宣諭官李貴が粟を集めた次第と、李貴をひとまず従事官として留め置く事を申し上げる状啓馳。啓宣諭官李貴募粟辭緣及姑留李貴爲從事官狀
宣諭官李貴牒呈內卑職去年十二月承宣諭之。命及道關據持空名帖往黃海江原等道曉諭民間收合升斗以助軍需納粟人等成册上使事牒呈當初李貴以國事方急隨力扶助之意出入民間周遍曉諭零𤨏收合所得雜糓三百六十六石除已輸到開城府爲。天兵糧餉外其餘則添補於我國軍餉俾免數日飢餓之患矣向前李貴於。天兵來駐開城之後各處糧草未及之際臣馳送于安峽伊川平康遂安等處運米豆三百餘石細折草三百餘石長草五千六百束來到以補其不足此後別無宣諭之事而臣所率從事官只一人凡千分遣檢督之際常患無人李貴姑留臣處稱爲從事官使之往來各處看檢糧草等事矣
宣諭官李貴の牒呈にこうございました。「わたくしは昨年十二月に宣諭せよとの命と道の関文によって、名を空けておいた任命状を持って黄海・江原などの道へ行き、民間に説き諭して升や斗を取り集めて軍需を助け、粟を納めた人々を帳に作って上げるようにいたしました」。
もともと李貴は、国の事がまさに急であるから力に応じて助けるべきだという意で、民間に出入りしてあまねく説き諭し、細々と取り集めて雑穀三百六十六石を得ました。すでに開城府へ運んで明の軍の糧としたものを除き、その残りは我が国の軍糧に加えて、幾日か飢える患いを免れさせました。
先に李貴は、明の軍が開城に来て留まった後、処々の糧と秣が間に合わなかった時に、臣が安峡・伊川・平康・遂安などの地へ馳せ遣わし、米と豆三百余石、細かく刻んだ秣三百余石、長い秣五千六百束を移して来て、その足りないところを補いました。
この後は別に宣諭する事がなく、臣が連れております従事官はただ一人だけで、あらゆる事に分け遣わして検べ督する折に、常に人がなくて困ります。李貴をひとまず臣のいる所に留め置いて従事官と称し、処々を往き来して糧や秣などの事を検べさせました。
夾注 2
癸巳三月二十七日
癸巳の年三月二十七日。
空名帖 ― 受ける人の名を空けておいた任命状