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序文序

北史 四夷伝(北史に記された四方の異民族の記録) 北史 四夷傳 · 李延寿 · 659年(唐・顕慶4年) · 段落 2 · 漢字 378字 · 朗読 1.5分

北史 四夷伝(北史に記された四方の異民族の記録) 全一巻 北朝の四王朝が見た東方。卵から生まれた朱蒙神話の完全な姿、長寿王百年の外交(婚姻の話と娘の死)、蓋鹵王の表文、そして勿吉・契丹・室韋・流求・倭まで十四の枝 — 隋の煬帝の滅亡を「徳を広げる者は栄え、土地を広げる者は滅びる」と結んでいる。

1諸夏と荒裔

蓋天地之所覆載至大,日月之所照臨至廣。萬物之內,生靈寡而禽獸多;兩儀之間,中土局而殊俗曠。人寓形天地,稟氣陰陽,愚智本于自然,剛柔系於水土。故霜露所會,風氣所通,九川爲紀,五嶽作鎮,此之謂諸夏,生其地者,則仁義所出;昧穀嵎夷,孤竹北戶,限以丹徼紫塞,隔以滄海交河,此之謂荒裔,感其氣者,則凶德行稟。若夫九夷、八狄,種落繁熾,七戎、六蠻,充牣邊鄙,雖風土殊俗,嗜欲不同,至於貪而無厭,狠而好亂,強則旅拒,弱則稽服,其揆一也。

およそ天地が覆い載せるものは極めて大きく、日月が照らし臨むところは極めて広い。万物のうち生きた魂を持つものは少なく、鳥や獣は多い。天地の間で中土(中原)は狭く、風俗を異にする土地は広い。人は天地にその形を宿し、陰陽から気を受けるので、愚かさと賢さは自然に根ざし、剛さと柔らかさは水と土につながれている。だから霜と露が集まり、風の気が通い、九つの川が綱となり、五つの大山が鎮めとなる地、これを諸夏と呼び、その土地に生まれた者から仁と義が出る。昧谷と嵎夷、孤竹と北戸は、南の砦と北の塞で区切られ、青い海と交河で隔てられている。これを荒裔と呼び、その気に感じた者は凶なる徳を受ける。そもそも九夷・八狄は部族が盛んに栄え、七戎・六蛮は辺境に満ちている。風土も風俗も違い、好み求めるものも同じではないが、貪って飽きることがなく、荒々しくて乱を好み、強ければ群れて抗い、弱ければ頭を垂れて服従するという点では、その筋道は一つである。

2四夷伝を編む

秦皇鞭笞天下,黷武于遐方;漢武士馬強盛,肆志於遠略。匈奴已卻,其國乃虛;天馬既來,其人亦困。是知雁海龍堆,天所以絕夷夏也;炎方朔漠,地所以限內外也。況乎時非秦、漢,志甚嬴、劉,逆天道以求其功,殫人力而從所欲,顛墜之釁,固不旋踵。是以先王設教,內諸夏而外夷狄;往哲垂範,美樹德而鄙廣地。雖禹跡之東漸西被,不過海及流沙;《王制》之自北徂南,裁猶穴居交趾。豈非道貫三古,義高百代者乎!自魏至隋,市朝屢革,其四夷朝享,亦各因時。今各編次,備《四夷傳》云。

秦の始皇帝は天下を鞭打ち、遠い地方でみだりに武を用いた。漢の武帝は兵と馬が強盛で、遠征の計略に思うままの志を放った。匈奴が退くと自国は空になり、天馬が来ると民もまた困窮した。これによって知られる。雁海と龍堆は、天が夷と夏を断ち切った理由であり、炎暑の南方と北の砂漠は、地が内と外の境を定めた理由である。まして時代は秦でも漢でもないのに、志は嬴政や劉徹より甚だしく、天の道に逆らって功を求め、人の力を使い尽くして思いのままにするなら、覆り落ちる災いはまことに踵を返すほどの間に来る。そこで先王が教えを立てるときは諸夏を内とし夷狄を外とし、昔の賢人が模範を示すときは徳を植えることを美しいとし、土地を広げることを卑しいとした。禹の足跡は東に広がり西に及んだが、海と流沙を越えることはなかった。『王制』の記す北から南までも、わずかに穴居と交趾にとどまる。これこそ道が三古を貫き、義が百代に高いということではないか。魏から隋まで、市も朝廷も何度も変わり、四夷の朝見と朝貢もそれぞれ時に応じた。今それぞれを編み並べて『四夷伝』を備える。