いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻8 辰巳錄

有旨を奉じた事を申し上げた状啓有。旨祇受狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 251字 · 朗読 2.2分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻8 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

去月二十四日同副承旨成貼有。旨書狀及二十五日同副承旨成貼有旨書狀臣在安州一時祗受其中商量規畫母失機會事臣當與元師議處近日中和黃州等處馳報皆言賊兵連續下來兇謀所在必非徒然而中和西陣新被陷沒賊氣益驕今之事勢一日危於一日所當早爲决計死中求生不可淹留引日坐待狼狽此不待智者而知前月間諸將頗有進取之意而適值將帥遞代又有唐將出入講解之事更成遷延今李鎰及鄭希賢等各赴其陣已數日方有措置申布約束約束稍定相機之擧似不可無第臣之所憂者自秋及今諸處軍民日望唐兵旣久不至衆心未免少懈且遊擊還歸之日恐與擧事之際相值再成掣肘憫慮萬端

去る月の二十四日に同副承旨が成貼した有旨の書状と、二十五日に同副承旨が成貼した有旨の書状を、臣が安州で一度に恭しく受けました。そのうち、量って計り画いて機会を失うなと仰せになった事は、臣が当然、元帥と議して処します。

近ごろ中和・黄州などの地から馳せ来た報せがみな敵兵が相次いで下って来ると申しますので、凶い謀りごとの在るところが必ず徒事ではないでしょう。ところが中和の西の陣が新たに陥ちて、敵の気勢がいよいよ驕っております。今日の形勢は一日が一日より危ういのです。当然、早く計策を決して死の中から生を求めるべきで、長く留まって日を引き、座したまま狼狽を待ってはなりません。これは智ある者を待たずとも分かることです。

去る月に諸将がなかなか進んで取る意がありましたが、ちょうど将が替わり、また明の将が出入りして講和する事があって、重ねて引き延ばすことになりました。今、李鎰と鄭希賢らがそれぞれその陣に赴いてすでに幾日になり、まさに処するところがあって約束を重ねて布いております。約束が少し定まれば、機を見て挙げる事がないわけにはいかないように思われます。

ただ臣が憂えるところは、秋から今まで諸所の軍と民が日ごとに明の軍を望んだのに、すでに久しく至らないので、衆の心が少し怠ることを免れないことです。また遊撃が帰る日が事を挙げる折と相い遇って、重ねて引き掣えることになるのではないかと恐れますので、悩ましい憂いが万通りです。

夾注 1

十二月六日

十二月六日。