氾論訓
古者有鍪而綣領以王天下者矣,其德生而不辱,予而不奪,天下不非其服,同懷其德。當此之時,陰陽和平,風雨時節,萬物蕃息,烏鵲之巢可俯而探也,禽獸可羈而從也,豈必褒衣博帶,句襟委章甫哉!古者民澤處復穴,冬日則不勝霜雪霧露,夏日則不勝暑蟄蚊虻。聖人乃作為之築土構木,以為宮室,上棟下宇,以蔽風雨,以避寒暑,而百姓安之。伯余之初作衣也,緂麻索縷,手經指挂,其成猶網羅。後世為之機杼勝複以便其用,而民得以揜形御寒。古者剡耜而耕,摩蜃而耨,木鉤而樵,抱甀而汲,民勞而利薄。後世為之耒耜耰鉏,斧柯而樵,桔皋而汲,民逸而利多焉。古者大川名谷,衝絕道路,不通往來也,乃為窬木方版,以為舟航,故地勢有無,得相委輸。乃為靻蹻而超千里,肩荷負儋之勤也,而作為之楺輪建輿,駕馬服牛,民以致遠而不勞。為鷙禽猛獸之害傷人而無以禁御也,而作為之鑄金鍛鐵,以為兵刃,猛獸不能為害。
古、鍪を被り襟を巻いて天下に王たった者があった。その徳は生かして辱めず、与えて奪わなかったので、天下はその服を非とせず、ともにその徳を懐いた。このとき、陰陽は和して平らかで、風雨は時に適い、万物は繁り殖え、烏や鵲の巣は屈んで探ることができ、禽獣は繋いで従わせることができた。どうして必ず広い衣と広い帯、曲がった襟と章甫の冠でなければならないだろうか。古、民は沢のほとりに処り穴に住み、冬には霜・雪・霧・露に堪えられず、夏には暑さ・虫・蚊・虻に堪えられなかった。聖人はそこで彼らのために土を築き木を組んで宮室を作り、上に棟、下に宇を設けて風雨を遮り寒暑を避けさせたので、民はこれに安らいだ。伯余が初めて衣を作ったとき、麻を梳いて糸を縒り、手で経を張り指で掛け、その出来は網のようであった。後の世が彼らのために機や杼、綜と綴りを作ってその用を便にしたので、民は形を覆い寒さを防げるようになった。古は耜を削って耕し、蜃を磨いて耨り、木の鉤で薪を採り、甕を抱えて水を汲んだので、民は労して利は薄かった。後の世が彼らのために耒・耜・耰・鉏を作り、斧の柄で薪を採り、桔皋で水を汲ませたので、民は逸して利が多くなった。古は大きな川や名高い谷が道を断ち塞いで往来が通じなかったが、そこで木を刳り板を合わせて舟や航を作ったので、地勢による有無を互いに運び渡せるようになった。そこで革の履を作って千里を越えたが、肩に担い負う労があったので、彼らのために輪を撓め輿を立て、馬に駕し牛を服させたので、民は遠くに至って労しなくなった。猛禽や猛獣の害が人を傷めるのに禁じ禦ぐすべがなかったので、彼らのために金を鋳、鉄を鍛えて兵の刃を作ったので、猛獣は害をなせなくなった。
故民迫其難則求其便,困其患則造其備,人各以其所知,去其所害,就其所利。常故不可循,器械不可因也,則先王之法度有移易者矣。古之制,婚禮不稱主人,舜不告而娶,非禮也。立子以長,文王舍伯邑考而用武王,非制也。禮三十而娶,文王十五而生武王,非法也。夏后氏殯於阼階之上,殷人殯於兩楹之間,周人殯於西階之上,此禮之不同者也。有虞氏用瓦棺,夏后氏堲周,殷人用槨,周人牆置翣,此葬之不同者也。夏后氏祭於闇,殷人祭於陽,周人祭於日出以朝,此祭之不同者也。堯大章,舜九韶,禹大夏,湯大濩,周武象,此樂之不同者也。故五帝異道而德覆天下,三王殊事而名施後世,此皆因時變而制禮樂者。譬猶師曠之施瑟柱也,所推移上下者無寸尺之度,而靡不中音。
だから民はその難に迫られればその便を求め、その患いに困ればその備えを造り、人はそれぞれ知るところによってその害するものを去り、その利するものへ就く。常の古きには循えず、器械はそのままでは因れないのだから、先王の法度にも移り易わったものがある。古の制めでは、婚礼には主人を称えないのに、舜が告げずに娶ったのは礼ではない。子を立てるのは長によるのに、文王が伯邑考を捨てて武王を用いたのは制めではない。礼では三十で娶るのに、文王が十五で武王を生んだのは法ではない。夏后氏は阼の階の上に殯し、殷の人は両の楹のあいだに殯し、周の人は西の階の上に殯した。これは礼が同じでないものである。有虞氏は瓦の棺を用い、夏后氏は堲で周らせ、殷の人は槨を用い、周の人は牆をめぐらし翣を立てた。これは葬りが同じでないものである。夏后氏は闇で祭り、殷の人は陽で祭り、周の人は日の出に朝に祭った。これは祭りが同じでないものである。堯は大章、舜は九韶、禹は大夏、湯は大濩、周は武象。これは楽が同じでないものである。だから五帝は道を異にしながら徳が天下を覆い、三王は事を殊にしながら名が後の世に施された。これはみな時の変わりに因って礼楽を制めたのである。たとえば師曠が瑟の柱を据えるようなもので、推し移す上下に寸や尺の度はないのに、音に中らないことがない。
故通於禮樂之情者能作音,有本主於中,而以知榘彠之所周者也。魯昭公有慈母而愛之,死為之練冠,故有慈母之服。陽侯殺蓼侯而竊其夫人,故大饗廢夫人之禮。先王之制,不宜則廢之;末世之事,善則著之;是故禮樂未始有常也。故聖人制禮樂,而不制於禮樂。治國有常,而利民為本。政教有經,而令行為上。苟利於民,不必法古。苟周於事,不必循舊。夫夏、商之衰也,不變法而亡。三代之起也,不相襲而王。故聖人法與時變,禮與俗化,衣服器械各便其用,法度制令各因其宜。故變古未可非,而循俗未足多也。百川異源而皆歸於海,百家殊業而皆務於治。王道缺而詩作,周室廢、禮義壞而春秋作。詩、春秋,學之美者也,皆衰世之造也,儒者循之以教導於世,豈若三代之盛哉!以詩、春秋為古之道而貴之,又有未作詩、春秋之時。
だから礼楽の情に通じた者だけが音を作りえる。内に本として主とするものがあって、それによって矩と彠のめぐるところを知るのである。魯の昭公に慈母があって愛していたが、死ぬとその人のために練の冠を被った。だから慈母の服ができた。陽侯が蓼侯を殺してその夫人を盗んだので、大饗で夫人の礼を廃した。先王の制めでも宜しくなければ廃し、末の世の事でも善ければ著す。そのため礼楽にはいまだ常があったことがない。だから聖人は礼楽を制めて、礼楽に制められない。国を治めることに常はあるが、民を利することが本となり、政と教えに経はあるが、令が行われることが上となる。まことに民に利するなら、必ずしも古に法らず、まことに事にあまねく及ぶなら、必ずしも旧きに循わない。そもそも夏や商が衰えたのは法を変えずに亡んだのであり、三代が起こったのは互いに襲わずに王たったのである。だから聖人は法が時とともに変わり、礼が俗とともに化し、衣服や器械はそれぞれその用を便にし、法度や制めや令はそれぞれその宜しさに因る。だから古を変えることを非とできず、俗に循うことも多しとするに足らない。百の川は源を異にしながらみな海へ帰し、百家は業を殊にしながらみな治めに務める。王道が欠けて『詩』が作られ、周の室が廃れ礼義が壊れて『春秋』が作られた。『詩』と『春秋』は学びの美しいものだが、どちらも衰えた世が造ったものである。それを儒者が循って世に教え導くが、どうして三代の盛んさに及ぼうか。『詩』や『春秋』を古の道として貴ぶが、まだ『詩』や『春秋』が作られていない時もあったのである。
夫道其缺也,不若道其全也。誦先王之詩、書,不若聞得其言;聞得其言,不若得其所以言。得其所以言者,言弗能言也。故道可道者,非常道也。周公事文王也,行無專制,事無由己;身若不勝衣,言若不出口,有奉持於文王,洞洞屬屬,而將不能,恐失之,可謂能子矣。武王崩,成王幼少,周公繼文王之業,履天子之籍,聽天下之政,平夷狄之亂,誅管、蔡之罪,負扆而朝諸侯,誅賞制斷,無所顧問,威動天地,聲懾四海,可謂能武矣。成王既壯,周公屬籍致政,北面委質而臣事之,請而後為,復而後行,無擅姿之志,無伐矜之色,可謂能臣矣。故一人之身而三變者,所以應時矣。何況乎君數易世,國數易君,人以其位達其好憎,以其威勢供嗜欲,而欲以一行之禮,一定之法,應時偶變,其不能中權,亦明矣。
そもそもその欠けたところを語るのは、その全きところを語ることに及ばない。先王の『詩』や『書』を誦むのは、その言葉を得て聞くことに及ばず、その言葉を得て聞くのは、それを語ったゆえのものを得ることに及ばない。それを語ったゆえのものを得た者は、言葉では語れない。だから道として道えるものは常の道ではない。周公が文王に事えたとき、行いにもっぱら決することがなく、事に自分から由ることがなく、身は衣にさえ堪えられないようで、言葉は口から出ないようで、文王に対して奉じ持つところがあり、ひたすら慎み、できないかのように、失うことを恐れた。子たることに能くあったといえる。武王が崩じ、成王が幼かったとき、周公は文王の業を継ぎ、天子の籍を履み、天下の政を聴き、夷狄の乱を平らげ、管叔や蔡叔の罪を誅し、扉を背にして諸侯を朝させ、誅し賞し制め断ずるのに顧みて問うところがなく、威は天地を動かし、声は四海を懾させた。武に能くあったといえる。成王がすでに壮んになると、周公は籍を属し政を致し、北に向かって質を委ねて臣として事え、請ってから為し、申し上げてから行い、勝手に恣にする志がなく、誇り傲る色がなかった。臣たることに能くあったといえる。だから一人の身で三度変わったのは、時に応じたゆえである。まして君がしばしば代を易え、国がしばしば君を易え、人がその位によってその好みと憎みを通し、その威と勢いによって嗜みと欲に供えるのに、ひとつの行いの礼、ひとつに定まった法によって時に応じ変化に組もうとすれば、それが権に中りえないことも、また明らかである。
故聖人所由曰道,所為曰事。道猶金石,一調不更;事猶琴瑟,每絃改調。故法制禮義者,治人之具也,而非所以為治也。故仁以為經,義以為紀,此萬世不更者也。若乃人考其才,而時省其用,雖日變可也。天下豈有常法哉!當於世事,得於人理,順於天地,祥於鬼神,則可以正治矣。古者人醇工龐,商樸女重,是以政教易化,風俗易移也。今世德益衰,民俗益薄,欲以樸重之法,治既弊之民,是猶無鏑銜□策錣而御馯馬也。昔者,神農無制令而民從,唐、虞有制令而無刑罰,夏后氏不負言,殷人誓,周人盟。逮至當今之世,忍詢而輕辱,貪得而寡羞,欲以神農之道治之,則其亂必矣。伯成子高辭為諸侯而耕,天下高之。今時之人,辭官而隱處,為鄉邑之下,豈可同哉!古之兵,弓劍而已矣,槽矛無擊,脩戟無刺。晚世之兵,隆衝以攻,渠幨以守,連弩以射,銷車以鬥。古之伐國,不殺黃口,不獲二毛。於古為義,於今為笑。古之所以為榮者,今之所以為辱也。古之所以為治者,今之所以為亂也。
だから聖人が由るところを道といい、為すところを事という。道は金や石のようで、ひとたび調えれば更めず、事は琴や瑟のようで、弦ごとに調えを改める。だから法や制め、礼や義は人を治める道具であって、治めとなるゆえのものではない。だから仁を経とし義を紀とすること、これは万世に更めないものである。人がその才を考え、時にその用を省くようなことであれば、たとえ日ごとに変えてもよい。天下にどうして常の法があろうか。世の事に当たり、人の理に適い、天地に順い、鬼神に祥しければ、正しく治められる。古は人が醇らかで工が篤く、商が朴で女が重かったので、政と教えは化しやすく、風俗は移りやすかった。いまの世は徳がますます衰え、民の俗はますます薄いのに、朴で重い法によってすでに疲れ切った民を治めようとする。これは鏃も銜も□も策も錣もないまま荒い馬を御するようなものである。かつて神農は制めや令がなくても民が従い、唐と虞は制めや令があっても刑罰がなく、夏后氏は言葉を背かず、殷の人は誓い、周の人は盟った。いまの世に至っては、詰られても忍び辱めを軽んじ、得ることを貪って羞じが少ない。それを神農の道によって治めようとすれば、乱れることは必定である。伯成子高は諸侯となることを辞して耕し、天下はこれを高しとした。いまの時の人が官を辞して隠れ処り、郷や邑の下となるのと、どうして同じにできようか。古の兵は弓と剣だけで、槽矛は撃たず、長い戟は刺さなかった。末の世の兵は、衝車を高くして攻め、渠や幨によって守り、連弩で射、銷車で闘う。古は国を伐つとき、黄口の子を殺さず、二毛の者を捕えなかった。古には義であったことが、いまは笑いとなる。古に栄えであったことが、いまは辱めとなり、古に治めであったことが、いまは乱れとなる。
夫神農、伏羲不施賞罰而民不為非,然而立政者不能廢法而治民。舜執干戚而服有苗,然而征伐者不能釋甲兵而制彊暴。由此觀之,法度者,所以論民俗而節緩急也;器械者,因時變而制宜適也。夫聖人作法而萬物制焉,賢者立禮而不肖者拘焉。制法之民,不可與遠舉;拘禮之人,不可使應變。耳不知清濁之分者,不可令調音;心不知治亂之源者,不可令制法。必有獨聞之耳,獨見之明,然後能擅道而行矣。夫殷變夏,周變殷,春秋變周,三代之禮不同,何古之從!大人作而弟子循。知法治所由生,則應時而變;不知法治之源,雖循古,終亂。今世之法籍與時變,禮義與俗易,為學者循先襲業,據籍守舊教,以為非此不治,是猶持方枘而周員鑿也,欲得宜適致固焉,則難矣。
そもそも神農や伏羲は賞罰を施さなくても民が非を為さなかったが、政を立てる者が法を廃して民を治めることはできない。舜は干と戚を執って有苗を服させたが、征伐する者が甲や兵を捨てて強く暴れるものを制めることはできない。これから見れば、法度は民の俗を論じて緩急を節するゆえのものであり、器械は時の変わりに因って宜しく適うものを制めるものである。そもそも聖人が法を作れば万物がそれに制められ、賢者が礼を立てれば不肖な者がそれに拘われる。法に制められた民とは、ともに遠くを挙げられず、礼に拘われた人には、変化に応じさせられない。耳が清濁の分かれを知らない者には音を調えさせられず、心が治乱の源を知らない者には法を制めさせられない。必ず独り聞く耳、独り見る明るさがあってから、道をもっぱらにして行いうる。そもそも殷が夏を変え、周が殷を変え、春秋が周を変えて、三代の礼は同じでないのに、どの古に従うのか。大人が作って弟子が循う。法と治めが由って生じるところを知れば、時に応じて変わり、法と治めの源を知らなければ、たとえ古に循っても、ついには乱れる。いまの世の法や籍は時とともに変わり、礼義は俗とともに易わるのに、学ぶ者は先を循い業を襲い、籍に拠り旧い教えを守って、これでなければ治まらないと思う。これは方なる枘を持って円い鑿に合わせようとするようなもので、宜しく適って固く収まることを得ようとすれば、難しい。
今儒墨者稱三代、文武而弗行,是言其所不行也;非今時之世而弗改,是行其所非也。稱其所是,行其所非,是以盡日極慮而無益於治,勞形竭智而無補於主也。今夫圖工好畫鬼魅,而憎圖狗馬者,何也?鬼魅不世出,而狗馬可日見也。夫存危治亂,非智不能;道而先稱古,雖愚有餘。故不用之法,聖王弗行;不驗之言,聖王弗聽。天地之氣,莫大於和。和者,陰陽調,日夜分,而生物。春分而生,秋分而成,生之與成,必得和之精。故聖人之道,寬而栗,嚴而溫,柔而直,猛而仁。太剛則折,太柔則卷,聖人正在剛柔之間,乃得道之本。積陰則沉,積陽則飛,陰陽相接,乃能成和。夫繩之為度也,可卷而伸也,引而伸之,可直而睎,故聖人以身體之。
いま儒や墨は三代や文王・武王を称えながら行わない。これはその行わないことを語っているのである。いまの時の世を非としながら改めない。これはその非とすることを行っているのである。是とすることを称え、非とすることを行うので、それゆえ日を尽くし思いを極めても治めに益がなく、形を労し知を尽くしても主に補いがない。いま絵の工が鬼や魅を描くことを好んで、狗や馬を描くことを憎むのはなぜか。鬼や魅は世に出ないが、狗や馬は日ごとに見えるからである。そもそも危うきを存らせ乱れを治めるのは、知でなければできない。道を語って先に古を称えることは、たとえ愚かでも余りある。だから用いられない法は聖王が行わず、験しのない言葉は聖王が聴かない。天地の気に、和より大きなものはない。和とは、陰陽が調い、昼夜が分かれて、物を生むことである。春分に生じ、秋分に成る。生じることと成ることは、必ず和の精らかさを得てのことである。だから聖人の道は、寛やかであって慄とし、厳かであって温かく、柔らかであってまっすぐで、猛くあって仁である。あまりに剛ければ折れ、あまりに柔らかければ巻く。聖人はまさに剛と柔のあいだに在って、道の本を得る。陰が積まれれば沈み、陽が積まれれば飛び、陰陽が相接してこそ和を成しえる。そもそも縄が度であるのは、巻くこともでき伸ばすこともできて、引いて伸ばせばまっすぐにして見通せるからである。だから聖人は身によってこれを体とする。
夫脩而不橫,短而不窮,直而不剛,久而不忘者,其唯繩乎!故恩推則懦,懦則不威;嚴推則猛,猛則不和;愛推則縱,縱則不令;刑推則虐,虐則無親。昔者,齊簡公釋其國家之柄,而專任大臣將相,攝威擅勢,私門成黨,而公道不行,故使陳成田常、鴟夷子皮得成其難。使呂氏絕祀而陳氏有國者,此柔懦所生也。鄭子陽剛毅而好罰,其於罰也,執而無赦。舍人有折弓者,畏罪而恐誅,則因猘狗之驚以殺子陽,此剛猛之所致也。今不知道者,見柔懦者侵,則矜為剛毅;見剛毅者亡,則矜為柔懦。此本無主於中,而見聞舛馳於外者也,故終身而無所定趨。譬猶不知音者之歌也,濁之則鬱而無轉,清之則燋而不謳。及至韓娥、秦青、薛談之謳,侯同、曼聲之歌,憤於志,積於內,盈而發音,則莫不比於律而和於人心。何則?中有本主以定清濁,不受於外而自為儀表也。
そもそも長くて横に広がらず、短くて窮まらず、まっすぐで剛からず、久しくて忘れないものは、ただ縄だけであろう。だから恩を推し進めれば懦くなり、懦ければ威がなく、厳しさを推し進めれば猛くなり、猛ければ和さず、愛を推し進めれば放ち、放てば令しえず、刑を推し進めれば虐げ、虐げれば親しみがない。かつて斉の簡公はその国家の柄を放って、もっぱら大臣や将相に任せたので、彼らは威を摂り勢いを恣にし、私門が党を成して公らかな道が行われなかった。だから陳成の田常や鴟夷子皮にその難を成させた。呂氏に祀りを絶たせ陳氏に国を有たせたこと、これは柔らかく懦いことが生んだものである。鄭の子陽は剛く毅く罰することを好み、その罰しようは捕えれば赦しがなかった。舍人のなかに弓を折った者があって、罪を畏れ誅を恐れたので、狂犬の騒ぎに乗じて子陽を殺した。これは剛く猛いことが致したものである。いま道を知らない者は、柔らかく懦い者が侵されるのを見れば剛く毅いことを誇り、剛く毅い者が亡ぶのを見れば柔らかく懦いことを誇る。これはもともと内に主がなく、見聞が外で食い違って走るものなので、生涯にわたって定まった趨くところがない。たとえば音を知らない者の歌のようで、濁らせれば鬱いで回らず、清ませれば焦げて謳えない。韓娥・秦青・薛談の謳、侯同・曼聲の歌に至っては、志に憤り、内に積もり、満ちて音を発するので、律に比べられ人の心に和さないものがない。なぜか。内にもともと主があって清濁を定め、外から受けずに自ら儀表となっているからである。
今夫盲者行於道,人謂之左則左,謂之右則右,遇君子則易道,遇小人則陷溝壑。何則?目無以接物也。故魏兩用樓翟、吳起而亡西河,湣王專用淖齒而死于東廟,無術以御之也。文王兩用呂望、召公奭而王,楚莊王專任孫叔敖而霸,有術以御之也。夫弦歌鼓舞以為樂,盤旋揖讓以修禮,厚葬久喪以送死,孔子之所立也,而墨子非之。兼愛尚賢,右鬼非命,墨子之所立也,而楊子非之。全性保真,不以物累形,楊子之所立也,而孟子非之。趨捨人異,各有曉心。故是非有處,得其處則無非,失其處則無是。丹穴、太蒙、反踵、空同、大夏、北戶、奇肱、脩股之民,是非各異,習俗相反,君臣上下,夫婦父子,有以相使也。此之是,非彼之是也;此之非,非彼之非也;譬若斤斧椎鑿之各有所施也。禹之時,以五音聽治,懸鐘鼓磬鐸,置鞀,以待四方之士,為號曰:「教寡人以道者擊鼓,諭寡人以義者擊鐘,告寡人以事者振鐸,語寡人以憂者擊磬,有獄訟者搖鞀。」當此之時,一饋而十起,一沐而三捉髮,以勞天下之民,此而不能達善效忠者,則才不足也。秦之時,高為臺榭,大為苑囿,遠為馳道,鑄金人,發適戍,入芻稿,頭會箕賦,輸於少府。
いま盲の人が道を行くとき、人が左といえば左へ、右といえば右へ行き、君子に遇えば道を避け、小人に遇えば溝や谷に落ちる。なぜか。目によって物に接するすべがないからである。だから魏は樓翟と吳起を二人ともに用いて西河を失い、湣王はもっぱら淖齒を用いて東廟で死んだ。術によってこれを御するすべがなかったのである。文王は呂望と召公奭を二人ともに用いて王たり、楚の荘王はもっぱら孫叔敖に任せて覇たった。術があってこれを御したのである。そもそも弦歌や鼓舞を楽とし、巡り回り揖し譲ることで礼を修め、厚い葬りと長い喪で死者を送ることは孔子が立てたことだが、墨子はこれを非とした。兼ねて愛し賢を尚び、鬼を右にして命を非とすることは墨子が立てたことだが、楊子はこれを非とした。性を全うし真を保ち、物によって形を煩わせないことは楊子が立てたことだが、孟子はこれを非とした。趨と舍は人ごとに異なり、それぞれ悟った心がある。だから是非には在るべき所があって、その所を得れば非がなく、その所を失えば是がない。丹穴・太蒙・反踵・空同・大夏・北戸・奇肱・脩股の民は、是非がそれぞれ異なり、習俗が互いに反するが、君臣上下、夫婦父子に互いに使い合うものがある。こちらの是はあちらの是ではなく、こちらの非はあちらの非ではない。たとえば斤・斧・椎・鑿にそれぞれ施すところがあるようなものである。禹の時、五音によって治めを聴いた。鐘・鼓・磬・鐸を懸け、鞀を置いて四方の士を待ち、こう号した。「寡人に道を教える者は鼓を撃て。寡人に義を悟らせる者は鐘を撃て。寡人に事を告げる者は鐸を振れ。寡人に憂いを語る者は磬を撃て。獄や訟のある者は鞀を揺らせ。」このとき、ひと度の食事で十度起ち、ひと度の沐で三度髪を掴んで、天下の民のために労した。これでも善を伝え忠を尽くせない者は、才が足らないのである。秦の時には、台や榭を高くし、苑や囿を大きくし、馳道を遠くへ通し、金の人を鋳、流刑と戍を発し、芻や稿を納めさせ、頭ごとに数え箕で量って賦し、少府へ輸させた。
丁壯丈夫,西至臨洮、狄道,東至會稽、浮石,南至豫章、桂林,北至飛狐、陽原,道路死人以溝量。當此之時,忠諫者謂之不祥,而道仁義者謂之狂。逮至高皇帝,存亡繼絕,舉天下之大義,身自奮袂執銳,以為百姓請命于皇天。當此之時,天下雄俊豪英暴露于野澤,前蒙矢石,而後墮谿壑,出百死而紿一生,以爭天下之權,奮武厲誠,以決一旦之命。當此之時,豐衣博帶而道儒墨者,以為不肖。逮至暴亂已勝,海內大定,繼文之業,立武之功,履天子之圖籍,造劉氏之貌冠,總鄒、魯之儒墨,通先聖之遺教,戴天子之旗,乘大路,建九斿,撞大鐘,擊鳴鼓,奏咸池,揚干戚。當此之時,有立武者見疑。一世之間,而文武代為雌雄,有時而用也。
壮んな年の丈夫が、西は臨洮・狄道に至り、東は会稽・浮石に至り、南は豫章・桂林に至り、北は飛狐・陽原に至って、道に死んだ人は溝で量るほどであった。このとき、忠を尽くして諫める者を祥しくないといい、仁義を語る者を狂っているといった。高皇帝に至って、亡びたものを存らせ絶えたものを継ぎ、天下の大義を挙げ、みずから袂を奮い鋭いものを執って、民のために皇天に命を請うた。このとき、天下の雄や俊、豪や英が野や沢に身を露わにし、前には矢や石を蒙り、後には谿や谷に落ち、百死のうちから一生を得て、天下の権を争い、武を奮い誠を研ぎ、ひと朝の命を決した。このとき、豊かな衣と広い帯で儒や墨を語る者は、不肖とされた。暴れ乱れるものにすでに勝ち、海内が大いに定まるに至って、文の業を継ぎ、武の功を立て、天子の図籍を履み、劉氏の貌冠を造り、鄒や魯の儒と墨を総べ、先の聖の遺した教えに通じ、天子の旗を戴き、大路に乗り、九斿を建て、大きな鐘を撞き、鳴る鼓を撃ち、咸池を奏し、干と戚を揚げた。このとき、武を立てる者があれば疑われた。ひとつの世のあいだで、文と武が交替で雌雄となる。時があってそれが用いられるのである。
今世之為武者則非文也,為文者則非武也,文武更相非,而不知時世之用也。此見隅曲之一指,而不知八極之廣大也。故東面而望,不見西牆;南面而視,不睹北方;唯無所嚮者,則無所不通。國之所以存者,道德也;家之所以亡者,理塞也。堯無百戶之郭,舜無置錐之地,以有天下。禹無十人之眾,湯無七里之分,以王諸侯。文王處岐周之間也,地方不過百里,而立為天子者,有王道也。夏桀、殷紂之盛也,人跡所至,舟車所通,莫不為郡縣,然而身死人手,而為天下笑者,有亡形也。故聖人見化以觀其徵。德有盛衰,風先萌焉。故得王道者,雖小必大;有亡形者,雖成必敗。夫夏之將亡,太史令終古先奔於商,三年而桀乃亡。殷之將敗也,太史令向藝先歸文王,□年而紂乃亡。
いまの世で武を為す者は文を非とし、文を為す者は武を非とし、文と武が互いに非とし合って、時と世の用いどころを知らない。これは隅の曲がりの一指を見て、八極の広大さを知らないことである。だから東に向かって望めば西の牆が見えず、南に向かって視れば北の方が見えない。ただ向かうところのない者だけが、通じないところがない。国が存るゆえんは道徳であり、家が亡ぶゆえんは理が塞がることである。堯は百戸の郭もなく、舜は錐を立てる地もなかったのに、天下を有った。禹は十人の衆もなく、湯は七里の分もなかったのに、諸侯に王たった。文王が岐周のあいだに処ったとき、地は四方百里を越えなかったのに、立って天子となったのは、王道があったからである。夏の桀、殷の紂の盛んさは、人の跡の至るところ、舟や車の通じるところ、郡や県とならないものがなかったのに、身は人の手に死んで天下の笑いものとなったのは、亡ぶ形があったからである。だから聖人は変化を見てその徴を観る。徳に盛衰があって、風が先に芽ばえる。だから王道を得た者はたとえ小さくても必ず大きくなり、亡ぶ形がある者はたとえ成っても必ず敗れる。そもそも夏がまさに亡びようとしたとき、太史令の終古が先に商へ奔り、三年して桀は亡んだ。殷がまさに敗れようとしたとき、太史令の向藝が先に文王へ帰し、□年して紂は亡んだ。
故聖人之見存亡之跡,成敗之際也,非待鳴條之野,甲子之日也。今謂彊者勝則度地計眾,富者利則量粟稱金,若此,則千乘之君無不霸王者,而萬乘之國無不破亡者矣。存亡之跡,若此其易知也,愚夫惷婦皆能論之。趙襄子以晉陽之城霸,智伯以三晉之地擒;湣王以大齊亡,田單以即墨有功。故國之亡也,雖大不足恃;道之行也,雖小不可輕。由此觀之,存在得道而不在於大也,亡在失道而不在於小也。詩云:「乃眷西顧,此惟與宅。」言去殷而遷于周也。故亂國之君,務廣其地而不務仁義,務高其位而不務道德,是釋其所以存,而造其所以亡也。故桀囚於焦門,而不能自非其所行,而悔不殺湯於夏臺;紂居於宣室,而不反其過,而悔不誅文王於羑里。二君處彊大勢位,修仁義之道,湯、武救罪之不給,何謀之敢當!若上亂三光之明,下失萬民之心,雖微湯、武,孰弗能奪也?
だから聖人が存亡の跡、成敗の際を見ることは、鳴条の野、甲子の日を待たない。いま強い者が勝つといって地を測り衆を数え、富んだ者が利するといって粟を量り金を秤るのであれば、千乗の君が覇王とならない者はなく、万乗の国が破れ亡びない国はないことになる。存亡の跡がこのように知りやすいのであれば、愚かな夫も鈍い妻もみな論じられる。趙襄子は晋陽の城で覇たり、智伯は三晋の地で捕えられ、湣王は大きな斉で亡び、田単は即墨で功があった。だから国が亡ぶのは、たとえ大きくても恃むに足らず、道が行われるのは、たとえ小さくても軽んじられない。これから見れば、存ることは道を得ることに在って大きさに在らず、亡ぶことは道を失うことに在って小ささに在らない。『詩』にいう。「そこで振り返って西を顧み、ここを住まいとされた。」殷を去って周へ遷ることをいったのである。だから乱れた国の君は、その地を広げることに務めて仁義に務めず、その位を高くすることに務めて道徳に務めない。これはその存るゆえのものを捨てて、その亡ぶゆえのものを造ることである。だから桀は焦門に囚われてもみずからその行ったことを非とできず、湯を夏台で殺さなかったことを悔い、紂は宣室に居ってもその過ちに返れず、文王を羑里で誅さなかったことを悔いた。二人の君が強く大きな勢いと位に処って仁義の道を修めていたなら、湯や武は罪を救うのさえ間に合わなかったであろう。どんな謀りを敢えて当てられたろうか。もし上は三光の明るさを乱し、下は万民の心を失えば、たとえ湯や武がいなくても、誰が奪えないだろうか。
今不審其在己者,而反備之于人,天下非一湯、武也,殺一人,則必有繼之者也。且湯、武之所以處小弱而能以王者,以其有道也;桀、紂之所以處彊大而見奪者,以其無道也。今不行人之所以王者,而反益己之所以奪,是趨亡之道也。武王克殷,欲築宮於五行之山。周公曰:「不可!夫五行之山,固塞險阻之地也。使我德能覆之,則天下納其貢職者迴也。使我有暴亂之行,則天下之伐我難矣。」此所以三十六世而不奪也。周公可謂能持滿矣。昔者,周書有言曰:「上言者,下用也;下言者,上用也。上言者,常也;下言者,權也。」此存亡之術也。唯聖人為能知權。言而必信,期而必當,天下之高行也。直躬其父攘羊而子證之,尾生與婦人期而死之。直而證父,信而溺死,雖有直信,孰能貴之!
いま自分に在るものを審らかにせずに、かえって人において備える。しかし天下に湯や武は一人だけではないので、一人を殺せば必ずこれを継ぐ者がある。また湯や武が小さく弱いところに処りながら王たりえたのは、道があったからであり、桀や紂が強く大きいところに処りながら奪われたのは、道がなかったからである。いま人が王たったゆえのことを行わずに、かえって自分が奪われたゆえのことを増すのは、亡びへ趨る道である。武王が殷に克って、五行の山に宮を築こうとした。周公はこういった。「なりません。そもそも五行の山は固い塞、険しい地です。もし我が徳がそれを覆いうるなら、天下がその貢と職を納めることが回ります。もし我に暴れ乱れる行いがあれば、天下が我を伐つことは難しくなります。」これが三十六代にわたって奪われなかったゆえんである。周公は満ちたものを保ちえたといえる。かつて『周書』に言葉があってこういう。「上の言葉は下が用いるものであり、下の言葉は上が用いるものである。上の言葉は常であり、下の言葉は権である。」これが存亡の術である。ただ聖人だけが権を知りえる。語れば必ず信であり、期せば必ず当たることは、天下の高い行いである。直躬はその父が羊を盗んで、子であるのに証言し、尾生は婦人と期して死んだ。まっすぐだといって父を証言し、信だといって溺れ死ぬのは、たとえ直や信があっても、誰がこれを貴ぶだろうか。
夫三軍矯命,過之大者也。秦穆公興兵襲鄭,過周而東。鄭賈人弦高將西販牛,道遇秦師於周、鄭之間,乃矯鄭伯之命,犒以十二牛,賓秦師而卻之,以存鄭國。故事有所至,信反為過,誕反為功。何謂失禮而有大功?昔楚恭王戰於陰陵,潘尪、養由基、黃衰微、公孫丙相與篡之。恭王懼而失體,黃衰微舉足蹶其體,恭王乃覺。怒其失禮,奪體而起,四大夫載而行。昔蒼吾繞娶妻而美,以讓兄,此所謂忠愛而不可行者也。是故聖人論事之局曲直,與之屈伸偃仰,無常儀表,時屈時伸。卑弱柔如蒲韋,非攝奪也;剛強猛毅,志厲青雲,非本矜也;以乘時應變也。夫君臣之接,屈膝卑拜,以相尊禮也;至其迫於患也,則舉足蹶其體,天下莫能非也。
そもそも三軍において命を偽ることは、過ちの大きいものである。秦の穆公が兵を興して鄭を襲おうと、周を過ぎて東へ向かった。鄭の商人の弦高が西へ牛を売りに行こうとして、道で周と鄭のあいだで秦の師に遇ったので、鄭伯の命を偽って十二頭の牛で犒い、秦の師を客として遇して退かせ、鄭の国を存らせた。だから事に至るところがあって、信がかえって過ちとなり、誕りがかえって功となる。何を礼を失って大きな功があるというのか。かつて楚の恭王が陰陵で戦ったとき、潘尪・養由基・黄衰微・公孫丙が互いにこれを奪い取って運んだ。恭王は懼れて体を保てなかったので、黄衰微が足を挙げてその体を蹴ると、恭王は正気づいた。その礼を失ったことに怒り、体を取り返して起ったので、四人の大夫が載せて行った。かつて蒼吾繞が妻を娶って、美しかったので兄に譲った。これがいわゆる忠で愛であっても行ってはならないことである。そのため聖人は事の曲直を論じて、それとともに屈み伸び伏し仰ぎ、常の儀表がなく、時に屈み時に伸びる。卑しく弱く蒲や韋のように柔らかいことは、摂られ奪われたのではなく、剛く強く猛く毅く志が青雲を研ぐことも、もともと誇っているのではない。時に乗り変化に応じているのである。そもそも君臣の接しようは、膝を屈め低く拝して互いを尊ぶ礼だが、その患いに迫られるに至っては、足を挙げてその体を蹴っても、天下が非としえない。
是故忠之所在,禮不足以難之也。孝子之事親,和顏卑體,奉帶運履;至其溺也,則捽其髮而拯,非敢驕侮,以救其死也。故溺則捽父,祝則名君,勢不得不然也。此權之所設也。故孔子曰:「可以共學矣,而未可以適道也。可與適道,未可以立也。可以立,未可與權。」權者,聖人之所獨見也。故忤而後合者,謂之知權;合而後舛者,謂之不知權。不知權者,善反醜矣。故禮者,實之華而偽之文也,方於卒迫窮遽之中也,則無所用矣。是故聖人以文交於世,而以實從事於宜,不結於一跡之塗,凝滯而不化,是故敗事少而成事多,號令行于天下而莫之能非矣。猩猩知往而不知來,乾鵠知來而不知往,此脩短之分也。昔者萇弘,周室之執數者也,天地之氣,日月之行,風雨之變,律曆之數,無所不通,然而不能自知,車裂而死。蘇秦,匹夫徒步之人也,靻蹻贏蓋,經營萬乘之主,服諾諸侯,然不自免於車裂之患。徐偃王被服慈惠,身行仁義,陸地之朝者三十二國,然而身死國亡,子孫無類。大夫種輔翼越王句踐,而為之報怨雪恥,擒夫差之身,開地數千里,然而身伏屬鏤而死。此皆達於治亂之機,而未知全性之具者。
そのため忠の在るところには、礼によってこれを難とするに足らない。孝子が親に事えるとき、顔を和らげ体を低くし、帯を奉じ履を運ぶが、その溺れるに至っては、その髪を掴んで引き上げる。敢えて驕り侮るのではなく、その死を救うのである。だから溺れれば父の髪を掴み、祝るときは君の名を呼ぶ。勢いがそうならざるをえないのである。これが権が設けられるところである。だから孔子はこういった。「ともに学ぶことはできても、まだともに道へ行くことはできない。ともに道へ行けても、まだともに立つことはできない。ともに立てても、まだともに権することはできない。」権は聖人が独り見るところである。だから逆らってから合うことを権を知るといい、合ってから食い違うことを権を知らないという。権を知らない者は、善がかえって醜となる。だから礼は実の華であり偽りの文であって、急に迫られ窮まり慌てるなかに当たれば、用いるところがない。そのため聖人は文によって世と交わり、実によって宜しさにおいて事に従い、ひとつの跡の道に結ばれて凝り固まり化さないことがない。そのため敗れる事が少なく成る事が多く、号令が天下に行われて非としえる者がない。猩猩は往ったことを知って来ることを知らず、乾鵠は来ることを知って往ったことを知らない。これは長短の分かれである。かつて萇弘は周の室で数を執る者で、天地の気、日月の運行、風雨の変わり、律暦の数に、通じないところがなかったが、自らを知ることができず、車裂きにされて死んだ。蘇秦は匹夫で徒歩の人で、革の履と粗い笠で万乗の主を経め営み、諸侯を服して諾わせたが、車裂きの患いから自ら免れられなかった。徐偃王は慈しみと恵みを身につけ、身で仁義を行って、陸地から朝した国が三十二あったが、身は死に国は亡び、子孫にたぐいがなかった。大夫種は越王句踐を輔け翼け、彼のために怨みに報い恥を雪ぎ、夫差の身を捕え、地を数千里開いたが、身は属鏤の剣に伏して死んだ。これはみな治乱の機に達しながら、性を全うする備えを知らなかった者である。
故萇弘知天道而不知人事,蘇秦知權謀而不知禍福,徐偃王知仁義而不知時,大夫種知忠而不知謀。聖人則不然,論世而為之事,權事而為之謀,是以舒之天下而不窕,內之尋常而不塞。使天下荒亂,禮義絕,綱紀廢,彊弱相乘,力征相攘,臣主無差,貴賤無序,甲冑生蟣蝨,燕雀處帷幄,而兵不休息,而乃始服屬臾之貌,恭儉之禮,則必滅抑而不能興矣。天下安寧,政教和平,百姓肅睦,上下相親,而乃始立氣矜,奪勇力,則必不免於有司之法矣。是故聖人者,能陰能陽,能弱能彊,隨時而動靜,因資而立功,物動而知其反,事萌而察其變,化則為之象,運則為之應,是以終身行而無所困。故事有可行而不可言者,有可言而不可行者,有易為而難成者,有難成而易敗者。
だから萇弘は天の道を知って人の事を知らず、蘇秦は権と謀りを知って禍福を知らず、徐偃王は仁義を知って時を知らず、大夫種は忠を知って謀りを知らなかった。聖人はそうではなく、世を論じて事を為し、事を権って謀りを為す。それゆえ天下に広げても緩まず、尋常に収めても塞がらない。天下が荒れ乱れ、礼義が絶え、綱紀が廃れ、強弱が互いに乗り、力で征って互いに奪い、臣と主に差がなく、貴賤に序がなく、甲や冑に蟣や蝨が生じ、燕や雀が帷幄に処りながら、兵が休まないときに、そこでようやく従順な姿、恭しく倹しい礼を身につければ、必ず押さえ込まれて興りえない。天下が安寧で、政と教えが和して平らかで、民が厳かに睦み、上下が互いに親しんでいるときに、そこでようやく気と誇りを立て、勇と力を争えば、必ず有司の法を免れない。そのため聖人は、陰にも陽にもなりえ、弱くも強くもなりえ、時に随って動き静まり、資に因って功を立て、物が動けばその反ることを知り、事が芽ばえればその変わりを察し、化せばそのために象り、運ればそのために応じる。それゆえ生涯にわたって行っても困るところがない。だから事には、行えても語れないものがあり、語れても行えないものがあり、為しやすくて成しがたいものがあり、成しがたくて敗れやすいものがある。
所謂可行而不可言者,趨舍也;可言而不可行者,偽詐也;易為而難成者,事也;難成而易敗者,名也。此四策者,聖人之所獨見而留意也。誳寸而伸尺,聖人為之;小枉而大直,君子行之。周公有殺弟之累,齊桓有爭國之名,然而周公以義補缺,桓公以功滅醜,而皆為賢。今以人之小過揜其大美,則天下無聖王賢相矣。故目中有疵,不害於視,不可灼也;喉中有病,無害於息,不可鑿也。河上之丘冢,不可勝數,猶之為易也。水激興波,高下相臨,差以尋常,猶之為平。昔者曹子為魯將兵,三戰不勝,亡地千里。使曹子計不顧後,足不旋踵,刎頸於陳中,則終身為破軍擒將矣。然而曹子不羞其敗,恥死而無功。柯之盟,揄三尺之刃,造桓公之胸,三戰所亡,一朝而反之,勇聞于天下,功立於魯國。管仲輔公子糾而不能遂,不可謂智;遁逃奔走,不死其難,不可謂勇;束縛桎梏,不諱其恥,不可謂貞。當此三行者,布衣弗友,人君弗臣。然而管仲免於累紲之中,立齊國之政,九合諸侯,一匡天下。使管仲出死捐軀,不顧後圖,豈有此霸功哉!
いわゆる行えても語れないものは趣と舍であり、語れても行えないものは偽りと詐りであり、為しやすくて成しがたいものは事であり、成しがたくて敗れやすいものは名である。この四つの策は、聖人が独り見て意を留めるところである。寸を屈めて尺を伸ばすことは聖人が為し、小さく枉げて大きくまっすぐにすることは君子が行う。周公には弟を殺した煩いがあり、斉の桓公には国を争った名があったが、周公は義によって欠けを補い、桓公は功によって醜さを消して、どちらも賢とされた。いま人の小さな過ちによってその大きな美を覆えば、天下に聖王も賢い相もなくなる。だから目のなかに疵があっても視ることに害がなければ灼けないし、喉のなかに病があっても息に害がなければ穿てない。河のほとりの丘や墳は数えきれないが、それでも平らかだという。水が激して波が興り、高低が互いに臨み、違いが尋常に至っても、それでも平らかだという。かつて曹子が魯のために兵を率い、三度戦って勝てず、地を千里失った。曹子が計って後を顧みず、踵を返さずに陣のなかで首を刎ねていたら、生涯にわたって軍を破り将を捕えられた者となっていた。しかし曹子はその敗れを羞じずに、死んで功のないことを恥じた。柯の盟で三尺の刃を抜いて桓公の胸に突きつけ、三度の戦いで失ったものをひと朝で返させ、勇は天下に聞こえ、功は魯の国に立った。管仲は公子糾を輔けて遂げられなかったので知とはいえず、遁れ奔ってその難に死ななかったので勇とはいえず、縛られ桎梏をかけられてその恥を憚らなかったので貞とはいえない。この三つの行いに当たれば、布衣の者も友とせず、人の君も臣としない。それでも管仲は繋がれた縄のなかから免れ、斉の国の政を立て、九度諸侯を会し、ひとたび天下を匡した。管仲が死に出て身を捨て、後の図りを顧みなかったなら、どうしてこの覇の功があったろうか。
今人君論其臣也,不計其大功,總其略行,而求其小善,則失賢之數也。故人有厚德,無問其小節;而有大譽,無疵其小故。夫牛蹄之涔不能生鱣鮪,而蜂房不容鵠卵,小形不足以包大體也。夫人之情,莫不有所短。誠其大略是也,雖有小過,不足以為累。若其大略非也,雖有閭里之行,未足大舉。夫顏喙聚,梁父之大盜也,而為齊忠臣。段干木,晉國之大駔也,而為文侯師。孟卯妻其嫂,有五子焉,然而相魏,寧其危,解其患。景陽淫酒,被髮而御於婦人,威服諸侯。此四人者,皆有所短,然而功名不滅者,其略得也。季襄、陳仲子立節抗行,不入洿君之朝,不食亂世之食,遂餓而死。不能存亡接絕者何?小節伸而大略屈。故小謹者無成功,訾行者不容於眾,體大者節疏,蹠距者舉遠。自古及今,五帝三王,未有能全其行者也。
いま人の君がその臣を論ずるとき、その大きな功を計らず、その大略の行いを総べず、その小さな善を求めれば、賢を失う数である。だから人に厚い徳があれば、その小さな節を問わず、大きな誉れがあれば、その小さな瑕を疵としない。そもそも牛の蹄の窪みの水には鱣や鮪が生じず、蜂の房には鵠の卵が容れられない。小さな形は大きな体を包むに足らないのである。そもそも人の情には短いところがないものはない。まことにその大略が是であれば、たとえ小さな過ちがあっても煩いとするに足らない。もしその大略が非であれば、たとえ閭里の行いがあっても大きく挙げるに足らない。そもそも顔喙聚は梁父の大盗であったが、斉の忠臣となった。段干木は晋の国の大きな仲買であったが、文侯の師となった。孟卯はその嫂を妻として五人の子があったが、それでも魏の相となり、その危うさを寧んじ、その患いを解いた。景陽は酒に溺れ、髪をほどいて婦人を伴ったが、威は諸侯を服させた。この四人はみな短いところがあったが、功と名が滅びなかったのは、その大略が得られていたからである。季襄と陳仲子は節を立て行いを競い、汚れた君の朝に入らず、乱れた世の食を食べず、ついに飢えて死んだ。亡びを存らせ絶えたものを継げなかったのはなぜか。小さな節が伸びて大きな略が屈んだからである。だから小さく謹む者には成った功がなく、行いを譏る者は衆に容れられず、体の大きなものは節が疎く、足の開いたものは挙げるところが遠い。古から今まで、五帝三王に、その行いを全うしえた者はいない。
故易曰:「小過亨,利貞。」言人莫不有過,而不欲其大也。夫堯、舜、湯、武,世主之隆也;齊桓、晉文,五霸之豪英也。然堯有不慈之名,舜有卑父之謗,湯、武有放弒之事,五伯有暴亂之謀。是故君子不責備於一人,方正而不以割,廉直而不以切,博通而不以訾,文武而不以責。求於一人則任以人力,自修則以道德。責人以人力,易償也;自修以道德,難為也。難為則行高矣,易償則求澹矣。夫夏后氏之璜不能無考,明月之珠不能無纇,然而天下寶之者,何也?其小惡不足妨大美也。今志人之所短,而忘人之所修,而求得其賢乎天下,則難矣。夫百里奚之飯牛,伊尹之負鼎,太公之鼓刀,甯戚之商歌,其美有存焉者矣。眾人見其位之卑賤,事之洿辱,而不知其大略,以為不肖。及其為天子三公,而立為諸侯賢相,乃始信於異眾也。
だから『易』にいう。「小過は亨る。貞しきに利し。」人に過ちがないものはないが、その大きいことを望まないことをいったのである。そもそも堯・舜・湯・武は世の主の高まりであり、斉の桓公・晋の文公は五覇の豪英である。それでも堯には慈しまないという名があり、舜には父を卑しめたという謗りがあり、湯や武には放ち弑した事があり、五伯には暴れ乱れる謀りがあった。そのため君子は一人に備わることを責めず、方で正しくても割かず、廉で直でも切り立たず、博く通じても譏らず、文も武も備えても責めない。一人に求めるときは人の力によって任せ、自ら修めるときは道徳によってする。人に人の力によって責めれば償いやすく、自ら道徳によって修めれば為しがたい。為しがたければ行いは高く、償いやすければ求めは満ちる。そもそも夏后氏の璜にも傷がないわけにはいかず、明月の珠にも纇がないわけにはいかないが、それでも天下がこれを宝とするのはなぜか。その小さな悪が大きな美を妨げるに足らないからである。いま人の短いところを記して人の修めたところを忘れながら、天下にその賢を得ようと求めれば、難しい。そもそも百里奚が牛に飼をやり、伊尹が鼎を負い、太公が刀を鼓し、甯戚が商歌を歌ったことに、その美が在った。多くの人はその位の卑賤さ、事の汚れた辱めを見て、その大略を知らずに不肖と思った。彼らが天子の三公となり、立って諸侯の賢い相となるに及んで、ようやく衆と異なることを信じたのである。
夫發于鼎俎之間,出于屠酤之肆,解于累紲之中,興于牛頜之下,洗之以湯沐,祓之以爟火,立之于本朝之上,倚之于三公之位,內不慚於國家,外不愧於諸侯,符勢有以內合。故未有功而知其賢者,堯之知舜;功成事立而知其賢者,市人之知舜也。為是釋度數而求之於朝肆草莽之中,其失人也必多矣。何則?能效其求,而不知其所以取人也。夫物之相類者,世主之所亂惑也;嫌疑肖象者,眾人之所眩耀。故狠者類知而非知,愚者類仁而非仁,戇者類勇而非勇。使人之相去也,若玉之與石,美之與惡,則論人易矣。夫亂人者,芎藭之與藳本也,蛇床之與麋蕪也,此皆相似者。故劍工惑劍之似莫邪者,唯歐冶能名其種;玉工眩玉之似碧盧者,唯猗頓不失其情;闇主亂于姦臣小人之疑君子者,唯聖人能見微以知明。
そもそも鼎と俎のあいだから起ち、屠と酤の店から出、繋がれた縄のなかから解かれ、牛の頜の下から興った者を、湯や沐で洗い、爟の火で祓って、本朝の上に立たせ、三公の位に倚らせても、内では国家に慚じず、外では諸侯に愧じないのは、符となる勢いが内で合うものがあるからである。だから、まだ功がないうちにその賢を知ったのは堯が舜を知ったのであり、功が成り事が立ってからその賢を知ったのは市の人が舜を知ったのである。これによって度や数を捨てて、朝や店、草むらのなかで求めれば、人を失うことは必ず多い。なぜか。その求めを倣うことはできても、人を取るゆえのものを知らないからである。そもそも物が互いに似ていることは、世の主が乱れ惑うところであり、疑わしく似た象は、多くの人が眩むところである。だから狠い者は知に似ていて知ではなく、愚かな者は仁に似ていて仁ではなく、愚直な者は勇に似ていて勇ではない。人の互いの隔たりが玉と石のよう、美と醜のようであれば、人を論ずることは易しい。そもそも人を乱すものは、芎藭と藳本、蛇床と麋蕪であって、これはみな互いに似たものである。だから剣の工は莫邪に似た剣に惑うが、ただ歐冶だけがその種を名づけられ、玉の工は碧盧に似た玉に眩むが、ただ猗頓だけがその情を外さず、暗い主は君子に似せる奸しい臣や小人に乱されるが、ただ聖人だけが微かなものを見て明らかなものを知りえる。
故蛇舉首尺,而修短可知也;象見其牙,而大小可論也。薛燭庸子,見若狐甲於劍而利鈍識矣;臾兒、易牙,淄、澠之水合者,嘗一哈水而甘苦知矣。故聖人之論賢也,見其一行而賢不肖分矣。孔子辭廩丘,終不盜刀鉤;許由讓天子,終不利封侯。故未嘗灼而不敢握火者,見其有所燒也;未嘗傷而不敢握刃者,見其有所害也。由此觀之,見者可以論未發也,而觀小節可以知大體矣。故論人之道,貴則觀其所舉,富則觀其所施,窮則觀其所不受,賤則觀其所不為,貧則觀其所不取。視其更難,以知其勇;動以喜樂,以觀其守;委以財貨,以論其仁;振以恐懼,以知其節;則人情備矣。古之善賞者,費少而勸眾;善罰者,刑省而姦禁;善予者,用約而為德;善取者,入多而無怨。趙襄子圍於晉陽,罷圍而賞有功者五人,高赫為賞首。左右曰:「晉陽之難,赫無大功,今為賞首,何也?」襄子曰:「晉陽之圍,寡人社稷危,國家殆,群臣無不有驕侮之心,唯赫不失君臣之禮。」
だから蛇は首を一尺挙げれば長短が分かり、象はその牙を見れば大小を論じられる。薛燭や庸子は剣に狐の爪ほどのものを見て利鈍を識り、臾兒や易牙は淄と澠の水が合わさったものをひと口嘗めて甘苦を知った。だから聖人が賢を論ずるのは、その一つの行いを見れば賢と不肖が分かれる。孔子は廩丘を辞して、ついに刀や鉤さえ盗まず、許由は天子を譲られて、ついに封侯を利としなかった。だから、まだ灼けたことがなくても敢えて火を握らないのは、それが焼くところがあるのを見ているからであり、まだ傷めたことがなくても敢えて刃を握らないのは、それが害するところがあるのを見ているからである。これから見れば、見えるものによってまだ発していないものを論じられ、小さな節を観て大きな体を知りうる。だから人を論ずる道は、貴ければその挙げるところを観、富めばその施すところを観、窮まればその受けないところを観、賤しければその為さないところを観、貧しければその取らないところを観る。その難に遭うさまを視てその勇を知り、喜びと楽しみで動かしてその守りを観、財や貨を委ねてその仁を論じ、恐れと懼れで揺るがしてその節を知れば、人の情は備わる。古によく賞した者は、費えが少なくても衆を励まし、よく罰した者は、刑が省かれても奸が禁じられ、よく与えた者は、用いるものが約まっていても徳となり、よく取った者は、入るものが多くても怨みがなかった。趙襄子が晋陽で囲まれ、囲みが解けてから功ある者五人に賞したとき、高赫が賞の首となった。左右がいった。「晋陽の難で、赫には大きな功がありません。いま賞の首となるのはなぜですか。」襄子はこういった。「晋陽の囲みで、寡人の社稷は危うく、国家は殆く、群臣に驕り侮る心がないものはなかったが、ただ赫だけが君臣の礼を失わなかった。」
故賞一人,而天下為忠之臣者莫不終忠於其君。此賞少而勸善者眾也。齊威王設大鼎於庭中,而數無鹽令曰:「子之譽,日聞吾耳。察子之事,田野蕪,倉廩虛,囹圄實。子以姦事我者也。」乃烹之。齊以此三十二歲道路不拾遺。此刑省姦禁者也。秦穆公出遊而車敗,右服失馬,野人得之。穆公追而及之岐山之陽,野人方屠而食之。穆公曰:「夫食駿馬之肉,而不還飲酒者,傷人。吾恐其傷汝等。」遍飲而去之。處一年,與晉惠公為韓之戰,晉師圍穆公之車,梁由靡扣穆公之驂,獲之。食馬肉者三百餘人,皆出死為穆公戰於車下,遂克晉,虜惠公以歸。此用約而為德者也。齊桓公將欲征伐,甲兵不足,令有重罪者出犀甲一戟,有輕罪者贖以金分,訟而不勝者出一束箭。百姓皆說,乃矯箭為矢,鑄金而為刃,以伐不義而征無道,遂霸天下。此入多而無怨者也。
だから一人に賞して、天下に忠を為す臣で、その君に忠を終えない者がなかった。これは賞が少なくても善を励まされた者が多いということである。斉の威王は庭の中に大きな鼎を据えて、無塩の令を責めていった。「そなたの誉れは日ごとに私の耳に聞こえる。そなたの事を察すれば、田野は荒れ、倉廩は虚しく、牢は満ちている。そなたは奸しさによって私に事えた者だ。」そこで烹た。斉はこれによって三十二年のあいだ、道に落ちたものを拾わなかった。これは刑が省かれても奸が禁じられたということである。秦の穆公が出て遊んで車が壊れ、右の添え馬を失うと、野の人がそれを得た。穆公は追って岐山の南でこれに及んだが、野の人はまさに屠って食べていた。穆公はこういった。「そもそも駿馬の肉を食べて、そのあと酒を飲まない者は人を傷める。私はそれがお前たちを傷めることを恐れる。」みなに飲ませて去った。一年して、晋の惠公と韓の戦いをしたとき、晋の師が穆公の車を囲み、梁由靡が穆公の添え馬を押さえて捕えようとした。馬の肉を食べた三百余人がみな死を出して穆公のために車の下で戦い、ついに晋に克ち、惠公を虜にして帰った。これは用いるものが約まっていても徳となったということである。斉の桓公がまさに征伐しようとして、甲や兵が足らなかったので、重い罪のある者には犀の甲一つと戟一つを出させ、軽い罪のある者には金いくらで贖わせ、訟えて勝てなかった者には矢を一束出させた。民はみな喜び、そこで矢柄を矯めて矢とし、金を鋳て刃とし、不義を伐ち無道を征って、ついに天下に覇たった。これは入るものが多くても怨みがなかったということである。
故聖人因民之所喜而勸善,因民之所惡而禁姦,故賞一人而天下譽之,罰一人而天下畏之。故至賞不費,至刑不濫。孔子誅少正卯而魯國之邪塞,子產誅鄧析而鄭國之姦禁,以近諭遠,以小知大也。故聖人守約而治廣者,此之謂也。天下莫易於為善,而莫難於為不善也。所謂為善者,靜而無為也;所謂為不善者,躁而多欲也。適情辭餘,無所誘惑,循性保真,無變於己,故曰為善易。越城郭,踰險塞,姦符節,盜管金,篡弒矯誣,非人之性也,故曰為不善難。今人所以犯囹圄之罪,而陷於刑戮之患者,由嗜慾無厭,不循度量之故也。何以知其然?天下縣官法曰:「發墓者誅,竊盜者刑。」此執政之所司也。夫法令者罔其姦邪,勒率隨其蹤跡,無愚夫憃婦,皆知為姦之無脫也,犯禁之不得免也。然而不材子不勝其欲,蒙死亡之罪,而被刑戮之羞。然而立秋之後,司寇之徒繼踵於門,而死市之人血流於路。何則?惑於財利之得,而蔽於死亡之患也。
だから聖人は民が喜ぶところに因って善を励まし、民が憎むところに因って奸を禁じるので、一人に賞して天下がこれを誉め、一人を罰して天下がこれを畏れる。だから至上の賞は費えず、至上の刑は濫れない。孔子が少正卯を誅して魯の国の邪が塞がり、子産が鄧析を誅して鄭の国の奸が禁じられた。近いものによって遠いものを悟らせ、小さなものによって大きなものを知ったのである。だから聖人が約まったものを守って広く治めるというのは、これをいうのである。天下に善を為すことより易しいものはなく、善でないことを為すことより難しいものはない。いわゆる善を為すとは、静かにして無為であることであり、いわゆる善でないことを為すとは、騒がしくて欲が多いことである。情に適い余りを辞し、誘われ惑わされるところがなく、性に循って真を保ち、自分に変わりがないので、だから善を為すのは易しいという。城郭を越え、険しい塞を踰え、符や節を偽り、鍵を盗み、篡い弑し偽り誣いることは人の性ではないので、だから善でないことを為すのは難しいという。いま人が牢の罪を犯して刑戮の患いに陥るのは、嗜みと欲に飽きることがなく、度と量に循わないゆえである。何によってそうと知るのか。天下の県の官の法にいう。「墓を発く者は誅し、盗む者は刑する。」これは執政が司るところである。そもそも法令はその奸邪を網にかけ、締め率いてその跡を追うので、愚かな夫も鈍い妻もなく、みな奸を為せば脱れられず、禁を犯せば免れられないと知っている。それでも不才の子はその欲に勝てず、死亡の罪を蒙って刑戮の羞じを被る。それゆえ立秋の後には、司寇の徒が門に踵を連ね、市で死んだ人の血が路に流れる。なぜか。財と利を得ることに惑って、死亡の患いに覆われているからである。
夫今陳卒設兵,兩軍相當,將施令曰:「斬首拜爵,而屈撓者要斬。」然而隊階之卒皆不能前遂斬首之功,而後被要斬之罪,是去恐死而就必死也。故利害之反,禍福之接,不可不審也。事或欲之,適足以失之;或避之,適足以就之。楚人有乘船而遇大風者,波至而自投於水。非不貪生而畏死也,惑於恐死而反忘生也。故人之嗜慾,亦猶此也。齊人有盜金者,當市繁之時,至掇而走。勒問其故曰:「而盜金於市中,何也?」對曰:「吾不見人,徒見金耳!」志所欲,則忘其為矣。是故聖人審動靜之變,而適受與之度,理好憎之情,和喜怒之節。夫動靜得,則患弗過也;受與適,則罪弗累也;好憎理,則憂弗近也;喜怒節,則怨弗犯也。
いま隊を陳べ兵を設け、両軍が相対するとき、将が令を施していう。「首を斬れば爵を授ける。屈み撓む者は腰を斬る。」それでも隊列の卒がみな、先に進んで首を斬る功を遂げられず、後に腰を斬られる罪を被る。これは死を恐れることを捨てて必ず死ぬほうへ就くことである。だから利害の裏返り、禍福の繋がりは、審らかにせずにはいられない。事に、あるときは欲してまさに失うに足り、あるときは避けてまさに就くに足る。楚の人に舟に乗って大風に遭った者があって、波が至ると自ら水に身を投げた。生を貪り死を畏れないのではなく、死を恐れることに惑ってかえって生を忘れたのである。だから人の嗜みと欲も、やはりこれと同じである。斉の人に金を盗んだ者があって、市が賑わう時に当たって、至って掴んで走った。締め上げてその理由を問うていった。「そなたが市のなかで金を盗んだのはなぜか。」こう答えた。「私は人が見えず、ただ金だけが見えたのです。」志が欲するものであれば、自分の為すことを忘れる。そのため聖人は動と静の変わりを審らかにして、受けることと与えることの度に適い、好みと憎みの情を理めて、喜びと怒りの節を和らげる。そもそも動と静が得られれば患いは過ぎず、受けることと与えることが適えば罪は煩わせず、好みと憎みが理まれば憂いは近づかず、喜びと怒りが節されれば怨みは犯さない。
故達道之人,不苟得,不讓福;其有弗棄,非其有弗索;常滿而不溢,恆虛而易足。今夫霤水足以溢壺榼,而江,河不能實漏卮,故人心猶是也。自當以道術度量,食充虛,衣禦寒,則足以養七尺之形矣。若無道術度量而以自儉約,則萬乘之勢不足以為尊,天下之富不足以為樂矣。孫叔敖三去令尹而無憂色,爵祿不能累也;荊佽非兩蛟夾繞其船而志不動,怪物不能驚也。聖人心平志易,精神內守,物莫足以惑之。夫醉者,俛入城門,以為七尺之閨也;超江、淮,以為尋常之溝也;酒濁其神也。怯者,夜見立表,以為鬼也;見寢石,以為虎也;懼揜其氣也。又況無天地之怪物乎!夫雌雄相接,陰陽相薄,羽者為雛□,毛者為駒犢,柔者為皮肉,堅者為齒角,人弗怪也;水生蠬蜄,山生金玉,人弗怪也;老槐生火,久血為燐,人弗怪也。山出梟陽,水生罔象,木生畢方,井生墳羊,人怪之,聞見鮮而識物淺也。天下之怪物,聖人之所獨見;利害之反覆,知者之所獨明達也。同異嫌疑者,世俗之所眩惑也。
だから道に達した人は、いいかげんに得ず、福を辞さず、自分に在るものを棄てず、自分に在らないものを探さず、常に満ちていて溢れず、常に虚しくて満たしやすい。いま軒の滴りの水は壺や榼を溢れさせるに足るのに、江や河でも漏れる卮を満たせない。人の心もやはりこれと同じである。みずから道の術と度量によって当たり、食べて虚しさを充たし、衣で寒さを防げば、七尺の形を養うに足る。もし道の術も度量もないまま自ら倹約しても、万乗の勢いも尊さとするに足らず、天下の富も楽しみとするに足らない。孫叔敖は三度令尹を去っても憂う色がなかった。爵と禄が煩わせられなかったのである。荊の佽非は二匹の蛟が舟を挟んで巻いても志が動かなかった。怪しい物が驚かせられなかったのである。聖人は心が平らかで志が易しく、精神が内に守られて、物がこれを惑わすに足らない。そもそも酔った者は、屈んで城門に入り、七尺の閨だと思い、江や淮を越えて、尋常の溝だと思う。酒がその神を濁らせているのである。怯えた者は、夜に立てた表を見て鬼だと思い、横たわった石を見て虎だと思う。懼れがその気を覆っているのである。まして天地の怪しい物ならなおさらである。そもそも雌と雄が相接し、陰陽が相迫って、羽あるものは雛や□となり、毛あるものは駒や犢となり、柔らかいものは皮や肉となり、堅いものは歯や角となっても、人は怪しまない。水に蠬や蜄が生じ、山に金や玉が生じても、人は怪しまない。老いた槐から火が生じ、久しい血が燐となっても、人は怪しまない。山から梟陽が出、水に罔象が生じ、木に畢方が生じ、井に墳羊が生じれば、人はこれを怪しむ。聞き見ることがまれで、物を識ることが浅いからである。天下の怪しい物は聖人が独り見るところであり、利害の裏返りは知ある者が独り明るく達するところである。同異や疑わしいものは、世俗が眩み惑うところである。
夫見不可布於海內,聞不可明於百姓,是故因鬼神禨祥而為之立禁,總形推類而為之變象。何以知其然也?世俗言曰:「饗大高者而彘為上牲,葬死人者裘不可以藏,相戲以刃者太祖軵其肘,枕戶橉而臥者鬼神蹠其首。」此皆不著於法令,而聖人之所不口傳也。夫饗大高而彘為上牲者,非彘能賢於野獸麋鹿也,而神明獨饗之,何也?以為彘者,家人所常畜而易得之物也,故因其便以尊之。裘不可以藏者,非能具綈綿曼帛溫煖於身也,世以為裘者,難得貴賈之物也,而不可傳於後世,無益於死者,而足以養生,故因其資以讋之。相戲以刃太祖軵其肘者,夫以刃相戲,必為過失,過失相傷,其患必大,無涉血之仇爭忿鬥,而以小事自內於刑戮,愚者所不知忌也,故因太祖以累其心。枕戶橉而臥,鬼神履其首者,使鬼神能玄化,則不待戶牖之行,若循虛而出入,則亦無能履也,夫戶牖者,風氣之所從往來,而風氣者,陰陽相捔者也,離者必病,故託鬼神以伸誡之也。
そもそも見たことを海内に布くことができず、聞いたことを民に明らかにできないので、それゆえ鬼神や吉凶の兆しに因ってそのために禁を立て、形を総べたぐいを推してそのために象を変える。何によってそうと知るのか。世俗の言葉にいう。「大高に饗するには彘が上の牲となり、死人を葬るには皮衣を入れてはならず、刃で互いに戯れれば太祖がその肘を押し、戸の敷居を枕にして臥せば鬼神がその頭を踏む。」これはみな法令に著されず、聖人が口で伝えないところである。そもそも大高に饗するときに彘が上の牲となるのは、彘が野の獣や麋鹿より賢くて神明が独りこれを饗するからではない。ではなぜか。彘は家の者が常に飼って得やすい物だからで、その便に因って尊んだのである。皮衣を入れてはならないのは、綈や綿、薄い帛で身を温めるものを備えられないからではなく、世が皮衣を得がたく値の高い物と思うのに、それは後の世に伝えられず、死者に益がなく、生きた者を養うに足るので、その資に因って畏れさせたのである。刃で互いに戯れれば太祖がその肘を押すというのは、そもそも刃で互いに戯れれば必ず過失となり、過失で互いに傷めればその患いは必ず大きく、血を流す仇の争いや憤りの闘いもないまま、小さな事で自ら刑戮に身を入れることは、愚かな者が忌むことを知らないところなので、太祖に因ってその心を縛ったのである。戸の敷居を枕にして臥せば鬼神がその頭を履むというのは、鬼神が玄かに化しうるなら、戸や窓を通ることを待たず、もし虚ろを循って出入りするなら、やはり履むこともできない。そもそも戸や窓は風と気が往き来するところであり、風と気は陰陽が相ぶつかるものなので、それに遭えば必ず病む。だから鬼神に託して戒めを述べたのである。
凡此之屬,皆不可勝著於書策竹帛而藏於官府者也,故以禨祥明之。為愚者之不知其害,乃借鬼神之威以聲其教,所由來者遠矣。而愚者以為禨祥,而狠者以為非,唯有道者能通其志。今世之祭井灶、門戶、箕□、臼杵者,非以其神為能饗之也,恃賴其德,煩苦之無已也。是故以時見其德,所以不忘其功也。觸石而出,膚寸而合,不崇朝而雨天下者,唯太山;赤地三年而不絕流,澤及百里而潤草木者,唯江、河也;是以天子秩而祭之。故馬免人於難者,其死也葬之;牛,其死也,葬以大車為薦。牛馬有功,猶不可忘,又況人乎!此聖人所以重仁襲恩。故炎帝於火,死而為灶;禹勞天下,死而為社;后稷作稼穡,死而為稷;羿除天下之害,死而為宗布。此鬼神之所以立。北楚有任俠者,其子孫數諫而止之,不聽也。縣有賊,大搜其廬,事果發覺,夜驚而走,追,道及之,其所施德者皆為之戰,得免而遂反,語其子曰:「汝數止吾為俠。
およそこのたぐいは、みな書や策、竹や帛に著しきれず官府に蔵めておけないものなので、吉凶の兆しによってこれを明らかにする。愚かな者がその害を知らないので、そこで鬼神の威を借りてその教えを声にした。由って来たところは遠い。ところが愚かな者はそれを吉凶の兆しと思い、狠い者はそれを非と思う。ただ道ある者だけがその志に通じうる。いま世が井や灶、門や戸、箕や□、臼や杵を祭るのは、その神が饗しうると思ってのことではなく、その徳に頼り、煩わしく苦しめることが止まないからである。そのため時に従ってその徳を示すのは、その功を忘れないゆえである。石に触れて出、指幅のところで合わさり、朝が終わらないうちに天下に雨を降らせるのは、ただ泰山だけである。赤裸の地が三年続いても流れを絶たず、恵みが百里に及んで草木を潤すのは、ただ江と河だけである。それゆえ天子は秩を定めてこれを祭る。だから馬が人を難から免れさせれば、その死に際してこれを葬り、牛は、その死に際して、大きな車を薦として葬る。牛や馬にも功があれば、なお忘れられない。まして人ならなおさらである。これが聖人が仁を重んじ恩を継ぐゆえんである。だから炎帝は火において功があり、死んで灶となり、禹は天下のために労し、死んで社となり、后稷は稼と穡を作り、死んで稷となり、羿は天下の害を除き、死んで宗布となった。これが鬼神が立ったゆえんである。北楚に俠を任とする者があって、その子孫がしばしば諫めて止めさせようとしたが、聴かなかった。県に賊があって、大いにその家を捜したので、事は果たして発覚し、夜に驚いて走ったが、追われて道で及ばれた。その徳を施した者たちがみな彼のために戦い、免れることを得てそのまま返り、その子にこういった。「おまえたちはしばしば私が俠を為すのを止めた。
今有難,果賴而免身。而諫我,不可用也。」知所以免於難,而不知所以無難,論事如此,豈不惑哉!宋人有嫁子者,告其子曰:「嫁未必成也。有如出,不可不私藏。私藏而富,其於以復嫁易。」其子聽父之計,竊而藏之。若公知其盜也,逐而去之。其父不自非也,而反得其計。知為出藏財,而不知藏財所以出也,為論如此,豈不勃哉!今夫僦載者,救一車之任,極一牛之力,為軸之折也,有如轅軸其上以為造,不知軸轅之趣軸折也。楚王之佩玦而逐菟,為走而破其玦也,因珮兩玦以為之豫,兩玦相觸,破乃逾疾。亂國之治,有似於此。夫鴟目大而視不若鼠,蚈足眾而走不若蛇,物固有大不若小,眾不若少者。及至夫彊之弱,弱之彊,危之安,存之亡也,非聖人,孰能觀之!大小尊卑,未足以論也,唯道之在者為貴。何以明之?天子處於郊亭,則九卿趨,大夫走,坐者伏,倚者齊。當此之時,明堂太廟,懸冠解劍,緩帶而寢。非郊亭大而廟堂狹小也,至尊居之也。天道之貴也,非特天子之為尊也,所在而眾仰之。
いま難があったが、果たしてそれに頼って身を免れた。私に諫めたことは、用いられない。」難を免れたゆえを知って、難がなくなるゆえを知らない。事を論ずることがこのようであれば、どうして惑っていないだろうか。宋の人に娘を嫁がせる者があって、その娘に告げていった。「嫁ぎが必ず成るとは限らない。もし出されるようなら、ひそかに蔵めずにはいられない。ひそかに蔵めて富めば、それによって再び嫁ぐのが易しい。」その娘は父の計を聴いて、盗んで蔵めた。舅がその盗みを知ったので、追い出して去らせた。その父は自ら非とせずに、かえってその計が当たったとした。出されることに備えて財を蔵めることは知って、財を蔵めることが出されるゆえであることを知らない。論ずることがこのようであれば、どうして背いていないだろうか。いま賃で荷を載せる者が、一台の車の任に足らせ、一頭の牛の力を極めて、軸が折れるので、もしその上に轅や軸を足して造れば、軸や轅が軸の折れへ向かわせることを知らないのである。楚の王が佩玉を帯びて兔を追い、走ったためにその佩玉を割ったので、そこで二つの佩玉を帯びてそれに備えとしたが、二つの佩玉が触れ合って、割れることはかえって速くなった。乱れた国の治めは、これに似たところがある。そもそも鴟は目が大きいのに視ることは鼠に及ばず、蚈は足が多いのに走ることは蛇に及ばない。物にはもともと大きいことが小さいことに及ばず、多いことが少ないことに及ばないものがある。強さの弱さ、弱さの強さ、危うさの安らぎ、存ることの亡びに至っては、聖人でなければ誰がこれを観られよう。大小尊卑は論ずるに足らず、ただ道が在る者が貴いのである。何によってこれを明らかにするか。天子が郊の亭に処れば、九卿は趨り、大夫は走り、坐っていた者は伏し、倚っていた者は正す。このとき、明堂や太廟では、冠を懸け剣を解き、帯を緩めて寝ている。郊の亭が大きくて廟堂が狭く小さいからではなく、至って尊い者がそこに居るからである。天の道が貴いのは、ただ天子が尊いからではなく、それが在るところで人々が仰ぐからである。
夫蟄蟲鵲巢,皆嚮天一者,至和在焉爾。帝者誠能包稟道,合至和,則禽獸草木莫不被其澤矣,而況兆民乎!
そもそも冬ごもりの虫や鵲の巣がみな天一を向くのは、至上の和がそこに在るからである。帝たる者がまことに道を包み受け、至上の和に合いうるなら、禽獣や草木もその恵みを被らないものがない。まして億兆の民ならなおさらである。