いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻11

前と同じ策問同前策問

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 255字 · 朗読 2.3分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻11 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

問。傳曰。文武竝用。長久之道。則自古國家之所不可偏廢者。文武是也。本朝非不厲精於此。而近年已來。軍隊僅虛而不實。儒風極衰而不振者。豈修之之道有所未至耶。將天數使然耶。以士林言之。古者入仕之路甚難。故士必力學而從於科擧者多矣。今則入仕之路甚易。故士不必要科擧。而趨於學者寡矣。其入仕之難易。古今所以不同。何也。其革弊復古之術。又如何而可哉。以軍隊言之。皆各有所受分田。今忽安往而隊伍之不充耶。必散歸其田所在。若有司考而逼還。則獨飢寒無援者至焉。顧役苦食乏。則不慮後患。逃還者衆矣。古當不爾。而今之至是。其故何也。豈內外有司不能追考而一一懲之耶。其考之懲之之術。亦安在哉。諸生宜悉言之無諱也。

問う。伝に「文と武を並べて用いるのが長く久しい道である」と言うのだから、古くから国家が一方に偏って廃することのできないものは文と武である。我が朝がこれに精を厲まさなかったわけではないのに、近年以来、軍の隊がほとんど虚しくて実たず、儒の風がきわめて衰えて振るわないのは、これを修める道に至らないところがあるからか、それとも天の数がそうさせたのか。

士の林で言えば、昔は仕に入る路がひどく難しかったので、士が必ず力めて学んで科挙に従う者が多かった。今は仕に入る路がひどく易しいので、士が必ずしも科挙を要めず、学に趨く者が寡ない。その仕に入る難しさと易しさが、古今でこのように同じでないのはどうしてか。その弊を革めて古に復す術は、また如何にすればよいのか。

軍の隊で言えば、それぞれ受けた分の田がみなある。今ふとどこへ行ったので隊伍が充たないのか。必ずその田のあるところへ散り帰ったのだろうが、もし有司が考えて逼り還させれば、独りで飢え寒く援けのない者だけが至ることになる。顧みれば役が苦しく食が乏しければ、後の患いを慮らずに逃げ還る者が多い。昔はまさにそうではなかったはずなのに、今これに至ったのは、その故が何なのか。どうして内と外の有司が追い考えて一つ一つ懲らすことができないからなのか。それを考え、懲らす術は、またどこにあるのか。

諸々の生はまさにすべて言って諱むな。

夾注 1

次望不行

第二に上げたものは行われなかった。