いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻5
洞の名を作って、後ろの洞の朴僕射と朴学士と李学士に差し上げる洞名詩呈後洞朴僕射,朴學士,李學士
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻5 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
1序文
予所居此洞。與後洞本爲一源。由數步間有小徑歧之。故爲兩洞。予合爲一洞。計一年入。無慮千有餘石。因名之曰萬石洞。盖兆後慶也。
私が住むこの洞は、後ろの洞ともともと一つの源であった。数歩の間に小さな道が分かれていて、二つの洞となった。私は一つの洞に合わせ、一年に入って来るものを数えてみると、合わせて千数百石であった。そこで万石洞と名づけた。これは後の日の慶事を占うものである。
夾注 3
椐
椐である。
仁著
仁著である。
百全。○幷序
百全である。○序を併せて付す。
兩洞源同元一洞。暫於尺步判爲歧。一年俸入餘千石。萬石爲名兆後期。
二つの洞は源が同じで、もともと一つの洞であったが わずか一尺の歩みの間で分かれて岐となった 一年の俸として入るものが千石を越えるので 万石と名づけて後の日を占う