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太子を正して諫める規諫太子第十二

貞観政要(貞観の治における政の要) 貞觀政要 · 呉兢 · 8世紀初め · 段落 24 · 漢字 3,996字 · 朗読 16.0分

貞観政要(貞観の治における政の要) 規諫太子第十二 唐の太宗が臣下と交わした言葉を主題ごとに集めた書。君主の道から始まり、諫言を受け入れる法、官吏を選ぶ法、刑罰と税と征伐を経て「終わりを慎む」で終わる。魏徴が面を合わせて折って諫め、太宗がそれを受け入れる場面が書の骨格である。高句麗の安市城をついに落とせずに退き、城主に絹を与えたこと、房玄齢が死に臨んで遼東征伐を止めた上疏もここにある。

貞觀五年,李百藥爲太子右庶子,時太子承乾頗留意典墳,然閑宴之後,嬉戲過度。百藥作《讚道賦》以諷焉,其詞曰:

貞観五年、李百薬が太子右庶子となった。そのとき太子の李承乾はかなり古の典籍に志を留めていたが、閑かな宴の後は遊び戯れることが度を過ぎていた。百薬は「道を賛える賦」を作って仄めかし諭した。その文はこうである。

下臣側聞先聖之格言,嘗覽載籍之遺則,伊天地之玄造,洎皇王之建國,曰人紀與人綱,資立言與立德。履之則率性成道,違之則罔念作忒。望興廢如從鈞,視吉凶如糾餧。至乃受圖膺籙,握鏡君臨。因萬物之思化,以百姓而爲心。體大儀之潛運,閱往古於來今。盡爲善於乙夜,惜勤勞於寸陰。故能釋層冰於瀚海,變寒穀於蹛林。總人靈以胥悦,極穹壤而懷音。

下の臣は傍らで先の聖人の正しい言葉を聞き、かつて古の記録に遺された法度を見ました。あの天地の幽かな作り、歴代の王が国を建てたことに至り、人の綱・人の紀と申すものは、言を立て徳を立てることに藉ります。これを践めば性に従って道を成し、これに違えば思いがなく乖りを作します。興ると廃れるとを望むことは糸車が回るのを追うようであり、吉と凶を見ることは絡まった縄のようです。

図録を受け符命を受けて、鑑を執り君として臨むに至っては、万物が成っていくことを思うことから、民を心とします。大いなる儀の幽かな動きを体し、過ぎた古の事を今日に照らし見ます。二更まで善を尽くし、短い陰にも勤めを惜しみます。だから寒い年に重なった氷を融かし、冷たい谷を大林に変えることができました。人と神霊があわせて相い悦び、天の果て地の果てまで歌声を懐きます。

赫矣聖唐,大哉靈命;時維大始,運鍾上聖。天縱皇儲,固本居正;機悟宏遠,神姿凝映。顧三善而必弘。祗四德而爲行。每趨庭而聞禮,常問寢而資敬。奉聖訓以周鏇,誕天文之明命。邁觀喬而望梓,即元龜與明鏡。自大道雲革,禮教斯起,以正君臣,以篤父子。君臣之禮,父子之親,盡情義以兼極,諒弘道之在人。豈夏啟與周誦,亦丹朱與商均。既雕且琢,溫故知新。惟忠與敬,曰孝與仁。則可以下光四海,上燭三辰。昔三王之教子,兼四時以齒學;將交發於中外,乃先之以禮樂。樂以移風易俗,禮以安上化人。非有悦於鍾鼓,將宣志以和神。寧有懷於玉帛,將克己而庇身。生於深宮之中,處於群後之上,未深思於王業,不自珍於匕鬯。謂富貴之自然,恃崇高以矜尚,必恣驕狠,動愆禮讓,輕師傅而慢禮儀,狎奸諂而縱淫放。前星之耀遽隱,少陽之道斯諒。雖天下之爲家,蹈夷儉之非一。或以才而見升,或見讒而受黜。足可以省厥休咎,觀其得失。請粗略而陳之,覬披文而相質。

輝かしいことです、聖なる唐。大いなることです、霊なる命。時は大いなる初めであり、運は上なき聖人に集まりました。天が生まれさせた帝の儲君は幹を固め正しさに処られ、機微を悟ることが広く遠く、霊なる姿が凝って映ります。三つの善を顧みて必ず広められ、四つの徳を慎んで行われます。庭を過ぎるたびに礼を聞かれ、つねに寝所を問うて敬いに藉られます。聖なる教えを奉じて周く巡られ、天の文の明らかな命を大きくされます。喬木を見て梓を望むようにされるので、大いなる亀であり明るい鏡であられます。

大いなる道が変わってから、礼の教えがここに起こって、君と臣を正し、父と子を厚くしました。君臣の礼と父子の親しみは、情と義を尽くしてあわせて至りますから、まことに道を広めることは人にあります。どうして夏の啓や周の誦だけでしょうか、丹朱や商均もありました。すでに琢み、また磨いて、古を習って新しきを知ります。ただ忠と敬、孝と仁と申しますから、下は四海を輝かせ、上は三つの星を明らかにすることができます。

昔、三王が子を教えるとき、四季をあわせて年の序で学ばせ、やがて内と外であわせて咲かせようとして、礼と楽を先にしました。楽では風俗を移し変え、礼では上を安んじて人を成っていかせます。鐘と鼓に悦びがあるからではなく、やがて志を展べて精神を和やかにしようとするのであり、どうして玉と帛に心があるでしょうか、やがて己に克って自分の身を覆おうとするのです。

深い宮の内で生まれ、諸々の侯の上に処って、王業を深く思わず、祭りの器を自ら惜しみません。富み貴いことを自然とそうなったものと申して、高さを恃んで誇り、必ず驕りと暴虐を恣にして、動けば礼と譲りを乖らせます。師傅を軽んじ礼儀を侮り、奸り諂う者と馴れて、淫りと放縦を放ちます。前の星の輝きがたちまち隠れ、少陽の道がそこで薄くなります。

天下を家としていても、平らかなところと険しいところを踏んだ事は一つではありません。あるものは才によって上げられ、あるものは謗りに遇って退けられました。その美と過ちを察し、その得失を見るに足ります。願って大略これを並べますから、文を開いて見られ、互いの資とされますよう。

在宗周之積德,乃執契而膺期;賴昌、發而作貳,啟七百之鴻基。逮扶蘇之副秦,非有虧於聞望,以長嫡之隆重,監偏師於亭障。始禍則金以寒離,厥妖則火不炎上;既樹置之違道,見宗祀之遄喪。伊漢氏之長世,固明兩之遞作。高惑戚而寵趙,以天下而爲謔。惠結皓而因良,致羽翼於寥廓。景有慚於鄧子,成從理之淫虐;終生患於強吳,由發怒於爭博。徹居儲兩,時猶幼沖,防衰年之絕議,識亞夫之矜功,故能恢弘祖業,紹三代之遺風。據開博望,其名未融。哀時命之奇舛,遇讒贼於江充,雖備兵以誅亂,竟背義而凶終。宣嗣好儒,大猷行闡,嗟被尤於德教,美發言於忠謇。始聞道於匡、韋,終穫戾於恭、顯。太孫雜藝,雖異定陶,馳道不絕,抑惟小善。猶見重於通人,當傳芳於前典。中興上嗣,明、章濟濟,俱達時政,咸通經禮,極至情於敬愛,惇友於於兄弟,是以固東海之遺堂,因西周之繼體。五官在魏,無聞德音。或受譏於妲己,且自悦於從禽。雖才高而學富,竟取累於荒淫。暨貽厥於明皇,構崇基於三世。得秦帝之奢侈,亞漢武之才藝。遂驅役於群臣,亦無救於凋弊。中撫寬愛,相表多奇。重桃符而致惑,納巨鹿之明規。竟能掃江表之氛穢,擧要荒而見羈。惠處東朝,察其遺蹟。在聖德其如初,實御床之可惜。悼愍懷之雲廢,遇烈風之吹沙。盡性靈之狎藝,亦自敗於凶邪。安能奉其粢盛,承此邦家!

宗周が徳を積んだことについては、符を執って時に応じ、昌と発に藉って次いで、七百年の大きな基を開きました。

扶蘇が秦の次となったことに至っては、聞くところの望みに欠けたところはありませんでしたが、長子の高く重い身で、辺境の塞で偏った軍を監みました。禍が始まって金が寒さで去り、妖しさが現れて火が燃え上がれませんでした。すでに立て置くことが道に違っていたので、宗廟の祀りが速やかに絶えるのを見ました。

あの漢氏が代を長くしたのは、まことに明らかさが二つ交互に起こった徳です。高祖は戚夫人に惑って趙王を寵み、天下を戯れとしました。恵帝は四人の白い老人を結び、張良によって虚しい天で翼を得ました。景帝は鄧氏に恥じるところがあり、理に従うといいながら淫りと暴虐を成し、ついに強い呉で憂えが生じたのは、博打の争いで怒りを発したことに由ります。

劉徹が儲君の座にあったときはまだ幼かったのですが、老いての絶った議論を防ぎ、周亜夫が功を誇ることを見抜きました。だから祖父の業を広めて、三代の遺った風を継ぐことができました。

劉拠が博望苑を開きましたが、その名はまだ明らかではありませんでした。時と命が異様に乖って、江充から謗る賊に遇ったことを痛みます。兵を備えて乱を斬ろうとしましたが、ついに義に背いて凶く終わりました。

宣帝の後嗣は儒学を好み、大いなる道が行われ明らかにされましたが、徳と教えで過ちを負ったことを痛み、忠で直いところから言を発したことを美しいとします。初めは匡衡と韋玄成から道を聞きましたが、ついに弘恭と石顕から罪を得ました。

太孫が雑な芸を習ったことは、定陶王とは異なり、馳道を絶たなかったことも小さな善にすぎません。それでも通達した者に重んじられたのですから、先の典籍に芳しさを伝えるに足ります。

中興の後の上代の後嗣、明帝と章帝は盛んで、みな時の政に通達し、みな経書と礼に通じ、敬と愛に至った情を尽くし、兄弟に友愛を厚くしました。だから東海王が遺した家を固め、西周が身を継ぐ法に倣いました。

魏の五官中郎将は徳ある声が聞こえませんでした。あるときは妲己に比べる嗤いを受け、また鳥を追うことを自ら楽しみました。才が高く学が豊かでしたが、ついに荒れた淫りに累いを負いました。

明皇に伝えるに至っては、三代にわたって高い基を結びました。晋の帝の奢りを得て、漢の武帝の芸に次ぎました。ついに群臣を駆り使いましたが、やはり雕れ弊れることを救えませんでした。

中ごろ撫でた者は寛やかで愛おしく、容貌に異なるところが多くありました。図符を重んじて惑いに至りましたが、鉅鹿の明らかな法度を納れました。ついに江南の汚れた気を掃い、遠い辺境を挙げて羈らせることができました。

恵帝が東朝にあったとき、その遺した跡を見ますに、聖なる徳がその初めのようであったなら、まことに君の常の事が惜しまれたでしょう。湣懐太子が廃されたことを悲しみますと、辛い風が砂を吹き出したのに遇ったようなものです。性と精神を尽くして芸に馴れましたが、やはり凶く邪な者に自ら崩れました。どうしてその祭りの器を奉じ、この国を継げたでしょうか。

惟聖上之慈愛,訓義方於至道。同論政於漢幄,修致戒於京鄗。鄙《韓子》之所賜,重經術以爲寶。咨政理之美惡,亦文身之黼藻。庶有擇於愚夫,慚乞言於遺老。致庶績於咸寧,先得人而爲盛。帝堯以則哲垂謨,文王以多士興詠。取之於正人,鑒之於靈鏡。量其器能,審其檢行。必宜度機而分職,不可違方以從政。若其惑於聽受,暗於知人,則有道者咸屈,無用者必伸。讒諛競進以求媚,玩好不召而自臻。直言正諫,以忠信而穫罪;賣官鬻獄,以貨賄而見親。於是虧我王度,斁我彝倫。九鼎遇奸回而遠逝,萬姓望撫我而歸仁。蓋造化之至育,惟人靈之爲貴。獄訟不理,有生死之異塗,冤結不伸,乖陰陽之和氣。士之通塞,屬之以深文;命之修短,懸之於酷吏。是故帝堯畫像,陳恤隱之言;夏禹泣辜,盡哀矜之志。因取象於《大壯》,乃峻宇而雕牆。將瑤台以瓊室,豈畫棟以虹梁。或凌雲以遐觀,或通天而納涼。極醉飽而刑人力,命痿蹶而受身殃。是以言惜十家之產,漢帝以昭儉而垂裕;雖成百里之囿,周文以子來而克昌。彼嘉會而禮通,重旨酒之爲德。至忘歸而受祉,在齊聖而溫克。若其酗以致昏,酖湎而成忒,痛殷受與灌夫,亦亡身而喪國。是以伊尹以酣歌而作戒,周公以亂邦而貽則。咨幽閑之令淑,實好逑於君子。辭玉輦而割愛,固班姬之所恥;脱簪餌而思愆,亦宣薑之爲美。乃有禍晉之驪姬,喪周之褒姒。盡妖妍於圖畫,極凶悖於人理。傾城傾國,思昭示於後王;麗質冶容,宜永鑒於前史。復有蒐狩之禮,弛射之場,不節之以正義,必自致於禽荒。匪外形之疲極,亦中心而發狂。夫高深不懼,胥靡之徒;韝緤爲娛,小豎之事。以宗社之崇重,持先王之名器,與鷹犬而並驅,凌艱險而逸轡。馬有銜橛之理,獸駭不存之地,猶有靦於穫多,獨無情而内愧?

ただ聖上の慈しみが、至った道で義の方途を教えられます。漢の帷幄で政を論じた事のようにされ、鎬京で戒めを成した事を修められます。『韓子』を下し与えた事を低いこととされ、経術を重んじて宝とされます。政と治めの美と悪を問われるのは、やはり身に文を置く刺繍です。愚かな夫からも択ぶところがあることを願われ、老人に言を借りられないことを恥じられます。

諸々の功績をみな安らかなところに至らせるには、まず人を得ることが盛んさとなります。堯は人を知る智で法度を垂れ、文王は多くの士で歌を興しました。正しい人から取り、霊なる鏡で照らされますよう。その器と能を量り、その察した行いを論じられますよう。必ず機微を量って職を分けるべきで、方途に違って政に従ってはなりません。

もし聞き納れることに惑い、人を知ることに暗ければ、道ある者はみな屈み、無用な者が必ず伸びます。謗り諂う者が競って進んでよく見られることを求め、玩び物は招かずとも自ら至ります。直い言と正しい諫めは忠と信で罪を得、官を売り獄を売る者は財と賄賂で近づきを受けます。そこで王の法度を虧き、常の人倫を崩します。九鼎は奸り邪な者に遇って遠く去り、万民はわれを撫でてくれることを願って仁に帰します。

およそ作ることと成っていくことの、至って育てる中で、ただ人の霊なることが貴いのです。玉の訟えが治まらなければ生きると死ぬとの別の道があり、怨みが結んで伸ばされなければ陰と陽の和らいだ気が乖ります。士の通ると塞がるとが深い法の条文に係り、命の長短が酷い官に掛かります。だから堯は図を描いて隠れた者を憐れむ言を展べ、夏の禹は罪人を見て泣いて、悲しみ憐れむ意を尽くしました。

『大壮』の卦から象を取れば、家を高くし壁を彫ります。やがて玉で台を築き珠で室を造るのですから、どうして描いた棟や虹の梁だけでしょうか。あるものは雲を越えて遠く望み、あるものは天に届いて涼しさを入れます。酔いと満腹を尽くして人の力に刑を与え、痺れと倒れを招いて身に災いを受けます。だから十戸の財を惜しむという言で、漢の帝は倹を明らかにして余りを垂れ、百里の苑を成しても、周の文王は子のように走り来た民で昌んになれました。

あの美しい会に礼が通じれば、香ばしい酒の徳たることを重んじます。帰ることを忘れ福を受けるに至っては、斉しく聖しく、温かに克つことにあります。もし酒の狂いで昏れに至り、酒に溺れて乖りを成せば、殷の紂や灌夫が身を失い国を失ったことが痛まれます。だから伊尹は酔って歌うことで戒めを作り、周公は国を乱すことで法度を遺しました。

幽かで閑かな賢い女は、まことに君子の良い配偶です。玉の輦に同乗することを辞して愛を割いたのは、まことに班婕妤が恥じて退けたことであり、簪と耳飾りを外して過ちを思ったことも宣姜の美しさです。そこに晋を禍に陥れた驪姫と、周を失わせた褒姒がありました。絵に妖しい艶を尽くし、人の道に凶く乖ることを尽くしました。城を傾け国を傾けた事は、後の王に明らかに示すことを思い、麗しい質と妖しい姿は、先の歴史から永く鑑とされるべきです。

また狩りの礼と射る場があります。正しい義で節を作らなければ、必ず自ら鳥を追う荒れに至ります。外は身が疲れ尽きるばかりでなく、また心のうちが狂います。そもそも高さと深さを懼れないのは囚人の輩の事であり、腕輪と縄を楽しみとするのは幼い僕の事です。宗廟と社稷の高く重いこと、先の王の名ある器をもって、鷹や犬と並んで走り、難しく険しいところを越えて手綱を放ちます。馬には銜と羈の理があり、獣は驚いて居られない場所へ行きます。それでもなお多く獲ったことを面に誇るのですから、ひとり情がなく、内に恥じられないのですか。

以小臣之愚鄙,忝不赀之恩榮。擢無庸於草澤,齒陋質於簪纓。遇大道行而兩儀泰,喜元良會而萬國貞。以監撫之多暇,每講論而肅成。仰惟神之敏速,歎將聖之聰明。自禮賢於秋實,足歸道於春卿。芳年淑景,時和氣清。華殿邃兮簾幃靜,灌木森兮風雲輕,花飄香兮動笑日,嬌鶯囀兮相哀鳴。以物華之繁靡,尚絕思於將迎。猶允蹈而不倦,極耽玩以研精。命庸才以載筆,謝摛藻於天庭。異洞簫之娛侍,殊飛蓋之緣情。闕雅言以讚德,思報恩以輕生。敢下拜而稽首,願永樹於風聲。奉皇靈之遐壽,冠振古之鴻名。

小さな臣の愚かで低い身で、量り知れない恩と栄えを辱なくも被りました。無用な身を草の茂る沢から抜いてくださり、低い質で官の列に年をともにしています。大いなる道が行われて二つの儀が太平であるのに遇い、太子に遇って万国が直さを喜びます。

国を省み撫でられる暇が多く、講論されるたびに厳かに成ります。仰いで霊なる速さを思い、聖人らしい聡明さに感嘆します。秋の実りで賢者を礼で遇されてから、春の官に道を回すに足ります。

芳しい年に清らかな陽、時は和やかで気は清らかです。輝く殿は深く、簾と帷は静かで、茂った木は密やかで、風と雲は軽やかです。花は香りを飛ばして笑う日を動かし、麗しい鶯は囀って互いに哀しく鳴きます。物の輝きが繁く麗しくても、なお送り迎える思いを絶たれます。それでいて、まことに踏み進むことを懈らず、好んで習うことを尽くして精しさを磨かれます。

拙い才に筆を執るよう命じられましたので、天の庭で文を作ることを辞します。簫で侍って楽しませる事とも異なり、飛ぶ車の蓋で情を継ぐ事とも異なります。正しい言で徳を賛えることには足りませんが、恩に報いることを思って命を軽くします。敢えて下で拝し頭を地につけて、美しい名が永く立つことを願います。君の霊なる長い命を奉じ、古を振るう大きな名をお用いになることを願います。

太宗見而遣使謂百藥曰:「朕於皇太子處見卿所作賦,述古來儲貳事以誡太子,甚是典要。朕選卿以輔弼太子,正爲此事,大稱所委,但須善始令終耳。」因賜廄馬一疋,彩物三百段。

太宗は見て、使いを遣わして百薬に言った。

「朕は皇太子のいるところで卿が作った賦を見た。古来の儲君の事を記して太子を戒めたのだから、はなはだ要を得ている。朕が卿を択んで太子を輔けさせたのは、まさにこの事のためであり、委ねたところに大いに適っている。ただ善く始めて終わりを良くせよ。」

そこで厩の馬一頭と彩りの物三百段を賜った。

貞觀中,太子承乾數虧禮度,侈縱日甚,太子左庶子於志寧撰《諫苑》二十卷諷之。是時太子右庶子孔穎達每犯顏進諫。承乾乳母遂安夫人謂穎達曰:「太子長成,何宜屢得面摺?」對曰:「蒙國厚恩,死無所恨。」諫諍愈切。承乾令撰《孝經義疏》,穎達又因文見意,愈廣規諫之道。太宗並嘉納之,二人各賜帛五百疋,黄金一斤,以勵承乾之意。

貞観の間、太子の李承乾がたびたび礼の法度を虧き、奢りと放縦が日ごとにひどくなったので、太子左庶子の于志寧が『諫苑』二十巻を作って仄めかし諭した。このとき太子右庶子の孔穎達はつねに顔を犯して諫めた。承乾の乳母の遂安夫人が穎達に言った。

「太子はもう大きくなられたのに、どうしてたびたび面と向かって折らねばならないのですか。」

答えて言った。

「国の厚い恩を受けたのですから、死んでも恨むところはありません。」

諫争はいっそう切になった。承乾が『孝経義疏』を作らせると、穎達はまた文に託して意を示し、いっそう法度で諫める路を広めた。太宗はあわせて嘉して納れ、二人におのおの絹五百匹と黄金一斤を賜って、承乾の意を励ませた。

貞觀十三年,太子右庶子張玄素以承乾頗以游畋廢學,上書諫曰:

貞観十三年、太子右庶子の張玄素が、承乾がかなり遊び狩りをして学をやめていることについて、書を奉って諫めた。

臣聞皇天無親,惟德是輔,苟違天道,人神同棄。然古三驅之禮,非欲教殺,將爲百姓除害,故湯羅一面,天下歸仁。今苑内娛獵,雖名異游畋,若行之無恒,終虧雅度。且傅說曰:「學不師古,匪說攸聞。」然則弘道在於學古,學古必資師訓。既奉恩詔,令孔穎達侍講,望數存顧問,以補萬一。仍博選有名行學士,兼朝夕侍奉。覽聖人之遺教,察既往之行事,日知其所不足,月無忘其所能。此則盡善盡美,夏啟、周誦焉足言哉!夫爲人上者,未有不求其善,但以性不勝情,耽惑成亂。耽惑既甚,忠言盡塞,所以臣下苟顺,君道漸虧。古人有言:「勿以小惡而不去,小善而不爲。」故知禍福之來,皆起於漸。殿下地居儲貳,當須廣樹嘉猷。既有好畋之淫,何以主斯匕鬯?慎終如始,猶恐漸衰,始尚不慎,終將安保!

臣が聞きますに、大いなる天は親しむことがなく、ただ徳ある者だけを輔けるといいますから、まことに天の道に違えば、人も神も共に棄てます。しかし昔、三方から駆った礼は殺すことを教えようとしたのではなく、やがて民のために害を除こうとしたのです。だから湯が網の一面を開くと、天下が仁に帰しました。いま苑の内で狩りを好まれるのは、名は遊び狩ることと異なっていても、もしこれを行うのに恒がなければ、ついに雅な法度を虧きます。

また傅説は「学んで古を師としないのは、わたしの聞いたことではありません」と言いました。それならば道を広めることは古を学ぶことにあり、古を学ぶことは必ず師の教えに藉ります。すでに恵みの詔を奉じて孔穎達に侍り講じさせておられるのですから、願いますにたびたび顧み問われて、万一でも満たされますよう。あわせて名と行いある学士を広く択んで、朝夕に兼ねて侍らせられますよう。聖人が遺した教えを見、すでに過ぎた事を察して、日ごとにその足りないところを知り、月ごとにその能くするところを忘れないようにされるなら、これは善を尽くし美を尽くしたことですから、夏の啓や周の誦とて、何を言うに足りましょうか。

そもそも人の上となった者で、その善を求めない者はありませんが、ただ性が情に勝てず、好んで惑って乱れを成します。好んで惑うことがすでにひどくなれば忠の言はみな塞がりますから、それで下の臣がかりそめに従い、君の道が次第に虧けます。古人は「小さな悪だからといって除かず、小さな善だからといって行わない、ということをするな」と言いました。だから禍と福が来るのは、みな次第から起こると分かります。

殿下は位が儲君にあられるのですから、美しい道理を広く植えられるべきです。すでに狩りを好まれる過度がおありなのに、何でこの祭りの器を主られるのでしょうか。終わりを慎むことを初めのようにしても、なお次第に衰えることが懼れられるのに、初めから慎まれないなら、終わりをどう守られるのでしょうか。

承乾不納。玄素又上書諫曰:

承乾は納れなかった。玄素はまた書を奉って諫めた。

臣聞稱皇子入學而齒胄者,欲令太子知君臣、父子、尊卑、長幼之道。然君臣之義,父子之親,尊卑之序,長幼之節,用之方寸之内,弘之四海之外者,皆因行以遠聞,假言以光被。伏惟殿下,睿質已隆,尚須學文以飾其表。竊見孔穎達、趙弘智等,非惟宿德鴻儒,亦兼達政要。望令數得侍講,開釋物理,覽古論今,增輝睿德。至如騎射畋游,酣歌妓玩,苟悦耳目,終穢心神。漸染既久,必移情性。古人有言:「心爲萬事主,動而無節即亂。」恐殿下敗德之源,在於此矣。

臣が聞きますに、皇子が学校に入って年の序に従うと称えるのは、太子に君臣・父子・尊卑・長幼の道を知らせようとするためといいます。そして君臣の義、父子の親しみ、尊卑の序、長幼の節を、心の一寸のうちに用いて四海の外へ広めることは、みな行いによって遠くに聞こえ、言を藉りて広く覆うものです。

伏して思いますに、殿下は智い質がすでに高くあられますが、まだ文を学んでその外を飾られるべきです。ひそかに見ますに、孔穎達と趙弘智らは古い徳の大儒であるばかりでなく、政の要にも通達しています。願いますに、たびたび侍り講じさせられ、物の理を開き解き、古を見て今を論じて、智い徳に光を加えられますよう。

馬に乗り弓を射て狩り遊び、酔って歌い妓を楽しむことに至っては、まことに耳と目を悦ばせますが、ついに心と精神を汚します。次第に染まることがすでに久しくなれば、必ず性と情を移します。古人は「心は万事の主である。動いて節がなければ乱れる」と言いました。懼れますに、殿下の徳を崩す源がここにあるのではないかと存じます。

承乾覽書愈怒,謂玄素曰:「庶子患風狂耶?」

承乾は書を見ていっそう怒り、玄素に言った。

「庶子は狂いの病にかかったのか。」

十四年,太宗知玄素在東宮頻有進諫,擢授銀青光祿大夫,行太子左庶子。時承乾嘗於宮中擊鼓,聲聞於外,玄素叩合請見,極言切諫。乃出宮内鼓對玄素毁之,遣戶奴伺玄素早朝,陰以馬檛擊之,殆至於死。是時承乾好營造亭觀,窮極奢侈,費用日廣。玄素上書諫曰:

十四年、太宗は玄素が東宮でしばしば諫めを奉ったことを知り、銀青光禄大夫に抜いて授け、太子左庶子を行わせた。そのとき承乾がかつて宮の内で鼓を打ち、音が外まで聞こえた。玄素は門を叩いて拝謁を請い、極まで言って切に諫めた。そこで宮の内の鼓を出して、玄素に向かい合って壊した。そのうえ家の僕を遣わして玄素が早い朝に出るのを窺わせ、ひそかに馬の鞭で打って、ほとんど死にかけた。

このとき承乾は亭や閣を造ることを好んで奢りを尽くしたので、かかる費えが日ごとに広がった。玄素が書を奉って諫めた。

臣以愚蔽,竊位兩宮,在臣有江海之潤,於國無秋毫之益,是用必竭愚誠,思盡臣節者也。伏惟儲君之寄,荷戴殊重,如其積德不弘,何以嗣守成業?聖上以殿下親則父子,事兼家國,所應用物不爲節限。恩旨未逾六旬,用物已過七萬,驕奢之極,孰云過此?龍樓之下,惟聚工匠;望苑之内,不睹賢良。今言孝敬,則闕侍膳問豎之禮;語恭顺,則違君父慈訓之方;求風聲,則無學古好道之實;觀擧措,則有因緣誅戮之罪。宮臣正士,未嘗在側,群邪淫巧,昵近深宮。愛好者皆游伎雜色,施與者並圖畫雕鏤。在外瞻仰,已有此失;居中隱密,寧可勝計哉!宣猷禁門,不異闤闠,朝入暮出,惡聲漸遠。右庶子趙弘智經明行修,當今善士,臣每請望數召進,與之談論,庶廣徽猷。令旨反有猜嫌,謂臣妄相推引。從善如流,尚恐不逮;飾非拒諫,必是招損。古人云:「苦藥利病,苦口利行。」伏願居安思危,日慎一日。

臣は愚かで蔽われた身で、二つの宮に位を窃んでいますから、臣には江海のような潤いがありますが、国には秋の毛ほどの益もありません。だから必ず愚かな誠を尽くし、臣の節を尽くそうと思います。

伏して思いますに、儲君に託された事は、負うものが異様に重いのです。もし徳を積むことが広くなければ、何で成った業を継ぎ守られるのでしょうか。聖上は殿下とは、近さでは父と子であり、事では家と国を兼ねておられるので、お使いになる物を節と限度とされませんでした。それなのに恵みのお心がまだ六十日を越えないのに、お使いになった物はすでに七万を越えました。驕りと奢りの極みとして、何がこれより過ぎるというのでしょうか。

竜楼の下には工匠だけが集まり、望苑の内には賢良が見えません。いま孝と敬を申せば、膳に侍り内侍に問う礼が欠けており、恭しさと順さを申せば、君であり父である方の慈しみの教えの方途に違っています。美しい名を求めれば、古を学び道を好む実がなく、行動挙措を見れば、縁に托して斬り殺した罪があります。

宮の臣と正しい士はかつて側にあらず、諸々の邪で淫りで巧みな者が深い宮に近く附きます。愛し好まれるものはみな遊びの技と雑な色であり、施し与えられるものはあわせて絵と彫りです。外から仰ぎ見てもすでにこうした誤りがあるのですから、内にあって隠れ密かなことは、どうして数え尽くせましょうか。宣猷門の内が市と変わらず、朝に入って暮れに出るので、悪い声が次第に遠くへ行きます。

右庶子の趙弘智は経に明らかで行いを修めた、いまの良い士です。臣はつねにたびたび召して進ませ、彼と語って、ほぼ美しい道理を広められるよう請いました。ところが命じられたお心はかえって嫉み忌んで、臣がみだりに互いに推し引いていると申されました。善に従うことを水の流れるようにしても、なお及ばないことが懼れられるのに、非を飾り諫めを塞がれるなら、必ずこれは損なわれることを招きます。古人は「苦い薬が病に利あり、苦い口が行いに利あり」と申しました。伏して願いますに、安らかなところに居て危うさを思われ、日ごとに一日ずつ慎まれますよう。

書入,承乾大怒,遣刺客將加屠害,俄屬宮廢。

書が入ると、承乾は大いに怒って刺客を遣わして殺そうとしたが、やがて宮が廃されるに至った。

貞觀十四年,太子詹事於志寧,以太子承乾廣造宮室,奢侈過度,耽好聲樂,上書諫曰:

貞観十四年、太子詹事の于志寧が、太子の李承乾が宮室を広く造って奢りが度を過ぎ、音と楽を好み楽しんでいることについて、書を奉って諫めた。

臣聞克儉節用,實弘道之源;崇侈恣情,乃敗德之本。是以凌雲概日,戎人於是致譏;峻宇雕牆,《夏書》以之作誡。昔趙盾匡晉,呂望師周,或勸之以節財,或諫之以厚斂。莫不盡忠以佐國,竭誠以奉君,欲使茂實播於無窮,英聲被乎物聽。咸着簡策,用爲美談。且今所居東宮,隋日營建,睹之者尚譏其侈,見之者猶歎甚華。何容於此中更有修造,財帛日費,土木不停,窮斤斧之工,極磨礱之妙?且丁匠官奴入内,比者曾無復監。此等或兄犯國章,或弟罹王法,往來御苑,出入禁闈,鉗鑿緣其身,槌杵在其手。監門本防非慮,宿衛以備不虞,直長既自不知,千牛又復不見。爪牙在外,廝役在内,所司何以自安,臣下豈容無懼?

臣が聞きますに、倹を守って用を惜しむことがまことに道を広める源であり、奢りを尚び情を恣にすることが徳を崩す本といいます。だから雲を越え日を擦る家について夷の者がそこで嗤いを送り、家を高くし壁を彫ることを『夏書』がこれで戒めとしました。

昔、趙盾が晋を正し、呂望が周を師としたとき、あるものは財を惜しむよう勧め、あるものは厚く取ることを諫めました。忠を尽くして国を輔け、誠を尽くして君を奉じない者はなく、茂った実が限りなく広がり、芳しい声が人々の聞くところを覆うようにしようとしたのです。みな竹簡と書に記されて、美しい話となりました。

また、いまおられる東宮は隋の時代に造られたもので、これを見る者はなおその奢りを嗤い、これを見た者はいまも非常に華やかだと感嘆します。どうしてこの中にさらに改め造ることがあって、財と絹が日ごとに入り、土と木がやまず、斧を使う工を尽くし、磨き整える妙を尽くすことが容されましょうか。

また壮丁の工匠と官奴が内に入りますが、近ごろまったく改めて調べる者がありません。これらは、あるものは兄が国の法を犯し、あるものは弟が王法に掛かった者なのに、君の苑を往き来し、宮門を出入りして、刀と鑿がその身に付き、槌と杵がその手にあります。監門はもともと邪な思いを防ぐためであり、宿衛は不意の事に備えるためなのに、直長はすでに自ら知らず、千牛もまた見ていません。爪と牙は外にあり、使い走りは内にあるのですから、所司が何で自ら安んじ、下の臣がどうして懼れないでいることが容されましょうか。

又鄭、衛之樂,古謂淫聲。昔朝歌之鄉,回車者墨翟;夾穀之會,揮劍者孔丘。先聖既以爲非,通賢將以爲失。頃聞宮内,屢有鼓聲,大樂伎兒,入便不出。聞之者股栗,言之者心戰。往年口敕,伏請重尋,聖旨殷勤,明誡懇切。在於殿下,不可不思;至於微臣,不得無懼。

また鄭と衛の楽は、昔、淫りな声と申しました。昔、朝歌の里で車を回したのは墨翟であり、夾谷の会で剣を揮ったのは孔丘です。先の聖人がすでに非とし、通達した賢者がやがて過ちとしました。

近ごろ聞きますに、宮の内でたびたび鼓の音がし、太楽の妓が入ればそのまま出てこないといいます。これを聞く者は股が震え、これを言う者は心が震えます。去年のお言葉の敕を、伏して願いますに、重ねて尋ねられますよう。聖なるお心は懇ろで、明らかな戒めは切でした。殿下は思われずにいられず、賤しい臣に至っては懼れずにいられません。

臣自驅馳宮闕,已積歲時,犬馬尚解識恩,木石猶能知感,臣所有管見,敢不盡言。如鑒以丹誠,則臣有生路;若責其忤旨,則臣是罪人。但悦意取容,臧孫方以疾疢;犯顏逆耳,《春秋》比之藥石。伏願停工巧之作,罷久役之人,絕鄭、衛之音,斥群小之輩。則三善允備,萬國作貞矣。

臣が宮闕から走り来てから、すでに年と時が積みました。犬や馬でも恩を見分けることを知り、木や石でも感じることを知るのですから、臣にある狭い所見を、敢えて言い尽くさないでいられましょうか。もし赤い誠として照らし見てくださるなら、臣に生きる路があり、もしその意に逆らったことを責められるなら、臣は罪人です。

ただ意を悦ばせて納れられることを取ることを、長孫氏はまさに病に喩え、顔を犯して耳に逆らうことを、『春秋』は薬と砭石に喩えました。伏して願いますに、巧みな造りをやめられ、久しく使った人を放たれ、鄭と衛の声を絶ち、諸々の小人の輩を退けられますよう。そうすれば三つの善がまことに具わり、万国が直さを作すでしょう。

承乾覽書不悦。

承乾は書を見て悦ばなかった。

十五年,承乾以務農之時,召駕士等役,不許分番,人懷怨苦。又私引突厥群豎入宮。志寧上書諫曰:

十五年、承乾は農に努める時期に車を御する者たちを召して役させ、番を分けることを許さなかったので、人々が怨みと苦しみを懐いた。また私に突厥の輩を引いて宮に入れた。志寧が書を奉って諫めた。

臣聞上天蓋高,日月光其德;明君至聖,輔佐讚其功。是以周誦升儲,見匡毛、畢;漢盈居震,取資黄、綺。姬旦抗法於伯禽,賈生陳事於文帝,咸殷勤於端士,皆懇切於正人。曆代賢君,莫不丁寧於太子者,良以地膺上嗣,位處儲君。善則率土沾其恩,惡則海内罹其禍。近聞僕寺、司馭、駕士、獸醫,始自春初,迄茲夏晚,常居内役,不放分番。或家有尊親,闕於溫凊;或室有幼弱,絕於撫養。春既廢其耕墾,夏又妨其播殖。事乖存育,恐致怨嗟。倘聞天聽,後悔何及?又突厥達哥支等,咸是人面獸心,豈得以禮義期,不可以仁信待。心則未識於忠孝,言則莫辯其是非,近之有損於英聲,昵之無益於盛德。引之入合,人皆驚駭,豈臣庸識,獨用不安?殿下必須上副至尊聖情,下允黎元本望,不可輕微惡而不避,無容略小善而不爲。理敦杜漸之方,須有防萌之術。屏退不肖,狎近賢良。如此則善道日隆,德音自遠。

臣が聞きますに、上の天が高いので日と月がその徳を輝かせ、明らかな君が至って聖なので輔ける臣がその功を賛えるといいます。だから周の誦が儲君に上ると毛公と畢公に正されるのを見、漢の盈が震の位にあると夏黄公と綺里季から資りを得ました。姫旦は伯禽に法を聞かせ、賈生は文帝に事を展べましたから、みな端正な士に懇ろであり、みな正しい人に切でした。

代を経た賢い君が太子に丁寧に申さなかった者がないのは、まことに位が上代の後嗣に応じ、座が儲君に処るからです。善ければ国土がその恵みに潤い、悪ければ国中がその災いに掛かります。

近ごろ聞きますに、卜師・射手・車を御する者・獣を療す者が、春の初めからこの晩夏に至るまで、つねに内の役にあって、番を分けて放たれないといいます。あるものは家に高い親がいるのに温め涼しくする事が欠け、あるものは室に幼く弱い者がいるのに撫で育てる事が絶えました。春にはすでにその耕し開く事をやめさせ、夏にはまたその種を蒔き植える事を妨げます。事が生かし育てることに乖るのですから、怨みと嘆きを招くことを懼れます。もし天のお聞きに届けば、後に悔いても、どうして及びましょうか。

また突厥の達哥支らは、みな人の顔に獣の心ですから、どうして礼と義で期せられ、仁と信で遇せられましょうか。心は忠と孝を知らず、言はその是非を択べませんから、近づければ芳しい声に損なわれることがあり、馴れれば盛んな徳に益がありません。これらを引いて宮に入れられるので、人々はみな驚き懼れています。どうして臣の拙い知だけが安んじられないでしょうか。

殿下は必ず上は至尊の聖なる情に適われ、下は万民のもとよりの望みに適われるべきです。小さな悪だからといって避けられないのはなりませんし、小さな善だからといって行われないことは容されません。理としては、次第に染むことを防ぐ方途を厚くし、萌しを防ぐ術がなければなりません。不才な者を退け、賢良を近づけられますよう。このようにされれば、善い道が日ごとに高まり、徳ある声が自ら遠くへ行くでしょう。

承乾大怒,遣刺客張師政、紇干承基就舍殺之。是時丁母憂,起復爲詹事。二人潛入其第,見志寧寢處苫廬,竟不忍而止。及承乾敗,太宗知其事,深勉勞之。

承乾は大いに怒って、刺客の張師政と紇干承基を遣わし、その家に行って殺させた。このとき志寧は母の喪に遭った後、改めて起って詹事となっていた。二人がひそかにその家に入って見ると、志寧は苫を敷いた廬で寝ていたので、ついに忍びずにやめた。承乾が崩れた後、太宗はその事を知って、深く慰め励ました。