いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻3

幻術の見世物を見て作る觀弄幻有作

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 2 · 漢字 56字 · 朗読 0.7分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻3 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

造物弄人如弄幻。達人觀幻似觀身。人生幻化同爲一。畢竟誰眞復匪眞。

造物が人をあしらうさまは、幻術を使うようであり 達人が幻術を見るさまは、自分の身を見るようだ 人の生と幻の変化とは、同じ一つのもの 結局、何が真であり、また何が真でないのか

俯仰嚬伸具體微。孰將心匠奪天機。人緣一氣成蚩蠢。氣出還同罷幻歸。

俯し仰ぎ、顔をしかめ伸ばす、その働きがみな小さな体に備わっている 誰が心の技をもって天の仕掛けを奪ったのか 人は一つの気に縁って、うごめくものとなり 気が出てゆけば、幻術が終わって帰るのと同じだ