いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻11 辰巳錄

提督のすることを申し上げる状啓馳。啓提督所爲狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 351字 · 朗読 2.9分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻11 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣等再昨面見提督提督明示進兵之意且言明日當先送南方炮手于臨津及坡州臣等不勝喜幸意有庶幾之望然且難恃退而呈文極陳和戰利害則提督亦以其言爲是至於逐段批示今日查總兵密遣通事申應冲言於臣曰沈雖往來龍山而獨不見平壤之事乎須勿傳播此意亦須放心勿爲用慮可也且遣毋遊擊率兵探視東邊道路若將進兵之爲者卽刻見倡義使金千鎰馳報謄書狀。啓之辭則似專出於講解怳惚莫測頭緒臣等前夜因。陵寢之變號泣提督門外提督密使通事附耳分付云兵機不可漏洩今但言。天將欲爲講解使賊聞此言而已切不可言用兵此意陪臣何不知而輕率如此乎云云而然臣等所料則終有所不可測知者恐是以此慰解臣等而實主於講解尤爲悶痛萬一賊兵退歸則臣前日已令京畿忠淸等道紏合官義之兵相機勦擊而近日又送義勇隊及軍官李忠韓士立申晛金克忠等分道設伏於漢江以南更爲約束於此處諸將使之觀勢進勦毋失機會

臣らが一昨日、提督に会って見ますと、提督は兵を進める意を明らかに示し、また明日、南の砲手をまず臨津と坡州へ送ろうと申しました。臣らは喜ばしく幸いなることに堪えず、ほぼ望めそうだという思いがありましたが、また信じがたく、退いて呈文を上げ、和と戦の利と害を極めて申し述べますと、提督もその言葉を正しいと思い、段ごとに指示を下すまでになりました。

今日、査総兵が通事申応冲を密かに遣わして臣に言わせるに、「沈遊撃が龍山を往き来しているが、どうして平壌の事を見なかったのか。どうか言い広めるな。この意も、どうか心を置いて憂えないほうがよい」と申しました。また毋遊撃を遣わして兵を率いて東の道を察し見させましたので、あたかも兵を進めようとしているかのようでした。ところがすぐに、倡義使金千鎰が馬を駆って告げたものを写して状啓に上げた言葉を見ますと、もっぱら和を講ずることから出たようで、ぼんやりとして糸口を測ることができません。

臣らが昨夜、陵寝の変事によって提督の門の外で泣き叫びますと、提督は密かに通事を介して耳に寄せて言いつけ、「軍の機は漏らしてはならない。いま、ただ明の将が和を講じようとしていると言って、敵にこの言葉を聞かせるだけであるから、けっして兵を用いると言うな。そなたたち陪臣がどうしてこの意を知らず、このように軽はずみなのか」と申しました。しかし臣らが計りますところでは、ついに計り知れないものがありますので、これで臣らを慰めて解いておき、実は和を主としているのではないかと恐れ、いっそう心が焦がれます。

もし敵兵が退き帰るのであれば、臣は先にすでに京畿・忠清などの道へ、官軍と義兵を取り集めて機を見て討ち撃たせました。このごろまた義勇隊と軍官李忠・韓士立・申晛・金克忠らを遣わして、道を分けて漢江の南に伏兵を置かせました。改めてこの地の諸将に約束して、形勢を見て進んで討ち、機会を失わないようにさせました。

夾注 3

四月十一日

四月十一日。

陪臣 ― 天子の側から見て諸侯の臣を指す言葉

底本は姓だけを記して「沈」としている。