いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

逢遇篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 10 · 漢字 1,804字 · 朗読 7.2分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

操行有常賢,仕宦無常遇。賢不賢,才也;遇不遇,時也。才高行潔,不可保以必尊貴;能薄操濁,不可保以必卑賤。或高才潔行,不遇退在下流;薄能濁操,遇在眾上。世各自有以取士,士亦各自得以進。進在遇,退在不遇。處尊居顯,未必賢,遇也;位卑在下,未必愚,不遇也。故遇,或抱行,尊於桀之朝;不遇,或持潔節,卑於堯之廷。所以遇不遇,非一也:或時賢而輔惡;或以大才從於小才;或俱大才,道有清濁;或無道德而以技合;或無技能而以色幸。

操行には常の賢があるが、仕官には常の遇はない。賢か賢でないかは才である。遇うか遇わないかは時である。才が高く行いが潔くても、必ず尊貴になると保証はできない。能が薄く操が濁っていても、必ず卑賤になると保証はできない。

才が高く行いが潔くても、遇わずに下流に退く者がいる。能が薄く操が濁っていても、遇って衆人の上に立つ者がいる。世にはそれぞれ士を取る基準があり、士にもそれぞれ進む道がある。進むのは遇うことにあり、退くのは遇わないことにある。尊い地位にあり目立つところにいても、必ずしも賢なのではない。遇ったのである。位が卑しく下にいても、必ずしも愚かなのではない。遇わなかったのである。だから遇えば、自分の行いを抱いたまま桀の朝廷で尊ばれる者もあり、遇わなければ、潔い節を持ちながら堯の廷で低く置かれる者もある。

遇うか遇わないかの理由は一つではない。賢くありながら悪しき君を輔ける者もある。大才でありながら小才に従う者もある。ともに大才でありながら、その道に清濁がある者もある。道徳がないのに技で合う者もある。技能がないのに容色で幸せられる者もある。

伍員、帛喜,俱事夫差,帛喜尊重,伍員誅死,此異操而同主也。或操同而主異,亦有遇不遇,伊尹、箕子是也。伊尹、箕子才俱也,伊尹為相,箕子為奴,伊尹遇成湯,箕子遇商紂也。夫以賢事賢君,君欲為治,臣以賢才輔之,趨舍偶合,其遇固宜。以賢事惡君,君不欲為治,臣以忠行佐之,操志乖忤,不遇固宜。

伍員と帛喜はともに夫差に仕えたが、帛喜は尊重され、伍員は誅殺された。これは操が異なって君が同じ場合である。操が同じで君が異なる場合にも、やはり遇うと遇わないがある。伊尹と箕子がそれである。伊尹と箕子は才が同じであったが、伊尹は宰相となり、箕子は奴となった。伊尹は成湯に遇い、箕子は商の紂に遇ったのである。

そもそも賢をもって賢君に仕えれば、君は治めようとし、臣は賢才でこれを輔ける。取ることと捨てることが偶合するのだから、遇うのは当然である。賢をもって悪君に仕えれば、君は治めようとしないのに、臣は忠の行いでこれを佐ける。志が食い違うのだから、遇わないのは当然である。

或以賢聖之臣,遭欲為治之君,而終有不遇,孔子、孟軻是也。孔子絕糧陳、蔡,孟軻困於齊、梁,非時君主不用善也,才下知淺,不能用大才也。夫能御驥者,必王良也;能臣禹、稷、皋陶者,必堯、舜也。御百里之手,而以調千里之足,必摧衡折軛之患。有接具臣之才,而以御大臣之知,必有閉心塞意之變。故至言棄捐,聖賢距逆,非憎聖賢,不甘至言也。聖賢務高,至言難行也。夫以大才干小才,小才不能受,不遇固宜。

賢聖の臣が治めようとする君に遭いながら、ついに遇わないこともある。孔子と孟軻がそれである。孔子が陳と蔡で糧を絶たれ、孟軻が齊と梁で困窮したのは、その時の君主が善を用いなかったからではない。才が下り知が浅くて、大才を用いることができなかったのである。

そもそも驥を御することができるのは必ず王良であり、禹・稷・皋陶を臣とすることができるのは必ず堯・舜である。百里を御する手で千里を走る足を調えれば、必ず衡を摧き軛を折る患いがある。員数を満たすだけの臣を接する才で大臣の知を御すれば、必ず心を閉じ意を塞ぐ変事がある。

だから至言が棄て去られ、聖賢が退け逆らわれるのは、聖賢を憎み至言を甘しとしないからではない。聖賢は高きに務め、至言は行いにくいからである。そもそも大才で小才に干れば、小才は受けることができない。遇わないのは当然である。

或以大才之臣,遇大才之主,乃有遇不遇,虞舜、許由、太公、伯夷是也。虞舜、許由俱聖人也,并生唐世,俱面於堯。虞舜紹帝統,許由入山林。太公、伯夷俱賢也,并出周國,皆見武王。太公受封,伯夷餓死。夫賢聖道同、志合、趨齊,虞舜、太公行偶,許由、伯夷操違者,生非其世,出非其時也。道雖同,同中有異,志雖合,合中有離。何則?道有精粗,志有清濁也。許由,皇者之輔也,生於帝者之時;伯夷,帝者之佐也,出於王者之世,并由道德,俱發仁義。主行道德不清,留;主為仁義不高,不止,此其所以不遇也。堯混舜濁,武王誅殘,太公討暴,同濁皆粗,舉措均齊,此其所以為遇者也。故舜王天下,皋陶佐政,北人無擇深隱不見;禹王天下,伯益輔治,伯成子高委位而耕。非皋陶才愈無擇,伯益能出子高也,然而皋陶、伯益進用,無擇、子高退隱,進用行偶,退隱操違也。退隱勢異,身雖屈,不願進;人主不須其言,廢之意亦不恨,是兩不相慕也。

大才の臣が大才の主に遇いながら、なお遇うと遇わないがある。虞舜・許由・太公・伯夷がそれである。虞舜と許由はともに聖人であり、ともに唐の世に生まれ、ともに堯に面した。虞舜は帝統を紹ぎ、許由は山林に入った。太公と伯夷はともに賢であり、ともに周の国に出て、みな武王に見えた。太公は封を受け、伯夷は餓えて死んだ。

そもそも賢聖は道が同じく、志が合い、趨くところが斉しい。それでも虞舜と太公は行いが偶合し、許由と伯夷は操が違ったのは、生まれたのがその世でなく、出たのがその時でなかったからである。道は同じでも、同じ中に異なりがあり、志は合っても、合う中に離れがある。なぜか。道には精と粗があり、志には清と濁があるからである。

許由は皇者の輔であるのに帝者の時に生まれ、伯夷は帝者の佐であるのに王者の世に出た。二人はともに道徳に由り、ともに仁義を発した。主の行う道徳が清くないので許由は留まり、主の為す仁義が高くないので伯夷は止まらなかった。これが遇わなかった理由である。堯は混じり舜は濁り、武王は残虐な者を誅し、太公は暴なる者を討った。濁りが同じでともに粗く、挙措が均しく斉しかった。これが遇った理由である。

だから舜が天下に王となると皋陶が政を佐け、北人無択は深く隠れて見えなかった。禹が天下に王となると伯益が治めるのを輔け、伯成子高は位を委てて耕した。皋陶の才が無択より勝り、伯益の能が子高より出ていたからではない。それでも皋陶と伯益は進んで用いられ、無択と子高は退いて隠れた。進んで用いられたのは行いが偶合したからであり、退いて隠れたのは操が違ったからである。退いて隠れた者は勢いが異なり、身は屈しても進むことを願わなかった。人主はその言を須めず、廃しても意に恨みはなかった。これは両者が互いに慕わなかったのである。

商鞅三說秦孝公,前二說不聽,後一說用者:前二,帝王之論;後一,霸者之議也。夫持帝王之論,說霸者之主,雖精見距;更調霸說,雖粗見受。何則?精遇孝公所不〔欲〕得,粗遇孝公所欲行也。故說者不在善,在所說者善之;才不待賢,在所事者賢之。馬圄之說無方,而野人說之;子貢之說有義,野人不聽。

商鞅は秦の孝公に三たび説いたが、前の二度は聴かれず、後の一度は用いられた。前の二つは帝王の論であり、後の一つは霸者の議だったからである。そもそも帝王の論を持って霸者の主に説けば、精しくても退けられ、改めて霸者の説に調えれば、粗くても受け入れられる。なぜか。精しいものは孝公の得ようとしないところに当たり、粗いものは孝公の行おうとするところに当たったからである。

だから説くことは善にあるのではなく、説かれる者がそれを善しとすることにある。才は賢を待つのではなく、事える者がそれを賢とすることにある。馬圄の説は方がなくても野人は喜んだ。子貢の説は義があっても野人は聴かなかった。

吹籟工為善聲,因越王不喜,更為野聲,越王大說。故為善於不欲得善之主,雖善不見愛;為不善於欲得不善之主,雖不善不見憎。此以曲伎合,合則遇,不合則不遇。

籟を吹く工が善い声を出したが、越王が喜ばないので、改めて野の声を出すと、越王は大いに悦んだ。だから善を得ようとしない主に善を為しても、善くても愛されない。善からぬものを得ようとする主に善からぬことを為せば、善くなくても憎まれない。これは曲伎で合わせたのである。合えば遇い、合わなければ遇わない。

或無伎,妄以奸巧合上志,亦有以遇者,竊簪之臣,雞鳴之客是。竊簪之臣,親於子反。雞鳴之客,幸於孟嘗。子反好偷臣,孟嘗愛偽客也。以有補於人君,人君賴之,其遇固宜。或無補益,為上所好,籍孺、鄧通是也。籍孺幸於孝惠,鄧通愛於孝文。無細簡之才,微薄之能,偶以形佳骨嫻,皮媚色稱。夫好容,人所好也,其遇固宜。或以丑面惡色,稱媚於上,嫫母、無鹽是也。嫫母進於黃帝,無鹽納於齊王。故賢不肖可豫知,遇難先圖。何則?人主好惡無常,人臣所進無豫,偶合為是,適可為上。進者未必賢,退者未必愚,合幸得進,不幸失之。

伎がないのに、妄りに奸巧で上の志に合い、それで遇う者もある。簪を竊んだ臣と、鶏の鳴きまねをした客がそれである。簪を竊んだ臣は子反に親しまれ、鶏の鳴きまねをした客は孟嘗君に幸せられた。子反は偸む臣を好み、孟嘗君は偽りの客を愛したのである。人君に補いがあって人君がそれを頼ったのだから、遇うのは当然である。

補いも益もないのに上の好むところとなる者もある。籍孺と鄧通がそれである。籍孺は孝惠に幸せられ、鄧通は孝文に愛された。細字を書く才も微薄な能もなく、ただ形が佳く骨が嫻やかで、肌が媚しく色が称っていただけである。そもそも好い容は人の好むところである。遇うのは当然である。

醜い面と悪しき色でありながら、上に媚しと称えられる者もある。嫫母と無塩がそれである。嫫母は黄帝に進み、無塩は齊王に納れられた。

だから賢と不肖は予め知ることができるが、遇うことは先に図りにくい。なぜか。人主の好悪には常がなく、人臣の進めるものは予め定められない。偶合するものを是とし、適うものを上とするからである。進んだ者が必ず賢なのではなく、退いた者が必ず愚なのではない。合えば幸いにして進み、幸いでなければ失う。

世俗之議曰:「賢人可遇,不遇亦自其咎也。生不希世准主,觀鑒治內,調能定說,審詞際會,能進有補贍主,何不遇之有?今則不然,作無益之能,納無補之說,以夏進爐,以冬奏扇,為所不欲得之事,獻所不欲聞之語,其不遇禍幸矣,何福佑之有乎?」進能有益,納說有補,人之所知也。或以不補而得佑,或以有益而獲罪;且夏時爐以炙濕,冬時扇以火,世可希,主不可准也。說可轉,能不可易也。世主好文,己為文則遇;主好武,己則不遇。主好辯,有口則遇;主不好辯,己則不遇。文主不好武,武主不好文,辯主不好行,行主不好辯。文與言,尚可暴習。行與能,不可卒成。學不宿習,無以明名。名不素著,無以遇主。倉猝之業,須臾之名,日力不足不預聞,何以准主而納其說,進身而托其能哉?昔周人有仕數不遇,年老白首,泣涕於塗者,人或問之:「何為泣乎?」

世俗の議に言う。「賢人は遇うことができる。遇わないのもまた自分の咎である。世を希い主を准り、治めの内を観鑒し、能を調えて説を定め、詞を審らかにして際会に合わせ、進んで主を補い贍すことができるなら、どうして遇わないことがあろう。今はそうでなく、益のない能を作り、補いのない説を納れる。夏に炉を進め、冬に扇を奏するようなものだ。得ようとしない事を為し、聞こうとしない語を献じるのだから、禍に遇わないだけでも幸いである。どうして福佑があろうか。」

進める能に益があり、納れる説に補いがあるべきことは、人の知るところである。しかし補いがないのに佑を得る者もあり、益があるのに罪を獲る者もある。その上、夏にも炉で湿ったものを炙り、冬にも扇で火を煽る。世は希うことができても、主は准ることができないのである。

説は転ずることができても、能は易えることができない。世の主が文を好めば、自分が文を為して遇う。主が武を好めば、自分は遇わない。主が辯を好めば、口があって遇う。主が辯を好まなければ、自分は遇わない。文の主は武を好まず、武の主は文を好まない。辯の主は行を好まず、行の主は辯を好まない。

文と言はまだ急に習うことができるが、行と能は急に成すことができない。学を宿より習わなければ名を明らかにする術はなく、名が素より著れていなければ主に遇う術はない。倉卒の業、須臾の名は、日と力が足らず予め聞かれない。何によって主を准ってその説を納れ、身を進めてその能を托そうというのか。

昔、周の人で、仕えて数たび遇わず、年老いて白髪になり、路で泣いていた者がいた。ある人が問うた。「何で泣いているのか。」

對曰:「吾仕數不遇,自傷年老失時,是以泣也。」人曰:「仕奈何不一遇也?」對曰:「吾年少之時,學為文。文德成就,始欲仕宦,人君好用老。用老主亡,後主又用武,吾更為武。武節始就,武主又亡。少主始立,好用少年,吾年又老。是以未嘗一遇。」仕宦有時,不可求也。夫希世准主,尚不可為;況節高志妙,不為利動,性定質成,不為主顧者乎?

答えて言った。「私は仕えて数たび遇わず、年老いて時を失ったのが自ら傷ましく、それで泣いているのだ。」人が言った。「仕えてどうして一度も遇わなかったのか。」答えて言った。「私が年少の時、文を学んだ。文徳が成就して初めて仕官しようとすると、人君は老人を用いるのを好んだ。老人を用いる主が亡び、後の主はまた武を用いたので、私は改めて武を為した。武の節が成りかけると、武の主もまた亡んだ。少い主が新たに立ち、少年を用いるのを好んだが、私の年はまた老いていた。それゆえ、いまだ一度も遇わなかったのだ。」

仕官には時があり、求めることはできない。そもそも世を希い主を准ることさえできないのだから、まして節が高く志が妙で、利に動かされず、性が定まり質が成って、主を顧みない者はどうであろうか。

且夫遇也,能不預設,說不宿具,邂逅逢喜,遭觸上意,故謂之遇。如推主調說,以取尊貴,是名為揣,不名曰遇。春種谷生,秋刈谷收。求物得物,作事事成,不名為遇。不求自至,不作自成,是名為遇。猶拾遺於塗,摭棄於野,若天授地生,鬼助神輔,禽息之精陰慶,鮑叔之魂默舉。若是者,乃遇耳。今俗人即不能定遇不遇之論,又就遇而譽之,因不遇而毀之。是据見效案成事,不能量操審才能也。

その上、遇うとは、能を予め設けず、説を宿より具えないのに、邂逅して喜びに逢い、上の意に触れることである。だから遇と言う。主を推し説を調えて尊貴を取るなら、これは揣と名づけるべきで、遇とは名づけない。

春に種をまけば穀が生じ、秋に刈れば穀が収まる。物を求めて物を得、事を作して事が成るのは、遇とは名づけない。求めないのに自ら至り、作さないのに自ら成る。これを遇と名づける。路で落とし物を拾い、野で棄てられた物を摭うようなものであり、天が授け地が生み、鬼が助け神が輔けるようなものである。禽息の精が陰かに慶を与え、鮑叔の魂が黙って挙げたようなもので、こういうものこそ遇である。

今の俗人は遇うと遇わないの論を定めることができないまま、遇った者につけてこれを譽め、遇わないことによってこれを毀る。これは見えた効に拠り成った事を案じるだけで、操を量り才能を審らかにすることができないのである。