いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻11 辰巳錄

敵の形勢を申し上げる状啓馳。啓賊勢狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 288字 · 朗読 2.4分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻11 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

近日賊勢大槪已具於各處馳報自今月初十日賊兵散出於東邊焚蕩殺戮於楊州抱川以及加平之境李時言鄭希玄朴名賢高彥伯等或接戰或設伏射斬邀擊昨日臣軍官金善義都元師軍官崔韻等及防禦使軍人僧軍等又爲邀擊於松橋近處斬得十餘級西邊則自碧蹄退兵之後賊兵久不出入惟於延曙等處往來刈草還入城中而倡義將朴惟仁秋義將尹先正義兵將李山輝等連日交戰所斬亦多首級之數已載於前日狀。啓矣賊兵雖似數多而我國被虜者居半官義諸軍不無爭先賈勇之氣頗勝於前日所患者軍食不敷僅得連命人馬困乏不堪馳突擊刺難以大捷惟此一事無善處之䇿當日午時巡邊使李薲體探軍人馳報內賊兵巳時新院近處先鋒及後軍連續出來云雖未必來犯坡州等處而時方戒嚴待變

このごろの敵の形勢は、おおよそ処々から馬を駆って告げた書にすでに備わっております。今月十日から敵兵が東へ散り出て、楊州・抱川から加平の境に至るまで焼き、殺しましたが、李時言・鄭希玄・朴名賢・高彦伯らがおりおり相まじえて戦い、おりおり伏兵を置いて射り斬り、迎え撃ちました。昨日は臣の軍官金善義と都元帥の軍官崔韻ら、それに防禦使の兵と僧軍らが、また松橋の近くで迎え撃って十数級を斬りました。

西は碧蹄で兵を退いた後、敵兵が長く出入りせず、ただ延曙などの地へ往き来して草を刈り、城の中へ帰り入ります。倡義将朴惟仁・秋義将尹先正・義兵将李山輝らが日を継いで戦って斬ったものも多く、首を斬った数はすでに先に上げた状啓に載せました。

敵兵は数が多いように見えますが、我が国の人で捕らわれた者が半ばを占めております。官軍と義兵の諸々の兵には先を争って勇を振るう気がないわけではなく、先日よりかなり良くなりました。気がかりなのは、軍糧が足らずやっと命を継げるほどで、人も馬も疲れ弱って駆け入って突き刺すことに堪えませんので、大いに勝つことが難しいということです。ただこの一事には、よく処する策がありません。

その日の昼、巡辺使李薲の偵察の兵が馬を駆って告げたところに、敵兵が巳の刻に新院の近くへ先鋒と後の軍が続いて出て来たとのことです。坡州などの地を必ず侵しに来るのではないでしょうが、まさに警めを厳しくして変を待っております。

夾注 1

癸巳三月二十二日

癸巳の年三月二十二日。