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鍪蔵寺の弥陀殿鍪藏寺彌陀殿

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 3 · 漢字 316字 · 朗読 1.3分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 塔像 第4 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1深い谷に立つ寺

亰城之東北二十許里暗谷村之北有鍪藏寺.第三十八元聖大王之考大阿干孝讓,追封明徳大王之爲叔父波珎喰追崇所創也.幽谷逈絶類似削成,所寄㝠奥自生虛白,乃息心樂道之霊境也.

都の東北二十里ほど、暗谷村の北に鍪蔵寺がある。

第三十八代元聖大王の父である大阿干孝譲、すなわち明徳大王と追封された人が、叔父の波珍飡を顕彰して建てたものである。

深い谷がはるかに切れて削り立てたようであり、構えた場所が奥深く静かで、おのずから明るく澄んだ気が生じるので、心を休め道を楽しむにふさわしい霊妙な地である。

2王后が先立った王のために弥陀像を造る

寺之上方有弥陁古殿,乃昭成〔一作聖.〕大王之妃桂花王后爲大王先逝,中宫乃充充焉皇皇焉,哀戚之至泣血棘心.思所以幽賛明休光啓玄福者.聞西方有大聖曰弥陁,至誠歸仰則善救來迎,“是真語者豈欺我㦲.”乃捨六衣之盛服,罄九府之貯財,召彼名匠教造弥陁像一軀,并造神衆以安之.

寺の上の方に古い弥陀殿がある。

昭成大王〔昭聖とも書く。〕の妃桂花王后は、大王が先に世を去ると、中宮にあってうろたえ落ち着かず、悲しみのきわみに血の涙を流し、心は棘に刺されたようであった。

ひそかに大王を助けて明るい福を開く道を思いめぐらしていたところ、西方に大聖があって弥陀といい、至誠をもって仰げばよく救って迎えてくださる、と聞いた。

「これは真実の言葉である。どうして私を欺くことがあろうか。」

そこで六種の盛装を投げ出し、九つの倉に蓄えた財をことごとく傾けて、名高い工匠を召して弥陀像一軀を造らせ、あわせて神衆も造って安置した。

夾注 1

一作聖.

昭聖とも書く。

3兜を埋めた谷という名

先是,寺有一老僧,忽夢真人坐於石塔東南岡上向西爲大衆說法,意謂此地必佛法所住也,心秘之而不向人說.嵓石巉崪流澗激迅,匠者不顧咸謂不臧.及乎辟地乃得平坦之地可容堂宇宛似神基,見者莫不愕然稱善.近古來殿則壞圮而寺獨在.諺傳,太宗統三已後藏兵鍪於谷中,因名之.

これより先、寺に一人の老僧がいたが、ふと夢に真人が石塔の東南の丘の上に座り、西に向かって大衆に法を説くのを見た。

この地はきっと仏法の住まる所であろうと思ったが、心に秘めて人には語らなかった。

岩は険しく谷川の流れは激しく、工匠たちは振り向きもせず、みなよくないと言った。

ところが地を開いてみると平坦な地を得て、堂宇を入れるに足り、まさに神霊の基のようであった。見る者はみな驚いて、よいと言わぬ者はなかった。

近ごろになって殿は崩れたが、寺だけは残っている。

世に伝えるところでは、太宗が三国を合わせた後に兵器と兜を谷の中に埋めたので、そう名づけたのだという。