いにしえの文 › 中庸(偏らぬ道を説く書)

第32章32장

中庸(偏らぬ道を説く書) 中庸 · 子思が著したと伝わる · 礼記に収められた文章 · 段落 1 · 漢字 165字 · 朗読 0.7分

中庸(偏らぬ道を説く書) 「天が命じたものを性といい、性に従うことを道といい、道を修めることを教えという」で始まる。四書のうち最も遠くまで行く文章である。 前のほうは孔子の言葉を集めて、中庸がなぜそれほど難しいのかを説く — 天下を平らかに治めることもでき、官位を辞することもでき、真っ青な刃を踏むこともできるが、中庸は能くできない。後のほうは誠の一つに移っていき、誠は天の道であり、誠であろうとするのは人の道であると言って、ついには天地と並んで三つになるところまで行く。 「人が一度で能くするなら私は百度やり、人が十度で能くするなら私は千度やる」という言葉もここから出た。

唯天下至聖,爲能聰、明、睿、知、足以有臨也;寬、裕、溫、柔、足以有容也;發、強、剛、毅、足以有執也;齊、庄、中、正、足以有敬也;文、理、密、察、足以有別也。溥博,淵泉,而時出之。溥博如天;淵泉如淵。見而民莫不敬;言而民莫不信;行而民莫不說。是以聲名洋溢乎中國,施及蠻貊。舟車所至,人力所通,天之所覆,地之所載,日月所照,霜露所隊:凡有血氣者莫不尊親。故曰:「配天」。

ただ天下の至聖だけが、よく聡く、明らかに、睿く、知って、上に臨むに足り、寛やかに、裕かに、温かに、柔らかに、容れるに足り、発し、強く、剛く、毅く、執るに足り、斎しく、庄かに、中に立ち、正しく、敬うに足り、文があり、理があり、密かに、察して、分けるに足る。

溥く博く、淵い泉のようで、時に応じてこれを出す。溥く博いことは天のようであり、淵い泉のようであることは淵のようである。現れれば民に敬わない者がなく、言えば民に信じない者がなく、行えば民に喜ばない者がない。

これによって声と名が国の内に溢れ、蛮貊の地にまで及ぶ。舟と車の至るところ、人の力の通うところ、天の覆うところ、地の載せるところ、日と月の照らすところ、霜と露の降るところ、およそ血と気のあるものに、尊び親しまない者がない。だから「天と配する」という。