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順道が高句麗を開く順道肇麗

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 3 · 漢字 239字 · 朗読 1.0分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 興法 第3 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1はじめに

順道肇麗〔道公之次亦有法深·義淵·曇嚴之流相継而興教.然古傳無文,今亦不敢編次.詳見僧傳.〕

順道が高句麗を開く

〔順道の後にも法深・義淵・曇厳のような人々が相次いで教えを興した。しかし古い伝記に記述がないので、今はあえて順を立てない。詳しくは『僧伝』に見える。〕

夾注 1

道公之次亦有法深·義淵·曇嚴之流相継而興教. 然古傳無文, 今亦不敢編次. 詳見僧傳.

順道の後にも法深・義淵・曇厳のような人々が相次いで教えを興した。しかし古い伝記に記述がないので、今はあえて順を立てない。詳しくは『僧伝』に見える。

2高句麗に仏法が初めて入る

髙麗夲記云小獸林王即位二年壬申,乃東晉咸安二年,孝武帝即位之年也,前䄅符堅遣使及僧順道送佛像經文〔時堅都關中即長安.〕.又四年甲戌阿道來自晉.明年乙亥二月創肖門寺以置順道,又創伊弗蘭寺以置阿道.此髙麗佛法之始.僧傳作二道來自魏云者誤矣.實自前秦而來.又云肖門寺今興國,伊弗蘭寺今興福者亦誤.按麗時都安市城,一名安丁忽在遼水之北,遼水一名鴨渌今云安民江.豈有松京之興國寺名.

「高麗本記」にこう言う —

小獣林王の即位二年壬申の年は、すなわち東晋の咸安二年で、孝武帝が即位した年である。前秦の苻堅が使者と僧の順道を遣わし、仏像と経文を送ってきた。〔そのとき苻堅は関中に都していた。すなわち長安である。〕

また四年甲戌の年に阿道が晋から来た。翌年の乙亥の年二月に肖門寺を建てて順道を住まわせ、また伊弗蘭寺を建てて阿道を住まわせた。これが高句麗の仏法の始まりである。

『僧伝』に二人の僧が魏から来たとするのは誤りである。実は前秦から来たのである。

また肖門寺が今の興国寺、伊弗蘭寺が今の興福寺だとするのも誤りである。調べてみると、高句麗の時代には安市城に都しており、一名を安丁忽といって遼水の北にある。遼水は一名を鴨緑といい、今は安民江という。どうして松京の興国寺という名があろうか。

夾注 1

時堅都關中即長安.

そのとき苻堅は関中に都していた。すなわち長安である。

3讃えて言う

讃曰.鴨渌春深渚草鮮,白沙鷗鷺等閑眠,忽驚柔櫓一聲逺.何處漁舟客到烟.

讃えて言う。

鴨緑江に春は深く、汀の草は鮮やかなのに 白砂の鴎や鷺はのびやかに眠っている ふと柔らかな櫓の音ひとつに遠くから驚けば どこから来た漁り舟か、旅人が霧の中に着いたのだ