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讒言と邪を防ぐことを論じる論杜讒邪第二十三

貞観政要(貞観の治における政の要) 貞觀政要 · 呉兢 · 8世紀初め · 段落 7 · 漢字 1,290字 · 朗読 5.2分

貞観政要(貞観の治における政の要) 論杜讒邪第二十三 唐の太宗が臣下と交わした言葉を主題ごとに集めた書。君主の道から始まり、諫言を受け入れる法、官吏を選ぶ法、刑罰と税と征伐を経て「終わりを慎む」で終わる。魏徴が面を合わせて折って諫め、太宗がそれを受け入れる場面が書の骨格である。高句麗の安市城をついに落とせずに退き、城主に絹を与えたこと、房玄齢が死に臨んで遼東征伐を止めた上疏もここにある。

貞觀初,太宗謂侍臣曰:「朕觀前代,讒佞之徒,皆國之蟊賊也。或巧言令色,朋黨比周。若暗主庸君,莫不以之迷惑,忠臣孝子所以泣血銜冤。故叢蘭欲茂,秋風敗之;王者欲明,讒人蔽之。此事著於史籍,不能具道。至如齊、隋間讒譖事,耳目所接者,略與公等言之。斛律明月,齊朝良將,威震敵國,周家每歲斫汾河冰,慮齊兵之西渡。及明月被祖孝征讒構伏誅,周人始有吞齊之意。高颎有經國大才,為隋文帝贊成霸業,知國政者二十餘載,天下賴以安寧。文帝惟婦言是聽,特令擯斥。及為煬帝所殺,刑政由是衰壞。又隋太子勇撫軍監國,凡二十年間,固亦早有定分。楊素欺主罔上,賊害良善,使父子之道一朝滅於天性,逆亂之源,自此開矣。隋文既混淆嫡庶,竟禍及其身,社稷尋亦覆敗。古人云『世亂則讒勝』,誠非妄言。朕每防微杜漸,用絕讒構之端,猶恐心力所不至,或不能覺悟。前史云:『猛獸處山林,藜藿為之不采;直臣立朝廷,奸邪為之寢謀。』此實朕所望於群公也。」魏徵曰:「《禮》云:『戒慎乎其所不睹,恐懼乎其所不聞。』《詩》云『愷悌君子,無信讒言。讒言罔極,交亂四國。』又孔子曰:『惡利口之覆邦家』,蓋為此也。臣嘗觀自古有國有家者,若曲受讒譖,妄害忠良,必宗廟丘墟,市朝霜露矣。願陛下深慎之!」

貞観の初め、太宗が侍臣に言った。

「朕が前の代を見るに、讒し佞る徒はみな国の害虫であり盗賊である。巧みな言葉と作った顔色で、党を組んで馴れ合う者もある。暗く凡庸な君主であれば、これに惑わされない者はなく、忠臣や孝子が血の涙を流し怨みを呑む原因となる。だから叢なす蘭が茂ろうとすれば秋風がこれを損ない、王たる者が明らかであろうとすれば讒する人がこれを覆う。このことは史書に著れており、すべてを語ることはできない。

斉と隋のあいだの讒り誣いた事なら、耳目に触れたところなので、おおよそ公らと語ってみよう。斛律明月は斉の朝廷のすぐれた将で、威は敵国を震わせた。周の家は年ごとに汾河の氷を割って、斉の兵が西へ渡るのを懸念した。明月が祖孝徴の讒り構えるのを受けて誅されると、周の人はようやく斉を呑む意を持った。

高熲は国を治める大才があって隋の文帝を助けて覇業を成し、国政を預かること二十年余り、天下はそれによって安らかであった。ところが文帝はただ婦人の言葉だけを聴いて、わざわざ退け斥けさせた。煬帝に殺されると、刑と政はこれによって衰え崩れた。

また隋の太子の楊勇は軍を撫し国を監すること二十年、まことに早くから定まった分があった。ところが楊素が主を欺き上を誤らせ、善良な者を害して、父子の道を一朝にして天性から消え失せさせた。逆らい乱れる源はここから開かれたのである。隋の文帝が嫡と庶を取り混ぜてからは、ついに禍いがその身に及び、社稷もやがて覆り崩れた。

古人は『世が乱れれば讒が勝つ』と言ったが、まことに妄りな言葉ではない。朕はつねに微かなうちに防ぎ、漸むのを断って、讒り構える端を絶とうとしているが、なお心と力の及ばぬところがあって、気づけないのではないかと恐れる。前の史書に『猛獣が山林にいれば藜や藿も採られず、直き臣が朝廷に立てば奸邪な者も謀りをやめる』とある。これこそまことに朕が諸公に望むところである。」

魏徴が言った。

「『礼記』に『その見ないところに戒め慎み、その聞かないところに恐れおののく』とあります。『詩経』に『和やかな君子よ、讒の言葉を信じるな。讒の言葉は極まりなく、四方の国を乱し合わせる』とあります。また孔子が『口達者が国家を覆すのを憎む』と言ったのも、おおむねこのことです。

臣が見てまいりましたところ、昔から国を持ち家を持つ者が、もし讒り誣いるのを曲げて受け入れ、妄りに忠良な者を害すれば、必ず宗廟は丘や廃墟となり、市と朝には霜と露が降りました。願わくは陛下が深く慎まれますよう。」

貞觀七年,太宗幸蒲州。刺史趙元楷課父老服黃紗單衣,迎謁路左,盛飾廨宇,修營樓雉以求媚;又潛飼羊百餘口、魚數千頭,將饋貴戚。太宗知,召而數之曰:「朕巡省河、洛,經歷數州,凡有所須,皆資官物。卿為飼羊養魚,雕飾院宇,此乃亡隋弊俗,今不可復行。當識朕心,改舊態也。」以元楷在隋邪佞,故太宗發此言以戒之。元楷慚懼,數日不食而卒。

貞観七年、太宗が蒲州に行き幸った。刺史の趙元楷は、老人たちに黄色い紗の単衣を着せて道の左で迎え拝ませ、役所の建物を華やかに飾り、楼や城壁を修めて気に入られようとした。また密かに羊百余頭と魚数千匹を飼い、貴い縁戚に贈ろうとした。太宗はそれを知って呼び、数え立てて言った。

「朕は河と洛を巡り察して、いくつもの州を経てきたが、およそ必要なものがあればみな官の物に拠った。卿は羊を飼い魚を養い、役所の建物に彫り飾りを施した。これは亡んだ隋の悪い風俗で、いま再び行ってはならない。朕の心を知って、古い態を改めよ。」

元楷が隋において邪で佞だったので、太宗はこの言葉を発して戒めたのである。元楷は恥じ恐れ、数日ものを食べずに死んだ。

貞觀十年,太宗謂侍臣曰:「太子保傅,古難其選。成王幼小,以周、召為保傅,左右皆賢,足以長仁,致理太平,稱為聖主。及秦之胡亥,始皇所愛,趙高作傅,教以刑法。及其篡也,誅功臣,殺親戚,酷烈不已,旋踵亦亡。以此而言,人之善惡,誠由近習。朕弱冠交遊,惟柴紹、竇誕等,為人既非三益,及朕居茲寶位,經理天下,雖不及堯、舜之明,庶免乎孫皓、高緯之暴。以此而言,復不由染,何也?」魏徵曰:「中人可與為善,可與為惡,然上智之人自無所染。陛下受命自天,平定寇亂,救萬民之命,理致升平,豈紹、誕之徒能累聖德?但經云:『放鄭聲,遠佞人。』近習之間,尤宜深慎。」太宗曰:「善。」

貞観十年、太宗が侍臣に言った。

「太子の保傅は、昔からその選びが難しかった。成王が幼く小さかったとき、周公と召公を保傅としたので、左右はみな賢く、仁を育てるに足り、治めて太平に至り、聖なる主と称された。秦の胡亥になると、始皇帝の愛するところであったので、趙高が傅となって刑法で教えた。彼が位を奪うと、功臣を斬り親戚を殺し、酷く烈しいことをやめなかったので、踵を返すまもなく亡びた。これで言えば、人の善悪はまことに近くで習うところから出る。

朕が二十歳ごろに交わったのは、ただ柴紹や竇誕らで、人柄はもとより三つの益ある友ではなかった。それでも朕がこの宝の位にあって天下を治めるに、堯と舜の明らかさには及ばないものの、孫皓や高緯の暴はおおむね免れている。これで言えば、また染まることから出るのでもない。なぜであろうか。」

魏徴が言った。

「中ほどの人は、ともに善を行うこともでき、ともに悪を行うこともできますが、上智の人はもとより染まるところがありません。陛下は天から命を受け、寇の乱を平定し、万民の命を救い、治めて太平に至られました。どうして柴紹や竇誕の徒が聖徳の累となりえたでしょうか。ただ経には『鄭の声を放ち、佞人を遠ざけよ』とあります。近くで習うあいだは、とりわけ深く慎まれるべきです。」

太宗が言った。

「よい。」

尚書左仆射杜如晦奏言:「監察御史陳師合上《拔士論》,謂人之思慮有限,一人不可總知數職,以論臣等。」太宗謂戴胄曰:「朕以至公治天下,今任玄齡、如晦,非為勛舊,以其有才行也。此人妄事毀謗,止欲離間我君臣。昔蜀後主昏弱,齊文宣狂悖,然國稱治者,以任諸葛亮、楊遵彥不猜之故也。朕今任如晦等,亦復如法。」於是,流陳師合於嶺外。

尚書左僕射の杜如晦が申し上げた。

「監察御史の陳師合が『抜士論』を上げ、人の思慮には限りがあるので、一人が数職をすべて知ることはできないと述べて、臣らを論じております。」

太宗が戴胄に言った。

「朕は至って公なるものによって天下を治めている。いま玄齢と如晦に任じているのは、功ある旧臣だからではなく、彼らに才と行いがあるからだ。この者が妄りに謗ることをするのは、ただ私の君臣を引き離そうとするのである。かつて蜀の後主は暗く弱く、斉の文宣帝は狂い乱れていたが、それでも国が治まったと称されたのは、諸葛亮と楊遵彦に任じて疑わなかったからだ。朕がいま如晦らに任じているのも、やはり同じ法である。」

そこで陳師合を嶺外に流した。

貞觀中,太宗謂房玄齡、杜如晦曰:「朕聞自古帝王上合天心,以致太平者,皆股肱之力。朕比開直言之路者,庶知冤屈,欲聞諫諍。所有上封事人,多告訐百官,細無可采。朕歷選前王,但有君疑於臣,則下不能上達,欲求盡忠極慮,何可得哉?而無識之人,務行讒毀,交亂君臣,殊非益國。自今以後,有上書訐人小惡者,當以讒人之罪罪之。」

貞観年間、太宗が房玄齢と杜如晦に言った。

「朕が聞くに、昔から帝王が上は天の心に適って太平に至ったのは、みな股肱の臣の力であるという。朕が近ごろ直言の路を開いたのは、おおむね怨みと曲がりを知り、諫めと争いを聞きたいからである。それなのに封じた書を上げる者たちは、多く百官を暴き立てて告げるばかりで、細かくて採るに足るものがない。

朕が前の王たちを順に選んで見るに、ただ君が臣を疑えば、下は上に通じることができない。忠を尽くし思慮を極めることを求めても、どうして得られよう。それなのに識のない者が謗り崩すことに努めて君臣を乱し合わせるのは、まことに国の益ではない。今より後、書を上げて人の小さな悪を暴く者があれば、讒する人の罪として罪するように。」

魏徵為秘書監,有告徵謀反者。太宗曰:「魏徵,昔吾之讎,只以忠於所事,吾遂拔而用之,何乃妄生讒構?」竟不問徵,遽斬所告者。

魏徴が秘書監であったとき、魏徴が謀反していると告げる者があった。太宗が言った。

「魏徴はかつて私の仇であったが、ただ仕える相手に忠であったので、私はついに抜いて用いたのだ。どうして妄りに讒り構えることを起こすのか。」

ついに魏徴に問うこともなく、ただちに告げた者を斬った。

貞觀十六年,太宗謂諫議大夫褚遂良曰:「卿知起居,比來記我行事善惡?」遂良曰:「史官之設,君舉必書。善既必書,過亦無隱。」太宗曰:「朕今勤行三事,亦望史官不書吾惡。一則鑒前代成敗事,以為元龜;二則進用善人,共成政道;三則斥棄群小,不聽讒言。吾能守之,終不轉也。」

貞観十六年、太宗が諫議大夫の褚遂良に言った。

「卿は起居を預かっているが、近ごろ私の行いの善悪を書き留めているか。」

遂良が言った。

「史官を置いたのは、君の挙措を必ず書くためです。善をすでに必ず書くのですから、過ちもまた隠しません。」

太宗が言った。

「朕はいま三つのことを勤めて行っており、史官が私の悪を書かないことを望んでもいる。一つは前の代の成敗の事を鑑として大いなる亀卜とすること、二つは善い人を進めて用い、ともに政の道を成すこと、三つは多くの小人を斥け捨て、讒の言葉を聴かないことである。私はこれを守りうるのだから、終わりまで変えはしない。」