いにしえの文 › 晋書 四夷伝(晋書に記された四方の異民族の記録) › 全一巻

史臣は言う史評

晋書 四夷伝(晋書に記された四方の異民族の記録) 晉書 四夷傳 · 房玄齢ほか · 648年(唐・貞観22年) · 段落 3 · 漢字 513字 · 朗読 2.1分

晋書 四夷伝(晋書に記された四方の異民族の記録) 全一巻 晋が見た四方の隣人たち。慕容廆に破られた夫余を詔によって立て直した話、馬韓・辰韓の風俗と蘇塗、粛慎の楛矢と石砮、そして兄と弟が馬の争いで分かれた吐谷渾七代の話が収められている。

1史臣は言う

史臣曰:夫宵形稟氣,是稱萬物之靈,系土隨方,乃有群分之異。蹈仁義者爲中寓,肆凶獷者爲外夷,譬諸草木,區以別矣。夷狄之徒,名教所絕,窺邊侯隙,自古爲患,稽諸前史,憑陵匪一。軒皇北逐,唐帝南征,殷後東戡,周王西狩,皆所以禦其侵亂也。嬴劉之際,匈奴最強;元成之間,呼韓委質,漢嘉其節,處之中壤。歷年斯永,種類逾繁,舛號殊名,不可勝載。爰及泰始,匪革前迷,廣辟塞垣,更招種落,納萎莎之後附,開育鞠之新降,接帳連韝,充郊掩甸。既而沸脣成俗,鳴鏑爲群,振鴞響而挻災,恣狼心而逞暴。何楨縱策,弗沮於奸萌;郭欽馳疏,無救於妖漸。未環星紀,坐傾都邑,黎元塗地,凶族滔天。跡其所由,抑武皇之失也。吐谷渾分緒偽燕,遠辭正嫡,率東胡之餘衆,掩西羌之舊宇,綱疏政暇,地廣兵全,廓萬里之基,貽一匡之訓,弗忘忠義,良可嘉焉。吐延夙標宏偉,見方于項籍,始遵朝化,遽夭于姜聰,高節不群,亦殊籓之秀也。

史臣は言う。およそ形を受け気を受けて万物の霊長と称するのであるが、土地に繋がれ方位に従うので、ここに群れが分かれる違いがある。仁義を踏む者は中華となり、凶暴を振るう者は外の夷となる。草木にたとえれば、区域によって分かれているのである。夷狄の者たちは名教の絶えたところであり、辺境の隙をうかがうことは古くから患いであった。前の史書を調べれば、侵し踏みにじったことは一度や二度ではない。軒皇すなわち黄帝は北へ追い、唐帝すなわち堯は南を征し、殷の君は東で討ち勝ち、周の王は西で狩りをした。みなその侵し乱すことを防ぐためであった。

秦・漢のころには匈奴が最も強く、元帝・成帝の間に呼韓邪が身を委ねたので、漢はその節をよしとして中原の地に住ませた。年を重ねるうちに種類はいよいよ増え、入り乱れた称号や異なる名は、とても記しきれない。泰始に至って前の惑いを改めず、辺境の囲いを広く開いて、さらに種族を招き入れ、萎莎の遅れた帰順を受け入れ、育鞠の新たな降伏に道を開いた。幕屋は連なり、弓袋はつらなって、郊外を満たし野を覆った。やがて煮えたつ唇が風俗となり、鳴鏑(なりや)が群れをなし、梟(ふくろう)の声を振るわせて災いを起こし、狼の心をほしいままにして暴を振るった。何楨は策を放ったが奸(かん)の芽を阻めず、郭欽は上疏を走らせたが妖しい広がりを救えなかった。十二年が巡らぬうちに座したまま都が傾き、民は泥にまみれ、凶暴な族は天にまで及んだ。その由るところを辿れば、すなわち武皇の過ちである。

吐谷渾は偽りの燕から枝を分けて、遠く正しい嫡の座を譲り、東胡の残った衆を率いて西羌の旧居を占めた。綱は粗く政は寛やかで、地は広く兵は損なわれず、万里の基を広げ、一に匡(ただ)す教えを残し、忠義を忘れなかった。まことに嘉(よみ)すべきである。吐延は早くから大きく偉やかなことを示し、項籍すなわち項羽になぞらえられたが、ようやく朝廷の教化に従おうとしたところで、たちまち姜聰に若死にさせられた。高い節は群れに抜きんでて、やはり遠い藩(まがき)の秀でた者であった。

2吐谷渾の代の人々

葉延至孝,寄新哀於射草;辟奚深友,邁古烈于分荊;視連蒸蒸,光奉先之義;視羆矯矯,蘊經時之略;洛幹童幼,早擅英規,未騁雄心,先摧凶手,奉順者必敗,豈天亡晉乎!且渾廆連枝,生自邊極,各謀孫而翼子,咸革裔而希華。廆胤奸凶,假鳳圖而竊號,渾嗣忠謹,距龍涸而歸誠。懷奸者數世而亡,資忠者累葉彌劭,積善余慶,斯言信矣。

葉延は至って孝であり、新たな哀しみを草を射ることに託した。辟奚は深く兄弟を思い、荊(けい)を分けた古の烈しさを越えた。視連はこまやかに真心をこめて、先を奉じる義を輝かせた。視羆は雄々しく、時を経(おさ)める計略を蓄えた。洛幹は幼いころから早く英明な志を揮(ふる)ったが、雄心を馳せる前に、まず凶悪な手に砕かれた。順に従う者が必ず敗れるのは、どうして天が晋を亡ぼすことでないといえようか。また吐谷渾と慕容廆は枝を連ねて辺境の果てに生まれ、それぞれ孫のために謀り子を助けて、ともに夷の風を改めて華を望んだ。廆の後の血筋は奸で凶であり、鳳(おおとり)の図を借りて称号を盗んだ。吐谷渾の嗣(あとつぎ)は忠実で慎み深く、龍涸の官を退けて誠を帰した。奸を抱く者は数代で亡び、忠を元手とする者は代を重ねていよいよ美しかった。善を積めば余る慶びがあるというあの言葉は、まことに信ずべきである。

3賛

贊曰:逖矣前王,區別群方。叛由德弛,朝因化昌。武后升圖,智昧遷胡。遽淪家國,多謝明謨。谷渾英奮,思矯穨運;克昌其緒,實資忠訓。

賛に言う。遥かであるな、前の王たちよ、多くの地方を区別された。叛きは徳が緩んだことに由り、朝(ちょう)は教化によって栄える。武帝は図録に登ったが、智は胡を移すことに暗かった。たちまち家と国を失い、明らかな謀(はかりごと)に恥じることが多い。吐谷渾は英(すぐ)れて奮い、傾いた運を正そうと思った。その緒(いとぐち)を栄えさせたのは、まことに忠の教えに拠るものであった。