いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻3 芹曝集

伝教によって、その事の体が当たらないことを申し上げる啓因。傳敎陳其事體非便。啓

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 215字 · 朗読 2.2分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻3 芹曝集 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

伏承。下敎反覆商量沈之形跡固多可疑然其云云之說猶是流聞之語虛實尙爲難知我國不可以此失待。天朝將官此事宋應昌主張而沈爲其嗾使表文先爲經略旗牌取去或有近似者若使中路郡邑故阻其行如拘執者然萬一知其出於。朝廷所命則其事無益而其致忿恨不但今日而已且在此雖或少遲其行而渡鴉水則誰能挽留許筬之行雖急必不得同時幷到北京無疑大抵危難之際酬應之道有萬不同好我者未必加親惡我者未必加疎要之牢籠含蓄泯其形跡勿令好巧之徒窺我淺深而益以爲計此亦一道臣之愚見如此敢。啓

伏して下教を奉じ、重ね重ね量ってみました。沈惟敬の跡にまことに疑わしいことが多いのですが、あれこれという言葉はまだ流れる噂で、真か偽かを知りがたいのです。わが国がこれで天朝の将を誤って待ってはなりません。

この事は宋応昌が主張したもので、沈惟敬は彼が煽ったものです。表文をまず経略の旗牌が持って行ったことは、ときには似たところがありますものの、もし中ほどの路の邑に、わざとその路をふさいで引き留めるようなことをさせて、万一それが廷の命から出たものと知られれば、その事は利することがなく、憤りと恨みを招くことが、ただ今日で終わらないでしょう。

またここでその歩みを少し遅らせたとしても、鴉水を渡ってしまえば、誰が引き留められましょうか。許筬の歩みは急ですが、かならず同じ時にあわせて北京に至ることはできないのは間違いありません。

およそ危く難しい時に応対する道は万に異なります。わが方を好む者だからといってかならずいっそう親しくなるのでもなく、わが方を憎む者だからといってかならずいっそう遠くなるのでもありません。要するに、寛やかに包み抱えて露さず(牢籠含蓄)跡を無くし、謀の多い者どもにわが方の浅さ深さをうかがわせて、いっそう謀を立てさせないようにすること、これもまた一つの方です。臣の愚かな見方がこのようですので、あえて申し上げます。

夾注 3

甲午二月

底本は姓の「沈」一字だけを記している。

甲午の年の二月

底本は鴉水である。明へ行く路で渡る江なので、鴨緑江(鴨水)の誤りと見られる。― 訳者