いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻4
七月五日、家の庭の後ろの小さな庵で経を写す僧に寄せる七月五日。寄家園後小庵。寫經闍{{!|𫔣|⿵門利}}。
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻4 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
早攀丹桂歷華資。位踐黃扉亦不卑。始憶牧之遊古寺。姓名猶欠一僧知。
早くに科挙に上り、よい官を次々に経て 位は宰相に至り、これもまた低くはない 今になって杜牧之が古い寺に遊んだことが思い出される 私の名を知る僧が一人もいないのだ
夾注 1
予往遊。居僧皆不知來。作詩寄之。
私が行って遊んだが、留まっている僧たちはみな私が来たことを知らなかったので、詩を作って寄せた。