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孝靈天皇

古事記(古い事柄の記録) 古事記 · 太安万侶 · 712年(和銅5年) · 段落 1 · 漢字 333字 · 朗読 1.3分

古事記(古い事柄の記録) 中下巻 日本で最も古い書物。天地が開けるところから始まり、神々の時代を経て推古天皇までの三巻。歌百五首が万葉仮名で記されており、漢字を意味ではなく音だけで用いた文章がまるごと残っている。日本書紀と同じ出来事を違えて記した箇所が多く、並べて読む値打ちが大きい。

1孝靈天皇(こうれいてんのう)

大倭根子日子賦斗邇命。坐黒田廬戸宮。治天下也。此天皇。娶十市縣主之祖。大目之女。名細比賣命。生御子。大倭根子日子國玖琉命。又娶春日之千千速眞若比賣。生御子千千速比賣命。又娶意富夜麻登玖邇阿禮比賣命。生御子。夜麻登登母母曾毘賣命。次日子刺肩別命。次比古伊佐勢理毘古命。亦名大吉備津日子命。次倭飛羽矢若屋比賣。又娶其阿禮比賣命之弟。蠅伊呂杼。生御子。日子寤間命。次若日子建吉備津日子命。此天皇之御子等。并八柱。故大倭根子日子國玖琉命者。治天下也。大吉備津日子命。與若建吉備津日子命。二柱相副而。於針間氷河之前。居忌瓮而。針間爲道口以言向和吉備國也。故此大吉備津日子命者。次若日子建吉備津日子命者。次日子寤間命者。次日子刺肩別命者。天皇。御年壹佰陸歳。御陵在片岡馬坂上也。

大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)が、黒田(くろだ)の廬戸宮(いほとのみや)に坐して、天下を治められました。

この天皇が、十市縣主(とおちのあがたぬし)の祖、大目(おおめ)の娘、名は細比賣命(くわしひめのみこと)を娶(めあわ)せて生んだ御子は、大倭根子日子國玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)です。

また春日(かすが)の千千速眞若比賣(ちちはやまわかひめ)を娶せて生んだ御子は、千千速比賣命(ちちはやひめのみこと)です。

また意富夜麻登玖邇阿禮比賣命(おおやまとくにあれひめのみこと)を娶せて生んだ御子は、夜麻登登母母曾毘賣命(やまとととももそびめのみこと)、次に日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)、次に比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりびこのみこと)、別の名は大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)です。次に倭飛羽矢若屋比賣(やまととびはやわかやひめ)です。

また、その阿禮比賣命の弟(おと)、蠅伊呂杼(はえいろど)を娶せて生んだ御子は、日子寤間命(ひこさめまのみこと)、次に若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)です。

この天皇の御子らは、あわせて八柱です。そうして大倭根子日子國玖琉命が天下を治められました。

大吉備津日子命と若建吉備津日子命の二柱が、相(あい)副(そ)って、針間(はりま)の氷河(ひかわ)の前(さき)に忌瓮(いわいべ=神に供える酒甕)を居(す)え、針間を道の口として、吉備國(きびのくに)を言向(ことむ)け和(やわ)しました。

そうして、この大吉備津日子命は吉備上道臣の祖、次の若日子建吉備津日子命は吉備下道臣・笠臣の祖、次の日子寤間命は針間牛鹿臣の祖、次の日子刺肩別命は高志之利波臣たちの祖です。

天皇は御年百六歳でした。御陵は片岡(かたおか)の馬坂(うまさか)の上に在ります。

夾注 9

一柱。玖琉二字以音。

一柱です。「玖琉」の二字は音で読みます。

一柱。

一柱です。

四柱。

四柱です。

二柱。

二柱です。

男王五。女王三。

男王が五、女王が三です。

吉備上道臣之祖也。

吉備上道臣(きびのかみつみちのおみ)の祖です。

吉備下道臣。笠臣祖。

吉備下道臣(きびのしもつみちのおみ)と笠臣(かさのおみ)の祖です。

針間牛鹿臣之祖也。

針間牛鹿臣(はりまのうしかのおみ)の祖です。

高志之利波臣。豐國之國前臣。五百原君。角鹿海直之祖也。

高志之利波臣(こしのとなみのおみ)、豊國之國前臣(とよくにのくにさきのおみ)、五百原君(いおはらのきみ)、角鹿海直(つぬがのあまのあたい)の祖です。