有旨を奉じた後に敵の情勢と北道の敵の形勢を馳せて報じた状啓有。旨祇受後馳報賊情及北道賊勢狀
本月十一日都承旨成貼有。旨書狀。天兵近當更爲前進非但接應事重亦慮粗定人心更或搖動卿其姑留鎭定更加措置事有。旨臣到嘉山祗受臣留此一二日檢勅定州以北接應之事欲還向安州臣受。命措備糧餉他餘利害非臣所管而憂慮之極未免妄陳所懷卽全賊勢猖獗益甚本道之事十分危迫平壤之賊旣無退歸之期而我軍敢戰之士死亡日多至於三縣乃一道根本軍糧所資且通於黃海京畿及下三道者皆由此路若三縣不保則順安雖有十萬之師而不可仍駐賊之散渙西出者將不可禦矣側聞三縣之軍前後死傷者不知其數僵屍如麻民心震懼而昨日有鳳山校生姜遇獵見臣于安州言賊兵自他處更聚于黃州者其數甚多云不無合勢之憂十六日之戰我軍進迫平壤而賊兵之數多於前日云且傳者言大同江賊新造船隻頗多纔聞我軍將進必招集醜類于遠近爲添兵拒戰之計萬一分道幷出乘我困怠直擣空虛則將何以支吾其爲寒心不可勝言今日之勢平壤未復出中興之望邈無其期矣加以各處軍器蕩然當初期運江邊弓箭輸到於順安肅川者亦多而數番之戰幾盡散射安州留在長片箭只各一千餘部又漸取去將不日匱竭更何以繼之耶此皆切迫之憂矣唐兵雖有先聲而尙不前來往來擺撥兒者臣觀其氣色多有畏怯縮忸之狀沿途徐行到處遲滯凡兵以氣用以勢勝若此者殊甚可慮大槪近日遠近民心頗奮將士用命所患者無一將才極爲痛悶軍糧則見儲之數外知委各官使之漸收秋租而今年道內各色貢物及內需司各司奴婢身貢皆令作米稍减其數使公私兩便庶幾軍儲不竭幷令該司早爲量處北道體探僧人覺慧等又以高原郡守邊潤牒呈及定平人燕應國等五人永興貢生李汝諒等文狀來到因言其道之事云高原郡守邊潤隱匿郡地賊尋來圍抱潤僅以身免有一民以本弓射賊三人卽死餘賊叩頭求哀之際又欲射之而弓折賊因突進搜索山中避亂之人盡皆屠戮死者數千其他處處男女枕籍而死者不知其數賊分處設伏見人輒殺人民皆隱避深谷不能出野餓死者亦多其遺民逢此僧見公文無不涕泣皆言苦待官軍來活我輩云而民之壯健者雖往往欲射賊而無一人持弓矢者計無所出云又言賊兵已到鏡城爲北兵使所敗。王子時住會寧事村民傳說未能知其虛實矣
本月十一日に都承旨が官印を押した有旨の書状に「明の軍がほどなく改めて前へ進んで来るであろうから、迎え応ずる事が重いだけでなく、やっと鎮まった人心が再び揺れ動くのではないかとも憂えられる。卿はまず留まって鎮め定め、処置を加えよ」とありましたのを、臣が嘉山に至って謹んで受けました。臣はこの地に一日二日留まって定州より北の迎え応ずる事を申し付けた後、安州へ帰ろうと思います。
臣は命を受けて軍糧を備えておりますので、そのほかの利害は臣の掌るところではありませんが、憂いが極まって、妄りに抱く思いを申し上げないわけにはいきません。
今、敵の形勢が狂い猛ることがいよいよ甚しく、本道の事は十分に危うく迫っております。平壌の敵はすでに退き帰る期がなく、我が軍のうち敢えて戦う士は死ぬ者が日ごとに多いのです。三県について申せば一道の本であり、軍糧の拠るところであり、また黄海・京畿と下の三道へ通ずる路がみなこの地を過ぎます。もし三県を守れなければ、順安にたとえ十万の軍が在ってもそのまま留まることはできず、敵が散って西へ出るのを防げなくなるでしょう。
ちらと聞きますに、三県の軍で前後に死し傷ついた者はその数を知れず、倒れた屍が麻のように立ち並んで民心が震え懼れていると申します。昨日は鳳山の校生の姜遇猟が安州で臣に会い、「敵兵が他所から改めて黄州に集まった数が非常に多い」と申しましたので、勢を合わせる憂いがないわけではありません。十六日の戦いで我が軍が進んで平壌に迫りましたが、敵兵の数が先の日より多かったと申します。また伝える者が申しますに、大同江に敵が新しく造った船がなかなか多く、我が軍が進もうとしていると聞くや、必ず遠近の醜い輩を招き集めて兵を加え、拒んで戦う計策とすると申します。もし路を分けて共に出て、我らの困り疲れた隙に乗じて空ろな所をまっすぐ衝けば、これからどのように支えるのでしょうか。その寒心すべきことは言い尽くせません。今日の形勢では平壌を取り戻せませんので、中興の望みは遥かで期がありません。
その上、諸所の軍器がすべて失われました。初めに期して運んで来た江辺の弓矢で順安と粛川に至ったものも多くありましたが、幾度かの戦いでほとんどすべて散らし射てしまいました。安州に残っている長箭と片箭はそれぞれ千余部だけなのに、また次第に持って行きますので、幾日もせずに尽きるでしょう。重ねて何を以て継ぎ給するのでしょうか。これがみな切迫した憂いです。
明の軍は声だけが先立ってまだ来ませんが、往き来する擺撥児たちの気色を臣が見ますと、畏れ怯え縮む様が多く、路に沿ってゆるゆると行き、至る所で遅く滞ります。およそ兵は気で用い勢で勝つものですのに、このようですからひどく憂慮されます。おおよそ近ごろ遠近の民心はなかなか奮い立ち、将と士も命に従うのに、憂えられるのは将たる才が一人もないことですので、ひどく痛み悩まれます。
軍糧は今蓄えた数のほか、各邑に知らせて秋の租を次第に収めさせました。また本年、道中の諸色の貢物と内需司・各司の奴婢の身の貢をみな米に換えさせ、その数を少し減らして公私ともに便となるようにすれば軍の蓄えが尽きないように思われますので、併せて該当の司に命じて早く量って処させてください。
北道を体探した僧の覚慧らが、また高原郡守の辺潤の牒呈と、定平の人の燕応国ら五人、永興の貢生の李汝諒らの文を持って来て、その道の事を申しました。
高原郡守の辺潤が邑の地に隠れていたところ、敵が尋ね来て囲み抱えましたので、辺潤はかろうじて身だけを免れました。一人の民が自分の弓で敵を射て三人がすぐ死にますと、残る敵が頭を叩いて哀れみを求めた折、また射ようとして弓が折れました。敵はこの隙に突き進んで山の中に避難した人を捜して尽く屠り殺しましたので、死んだ者は数千です。そのほか所々で男女が互いに重なって死んだ者はその数を知れません。敵が所々に伏兵を分け置いて人を見ればすぐ殺しますので、民はみな深い谷に隠れて野に出られず、飢えて死ぬ者も多いのです。
残った民はこの僧に遇って公文を見ると、涙を流さない者はなく、みな「官軍が来て我らを活かしてくれることを切に待っている」と申しました。民のうち壮く健やかな者がときおり敵を射ようとしても、弓矢を持つ者が一人もなく、計策の出る所がないと申します。また申しますに、敵兵がすでに鏡城に至って北兵使に敗れたことと、王子がちょうど会寧に留まっておられるという事は、村の民が伝える話なので、その虚実を知ることができないとのことでした。
夾注 1
壬辰八月
壬辰の年八月。