第28章28장
中庸(偏らぬ道を説く書) 「天が命じたものを性といい、性に従うことを道といい、道を修めることを教えという」で始まる。四書のうち最も遠くまで行く文章である。
前のほうは孔子の言葉を集めて、中庸がなぜそれほど難しいのかを説く — 天下を平らかに治めることもでき、官位を辞することもでき、真っ青な刃を踏むこともできるが、中庸は能くできない。後のほうは誠の一つに移っていき、誠は天の道であり、誠であろうとするのは人の道であると言って、ついには天地と並んで三つになるところまで行く。
「人が一度で能くするなら私は百度やり、人が十度で能くするなら私は千度やる」という言葉もここから出た。
大哉聖人之道!洋洋乎,發育萬物,峻極於天。優優大哉,禮儀三百威儀三千。待其人而後行。故曰:「茍不至德,至道不凝焉。」故君子尊德性,而道問學,致廣大,而盡精微,極高明,而道中庸。溫故,而知新,敦厚以崇禮。是故居上不驕,爲下不倍。國有道,其言足以興;國無道,其默足以容。詩曰:「既明且哲,以保其身。」其此之謂與?
大きいな、聖人の道は。洋々として万物を発し育て、高さは天に極まる。優々として大きいな。礼儀の大きな筋は三百、威儀の細かな筋は三千。その人を待ってはじめて行われる。
だから「まことに至徳でなければ、至道は凝らない」と言われる。
だから君子は徳性を尊びながら、問い学ぶことを道とする。広く大きいところに至りながら精しく微かなところを尽くし、高く明らかなところを極めながら中庸を道とする。古いことを温めながら新しいことを知り、篤く厚いことで礼を崇める。
だから上にあっても驕らず、下となっても背かない。国に道があればその言は興すに足り、国に道がなければその黙は身を容れるに足る。
『詩』に「明らかでありまた智く、それでその身を保つ」とある。これを言うのであろうか。