いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻40
簡陵を修理するにあたり、太廟と景霊殿にその理由を告げる祝文簡陵修理次大廟景靈殿告事由祝
東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻40 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
窈窕賢妃。埋玉僅移於百歲。穿窬小盜。摸金有及於九泉。玆危懼之交懷。圖繕完而復舊。先陳信薦。仰叩聦聞。
たしなみ深く賢い王妃を玉のように埋めてから、わずかに百年が過ぎたばかりなのに、垣を穿つ小盗人の盗掘が、あの世にまで及びました。
そこで危うさと懼れの思いが入り交じり、繕って全うし、もとどおりに戻すことを図ります。先に信ある供え物を並べ、仰いで明らかなお聞きを叩きます。