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三韓

晋書 四夷伝(晋書に記された四方の異民族の記録) 晉書 四夷傳 · 房玄齢ほか · 648年(唐・貞観22年) · 段落 5 · 漢字 527字 · 朗読 2.1分

晋書 四夷伝(晋書に記された四方の異民族の記録) 全一巻 晋が見た四方の隣人たち。慕容廆に破られた夫余を詔によって立て直した話、馬韓・辰韓の風俗と蘇塗、粛慎の楛矢と石砮、そして兄と弟が馬の争いで分かれた吐谷渾七代の話が収められている。

1韓の三つの種族

韓種有三:一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁韓。辰韓在帶方南,東西以海爲限。

韓の種族には三つある。一つは馬韓、二つは辰韓、三つは弁韓である。辰韓は帯方の南にあり、東西は海を限りとする。

2馬韓の風俗と蘇塗

馬韓居山海之間,無城郭,凡有小國五十六所,大者萬戶,小者數千家,各有渠帥。俗少綱紀,無跪拜之禮。居處作土室,形如塚,其戶向上,舉家共在其中,無長幼男女之別。不知乘牛馬,畜者但以送葬。俗不重金銀錦罽,而貴瓔珠,用以綴衣或飾發垂耳。其男子科頭露紒,衣布袍,履草蹻,性勇悍。國中有所調役,及起築城隍,年少勇健者皆鑿其背皮,貫以大繩,以杖搖繩,終日歡呼力作,不以爲痛。善用弓楯矛櫓,雖有鬥爭攻戰,而貴相屈服。俗信鬼神,常以五月耕種畢,群聚歌舞以祭神;至十月農事畢,亦如之。國邑各立一人主祭天神,謂爲天君。又置別邑,名曰蘇塗,立大木,懸鈴鼓。其蘇塗之義,有似西域浮屠也,而所行善惡有異。

馬韓は山と海の間に住み、城郭がない。おおよそ小さな国が五十六あり、大きいものは一万戸、小さいものは数千家で、それぞれに渠帥(きょすい)すなわち首長がいる。風俗には綱紀が少なく、ひざまずいて拝む礼がない。住まいは土の室(むろ)を作り、形は塚のようで、戸口が上を向いている。家中そろってその中に住み、年長と年少、男と女の区別がない。牛や馬に乗ることを知らず、飼うものは葬送に用いるだけである。

風俗では金銀や錦・毛織物を重んじず、珠の連ねを貴んで、衣に縫いつけたり、髪を飾ったり耳に垂らしたりする。男たちは冠をかぶらずに髷(まげ)をあらわにし、布の袍(ほう)を着て草履を履き、性質は勇ましく荒い。国の中で賦役があったり、城や堀を築き起こしたりするときは、若くて勇健な者はみな背の皮を穿(う)って大きな縄を通し、棒でその縄を揺らしながら、一日中声をあげて力いっぱい働き、それを痛いとも思わない。弓・楯(たて)・矛(ほこ)・櫓(おおだて)を使うのが巧みで、争い戦うことがあっても、互いに屈して従うことを貴ぶ。

風俗では鬼神を信じ、つねに五月に種まきを終えると、群れ集まって歌い舞い、神を祭る。十月に農事が終わったときも同じようにする。国の邑ごとに一人を立てて天神の祭りを司らせ、これを天君(てんくん)と呼ぶ。また別邑を置いて蘇塗(そと)と名づけ、大きな木を立てて鈴と鼓を掛ける。その蘇塗の意味は西域の浮屠(ふと)に似ているが、行うところの善悪には違いがある。

3馬韓の朝貢

武帝太康元年、二年,其主頻遣使入貢方物,七年、八年、十年,又頻至。太熙元年,詣東夷校尉何龕上獻。咸寧三年復來,明年又請內附。

武帝の太康元年と二年に、その君主がしばしば使者を送って土地の産物を献じ、七年・八年・十年にもしばしば至った。太熙元年には東夷校尉の何龕のもとに出向いて献上した。咸寧三年にまた来て、翌年にはさらに内附(ないふ)を願った。

4辰韓の由来

辰韓在馬韓之東,自言秦之亡人避役入韓,韓割東界以居之,立城柵,言語有類秦人,由是或謂之爲秦韓。初有六國,後稍分爲十二,又有弁辰,亦十二國,合四五萬戶,各有渠帥,皆屬於辰韓。辰韓常用馬韓人作主,雖世世相承,而不得自立,明其流移之人,故爲馬韓所制也。地宜五穀,俗饒蠶桑,善作縑布,服牛乘馬。其風俗可類馬韓,兵器亦與之同。初生子,便以石押其頭使扁。喜舞,善彈瑟,瑟形似築。

辰韓は馬韓の東にある。自ら言うには、秦の亡命した人々が賦役を避けて韓に入ったので、韓が東の境を割いて住まわせたという。城柵を立て、言葉が秦の人に似ているので、これによって秦韓(しんかん)とも呼ばれる。

初めは六国であったが、後にしだいに分かれて十二となった。また弁辰があり、これも十二国で、合わせて四、五万戸、それぞれに首長がいて、みな辰韓に属する。辰韓はつねに馬韓の人を君主に立て、代々受け継がせてきた。自ら立つことができなかったのは、流れ移ってきた人々であったことが明らかで、それゆえ馬韓の統制を受けたのである。

土地は五穀に適し、風俗は養蚕と桑が豊かで、絹布を織るのが巧みであり、牛を使い馬に乗る。風俗は馬韓に似ており、兵器もまた同じである。子が生まれると、すぐに石でその頭を押して平たくする。舞を好み、瑟(しつ)を弾くのが巧みで、その形は築(ちく)に似ている。

5辰韓の朝貢

武帝太康元年,其王遣使獻方物。二年復來朝貢,七年又來。

武帝の太康元年に、その王が使者を送って土地の産物を献じた。二年にまた来て朝貢し、七年にもまた来た。