扶南
1扶南の風俗
扶南西去林邑三千餘里,在海大灣中,其境廣袤三千里,有城邑宮室。人皆醜黑拳發,倮身跣行。性質直,不爲寇盜,以耕種爲務,一歲種,三歲獲。又好雕文刻鏤,食器多以銀爲之,貢賦以金銀珠香。亦有書記府庫,文字有類于胡。喪葬婚姻略同林邑。
扶南は林邑から西へ三千余里で、海の大きな湾の中にある。その領域は広さ三千里で、城邑と宮室がある。人々はみな醜く黒く、縮れ髪で、裸のまま裸足で歩く。性質は正直で素朴であり、盗みをせず、田を耕すことに努める。一年植えて三年のあいだ収穫する。また彫り物や透かし彫りを好み、食器は銀で作ったものが多く、租税は金銀と珠と香で納める。書物と文書の蔵もあり、文字は胡のものに似ている。葬りと婚姻は林邑とおおむね同じである。
2混潰と葉柳
其王本是女子,字葉柳。時有外國人混潰者,先事神,夢神賜之弓,又教載舶入海。混潰旦詣神祠,得弓,遂隨賈人泛海至扶南外邑。葉柳率衆禦之,混潰舉弓,葉柳懼,遂降之。於是混潰納以爲妻,而據其國。後胤衰微,子孫不紹,其將範尋復世王扶南矣。
その王はもと女で、字(あざな)は葉柳(ようりゅう)である。そのころ混潰(こんかい)という外国の人がいて、まず神に仕えていたところ、夢に神が弓を授け、また船に乗って海に出よと教えた。混潰は朝に神の祠に行って弓を得、そのまま商人に従って海に浮かび、扶南の外の邑に至った。葉柳は衆を率いて防いだが、混潰が弓を挙げると、葉柳は恐れてついに降った。そこで混潰は葉柳を妻に迎え、その国を占めた。後に末の血筋が衰え、子孫が続かなくなると、その将の范尋が改めて代々扶南の王となった。
3飼いならした象を返す
武帝泰始初,遣使貢獻。太康中,又頻來。穆帝升平初,復有竺旃檀稱王,遣使貢馴象。帝以殊方異獸,恐爲人患,詔還之。
武帝の泰始の初めに使者を送って貢ぎ物を献じ、太康の年間にもしばしば来た。穆帝の升平の初めに、また竺旃檀(じくせんだん)という者が王を称し、使者を送って飼いならした象を献じた。帝は遠い地方の珍しい獣であり、人の害になることを恐れて、詔によってこれを返させた。