余人を集めて浿水を渡る

魏滿朝鮮前漢朝鮮傳云,“自始燕時常畧得真畨·朝鮮〔師古曰,“戦國時燕因始畧得此地也.”〕爲置吏築障.秦滅燕屬遼東外徼.漢興爲逺難守,復修遼東故塞至浿水爲界〔師古曰“浿在樂浪郡.”〕屬燕.燕王盧綰反入凶奴,燕人衛滿亡命聚黨千餘人,東走出塞渡浿水居秦故空地上下障.稍伇屬真畨·朝鮮蠻夷及故燕·齊亡命者,王之都王儉〔李曰地名,臣讃曰“王倹城在樂浪郡浿水之東.”〕.以兵威侵降其旁小邑,真畨·臨屯皆来服屬方數千里.

衛満朝鮮。

『前漢書』「朝鮮伝」に次のように言う。

「はじめ燕の時から、つねに真番と朝鮮を攻め取り〔師古が言うには、戦国時代に燕がはじめてこの地を得たのだという。〕、役人を置いて砦を築いた。

秦が燕を滅ぼすと、遼東の外の辺境に属した。

漢が興ると、遠くて守りにくいとして、ふたたび遼東の古い砦を修め、浿水までを境として〔師古が言うには、浿水は楽浪郡にあるという。〕燕に属させた。

燕王の盧綰が背いて匈奴に入ると、燕の人衛満が亡命して千余人の徒党を集め、東へ走って砦を出て浿水を渡った。

秦の時の空き地の上下の砦に住み、次第に真番と朝鮮の蛮夷、および旧燕・旧斉から亡命した者たちを使って服属させ、その王となって王倹に都した。〔李奇は地名だと言い、臣瓚は王倹城が楽浪郡の浿水の東にあると言った。〕

兵の威をもってそのかたわらの小さな邑を攻めて降らせると、真番と臨屯がみな来て服属し、四方数千里となった。」

夾注 3

師古曰, “戦國時燕因始畧得此地也.”

師古が言うには、戦国時代に燕がはじめてこの地を得たのだという。

師古曰 “浿在樂浪郡.”

師古が言うには、浿水は楽浪郡にあるという。

李曰地名, 臣讃曰 “王倹城在樂浪郡浿水之東.”

李奇は地名だと言い、臣瓚は王倹城が楽浪郡の浿水の東にあると言った。

2使者を殺して起こった戦い

傳子至孫右渠,〔師古曰“孫名右渠.”〕真畨·辰國欲上書見天子雍閼不通.〔師古曰“辰謂辰韓也.”〕元封二年漢使渉何諭右渠,終不肯奉詔.何去至界臨浿水,使馭刺殺送何者朝鮮裨王長〔師古曰送何者名也〕,即渡水馭入塞遂歸報.天子拜何爲遼東之部都尉.朝鮮㤪何襲攻殺何.天子遣楼舡將軍楊僕從齊浮渤海兵五万.左將軍荀彘岀遼討右渠,右渠發兵距嶮.樓舡將軍將齊七千人先到王倹.右渠城守䂓知樓舡軍小即出擊樓舡,樓舡敗走.僕失衆遁山中獲免.左將軍擊朝鮮浿水西軍未能破.

子に伝え、孫の右渠に至った。〔師古が言うには、孫の名は右渠だという。〕

真番と辰国が書を上げて天子にまみえようとしたが、さえぎって通じさせなかった。〔師古が言うには、辰は辰韓をいうという。〕

元封二年、漢の使者渉何が右渠を諭したが、ついに詔を奉じようとしなかった。

渉何が去って境に至り浿水に臨むと、御者に命じて自分を送ってきた朝鮮の裨王長を刺し殺させ〔師古が言うには、渉何を送った者の名だという。〕、ただちに水を渡って砦に入り、そのまま帰って報告した。

天子は渉何を遼東の東部都尉とした。

朝鮮は渉何を恨み、襲って殺した。

天子は楼船将軍楊僕を遣わし、斉から渤海を渡らせた。兵は五万であった。

左将軍荀彘は遼東から出て右渠を討ったが、右渠は兵を出して険しい地を守った。

楼船将軍は斉の兵七千を率いて先に王倹に至った。

右渠は城を守っていたが、楼船の軍が少ないと知るとすぐに出て攻めたので、楼船は敗れて逃げた。

楊僕は兵を失い、山の中に隠れてかろうじて難を免れた。

左将軍は朝鮮の浿水の西の軍を攻めたが、破ることができなかった。

夾注 3

師古曰 “孫名右渠.”

師古が言うには、孫の名は右渠だという。

師古曰 “辰謂辰韓也.”

師古が言うには、辰は辰韓をいうという。

師古曰送何者名也

師古が言うには、渉何を送った者の名だという。

3太子が川を渡らずに帰る

天子爲兩將未有利,乃使衛山因兵威徃諭右渠,右渠請降遣太子獻馬.人衆万餘持兵方渡浿水,使者及左將軍疑其爲變謂太子,‘已服冝毋持兵.’太子亦疑使者詐之遂不渡浿水復引歸.報天子誅山.左將軍破浿水上軍,迺前至城下圍其西北.樓舡亦徃㑹居城南.右渠堅守數月未能下.

天子は二人の将軍に戦果がないとして、衛山を遣わし、兵の威をもって行って右渠を諭させた。

右渠は降伏を願い、太子を遣わして馬を献じさせた。

人は一万余りで、武器を持ったまま浿水を渡ろうとしたので、使者と左将軍はこれが変事を起こすのではないかと疑い、太子に言った。

「すでに服したのだから、武器を持つべきではない。」

太子もまた使者が自分を欺くのではないかと疑い、ついに浿水を渡らず、ふたたび引き返した。

天子に報告すると、衛山を斬った。

左将軍は浿水の上の軍を破り、そこで前に進んで城の下に至り、その西北を囲んだ。

楼船もまた行って合流し、城の南に陣した。

右渠は固く守り、数か月たっても陥れることができなかった。

4臣下たちが降伏を謀る

天子以久不能决使故濟南太守公孫遂徃正之,有便冝將以從事.遂至縛樓舡將軍并其軍與左將軍急擊朝鮮.朝鮮相路人·相韓陶·尼谿相參·將軍王唊〔師古曰“尼谿地名四人也.”〕相與謀欲降,王不肯之.陶·唊·路人皆亡降漢,路人道死.元封三年夏尼谿相參使人殺王右渠来降,王倹城未下故右渠之大臣成己又反.左將軍使右渠子長·路人子最告諭其民,謀殺成己故遂定朝鮮爲真畨·臨屯·樂浪·玄菟四郡.”

天子は長く決着がつかないので、もとの済南太守公孫遂を遣わしてこれを正させ、便宜に従って事を処理させた。

公孫遂が至ると楼船将軍を縛り、その軍を併せて左将軍とともに朝鮮を急襲した。

朝鮮の相の路人、相の韓陶、尼谿の相の参、将軍の王唊が〔師古が言うには、尼谿は地名で、これらは四人だという。〕互いに謀って降ろうとしたが、王はこれを受け入れなかった。

韓陶・王唊・路人はみな逃げて漢に降ったが、路人は道で死んだ。

元封三年の夏、尼谿の相の参が人を使って王右渠を殺し、来て降った。

王倹城はまだ陥ちていなかったので、右渠の大臣成己がまた背いた。

左将軍は右渠の子の長と路人の子の最を使ってその民を諭し、成己を殺すよう謀らせた。

そのため、ついに朝鮮を平定して真番・臨屯・楽浪・玄菟の四郡とした。

夾注 1

師古曰 “尼谿地名四人也.”

師古が言うには、尼谿は地名で、これらは四人だという。