仁と義仁義第十三
貞觀元年,太宗曰:「朕看古來帝王以仁義為治者,國祚延長,任法御人者,雖救弊於一時,敗亡亦促。既見前王成事,足是元龜,今欲專以仁義誠信為治,望革近代之澆薄也。」黃門侍郎王珪對曰:「天下彫喪日久,陛下承其餘弊,弘道移風,萬代之福。但非賢不理,惟在得人。」太宗曰:「朕思賢之情,豈舍夢寐!」給事中杜正倫進曰:「世必有才,隨時所用,豈待夢傅說,逢呂尚,然後為治乎?」太宗深納其言。
貞観元年、太宗が言った。
「朕が見るに、古来、帝王で仁と義で治めた者は国の祚が長く続き、法で人を使った者は、一時の弊を救っても、崩れ亡ぶのもまた速かった。すでに先の王たちが成した事を見たのだから、大いなる亀の卜となるに足る。いまもっぱら仁と義と誠と信で治めて、近ごろの世の薄さを改めたいと思う。」
黄門侍郎の王珪が答えた。
「天下が雕れ失われてから久しいのに、陛下がその遺った弊を承けられて、道を広め風俗を移されるのは万代の福です。ただ賢者でなければ治まりませんから、ただ人を得ることにあります。」
太宗が言った。
「朕が賢者を思う情は、どうして夢のうちでも放たれようか。」
給事中の杜正倫が進んで言った。
「世には必ず才があって、時に従って用いられるものですから、どうして傅説を夢みるのを待ち、呂尚に遇うのを待ってから治めるのでしょうか。」
太宗はその言を深く納れた。
貞觀二年,太宗謂侍臣曰:「朕謂亂離之後,風俗難移,比觀百姓漸知廉恥,官民奉法,盜賊日稀,故知人無常俗,但政有治亂耳。是以為國之道,必須撫之以仁義,示之以威信,因人之心,去其苛刻,不作異端,自然安靜。公等宜共行斯事也!」
貞観二年、太宗が側近の臣に言った。
「朕は乱れと離れの後には風俗を移しがたいと思っていたが、近ごろ見るに、民は次第に恥を知り、官も民も法を奉じて、盗みが日ごとに稀になった。だから人に定まった風俗はなく、ただ政に治と乱があるだけだと分かる。
だから国を治める道は、必ず仁と義で撫で、威と信で示さなければならぬ。人の心に従ってその苛さを除き、異端を作さなければ、自然と安らかで静かになる。公たちはともにこの事を行え。」
貞觀四年,房玄齡奏言:「今閱武庫甲仗,勝隋日遠矣。」太宗曰:「飭兵備寇雖是要事,然朕惟欲卿等存心理道,務盡忠貞,使百姓安樂,便是朕之甲仗。隋煬帝豈為甲仗不足,以至滅亡,正由仁義不修,而群下怨叛故也。宜識此心。」
貞観四年、房玄齢が奏した。
「いま武庫の甲と兵器を調べますに、隋の時代よりはるかに勝っています。」
太宗が言った。
「兵器を整えて盗賊に備えることは要の事ではあるが、朕はただ卿たちが心を治めの道に留め、忠と直さを尽くすことに努めて、民を安らかで楽しくすることを願うだけだ。それが朕の甲と兵器である。隋の煬帝が、どうして甲と兵器が足りなくて滅亡に至ったであろう。まさに仁と義を修めず、諸々の下の者が怨んで背いたからだ。この心を知れ。」
貞觀十三年,太宗謂侍臣曰:「林深則鳥棲,水廣則魚遊,仁義積則物自歸之。人皆知畏避災害,不知行仁義則災害不生。夫仁義之道,當思之在心,常令相繼,若斯須懈怠,去之已遠。猶如飲食資身,恒令腹飽,乃可存其性命。」王珪頓首曰:「陛下能知此言,天下幸甚!」
貞観十三年、太宗が側近の臣に言った。
「林が深ければ鳥が棲み、水が広ければ魚が泳ぎ、仁と義が積まれれば物が自ら帰る。人はみな禍と害を懼れて避けることを知っていながら、仁と義を行えば禍と害が生じないことを知らない。
そもそも仁と義の道は、心のうちに留めて思い、つねに相い継がせなければならぬ。もししばらくでも懈れば、去ったものはすでに遠い。ちょうど飲み食いして身を助けるのと同じで、つねに腹を満たしてこそ、その命を保てる。」
王珪が頭を地につけて言った。
「陛下がこの言をお知りなのですから、天下は幸いの甚しいことです。」