いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻1

春に眺める春望賦

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 491字 · 朗読 4.6分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻1 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

欣麗日之方酣。聊登高以游目。穀雨始晴兮。濯濯樹容之新沐。遠水蕩漾。麴塵浮綠。鳩鳴拂羽。鸎集珍木。衆花敷兮錦幛張。雜以靑林兮。一何斑駮。草芊𮐊兮碧滋。牛布野兮散牧。女執筐兮採稚。桑援柔枝兮手如玉。俚歌相和。何譜何曲。行者坐者去者復者。感陽煕煕。其氣可掬。鬱予望之止玆。何區區而齪齪。有若丹禁日長。萬機多簡。感韶光之駘蕩。時登覽乎飛觀。羯鼓聲高。紅杏齊綻。望神州之麗景。宸歡洽兮玉觴滿。此則春望之富貴也。彼王孫與公子。結豪友以尋芳。後乘載妓。茜袂紅裳。隨所駐兮鋪筵。吹瑤管兮吸玉簧。望紅綠之如織。擡醉眼以倘佯。此則春望之奢華也。有美婦人兮守空閨。別宕子兮千里。恨音塵之迢遞。情搖搖其若水。望漆鷰之雙飛。倚雕櫳而流淚。此則春望之哀怨也。故人遠遊兮送將行。雨浥輕塵兮柳色靑。三疊歌闋。別馬嘶鳴。登崇丘兮望行色。煙花掩苒兮蕩淸。此則春望之別恨也。至若征夫邈寄乎關山。見邊草之再榮。逐客南遷乎湘水。望靑楓之冥冥。莫不翹首延佇。抱恨怦怦。此則春望之羈離也。吾知夫夏之望兮拘於蒸暑。秋專蕭瑟。冬苦凝閉。玆三者之偏兮。若昧變而一泥。唯此春望。隨物因勢。或望而和懌。或望而悲悷。或望而歌。或望而涕。各觸類以感人兮。紛萬端與千緖。若隴西子者何爲哉。醉而望也樂。醒而望也哀。窮而望則雲霧塞。達而望則天日開。可以喜則喜。可以悲則悲。誠能遇境沿機。與物推移。而不可以一揆測知者乎。

美しい日がたけなわであることを喜んで、ともかく高い所に登って目を遊ばせる。穀雨にはじめて晴れると、さっぱりとした木の姿が新しく湯浴みしたようである。遠い水はゆらゆらと揺れ、麹色の塵が緑に浮かぶ。鳩が鳴いて羽を払い、鶯が良い木に集まる。さまざまな花が咲いて錦の帳を張ったようなのに、青い林が混じって、なんとまあ斑に入り交じっていることか。草は茂って青々と増え、牛は野に散って草を食む。女は籠を持って若い桑の葉を摘む。柔らかな枝を引く手が玉のようだ。里の歌がたがいに和するが、どんな調べ、どんな曲なのか。行く者、座る者、去る者、帰る者が、のどかな日差しに心を動かされ、その気を掬い取れそうである。もどかしい、私の眺めがここで止まるとは。どうしてこれほど細々として狭いのか。 赤い宮城に日が長く、万の政事がのびやかなとき、うららかな春の光に心を動かされて、ときおり高い楼に登って眺める。羯鼓の音が高く、赤い杏の花がいっせいにほころぶ。神州の美しい景色を眺めれば、王の喜びは満ち足り、玉の杯が満ちる。これが春に眺める富貴である。 あの王孫や公子は、豪勢な友と連れ立って花の香を尋ねる。後ろの車に妓を乗せれば、紅の袖と紅の裳である。止まる所ごとに敷物を広げ、玉の笛を吹き、笙を鳴らす。赤と緑が織るように交じるのを眺め、酔った目を上げてそぞろ歩く。これが春に眺める奢りである。 美しい婦人がいて空の閨を守るが、千里の彼方の旅人と別れている。便りが遠いことを恨めば、心が揺れて水のようである。黒い燕がつがいで飛ぶのを眺め、彫りのある窓に寄りかかって涙を流す。これが春に眺める哀しい怨みである。 友が遠くへ旅立つので、送って行かせる。雨が軽い塵を湿らせ、柳の色が青い。三疊の歌が終わると、別れの馬がいななく。高い丘に登って行く姿を眺めれば、煙にかすむ花がゆらゆらと澄んだ空気に揺れる。これが春に眺める別れの恨みである。 さらに、戍の男が関山に遠く身を寄せて辺りの草がまた青むのを見、追われた旅人が湘水の南へ移されて青い楓の暗いさまを眺めるに至っては、頭を上げてたたずみ、恨みを抱いて胸を高鳴らせない者はない。これが春に眺める旅の流離である。 私は知っている。夏の眺めは蒸し暑さに縛られ、秋はもっぱら寂しく、冬は凍え閉ざされることに苦しむ。この三つは偏っていて、まるで移り変わりを知らず一つに固まっているようである。ただこの春の眺めだけは、物に従い勢いによる。眺めて和らぎ喜ぶこともあり、眺めて悲しむこともあり、眺めて歌うこともあり、眺めて涙ぐむこともある。それぞれその類に触れて人を動かすので、万の筋、千の糸すじに入り乱れる。 隴西子のような者はどうであろうか。酔って眺めれば楽しく、覚めて眺めれば悲しい。窮して眺めれば雲と霧が塞ぎ、通じて眺めれば天と日が開ける。喜ぶべきときは喜び、悲しむべきときは悲しむ。まことに場合に出会い機に沿って、物とともに移っていくのだから、一つの尺度で測り知ることのできない者だといえよう。