いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻11 辰巳錄

周参将が敵陣へ入った理由と、慶尚道に倭賊が加えて来た事を申し上げる状啓馳。啓周參將往入賊陣緣由及慶尙道倭賊添來狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 539字 · 朗読 4.8分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻11 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣昨日往坡州與權慄約束軍事日暮有周叅將弘謨旗牌朱朝元率三百餘人以皷吹前導而至臣令從事官柳熙緒李貴等問安且問去處則答以欲向京城迎來。王子及被擄諸臣云俄而令擺撥兒宋後漢出語云旗牌至此陪臣須入扣頭行禮臣答以旗牌扣頭所不敢辭但此乃往于倭營之旗牌生等何須先爲扣頭且倭賊有不共戴天之讎本國則萬無許和之理尤不可扣頭承命叅將大怒促之不已臣終不入則因又山示經略牌文其中一款云朝鮮國與倭賊固爲不共戴天然今已乞貢請降姑且聽候本部報復啓釁者斬云臣等不勝痛惋語之曰觀此牌文是欲我兵不殺倭賊寧有是理尤不可承命反覆爭辨終不叩頭而退又爲呈文於提督則每以軍機難泄勿爲焦心等語慰解且推托於經略其爲痛迫不可形言大槪沈遊擊入賊中而不還者今已六七日其事極爲荒唐而凡百擧措全不使我人聞知以此其間曲折不得與聞賊謀難測遲延時月狼狽日甚雖提督向臣等所言如此而亦難可憑卽刻慶尙左監司韓孝純四月初三日成貼牒星内近日東萊釜山賊勢比前大異前則往來之船多不過三四十隻今則不知其數來泊者至於再次賊情所在極爲叵測云賊兵添來之言雖不可知其虛實而時方風和兇賊逞計萬端豈無此憂所當登時急擊以奪其氣而。天將處置雜出於和戰之計屢失機會尤爲痛心近日分遣精兵方圖龍山等處之賊且遣別軍于漢江以南頗有斬獲而龍山則因沈游擊方在其處諸將未敢輕易下手今見牌文辭緣益深痛惋

臣は昨日坡州へ行って権慄と軍の事を約束しました。日が暮れるころ、参将周弘謨の旗牌を奉じた朱朝元が三百余人を率いて、鼓と笛を前に立てて至りました。臣が従事官柳熙緒・李貴らに伺候させ、また行く所を問わせますと、「京城へ行って王子と捕らわれた諸臣を迎えて来ようと思う」と申しました。

やがて早飛脚の宋後漢を出して言わせるに、「旗牌がここへ至ったのであるから、そなたの国の臣は入って頭を地につけて礼を行わねばならない」と申しました。臣が答えて、「旗牌に頭を地につけることは、あえて辞るところではありません。ただこれは倭賊の陣へ行く旗牌でありますから、わたくしどもがどうして先に頭を地につけましょうか。そのうえ倭賊は一つの天を戴いて生きられぬ仇であり、我が国が和を許す理は万に一つもありませんから、いっそう頭を地につけて命を受けることはできません」と申しました。

参将は大いに怒って催促してやみませんでしたが、臣がついに入りませんと、続いてまた経略の牌文を出して見せました。その中の一条に、「朝鮮国が倭賊と一つの天を戴いて生きられぬことは、まことにそのとおりである。しかし今すでに貢を乞い降りを請うたのであるから、しばらくは本部の返報を待て。先に隙を開く者は斬る」とございました。臣らは痛ましく恨めしいことに堪えず、申しました。「この牌文を見ますと、我が兵に倭賊を殺すなということですが、どうしてこのような理がございましょうか。いっそう命を承ることはできません」。そして繰り返し争い論じた末、ついに頭を地につけずに退きました。

また提督へ書を上げましたが、常に「軍の機は漏らしがたいから、心を焦がすな」という類の言葉で宥め、また経略へ言い寄せますので、その痛ましく差し迫ったことは言葉で表せません。

おおよそ沈遊撃が敵の中へ入って帰らないのが、今すでに六、七日になります。その事がはなはだ荒唐であるのに、あらゆる振る舞いを我らの者にまったく知らせませんので、これによってその間の曲折を聞き得ません。敵の謀は計りがたく、月日ばかりを引いて狼狽が日ごとに甚しいのですから、提督が臣らに申したことがこのようであっても、やはり信じがたいのです。

ただいま、慶尚左監司韓孝純が四月三日に印を押して上げた牒呈に、「このごろ東莱と釜山の敵の形勢が以前と大いに違います。以前は往き来する船が多くても三、四十隻に過ぎなかったのに、今はその数がわからず、来て着けたのが二度に及びましたので、敵の内意がきわめて測りがたいのです」とございました。

敵兵が加えて来るという言葉は、その虚実はわかりませんが、まさに風の和らぐ季節でありますから、凶い敵が万端の謀を振るうのに、どうしてこの憂いがないでしょうか。まさに時に合わせて急ぎ撃ってその気を奪うべきでありますのに、明の将の処置が和と戦の計の間であちらこちらに出て、機会を幾度も失いましたので、いっそう痛ましく存じます。

このごろ鋭い兵を分け遣わして、まさに龍山などの地の敵を図り、また別に兵を漢江の南へ遣わして、かなり斬り取るところがありました。しかし龍山は沈遊撃がまさにその地にいますので、諸将があえて軽々しく手を下せません。いま牌文の次第を見まして、いっそう深く痛ましく恨めしく存じます。

夾注 5

同日

同じ日。

底本は山であるが、出の誤りと見る

底本は星であるが、呈の誤りと見る

底本は陪臣 ― 天子の前で諸侯国の臣がみずからを指す言葉

旗牌 ― 明の軍中で軍令を伝えるときに用いた旗と牌である。皇帝の命に代わるものなので、これに拝した。