いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻3

濁り酒の歌白酒詩

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 2 · 漢字 235字 · 朗読 2.4分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻3 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

予昔少壯時。喜飮白酒。以其罕遇淸者而常飮濁故也。及歷顯位。所飮常淸。則又不喜飮濁矣。豈以所習之然耶。近因致仕祿減。往往有淸之不繼者。不得已而飮白酒。則輒滯在胷鬲間。不快也。昔杜子美詩云。濁醪有妙理。何也。予昔常飮時。慣飮而已。實未知妙處。况今乎。蓋甫本窮者也。亦豈其以習而言之耶。遂作白酒詩云。

わたしが若く元気だったころは、濁り酒を飲むのが好きだった。清い酒に出会うことが稀で、いつも濁った酒を飲んでいたからである。高い位を経るようになってからは、飲むものがいつも清い酒であったので、すると今度は濁った酒を飲むのが好きでなくなった。これは習い慣れたことがそうさせたのではないか。

このごろは官を退いて俸禄が減り、ときどき清い酒が続かないことがある。やむなく濁り酒を飲むと、そのたびに胸のあたりに重く残って、すっきりしない。

昔、杜子美の詩に「濁り酒にも妙なる理がある」と言ったが、何を指してのことだろう。わたしが昔いつも飲んでいたころも、習い癖で飲んでいただけで、実のところ妙なるところを知らなかった。まして今はなおさらだ。思うに杜甫はもともと窮していた人である。それもまた習い慣れたことを言ったのではないか。そこで「濁り酒の歌」を作る。

夾注 1

一首○幷序

一首である。○ 序をあわせて載せる。

我昔浪遊時。所飮惟賢耳。時或値聖者。無奈易昏醉。及涉地位高。飮濁無是理。今者作退翁。俸少家屢匱。綠醑斷復連。篘飮亦多矣。滯在胷膈間。始覺督郵鄙。濁醪稱有妙。未會杜公意。迺知人之性。與習自漸漬。飮食地使然。何有嗜不嗜。爲報中饋人。有入愼輕費。無使樽中酒。不作澄淸水。

わたしが昔、流れ歩いていたころは 飲むものは濁り酒ばかりだった ときに清い酒に出会えば たちまち深く酔ってしまうのをどうにもできなかった 地位が高くなってからは 濁った酒を飲む理由がなくなった 今は退いた老人となり 俸禄は少なく、家はたびたび底をついた 緑なす清い酒は絶えてはまた続き 笊で濾して飲むことも多くなった 胸のあたりに重く残って はじめて悪い酒が卑しいものだと知った 濁り酒に妙なる理があるというが 杜公の心は会得できない そこで知った、人の性は 習いとともに、おのずから染み込んでゆくものだと 飲み食いもまた境遇がそうさせるのだから 何が好きで、何が好きでないということがあろう 台所をあずかる人に告げておく 入ってくるものがあれば、軽々しく使わないでほしい 樽の中の酒が いつも澄んだ清い酒であるようにしてほしい