いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻21

李史館が巨済に赴任するのを送って書いた序送李史館赴官巨濟序

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 314字 · 朗読 2.9分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻21 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

予固聞之。其所謂縣之巨濟者。炎方之極徼也。家於水中。環四面皆瀛海之浩溔也。毒霧熏蒸。颶風不息。暑月。有蚊蝱之大於蜂者群集噆人。誠可畏也。凡官于此。多是左遷者也。今足下以英偉之才。處蓬山之署。未嘗不汗靑修史。眉目萬世爲己任。課其績。宜受甄昇之命。迺反落此。能不悲哉。然可賀者有二。夫天欲成就之。必先試艱險。是陰陽之數也。子無罪而謫。此必大福將至之漸也。是可賀一也。大抵得道之深者。多在幽閑闃寂之地。何則。專其心一其入故也。今子之所之。地寂而人稀。官閑而務簡。無一事敢干於心者。常隱几於虛白之空。嗒然喪耦。遊於物之初。則其道之入也愈深矣。道旣充中。面澤外發。自然還童。必作神仙中人也。不知返轅之日。將莊,老其身而來耶。抑爲安期,羨門子而至耶。吾輩亦摳衣問道矣。是可賀二也。行矣毋多傷。時或以吾言慰其情耳。千里遠別。得無垂涕。挽袖欲留。其可得乎。

私はたしかに聞いた。いわゆる巨済という県は、暑い地方の果ての辺境である。水のなかに家があり、四方をめぐるものはみな果てしない海である。毒の霧が蒸し、つむじ風がやまず、暑い月には蜂より大きな蚊や虻が群がって人を刺すので、まことに恐ろしい。およそここに官となる者は、たいてい左遷された者である。

いま足下はすぐれた才で蓬山の官署にあって、かつて竹簡を乾かして史を修め、万代に目を開かせることをみずからの務めとしなかったことはない。その功を数えれば、まさに抜擢の命を受けるべきであるのに、かえってここに落とされた。悲しくないでいられようか。

しかし祝うべきことが二つある。およそ天が人を成し遂げさせようとするときは、必ずまず難険で試す。これは陰陽の理である。君が罪もなく流されるのは、必ず大きな福がやがて至る兆しである。これが祝うべき一つめである。

おおむね道を得ることの深い者は、多くは幽かで閑かで静かな地にいる。なぜか。その心を専らにし、その入りようを一つにするからである。いま君が行く所は、地が静かで人がまれであり、官が閑かで務めが簡略で、一つの事も心をあえて犯すものがない。常に空々として白い虚のなかで机に寄りかかり、ぼんやりと連れ合いを忘れ、物のはじめに遊べば、その道に入ることはいよいよ深くなるだろう。道がすでに内に満ちれば、顔の色つやが外に現れ、おのずから童に返り、必ず神仙のなかの人となるだろう。分からないことだ、車を返す日に、荘子や老子のような身となって来るのか、それとも安期生や羨門子となって至るのか。私たちもまた衣の裾をたくし上げて道を問うだろう。これが祝うべき二つめである。

行かれよ、あまり悲しむな。ときには私の言葉でその心を慰めるがよい。千里の遠い別れに涙を流さずにいられようか。袖を引いて留めたいが、それができることだろうか。