晋州城が落ちた事を馳せ申し上げる状啓馳。啓晋州陷城狀
臣在京時聞慶尙左道兵勢孤弱及出城之後聞都元帥金命元留慶州欲就議事將發向左道及到道內聞晉州事急卽馳向右道而蕩敗之餘移日行路不見一人驛路不通文報不傳星州等處則糧料掃如一行飢困不得已寸寸前進轉向高靈及到安彥驛有一驛子自下而來乃持巡察使行移往戶曹判書李誠中處者而口傳晉州已於前月二十九日爲賊所陷臣不勝驚痛之至卽馳到高靈則文報猶不來而所傳之言果似非虛皆以爲賊累犯累退不意二十九日天雨城毁數疋長賊兵乘時亂入我軍不能禦入城之將則時未知某某人被害矣督捕使朴晉都元帥軍官朴宗男率軍結陣于高靈草溪之境而賊兵昨日已入草溪云距此只數十餘里人心危懼莫保頃刻大概右道一境已爲空虛之地而此縣自全羅道輸到軍糧千餘石亦露積在外賊若衝突皆當被奪臣方令差使員興德縣監李佶暫爲移置僻處矣劉總兵之軍今日自大丘來此結陣於縣南山上而其數不多其委官率來者云明與明明總兵亦率大軍來駐此處臣作爲禀帖馳人請救亦未知肯許與否臣觀此賊兇狡叵測佯以巧計少緩。天兵而吞噬無已在我無軍無食日就靡潰區區南方之保障惟恃晉州一邑猛將精兵多就城內而今又不幸徒爲拊心本道左右道地勢懸遠文移往復動經時日慶州等處尤甚虛疎而金命元又復遞去新元帥權慄雖在湖南之境而湖南諸邑守令亦因。天兵支待盡出在外道內幾於空虛末由䇿應尤爲悶慮
臣が京城にいたとき、慶尚左道の軍勢が孤り弱いと聞き、城を出た後は都元帥金命元が慶州に留まっているとのことで、参って事を議そうと左道へ発とうとしました。道内に至って晋州が危急だと聞き、ただちに右道へ馳せて行きました。しかしすっかり崩れた後で、幾日路を行っても人一人見えず、駅の路が通らず文書や報せが伝わりませんでした。星州などの地は糧が掃いたようになく、一行が飢え疲れて、やむなく一歩一歩進んで高霊へ向かいました。
安彦駅に至りますと駅の卒の一人が下の方から上って来るのに、巡察使の公文を持って戸曹判書李誠中のもとへ行く者でした。その者が口で伝えるに、晋州がすでに先月二十九日に敵に落とされたとのことで、臣は驚きと痛みの思いに堪えませんでした。ただちに馳せて高霊に至りましたが、文書の報せはまだ来ておらず、伝わった言葉はどうやら空言ではないようでした。みな申すに、敵が幾度も挑みかかって幾度も退いたのに、思いがけず二十九日に天から雨が降り注いで城が数尋ほども崩れ、敵兵がその隙に乗じて乱れて入り、我が兵が防げなかったとのことです。城へ入っていた将らは、誰々が害されたのかまだわかりません。
督捕使朴晋と都元帥の軍官朴宗男が兵を率いて高霊と草渓の境に陣を張りましたが、敵兵が昨日すでに草渓へ入ったとのことです。ここからやっと数十里の隔たりでありますから、人心が危うく恐れて、わずかの間も保てません。おおよそ右道の一帯がすでにがらんと空いた地となり、この邑に全羅道から運んで来た軍糧千余石も外に露わに積まれておりますので、敵が押し寄せればみな奪われるでしょう。臣は差使員の興徳県監李佶に、しばらく奥まった所へ移しておかせました。
劉総兵の兵が今日大丘からこの地へ来て、邑の南の山の上に陣を張りましたが、その数は多くありません。連れて来た委官が申すに、明日と明後日に総兵がやはり大軍を率いてこの地へ来て駐まるだろうとのことです。臣が禀帖を作って人を馳せ遣わして救援を請いましたが、聞き入れられるかどうかわかりません。
臣が見ますに、この敵は凶く狡くて計れません。巧みな謀で偽り飾って明の軍を少し緩めておき、呑み噬むことをやめません。我らの側は兵もなく食べるものもなく、日ごとに崩れて行きます。取るに足らぬ南の砦は、ただ晋州の一邑だけを恃み、猛き将と鋭い兵が多く城の中へ入っておりましたのに、いままたこうなりましたので、ただ胸を打つばかりです。
本道の左道と右道は地が遥かに遠く、公文が往き来するのにともすれば幾日もかかり、慶州などの地はいっそう空いて粗いのです。金命元がまた代わって行き、新しい元帥権慄は湖南の境にあり、湖南の諸邑の守令も明の軍の賄いのためにみな外へ出ていて、道内がほとんどがらんと空いて応ずる路がありませんので、いっそう気がかりです。
夾注 1
七月五日
七月五日。