いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻2
黄驪県の宰、柳卿老が手紙を寄こしたが、表書きに四宰とあった。はじめは疑って受け取らず、開いてみると、まことにわたしに宛てた手紙であった。戯れに絶句一首を作って送る黃驪縣宰柳卿老寄書。標籤爲四宰。初疑不受。及發見。實寄予書也。戱以一絶奉寄。
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻2 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
千里貽書喜莫量。誤三爲四似難當。昔年我亦曾經四。三四籠狙也不妨。
千里より寄せられた手紙のうれしさは量りしれないが 三を四と誤ったのは受けとめがたいようだ 昔わたしもかつて四宰の座を経たことがある 三であれ四であれ、狙公が猿をあしらった話と同じで差し支えない
夾注 1
予時爲三宰。
わたしはそのとき三宰の任にあった。