いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻3 芹曝集

辺りの当たるべき事を都元帥従事官の黄汝一に分け付けることを請う啓邊方事宜分付都元帥從事官黃汝一。啓

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 923字 · 朗読 7.8分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻3 芹曝集 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

都元帥從事官黃汝一今將下去凡。朝廷分付之事前後非一時未知擧行與否令元帥急速相考行未行別爲開錄啓聞且聞各官抄軍之事猶無頭緒控弦之士或多托故免防疲殘無用之兵逐日徵發不堪其苦逃散相繼文移督促一族鄰保幷被其毒民間騷然而軍中實無數百精卒極爲可憂前者令各官抄擇精軍以赴戰所其餘皆令備粮以充軍餉軍餉稍足則召募邊邑慣戰之士充補隊伍此最爲急務故屢屢知委今未知擧行如何此事更爲申勅施行且慶州宜寧相距隔遠勢不相接而中間數百里蕩然空虛賊若以零兵出沒於慶州宜寧牽掣我軍而以他兵出於空虛之地直擣內地無人呵禁言之可爲寒心聞鄭希玄獨在密陽而希玄旣非可倚之將所率又至少何能爲有無且觀宣傳官郭崑所言希玄立募得密陽等處之軍二百餘名中間乏散去今又得粮數十餘石散卒還爲來集者百餘名云以此見之苟能措備軍餉以聚散卒則軍未甞無也大扺慶尙一道人民渙散三年之內不復收拾獸驚鳥散飢餓輾轉而死者不可勝數往往流入賊中以爲資生之計故東萊金海之問我民充滿耕漁而我國將官守令則視之如草芥任其去來是眞爲賊驅民處事如此其何以回已散之人心而圖收復之長策乎今之爲將者拱手優遊於無事之地。朝廷使之戰守則必曰無軍將何能爲乎遇賊則必曰衆寡不敵且戰且退以此數語爲免罪塞責之文具略無勞心焦思死中求生之意誠使紀律素明此輩寧能免於鉄鉞乎卽目秋成已過蕩敗蓬获之地固所不論如幸而有孑遺之民往往依接耕作於海邊者盡爲賊所掠誠可痛心慶尙道粗完處如晋州昆陽陜川咸陽高靈居昌安陰山陰三嘉草溪宜寧丹城河東等地今年官穀收糴多少從實數急速相考除出明年種子農粮其餘盡以軍粮磨鍊計其各陣軍數詳細接濟俾無濫費乏絕之弊若民間稍有貯粟之人則亦以至誠開論不愛官爵免賤輕定石數零碎收合又令僧軍等於山深處多收橡實以備穀絕之時其他屯田所出及寺社位田與前日行移上番軍士價米公賤作米今年田稅一一摠數及時收拾以爲出納無使貪官猾將有所欺隱乾沒而密陽東萊金海各處失所之民多般撫恤壯者充爲軍伍其餘使之安接此亦急務之當行者尙州牧使鄭起龍驍勇善戰故陞堂上討捕將稱號者非但爲土賊一事也蓋以直路空虛而尙州爲嶺外鎭營大邑故使起龍因此召募以備緩急此意更令都元帥十分知委申勅與忠州節制使金命胤預爲約束凡有意外之事登時轉報把截直路譏察非常爲當他餘事前此已曾分明知會已上諸條更加着實施行事黃汝一處言送何如

都元帥従事官の黄汝一がいま下ります。およそ廷から分け付けた事が前後に一度二度でないのに、行ったかどうか分かりませんので、元帥に急ぎ調べさせ、行ったものと行わなかったものを別に記して申し上げさせてください。

また聞きますに、各々の邑で兵を抜く事がまだ筋道がなく、弓を引ける者はときに口実を言って防戍を免れ、疲れ衰えて無駄な兵ばかりを日ごとに徴し発するので、その苦しみに堪えられず逃げ散ることが互いに続いているとのことです。公文で催し督して、一族と隣の保までもあわせてその毒を被り、民のあいだが騒がしいのに、軍の中にはまことに数百の精しい軍卒がないとのことですので、至って憂えられます。

さきに各々の邑に精しい兵を選んで戦いの場へ進ませ、その残りはみな軍の糧を備えて軍餉を満たさせ、軍餉が少し優かになれば辺りの邑の戦いに慣れた兵を呼び集めて隊を満たさせることが最も急な事ですので、幾度も知らせましたが、いま行いがどうであるか分かりませんので、この事を改めて固く申して施し行わせてください。

また慶州と宜寧は互いに遠く離れて勢いが互いにつながらず、中ほどの数百里がすっかり空です。賊がもし切れ切れの兵で慶州と宜寧に出入りしてわが軍を引き捕らえ留め、他の兵で空の地に出てそのまま内地を撃ったなら、防ぐ人がありませんので、言うに寒心です。

聞きますに、鄭希玄が独り密陽にいるとのことですが、鄭希玄はすでに頼みにできる将ではなく、率いる兵も至って少ないので、何の助けになりましょうか。また宣伝官の郭崑が言ったところを見ますに、希玄が密陽などの地の兵二百余名を集め立てたが、中ほどで食べる物が尽きて散って行き、いままた穀数十余石を得たので、散った軍卒が戻って集まって来た者が百余名だとのことです。これで見ますに、まことに軍餉を備えて散った軍卒を集められるなら、兵はかつてなかったことはありません。

およそ慶尚の一つの道は、民が散ってから三年のうちに改めて収め入れられず、獣のように驚き鳥のように散って、飢えて転がり死んだ者を数え尽くせず、ときに賊の中へ流れ入って生きる道としています。それゆえ東莱と金海のあいだにわが民が満ちて田を耕し魚を取るのに、わが将と守令はこれを草のように見て、行くも来るも任せておりますので、これはまことに賊のために民を駆ってやることです。事の処理がこのようでありながら、どうしてすでに散った人の心を戻し、取り返す長い計を図れましょうか。

いま将となった者たちは、事のない所で手を取り合って閑かに過ごしていて、廷が戦い守らせればかならず「兵がないのに、これから何をするのか」と言い、賊に出会えばかならず「多いと少ないが向き合えない」と言って、戦いながら退きます。この幾つかの言葉で罪を免れ責めをふさぐ文句とし、少しも心を労し腸を焦がして死の中から生を求める意がありませんので、まことに規律が平生から明らかであったなら、この者どもがどうして斧を免れられましょうか。

いま秋の取り入れがすでに過ぎました。崩れて蓬の原となった地はもとより論ずるに足りませんが、幸いに残る民がときに海の辺に寄って耕していたものまでことごとく賊に掠められますので、まことに心が痛みます。

慶尚道でおおよそ全い所である晋州・昆陽・陜川・咸陽・高霊・居昌・安陰・山陰・三嘉・草渓・宜寧・丹城・河東などの地は、今年の官の穀を収め入れたものがどれほどか、実の数のとおりに急ぎ調べて、来年の種と農糧を差し引き、その残りはみな軍の糧として備え、各々の陣の兵の数を量って詳しく送り与え、溢れて用いたり尽きたりする弊がないようにしてください。

民のあいだに少しでも穀を積んでいる人があれば、これもまた至誠で諭して、官の爵を惜しまず、賤を免れさせ、石の数を軽く定めて、些細なものでも収め集めてください。また僧の軍などに深い山でどんぐりを多く集めさせて、穀が尽きる時に備えさせてください。その他に屯田から出るものと寺の位田、過ぎた日に公文を送った上番の兵の代わりの米、公賤の米に換えたもの、今年の田に課した税を、一つ一つ総数を出して時に合わせて収め入れ、出し入れがあるようにし、貪る官員と狡い将が欺き隠して飲み込むことがないようにしてください。

密陽・東莱・金海の各々の所の住む所を失った民は、さまざまに撫で顧みて救い、壮丁は軍の伍に満たし、その残りは安らかに寄せて住まわせてください。これもまた急ぎ行うべき事です。

尚州牧使の鄭起龍は鋭く勇ましくてよく戦いますので、堂上に陞せて討捕将と称させたのは、ただ土賊という一つの事のためだけではありません。おおよそ直の路が空で、尚州は嶺(鳥嶺)の向こうの大きな営がある邑ですので、起龍にこれを機として兵を呼び集め、急な時に備えさせたのです。この意を改めて都元帥に十分に知らせて固く申させ、忠州節制使の金命胤とあらかじめ約して、およそ思いもしない事があればその場で伝えて知らせ、直の路をふさいで守り、ただならぬものを察させるのが当たっております。

その他の事はこれより先にすでに明らかに知らせました。右の諸々の条を改めて着実に施し行うよう、黄汝一に言って遣わされてはいかがでしょうか。