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少名毗古那神が来る少名毗古那神

古事記(古い事柄の記録) 古事記 · 太安万侶 · 712年(和銅5年) · 段落 1 · 漢字 359字 · 朗読 1.4分

古事記(古い事柄の記録) 上巻 日本で最も古い書物。天地が開けるところから始まり、神々の時代を経て推古天皇までの三巻。歌百五首が万葉仮名で記されており、漢字を意味ではなく音だけで用いた文章がまるごと残っている。日本書紀と同じ出来事を違えて記した箇所が多く、並べて読む値打ちが大きい。

1少名毗古那が来て、御諸山の神が来る

故大國主神坐出雲之御大之御前時,自波穗乘天之羅摩船而内剥鵝皮剥為衣服,有歸來神。尒雖問其名,不答。且雖問所從之諸神,皆白不知。尒多迩具久白言:「此者久延毗古必知之。」即召久延毗古問時,答白:「此者神産巢日神之御子,少名毗古那神。」故尒白上於神産巢日御祖命者,答告:「此者實我子也。於子之中,自我手俣久岐斯子也。故与汝葦原色許男命,為兄弟而作堅其國。」故自尒,大穴牟遲与少名毗古那二柱神相並,作堅此國。然後者,其少名毗古那神者,度于常世國也。故顯白其少名毗古那神,所謂久延毗古者,於今者山田之曾富騰者也。此神者,足雖不行,盡知天下之事神也。於是大國主神愁而告:「吾獨何能得作此國?孰神与吾能相作此國耶?」是時,有光海依來之神。其神言:「能治我前者,吾能共与相作成。若不然者,國難成。」尒大國主神曰:「然者治奉之状奈何?」答言:「吾者,伊都岐奉于倭之青垣東山上。」此者坐御諸山上神也。

大國主神(おおくにぬしのかみ)が出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐したとき、波の穗(ほ)に乗って天の羅摩船(かがみのふね)に乗り、鵝(が)の皮を内剥(うちはぎ)に剥いで衣服とした、帰り来る神がありました。

その名を問うても答えず、従っていた諸神に問うても、みな知らないと申しました。そこで蟾蜍(ひきがえる)の多迩具久(たにぐく)が申しました。「これは久延毗古(くえびこ)が必ず知っているでしょう」。

すぐに久延毗古を召して問うたとき、答えて申しました。「これは神産巢日神(かむむすひのかみ)の御子、少名毗古那神(すくなびこなのかみ)です」。

そうして神産巢日御祖命(かむむすひのみおやのみこと)に申し上げると、答えて告げられました。「これはまことにわたしの子である。子のうちで、わたしの手の俣(また)から久岐斯(くきし)——漏れ落ちた子である。だから、おまえ葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)と兄弟となって、その国を作り堅めよ」。

そうしてそれより、大穴牟遲(おおあなむぢ)と少名毗古那の二柱の神が相並んで、この国を作り堅めました。そののち、その少名毗古那神は常世國(とこよのくに)へ度(わた)りました。

その少名毗古那神を顯(あら)わし申した、いわゆる久延毗古は、今の山田の曾富騰(そほど=案山子)です。この神は足で行くことはできませんが、天下の事をことごとく知っている神です。

そこで大國主神は愁(うれ)えて告げられました。「わたし一人でどうしてこの国を作り得るだろうか。どの神がわたしと共にこの国を作ることができるだろうか」。

このとき、海を光らせて依(よ)り来る神がありました。その神が言いました。「よくわたしの前(みまえ)を治(まつ)るなら、わたしがよく共に相(あい)作り成そう。もしそうしなければ、国は成りがたいだろう」。

大國主神が言いました。「それでは、治り奉る様(さま)はいかがでしょうか」。答えて言いました。「わたしを、倭(やまと)の青垣(あおかき)の東の山の上に伊都岐(いつき)奉れ」。

これが御諸山(みもろやま)の上に坐す神です。

夾注 4

自多下四字以音

「多」から下の四字は音で読みます。

自毗下三字以音

「毗」から下の三字は音で読みます。

自久下三字以音

「久」から下の三字は音で読みます。

鵝皮

鵝皮——底本の字は鵝(がちょう)です。蛾(が=蛾)の誤りと見て、蛾の皮と読む解釈もあります。——訳者