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三韓

後漢書 東夷列伝(後漢書に記された東夷の列伝) 後漢書 東夷列傳 · 范曄 · 5世紀(432〜445年頃) · 段落 6 · 漢字 732字 · 朗読 2.9分

後漢書 東夷列伝(後漢書に記された東夷の列伝) 全一巻 後漢の二百年のあいだ中国が東をどのように見ていたかを、5世紀の人が整理した文章。夫余・邑婁・高句麗・東沃沮・濊・三韓・倭が順に現れる。三国志東夷伝より百五十年ほど後に編まれながら、より早い時代を扱うので、同じところについて二つの書が何を削り何を足したかが並んで明らかになる。東明が弓で水を打って夫余を建てた話、卑弥呼が王に立てられた経緯、馬韓が大きな木に鈴と鼓を掛けて立てた蘇塗がここに収められている。

1韓に三つの種族がある — 七十八国、伯済もその一つ

韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰。馬韓在西,有五十四國,其北與樂浪,南與倭接,辰韓在東,十有二國,其北與濊貊接。弁辰在辰韓之南,亦十有二國,其南亦與倭接。凡七十八國,伯濟是其一國焉。大者萬餘户,小者數千家,各在山海間,地合方四千餘里,東西以海為限,皆古之辰國也。馬韓最大,共立其種為辰王,都目支國,盡王三韓之地。其諸國王先皆是馬韓種人焉。

韓には三つの種族がある。一つは馬韓、二つは辰韓、三つは弁辰である。馬韓は西にあって五十四国があり、その北は楽浪、南は倭と境を接する。辰韓は東にあって十二国があり、その北は濊貊と境を接する。弁辰は辰韓の南にあって同じく十二国があり、その南もまた倭と境を接する。

およそ七十八国であり、伯済もその一国である。大きなものは万余戸、小さなものは数千家で、それぞれ山と海の間にあり、土地を合わせれば方四千余里、東西は海を限りとする。みな古の辰国である。馬韓が最も大きく、その種族の中から共に立てて辰王とし、目支国に都して三韓の地にあまねく王となる。その諸国の王は、以前はみな馬韓の種族の人であった。

2馬韓 — 蘇塗を立て、大きな木に鈴と鼓を掛ける

馬韓人知田蠶,作綿布。出大栗如梨。有長尾雞,尾長五尺。邑落雜居,亦無城郭。作土室,形如冢,開户在上。不知跪拜。無長幼男女之別。不貴金寶錦罽,不知騎乘牛馬,唯重瓔珠,以綴衣為飾,及縣頸垂耳。大率皆魁頭露紒,布袍草履。其人壯勇,少年有築室作力者,輒以繩貫脊皮,縋以大木,歡呼為健。常以五月田竟祭鬼神,晝夜酒會,群聚歌舞,舞輒數十人相隨,蹋地為節。十月農功畢,亦復如之。諸國邑各以一人主祭天神,號為“天君”。又立蘇塗,建大木以縣鈴鼓,事鬼神。其南界近倭,亦有文身者。

馬韓の人は田を耕し蚕を飼うことを知り、綿布を織る。梨ほどの大きな栗が出る。尾の長い鶏があって、尾の長さは五尺である。

邑落は入りまじって住み、やはり城郭はない。土の家を作るが、形は塚のようで、戸を上に開ける。跪いて拝むことを知らない。年長と年少、男と女の区別がない。金や宝、錦や毛織物を貴ばず、牛馬に乗り使うことを知らず、ただ珠を重んじて、衣に綴って飾りとし、また首に掛け耳に垂らす。おおむねみな髷をあらわに結い、布の袍と草の履である。

その人々は壮んで勇ましい。若者のうち家を建てる力仕事をする者は、すぐに縄を背の皮に通し、大きな木をつり下げて引きながら、声を上げて健やかだとする。

いつも五月に田の仕事が終わると鬼神を祭り、昼も夜も酒宴を開き、群れ集まって歌い舞う。舞はすぐに数十人が互いに連なり、地を踏んで拍子とする。十月に農事が終わると、またこれと同じようにする。諸国の邑ごとに一人を立てて天の神を祭ることを主らせ、「天君」と呼ぶ。また蘇塗を立て、大きな木を建てて鈴と鼓を掛け、鬼神に仕える。その南の境は倭に近いので、やはり身に文を入れた者がいる。

3辰韓 — 秦の言葉が残るといい、鉄を貨とする

辰韓,耆老自言秦之亡人,避苦役,適韓國,馬韓割東界地與之。其名國為邦,弓為弧,賊為寇,行酒為行觴,相呼為徒,有似秦語,故或名之為秦韓。有城柵屋室。諸小別邑,各有渠帥,大者名臣智,次有儉側,次有樊秖,次有殺奚,次有邑借。土地肥美,宜五穀。知蠶桑,作縑布。乘駕牛馬。嫁娶以禮。行者讓路。國出鐵,濊、倭、馬韓并從市之。凡諸貿易,皆以鐵為貨。俗喜歌舞、飲酒、鼓瑟。兒生欲令其頭扁,皆押之以石。

辰韓は、その古老たちが自ら言うには、秦から逃れた人々で、苦しい役を避けて韓の国に来たところ、馬韓が東の境の地を割いて与えたという。その国を邦といい、弓を弧といい、盗賊を寇といい、酒をまわすことを行觴といい、互いに呼ぶことを徒といって、秦の言葉に似たところがあるので、これを秦韓と呼ぶこともある。

城柵と家屋がある。いくつもの小さな別の邑にはそれぞれ渠帥がいて、大きな者を臣智といい、次に儉側があり、次に樊秖があり、次に殺奚があり、次に邑借がある。

土地は肥えて良く、五穀に適している。養蚕と桑を知り、縑と布を織る。牛馬に乗り使う。嫁取りには礼を用いる。道を行く者は道を譲る。国から鉄が出るので、濊と倭と馬韓がみな来てこれを買う。およそあらゆる売り買いに、みな鉄を貨とする。習わしでは歌い舞い、酒を飲み、瑟を弾くことを好む。子が生まれるとその頭を平たくしようとして、みな石で押さえる。

4弁辰 — 衣服は清く、刑罰は厳しい

弁辰與辰韓雜居,城郭衣服皆同,語言風俗有異。其人形皆長大,美髮,衣服潔清。而刑法嚴峻。其國近倭,故頗有文身者。

弁辰は辰韓と入りまじって住むが、城郭と衣服はみな同じで、言葉と風俗は異なる。その人々は姿がみな大きく、髪が美しく、衣服が清い。それでいて刑法は厳しく険しい。その国は倭に近いので、身に文を入れた者がかなりいる。

5準王が海へ逃げて韓王となる

初,朝鮮王准為衛滿所破,乃將其餘眾數千人走入海,攻馬韓,破之,自立為韓王。准後滅絕,馬韓人復自立為辰王。建武二十年,韓人廉斯人蘇馬諟等,詣樂浪貢獻。光武封蘇馬諟為漢廉斯邑君,使屬樂浪郡,四時朝謁。靈帝末,韓、濊并盛,郡縣不能制,百姓苦亂,多流亡入韓者。

初め、朝鮮王の準が衛満に破られると、その残った衆数千人を率いて海に入り、馬韓を攻めてこれを破り、自ら立って韓王となった。準の後が絶えてからは、馬韓の人が改めて自ら立って辰王となった。

建武二十年、韓の廉斯の人蘇馬諟らが楽浪に参って貢物を献じると、光武帝は蘇馬諟を封じて漢の廉斯邑君とし、楽浪郡に属させて四季ごとに朝見させた。霊帝の末、韓と濊がともに盛んになって郡県が抑えられず、民は乱れに苦しんで、韓へ流れ込む者が多かった。

6州胡 — 海の島の短く小さな人々

馬韓之西,海島上有州胡國。其人短小,髡頭,衣韋衣,有上無下。好養牛豕。乘船往來,貨市韓中。

馬韓の西、海の島の上に州胡国がある。その人々は背が低く小さく、頭を剃り、革の衣を着るが、上はあって下がない。牛と豚を飼うことを好む。船に乗って行き来し、韓の地で売り買いする。