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開元・天寶のころを詠んだ歴史の詩 — 序開元天寶詠史詩
東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻4 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
予讀書之間。見唐明皇遺迹。開元已前。勤政致理。太平之業。幾於貞觀。天寶已後。怠於政事。嬖寵鉗固。信用讒邪。遂致祿山之亂。至播遷西蜀。幾移唐祚。可不悲夫。是用拾善可爲法惡可爲誡者。播于諷詠。雖事有不關於上者。其時善惡。皆上化之漸染。故幷掇而詠之。豈敢補之風雅。聊以示新學子弟而已。
わたしが書を読む間に、唐の明皇の残した跡を見た。開元以前には政に励んで治めを成し、太平の業績は貞觀に近かった。天寶以後には政事に怠り、寵愛する者に縛られ、讒言する邪な者を信じて用い、ついに祿山の乱を招いて西蜀へ逃れ移るに至り、唐の命運はほとんど移りかけた。どうして悲しくないことがあろう。そこで、手本とすべき善い事と戒めとすべき悪い事を拾って吟詠に載せた。たとえ君主に関わらない事であっても、その時の善悪はみな君主の教化が次第に染みたものだから、あわせて選んで詠んだ。どうして「風」と「雅」を補おうなどとするだろうか。ただ新しく学ぶ子弟たちに示そうとするだけである。