いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻9
三月十四日、雹が大いに降る三月十四日。大雨雹。
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻9 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
1第一首
雹者由來陰脅陽。人云亦自徵動羽。幸無飛鳥中輒殭。免似河平大於斧。
雹とはもともと陰が陽を脅かすものだ 人はまた、徴が羽を動かしたせいだとも言う 幸い飛ぶ鳥が当たって死ぬことはなく 河平のとき斧より大きかったというものとは違う
夾注 3
二首○雙韻
二首○双韻である。
徴と羽は宮・商・角・徴・羽の五つの音のうち四番目と五番目である。徴は火(夏)、羽は水(冬)に当てるので、冬の気が夏の気を動かして雹になると見たのである。 ― 訳者
河平 — 漢の成帝の年号である。『漢書』五行志に、河平二年に雹が斧ほどの大きさであったという記録がある。 ― 訳者
2第二首
大如馬首如鷄子。上有聖人不爲異。況此僅同梅子耳。團團但作兒童戲。
大きさが馬の頭ほど、鶏の卵ほどだとしても 上に聖人がおられれば怪しい事とはならない まして、これはやっと梅の実ほどにすぎないのだから 丸々として、ただ子どもたちの遊び道具になるばかりだ
夾注 1
左傳云。聖人在上。雖有雹。不爲災也。
『左伝』に、聖人が上にあれば雹が降っても災いとはならないとある。