いにしえの文 › 北史 四夷伝(北史に記された四方の異民族の記録) › 全一巻

室韋

北史 四夷伝(北史に記された四方の異民族の記録) 北史 四夷傳 · 李延寿 · 659年(唐・顕慶4年) · 段落 9 · 漢字 883字 · 朗読 3.5分

北史 四夷伝(北史に記された四方の異民族の記録) 全一巻 北朝の四王朝が見た東方。卵から生まれた朱蒙神話の完全な姿、長寿王百年の外交(婚姻の話と娘の死)、蓋鹵王の表文、そして勿吉・契丹・室韋・流求・倭まで十四の枝 — 隋の煬帝の滅亡を「徳を広げる者は栄え、土地を広げる者は滅びる」と結んでいる。

1室韋への道

室韋國,在勿吉北千里,去洛陽六千里。「室」或爲「失」,蓋契丹之類,其南者爲契丹,在北者號爲失韋。路出和龍千餘里,入契丹國,又北行十日至啜水,又北行三日有善水,又北行三日有犢了山,其山高大,周回三百里。又北行三百餘里,有大水名屈利,又北行三日至刃水,又北行五日到其國。有大水從北而來,廣四里餘,名㮈水。國土下濕,語與庫莫奚、契丹、豆莫婁國同。頗有粟、麥及穄。夏則城居,冬逐水草,多略貂皮。丈夫索發,用角弓,其箭尤長。女婦束發作叉手髻。其國少竊盜,盜一征三;殺人者責馬三百匹。男女悉衣白鹿皮襦袴。有曲,釀酒。俗愛赤珠,爲婦人飾,穿掛於頸,以多爲貴。女不得此,乃至不嫁。父母死,男女衆哭三年,屍則置於林樹之上。

室韋国は勿吉の北千里にあり、洛陽から六千里である。「室」は「失」とも書く。おおかた契丹の類で、南にある者が契丹、北にある者を失韋と呼ぶ。道は和龍から千余里出て契丹国に入り、さらに北へ十日行くと啜水に至り、さらに北へ三日行くと善水があり、さらに北へ三日行くと犢了山がある。その山は高く大きく、周囲三百里である。さらに北へ三百余里行くと、屈利という大きな川があり、さらに北へ三日行くと刃水に至り、さらに北へ五日行くとその国に着く。大きな川が北から流れてきて、広さは四里余り、㮈水という。国の土地は低く湿っていて、言葉は庫莫奚・契丹・豆莫婁国と同じである。粟・麦と穄がかなりある。夏は城に住み、冬は水と草を追い、貂の皮を多く産する。男は髪を垂らし、角弓を用い、その矢はとりわけ長い。女は髪を束ねて二つに分けた髻を結う。その国には盗みが少なく、一つ盗めば三つを取り立て、人を殺した者には馬三百匹を責める。男女はみな白い鹿の皮の襦と袴を着る。麹があって酒を醸す。風俗では赤い玉を愛し、婦人の飾りとして、糸を通して首に掛け、多いほど貴いとするので、女はこれを得られないと嫁げないまでである。父母が死ぬと、男女が群れて三年哭し、屍は林の樹の上に置く。

2張烏豆伐の朝貢

武定二年四月,始遣使張烏豆伐等獻其方物。迄武定末,貢使相尋。及齊受東魏禪,亦歲時朝聘。

武定二年四月、はじめて使いの張烏豆伐らを遣わしてその方物を献じた。武定の末まで、貢ぎの使いが相次いだ。斉が東魏の禅譲を受けてからも、季節ごとに朝し聘した。

3五つの部

其後分爲五部,不相總一,所謂南室韋、北室韋、缽室韋、深末怛室韋、大室韋,並無君長。人貧弱,突厥以三吐屯總領之。

その後、五つの部に分かれて互いに統べられず、いわゆる南室韋・北室韋・鉢室韋・深末怛室韋・大室韋で、いずれも君長がない。人は貧しく弱いので、突厥は三人の吐屯をもってこれを総べ領した。

4南室韋

南室韋在契丹北三千里,土地卑濕,至夏則移向北。貸勃、欠對二山多草木,饒禽獸,又多蚊蚋,人皆巢居,以避其患。漸分爲二十五部,每部有餘莫弗瞞咄,猶酋長也。死則子弟代之,嗣絕則擇賢豪而立之。其俗,丈夫皆被髮,婦女盤發,衣服與契丹同。乘牛車,以蘧蒢爲屋,如突厥氈車之狀。度水則束薪爲栰,或有以皮爲舟者。馬則織草爲韉,結繩爲轡。匡寢則屈木爲室,以蘧蒢覆上,移則載行。以豬皮爲席,編木爲藉,婦女皆抱膝坐。氣候多寒,田收甚薄。無羊,少馬,多豬、牛。與靺鞨同俗,婚嫁之法,二家相許竟,輒盜婦將去,然後送牛馬爲聘,更將婦歸家,待有孕,乃相許隨還舍。婦人不再嫁,以爲死人之妻,難以共居。部落共爲大棚,,人死則置其上。居喪三年,年唯四哭。其國無鐵,取給於高麗。多貂。

南室韋は契丹の北三千里にあり、土地が低く湿っているので、夏になると北へ移る。貸勃と欠対の二つの山は草木が多く、鳥や獣が豊かだが、また蚊や蚋が多いので、人はみな樹の上に巣のように住んで、その患いを避ける。次第に分かれて二十五の部となり、部ごとに餘莫弗瞞咄があって、酋長のようなものである。死ぬと子弟が代わり、嗣ぎが絶えれば賢く豪なる者を選んで立てる。その風俗は、男はみな髪を解き放ち、女は髪を巻き上げ、衣服は契丹と同じである。牛車に乗り、蘧蒢(むしろ)で屋根とし、突厥の氈の車のような形である。水を渡るときは薪を束ねて筏とし、皮で舟を作る者もある。馬には草を織って鞍敷きとし、縄を結んで手綱とする。寝るときは木を曲げて室を作り、蘧蒢を上に覆い、移るときは載せて行く。豬の皮を席とし、木を編んで敷物とし、女はみな膝を抱えて坐る。気候は寒いことが多く、田の収穫ははなはだ薄い。羊はおらず、馬は少なく、豬と牛が多い。靺鞨と風俗が同じで、婚姻の法は、二つの家が互いに許し合うと、すぐに嫁を盗んで連れ去り、そののちに牛と馬を贈って聘とし、改めて嫁を女の家に帰し、身ごもるのを待って、ともに許して夫の家へ還る。婦人は再び嫁がない。死んだ人の妻とは、ともに住みがたいと考えるからである。部落は共同で大きな棚を作り、人が死ぬとその上に置く。喪に居ること三年、年にただ四度哭する。その国に鉄はなく、高麗から取って用いる。貂が多い。

5北室韋

南室韋北行十一日至北室韋,分爲九部落,繞吐紇山而居。其部落渠帥號乞引莫賀咄。每部有莫何弗三人以貳之。氣候最寒,雪深沒馬。冬則入山居土穴,土畜多凍死。饒麞鹿,射獵爲務,食肉衣皮,鑿冰沒水中而網取魚鱉。地多積雪,懼陷坑阱,騎木而行,亻答即止。皆捕貂爲業,冠以狐貂,衣以魚皮。

南室韋から北へ十一日行くと北室韋に至る。九つの部落に分かれ、吐紇山を囲んで住む。その部落の長を乞引莫賀咄と号する。部ごとに莫何弗三人があってこれを副える。気候は最も寒く、雪は馬が隠れるほど深い。冬には山に入って土の穴に住み、家畜は凍え死ぬものが多い。麞と鹿が豊かで、射と狩りを務めとし、肉を食い皮を着る。氷を割って水の中に入り、網で魚や亀を取る。土地は雪が多く積もって、落とし穴に陥ることを懼れ、木に乗って行く。みな貂を捕ることを生業とし、狐や貂で冠とし、魚の皮で衣とする。

6鉢室韋

又北行千里至缽室韋,依胡布山而住,人衆多北室韋,不知爲幾部落。用樺皮蓋屋,其餘同北室韋。

さらに北へ千里行くと鉢室韋に至り、胡布山に拠って住む。人の数は北室韋より多いが、いくつの部落かはわからない。樺の皮で屋根を覆い、そのほかは北室韋と同じである。

7深末怛室韋

從缽室韋西南四日行,至深末怛室韋,因水爲號也。冬月穴居,以避太陰之氣。

鉢室韋から西南へ四日行くと深末怛室韋に至る。川の名によって号したものである。冬の月は穴に住み、きわめて冷たい気を避ける。

8大室韋

又西北數千里至大室韋,徑路險阻,言語不通。尤多貂及青鼠。

さらに西北へ数千里行くと大室韋に至る。道は険しく阻まれ、言葉が通じない。貂と青鼠がとりわけ多い。

9北室韋の朝貢

北室韋時遣使貢獻,餘無至者。

北室韋は時おり使いを遣わして貢ぎ献じたが、ほかに来た者はない。