いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻6
七月二日に、家の池で水浴びをする七月初二日。浴家池。
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻6 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
我今衰弱怯水寒。六月猶無入池浴。今日炎煎勝夏天。始入池中亂澄綠。如坐寒氷不奈久。毛髮立豎體生粟。一身炎冷自無常。須臾翻覆一何速。洗塵洗體皆幻妄。誰爲能觸誰所觸。只應達者知此意。我欲譗之道未熟。
私は今、衰え弱って冷たい水が怖く 六月になっても池に入って水浴びをしなかった 今日は焼けつく暑さが真夏にも勝るので はじめて池に入り、澄んだ緑をかき分けた 冷たい氷に坐るようで長くは耐えられず 毛は立ち上がり、体に粟が生じる 一つの身の熱さと冷たさが、おのずから定めなく わずかの間に翻るのが、どうしてこれほど速いのか 垢を洗い体を洗うのも、みな幻である 誰が触れる者で、誰が触れられるものなのか ただ達した者だけがこの意味を知るのだろう 私も語ってみたいが、道がまだ熟していない
夾注 1
見楞嚴經。
『楞厳経』に見える。