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生義寺の石の弥勒生義寺石彌勒

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 1 · 漢字 121字 · 朗読 0.5分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 塔像 第4 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1夢が示した所を掘ると石の弥勒が出る

善徳王時釋生義常住道中寺.夢有僧引上南山而行令結草爲標,至山之南洞謂曰,“我埋此處,請師出安嶺上.”旣覺與友人尋所標至其洞掘地,有石弥勒出,置於三花嶺上.善徳王十二年甲辰歳創寺而居,後名生義寺.〔今訛言性義寺.忠淡師每歳重三重九烹茶献供者,是此尊也.〕

善徳王の時、僧の生義(しょうぎ)は常に道中寺にいた。

夢にある僧が彼を導いて南山に登り、草を結んで印をつけさせた。山の南の洞に至って言った。「私がここに埋まっているので、師はどうか取り出して嶺の上に安置してください。」

覚めてから友人とともに印をつけた所を尋ね、その洞に至って地を掘ると、石の弥勒が出た。これを三花嶺の上に安置した。

善徳王十二年甲辰の年に寺を建てて住んだので、後に生義寺と名づけた。〔今は訛って性義寺という。忠談師が毎年、三月三日と九月九日に茶を煮て献じていたのが、まさにこの尊である。〕

夾注 1

今訛言性義寺. 忠淡師每歳重三重九烹茶献供者, 是此尊也.

今は訛って性義寺(せいぎじ)という。忠談師が毎年、三月三日と九月九日に茶を煮て献じていたのが、まさにこの尊である。