感虛篇
儒者傳書言:堯之時,十日并出,萬物焦枯。堯上射十日,九日去,一日常出。此言虛也。夫人之射也,不過百步矢力盡矣。日之行也,行天星度。天之去人以萬里數,堯上射之,安能得日?使堯之時,天地相近不過百步,則堯射日,矢能及之;過百步,不能得也。假使堯時天地相近,堯射得之,猶不能傷日。傷日何肯去?何則?日,火也。使在地之火附一把矩,人從旁射之,雖中,安能滅之?地火不為見射而滅,天火何為見射而去?此欲言堯以精誠射之,精誠所加,金石為虧,蓋誠無堅則亦無遠矣。夫水與火,各一性也。能射火而滅之,則當射水而除之。洪水之時,流濫中國,為民大害。堯何不推精誠射而除之?堯能射日,使火不為害,不能射河,使水不為害。夫射水不能卻水,則知射日之語虛非實也。或曰:日,氣也。射雖不及,精誠滅之。夫天亦遠,使其為氣,則與日月同;使其為體,則與金石等。以堯之精誠滅日虧金石,上射日則能穿天乎?世稱桀、紂之惡,射天而地;譽高宗之德,政消桑谷。今堯不能以德滅十日,而必射之;是德不若高宗,惡與桀、紂同也。安能以精誠獲天之應也?
儒者が伝える書に言う。堯の時、十の日が並び出て、万物が焦げ枯れた。堯が上に十の日を射ると、九つの日は去り、一つの日が常に出るようになった、と。この言は虚である。そもそも人が射るのは、百歩を過ぎれば矢の力が尽きる。日の行きは、天の星の度を行く。天が人から去る距離は万里で数える。堯が上に射たとして、どうして日を得られようか。もし堯の時、天地が相い近くて百歩を過ぎなかったのなら、堯が日を射て矢が及ぶこともできる。百歩を過ぎれば、得ることはできない。仮に堯の時に天地が相い近くて、堯が射て得たとしても、やはり日を傷つけることはできない。傷つけられないのに、どうして去ろうとするか。なぜか。日は火である。地にある火が一把の矩に附いているとして、人が傍らから射ても、中てたところでどうしてこれを滅せようか。地の火が射られても滅えないのに、天の火がどうして射られて去ろうか。
これは、堯が精誠で射たので、精誠が加わるところは金や石も虧けると言おうとするのであり、誠に堅いものがなければ遠いものもないというわけである。そもそも水と火は、それぞれ一つの性である。火を射て滅せられるのなら、まさに水を射て除けるべきである。洪水の時、流れ濫れて中国に及び、民の大きな害となった。堯はどうして精誠を推して射て除かなかったのか。堯は日を射て火が害とならないようにできたのに、河を射て水が害とならないようにはできなかった。そもそも水を射て水を卻けられないのなら、日を射たという語が虚であって実でないことが分かる。
ある人は言う。日は気である。射ても及ばなくても、精誠がこれを滅するのだ、と。そもそも天もまた遠い。それが気なら日月と同じであり、体なら金や石と等しい。堯の精誠で日を滅し金や石を虧けさせるのなら、上に日を射れば天を穿つことができるのか。世は桀や紂の悪を称えて、天を射て地を撃ったと言い、高宗の徳を譽めて、政で桑や谷を消したと言う。今、堯が徳で十の日を滅せられずに必ず射たというのなら、これは徳が高宗に及ばず、悪が桀や紂と同じである。どうして精誠で天の応を獲られようか。
傳書言:武王伐紂,渡孟津,陽侯之波逆流而擊,疾風晦冥,人馬不見。於是武王左操黃鉞,右執白旄,目而麾之曰:「余在,天下誰敢害吾意者。」於是風霽波罷。此言虛也。武王渡孟津時,士眾喜樂,前歌後舞。天人同應,人喜天怒,非實宜也。前歌後舞,未必其實。麾風而止之,跡近為虛。夫風者,氣也;論者以為天地之號令也。武王誅紂是乎,天當安靜以佑之;如誅紂非乎,而天風者,怒也。武王不奉天令,求索己過,目言曰「余在,天下誰敢害吾者」,重天怒、增己之惡也,風何肯止?父母怒,子不改過,目大言,父母肯貰之乎?如風天所為,禍氣自然,是亦無知,不可目麾之故止。夫風猶雨也,使武王目以旄麾雨而止之乎!武王不能止雨,則亦不能止風。或時武王適麾之,風偶自止,世褒武王之德,則謂武王能止風矣。
伝わる書に言う。武王が紂を伐って孟津を渡るとき、陽侯の波が逆らい流れて撃ち、疾い風で晦く冥く、人も馬も見えなかった。そこで武王は左に黄い鉞を操り、右に白い旄を執り、目を瞋らせてこれを麾いて言った。「余がここにいる。天下の誰が敢えて吾が意を害する者か。」そこで風は霽れ波は罷んだ、と。この言は虚である。武王が孟津を渡った時、士や衆は喜び楽しんで、前で歌い後ろで舞った。天と人は同じく応ずるのに、人が喜んで天が怒るというのは、実として宜しくない。前で歌い後ろで舞ったことも、必ずしもその実ではない。風を麾いてこれを止めたというのは、跡が虚に近い。
そもそも風とは気であり、論ずる者は天地の号令だとする。武王が紂を誅したのが是であるなら、天はまさに安らかに静まってこれを佑けるべきである。もし紂を誅したのが非であって天が風を起こしたのなら、それは怒りである。武王が天の令を奉じず、己の過ちを求め索めることもせず、目を瞋らせて「余がここにいる。天下の誰が敢えて吾を害する者か」と言ったのなら、天の怒りを重くし己の悪を増したのであって、風がどうして止もうとするか。父母が怒っているのに、子が過ちを改めず、目を瞋らせて大言すれば、父母がこれを貰そうとするだろうか。もし風が天の為すところで、禍の気が自然であるなら、これもまた知がないのだから、目を瞋らせて麾いたからといって止むはずがない。そもそも風は雨と同じである。武王は目を瞋らせて旄で雨を麾いてこれを止められたであろうか。武王が雨を止められないなら、風も止められない。おそらく武王がちょうどこれを麾いたときに、風が偶々自ら止んだのを、世が武王の徳を褒めて、武王が風を止められたと言ったのである。
傳書言:魯(襄)〔陽〕公與韓戰,戰酣日暮,公援戈而麾之,日為之反三舍。
伝わる書に言う。魯の陽公が韓と戦い、戦いが酣わなるころ日が暮れたので、公が戈を援げてこれを麾くと、日はこれのために三舍反った、と。
此言虛也。凡人能以精誠感動天,專心一意,委務積神,精通於天,天為變動,然尚未可謂然。(襄)〔陽〕公志在戰,為日暮一麾,安能令日反?使聖人麾日,日終之反。(襄)〔陽〕公何人,而使日反乎!《鴻范》曰:「星有好風,星有好雨。日月之行,則有冬有夏。月之從星,則有風雨。」夫星與日月同精,日月不從星,星輒復變。明日月行有常度,不得從星之好惡也,安得從(襄)〔陽〕公之所欲?星之在天也,為日月舍,猶地有郵亭,為長吏廨也。二十八舍有分度,一舍十度,或增或減。
この言は虚である。およそ人が精誠で天を感じ動かせるとしても、心を専らにし意を一つにし、務めを委ねて神を積み、精が天に通じて天が変動するというのすら、まだそうだとは言えない。陽公は志が戦いにあって、日が暮れるというので一たび麾いただけである。どうして日を反らせられようか。聖人が日を麾いても、日はついに反らない。陽公が何者で、日を反らせようか。「鴻范」に言う。「星に風を好むものがあり、星に雨を好むものがある。日月の行きには、冬があり夏がある。月が星に従えば、風や雨がある。」そもそも星は日月と精を同じくするが、日月が星に従わなければ、星はすぐにまた変わる。日月の行きに常の度があって、星の好悪に従えないことは明らかである。どうして陽公の欲するところに従えようか。星が天にあるのは、日月の舍となるのであって、地に郵亭があって長吏の廨となるのと同じである。二十八舍に分けた度があり、一舍が十度で、増えることも減ることもある。
言日反三舍,乃三十度也。日,日行一度。一麾之間,反三十日時所在度也。如謂舍為度,三度亦三日行也。一麾之間,令日卻三日也。宋景公推誠,出三善言,熒惑徙三舍。實論者猶謂之虛。(襄)〔陽〕公爭斗,惡日之暮,以此一戈麾,無誠心善言,日為之反,殆非其意哉!且日,火也,聖人麾火,終不能卻;(襄)〔陽〕公麾日,安能使反?或時戰時日正卯,戰迷,謂日之暮,麾之轉左,曲道日若卻。世好神怪,因謂之反,不道所謂也。
日が三舍反ったと言うのは、すなわち三十度である。日は一日に一度行く。一たび麾く間に、三十日前の時にいた度に反ったのである。もし舍を度とするなら、三度もまた三日の行きである。一たび麾く間に、日を三日卻かせたことになる。宋の景公が誠を推して三つの善い言を出し、熒惑が三舍徙ったことすら、実を論ずる者はなお虚だと言う。陽公が争い斗って日の暮れるのを悪み、この一つの戈で麾いたのに、誠の心も善い言もなく日がこれのために反ったというのは、おそらくその意ではあるまい。その上、日は火である。聖人が火を麾いてもついに卻けられないのに、陽公が日を麾いて、どうして反らせられようか。おそらく戦いの時に日はちょうど卯にあったのに、戦いに迷って日が暮れるのだと言い、麾いて左に転じたとき、道が曲がっていたので日が卻いたように見えたのであろう。世は神しく怪しいことを好むので、それで反ったと言い、何を言っているのかを言わないのである。
傳書言:荊軻為燕子謀刺秦王,白虹貫日。衛先生為秦畫長平之事,太白蝕昴。此言精感天,天為變動也。夫言白虹貫日,太白蝕昴,實也。言荊軻之謀,衛先生之畫,感動皇天,故白虹貫日,太白蝕昴者,虛也。夫以箸撞鐘,以算擊鼓,不能鳴者,所用撞擊之者,小也。今人之形不過七尺,以七尺形中精神,欲有所為,雖積銳意,猶箸撞鐘、算擊鼓也,安能動天?精非不誠,所用動者小也。且所欲害者人也,人不動,天反動乎!問曰:「人之害氣,能相動乎?」曰:「不能!」「豫讓欲害趙襄子,襄子心動。貫高欲篡高祖,高祖亦心動。二子懷精,故兩主振感。」曰:「禍變且至,身自有怪,非適人所能動也。何以驗之?時或遭狂人於途,以刃加己,狂人未必念害己身也,然而己身先時已有妖怪矣。由此言之,妖怪之至,禍變自凶之象,非欲害己者之所為也。且凶之人卜得惡兆,筮得凶卦,出門見之吉,占危睹禍氣,禍氣見於面,猶白虹太白見於天也。變見於天,妖出於人,上下適然,自相應也。」
伝わる書に言う。荊軻が燕の子のために秦王を刺すことを謀ると、白い虹が日を貫いた。衛先生が秦のために長平の事を画すると、太白が昴を蝕した、と。これは精が天を感じさせ、天が変動したという意味である。そもそも白い虹が日を貫き、太白が昴を蝕したと言うのは実である。荊軻の謀や衛先生の画が皇天を感じ動かしたから、白い虹が日を貫き太白が昴を蝕したと言うのは、虚である。そもそも箸で鐘を撞き、算で鼓を撃っても鳴らせないのは、撞き撃つのに用いるものが小さいからである。今、人の形は七尺を過ぎない。七尺の形の中の精神で何かを為そうとしても、鋭い意を積んだところで、箸で鐘を撞き算で鼓を撃つようなものである。どうして天を動かせようか。精が誠でないのではなく、動かすのに用いるものが小さいのである。その上、害しようとした相手は人である。人が動かないのに、天がかえって動くであろうか。
問うて言う。「人の害する気は、相い動かすことができるのか。」答える。「できない。」「豫讓が趙の襄子を害そうとすると、襄子は心が動いた。貫高が高祖を篡おうとすると、高祖もまた心が動いた。二人が精を懐いたので、二人の主が振れ感じたのだ。」答える。「禍や変が将に至るときは、身に自ら怪しいことがあるのであって、ちょうどその人が動かせるものではない。何によってこれを験すか。時に途で狂った人に遭い、刃を己に加えられることがある。狂った人が必ずしも己の身を害しようと念じたのではないのに、己の身にはその時より前にすでに妖しい怪しいことがあったのである。これによって言えば、妖しい怪しいことが至るのは、禍や変が自ら凶である象であって、己を害そうとする者が為すところではない。その上、凶の人は卜って悪い兆を得、筮って凶の卦を得る。門を出ては吉を見、危うきを占っては禍の気を睹る。禍の気が面に見えるのは、白い虹や太白が天に見えるのと同じである。変が天に見え、妖が人に出るのは、上と下がたまたまそうなって、自ら相い応じたのである。」
傳書言:燕太子丹朝於秦,不得去,從秦王求歸。秦王執留之,與之誓曰:「使日再中,天雨粟,令烏白頭,馬生角,廚門木象生肉足,乃得歸。」當此之時,天地佑之,日為再中,天雨粟,烏白頭,馬生角,廚門木象生肉足。秦王以為聖,乃歸之。此言虛也。燕太子丹何人,而能動天?聖人之拘,不能動天,太子丹賢者也,何能致此!夫天能佑太子,生諸瑞以免其身,則能和秦王之意以解其難。見拘一事而易,生瑞五事而難。舍一事之易,為五事之難,何天之不憚勞也?湯困夏台,文王拘里,孔子厄陳、蔡。三聖之困,天不能佑,使拘之者睹佑知聖,出而尊厚之。或曰:「拘三聖者不與(三)〔之〕誓,三聖心不願,故佑聖之瑞無因而至。天之佑人,猶借人以物器矣。人不求索,則弗與也。」曰:「太子願天下瑞之時,豈有語言乎!」心願而已。然湯閉於夏台,文王拘於里,時心亦願出;孔子厄陳、蔡,心願食。天何不令夏台、里關鑰毀敗,湯、文涉出;雨粟陳、蔡,孔子食飽乎?太史公曰:「世稱太子丹之令天雨粟、馬生角,大抵皆虛言也。」太史公書漢世實事之人,而云虛言,近非實也。
伝わる書に言う。燕の太子の丹が秦に朝して去ることができず、秦王に帰ることを求めた。秦王は執え留めて、これと誓って言った。「日が再び中にのぼり、天が粟を雨らせ、烏の頭が白くなり、馬に角が生え、廚の門の木の象に肉の足が生えたら、帰ることができる。」この時に当たって、天地がこれを佑け、日は再び中にのぼり、天は粟を雨らせ、烏の頭は白くなり、馬に角が生え、廚の門の木の象に肉の足が生えた。秦王は聖だと思って、そこでこれを帰した、と。この言は虚である。燕の太子の丹が何者で、天を動かせようか。聖人が拘われても天を動かせないのに、太子の丹は賢者にすぎない。どうしてこれに致れようか。そもそも天が太子を佑けて諸々の瑞を生じさせてその身を免れさせられたのなら、秦王の意を和らげてその難を解くこともできたはずである。拘われるのを見るのは一つの事で易しく、瑞を生じさせるのは五つの事で難しい。一つの易しい事を舍いて五つの難しい事を為したというのなら、どうして天は労を憚らないのか。湯は夏台に困しみ、文王は牖里に拘われ、孔子は陳と蔡で厄に遭った。三人の聖の困しみに、天は佑けることができず、拘えた者に佑けを睹て聖と知らせ、出して尊び厚くもてなさせることもできなかった。
ある人は言う。「三人の聖を拘えた者はこれと誓わなかったし、三人の聖も心に願わなかったので、聖を佑ける瑞が因るところなく至らなかったのだ。天が人を佑けるのは、人に物や器を借すのと同じである。人が求め索めなければ、与えないのだ。」答える。「太子が天下の瑞を願った時に、どうして語や言があったであろうか。心に願っただけである。しかし湯が夏台に閉じられ、文王が牖里に拘われた時も、心にはやはり出ることを願った。孔子が陳と蔡で厄に遭ったときも、心に食を願った。天はどうして夏台や牖里の関や鑰を毀れ敗れさせて湯や文王を渉り出させず、陳や蔡に粟を雨らせて孔子を食べ飽かせなかったのか。」太史公は言った。「世は太子の丹が天に粟を雨らせ、馬に角を生じさせたと称するが、大抵みな虚しい言である。」太史公は漢の世の実の事を書いた人であるのに、虚しい言だと言った。実でないことに近いのである。
傳書言:杞梁氏之妻向城而哭,城為之崩。
伝わる書に言う。杞梁氏の妻が城に向かって哭くと、城がこれのために崩れた、と。
此言杞梁從軍不還,其妻痛之,向城而哭,至誠悲痛,精氣動城,故城為之崩也。夫言向城而哭者,實也。城為之崩者,虛也。夫人哭悲莫過雍門子。雍門子哭對孟嘗君,孟嘗君為之於邑。蓋哭之精誠,故對向之者淒愴感動也。夫雍門子能動孟嘗之心,不能感孟嘗衣者,衣不知惻怛,不以人心相關通也。今城,土也。土猶衣也,無心腹之藏,安能為悲哭感動而崩?使至誠之聲能動城土,則其對林木哭,能折草破木乎?向水火而泣,能涌水滅火乎?夫草木水火與土無異,然杞梁之妻不能崩城,明矣。或時城適自崩,杞梁妻適哭。下世好虛,不原其實,故崩城之名,至今不滅。
これは、杞梁が軍に従って還らなかったので、その妻がこれを痛み、城に向かって哭き、至誠の悲しみと痛みの精気が城を動かしたから、城がこれのために崩れたという意味である。そもそも城に向かって哭いたと言うのは実である。城がこれのために崩れたと言うのは虚である。そもそも人の哭く悲しみで雍門子を過ぎるものはない。雍門子が哭いて孟嘗君に対すると、孟嘗君はこれのために於邑した。哭くことの精誠があったから、対い向かった者が淒く愴ましく感じ動いたのである。そもそも雍門子が孟嘗の心を動かせても、孟嘗の衣を感じさせられなかったのは、衣は惻み怛むことを知らず、人の心で相い関わり通じないからである。今、城は土である。土は衣と同じで、心や腹の臓がない。どうして悲しい哭きに感じ動いて崩れようか。もし至誠の声が城の土を動かせるのなら、林や木に対して哭けば、草を折り木を破ることができ、水や火に向かって泣けば、水を涌かせ火を滅せられるのか。そもそも草や木や水や火は土と異なりがないのだから、杞梁の妻が城を崩せなかったことは明らかである。おそらく城がちょうど自ら崩れ、杞梁の妻がちょうど哭いたのであろう。後の世が虚しいことを好んで、その実を原めないので、城を崩したという名が、今に至って滅えないのである。
傳書言:鄒衍無罪,見拘於燕,當夏五月,仰天而嘆,天為隕霜。此與杞梁之妻哭而崩城,無以異也。言其無罪見拘,當夏仰天而嘆,實也。言天為之雨霜,虛也。
伝わる書に言う。鄒衍が罪なく燕で拘われ、夏の五月に当たって天を仰いで嘆くと、天がこれのために霜を隕らせた、と。これは杞梁の妻が哭いて城を崩したというのと、異なるところがない。彼が罪なく拘われ、夏に天を仰いで嘆いたと言うのは実である。天がこれのために霜を雨らせたと言うのは虚である。
夫萬人舉口并解吁嗟,猶未能感天,皺衍一人冤而壹嘆,安能下霜?鄒衍之冤不過曾子、伯奇。曾子見疑而吟,伯奇被逐而歌。疑、〔逐〕與拘同。吟、歌與嘆等。曾子、伯奇不能致寒,鄒衍何人,獨能雨霜?被逐之冤,尚未足言。申生伏劍,子胥刎頸。實孝而賜死,誠忠而被誅。且臨死時皆有聲辭,聲辭出口,與仰天嘆無異。天不為二子感動,獨為鄒衍動,豈天痛見拘,不悲流血哉!
そもそも万人が口を挙げて並び吁き嗟いても、なお天を感じさせることができないのに、鄒衍一人が冤れて一たび嘆いて、どうして霜を下せようか。鄒衍の冤れは曾子や伯奇を過ぎない。曾子は疑われて吟い、伯奇は逐われて歌った。疑われ逐われることは拘われることと同じであり、吟い歌うことは嘆くことと等しい。曾子や伯奇が寒さを致せなかったのに、鄒衍が何者で、ひとり霜を雨らせられようか。逐われた冤れは、まだ言うに足らない。申生は剣に伏し、子胥は頸を刎ねた。実に孝であって死を賜り、誠に忠であって誅を被った。その上、死に臨む時にはみな声や辞があった。声や辞が口から出たのは、天を仰いで嘆くのと異なりがない。天が二人のためには感じ動かず、ひとり鄒衍のために動いたというなら、どうして天は拘われることを痛んで、血を流すことを悲しまないのか。
(伯奇)〔何其〕冤痛相似而感動不同也?夫一炬火一鑊水,終日不能熱也;倚一尺冰置庖廚中,終夜不能寒也。何則?微小之感不能動大巨也。今鄒衍之嘆,不過如一炬尺冰,而皇天巨大,不徒鑊水庖廚之丑類也。一仰天嘆,天為隕霜。何天之易感,霜之易降也?夫哀與樂同,喜與怒均。衍興怨痛,使天下霜。使衍蒙非望之賞,仰天而笑,能以冬時使天熱乎?變復之家曰:「人君秋賞則溫,夏罰則寒。」寒不累時則霜不降,溫不兼日則冰不釋。一夫冤而一嘆,天輒下霜,何氣之易變,時之易轉也!寒溫自有時,不合變復之家。且從變復之說,或時燕王好用刑,寒氣應至;而衍囚拘而嘆,嘆時霜適自下。世見適嘆而霜下,則謂鄒衍嘆之致也。
どうして冤れと痛みは相い似ているのに、感じ動くことが同じでないのか。そもそも一つの炬の火で一つの鑊の水を終日かけても熱くすることはできず、一尺の氷を庖廚の中に置いても終夜かけて寒くすることはできない。なぜか。微かに小さい感じは大きく巨きいものを動かせないからである。今、鄒衍の嘆きは、一つの炬や一尺の氷に過ぎないのに、皇天は巨大で、ただの鑊の水や庖廚のような丑い類ではない。一たび天を仰いで嘆いたら天が霜を隕らせたというなら、どうして天がそれほど感じやすく、霜がそれほど降りやすいのか。そもそも哀しみと楽しみは同じであり、喜びと怒りは均しい。鄒衍が怨みと痛みを興して天に霜を下させたのなら、鄒衍が望みもしない賞を蒙って天を仰いで笑えば、冬の時に天を熱くさせられるのか。変復の家は言う。「人の君が秋に賞すれば温かく、夏に罰すれば寒い。」寒さが時を累ねなければ霜は降りず、温かさが日を兼ねなければ氷は釈けない。一人の夫が冤れて一たび嘆いたら天がすぐに霜を下したというなら、どうして気がそれほど変わりやすく、時がそれほど転じやすいのか。寒温にはおのずから時があって、変復の家とは合わない。その上、変復の説に従えば、おそらく燕の王が刑を用いることを好んで寒い気が応じて至り、鄒衍が囚われ拘われて嘆いたとき、嘆く時に霜がちょうど自ら下ったのであろう。世はちょうど嘆いて霜が下ったのを見て、鄒衍の嘆きが致したのだと言うのである。
傳書言:師曠奏《白雪》之曲,而神物下降,風雨暴至。平公因之癃病,晉國赤地。或言師曠《清角》之曲,一奏之,有云從西北起:再奏之,大風至,大雨隨之,裂帷幕,破俎豆,墜廊瓦,坐者散走。平公恐懼,伏乎廊室;晉國大旱,赤地三年;平公癃病。夫《白雪》與《清角》,或同曲而異名,其禍敗同一實也。傳書之家,載以為是;世俗觀見,信以為然。原省其實,殆虛言也。夫《清角》,何音之聲而致此?《清角》,木音也,故致風(而)〔雨),如木為風,雨與風俱。三尺之木,數弦之聲,感動天地,何其神也!此復一哭崩城、一嘆下霜之類也。師曠能鼓《清角》,必有所受,非能質性生出之也。其初受學之時,宿昔習弄,非直一再奏也。審如傳書之言,師曠學《清角》時,風雨當至也。
伝わる書に言う。師曠が「白雪」の曲を奏すると、神しい物が下り降り、風雨が暴しく至った。平公はこれによって癃の病となり、晉の国は赤地となった、と。あるいは言う。師曠の「清角」の曲を一たび奏すると、雲が西北から起こり、再び奏すると大風が至り、大雨がこれに随って、帷幕を裂き、俎や豆を破り、廊の瓦を墜とし、坐っていた者が散り走った。平公は恐れ懼れて廊の室に伏し、晉の国は大いに旱って赤地が三年、平公は癃の病となった、と。そもそも「白雪」と「清角」は、おそらく同じ曲で名が異なるのであって、その禍や敗れは同じ一つの実である。書を伝える家は載せてこれを是とし、世俗は観て見て信じてそうだと思う。その実を原め省けば、おそらく虚しい言である。そもそも「清角」は何の音の声であって、これに致るのか。「清角」は木の音だから風雨を致すというのなら、木が風となるとしても、雨は風とともにあるものである。三尺の木、数弦の声が天地を感じ動かすというなら、どうしてそれほど神しいのか。これはまた一たび哭いて城を崩し、一たび嘆いて霜を下したという類である。師曠が「清角」を鼓せたのなら、必ず受けたところがあるのであって、質や性で生み出せたのではない。その初めて学を受けた時、夜も昼も習い弄んだのであって、ただ一たび再び奏しただけではない。審らかに伝わる書の言のとおりなら、師曠が「清角」を学んだ時に、風雨がまさに至るべきであった。
傳書言:瓠芭鼓瑟,淵魚出聽;師曠鼓琴,六馬仰秣。或言:師曠鼓《清角》,一奏之,有玄鶴二八自南方來,集於廊門之危;再奏之而列;三奏之,延頸而鳴,舒翼而舞,音中宮商之聲,聲吁於天。平公大悅,坐者皆喜。《尚書》曰:「擊石拊石,百獸率舞。」此雖奇怪,然尚可信。何則?鳥獸好悲聲,耳與人耳同也。禽獸見人(欲)〔之〕食,亦欲食之;聞人之樂,何為不樂?然而魚聽、仰秣、玄鶴延頸、百獸率舞,蓋且其實。風雨之至、晉國大旱、赤地三年、平公癃病,殆虛言也。或時奏《清角》時,天偶風雨、風雨之後,晉國適旱;平公好樂,喜笑過度,偶發癃病。傳書之家,信以為然,世人觀見,遂以為實。實者樂聲不能致此。何以驗之?風雨暴至,是陰陽亂也。樂能亂陰陽,則亦能調陰陽也。王者何須修身正行,擴施善政?使鼓調陰陽之曲,和氣自至,太平自立矣。
伝わる書に言う。瓠芭が瑟を鼓すと淵の魚が出て聽き、師曠が琴を鼓すと六頭の馬が秣を仰いだ、と。あるいは言う。師曠が「清角」を鼓して、一たび奏すると、玄い鶴が二八、南方から来て廊の門の危に集まり、再び奏すると列び、三たび奏すると、頸を延べて鳴き、翼を舒べて舞い、音が宮や商の声に中たって、声が天に吁いた。平公は大いに悦び、坐っていた者はみな喜んだ、と。「尚書」に言う。「石を撃ち石を拊くと、百獸が率いて舞った。」これは奇しく怪しいが、なお信ずることができる。なぜか。鳥獸は悲しい声を好み、耳が人の耳と同じだからである。禽獸は人が食べるのを見ればまたこれを食べようとする。人の楽を聞いて、どうして楽しまないであろうか。それなら魚が聽き、秣を仰ぎ、玄い鶴が頸を延べ、百獸が率いて舞ったのは、おおよそその実であろう。風雨が至り、晉の国が大いに旱って赤地が三年、平公が癃の病となったというのは、おそらく虚しい言である。おそらく「清角」を奏した時に天が偶々風雨となり、風雨の後に晉の国がちょうど旱り、平公が楽を好んで喜び笑うことが度を過ぎて、偶々癃の病を発したのであろう。書を伝える家が信じてそうだと思い、世の人が観て見て、ついに実だと思ったのである。実は、楽の声がこれに致らせることはできない。何によってこれを験すか。風雨が暴しく至るのは、陰陽が乱れているのである。楽が陰陽を乱せるのなら、また陰陽を調えることもできる。王者はどうして身を修め行いを正し、善い政を擴め施す必要があろうか。陰陽を調える曲を鼓させれば、和らいだ気が自ら至り、太平が自ら立つであろう。
傳書言:湯遭七年旱,以身禱於桑林,自責以六過,天乃雨。或言:五年。禱辭曰:余一人有罪,無及萬夫。萬夫有罪,在余一人。(天)〔無〕以一人不敏,使上帝鬼神傷民之命。於是剪其髪,麗其手,自以為牲,用祈福於上帝。上帝甚說,時雨乃至。言湯以身禱於桑林自責,若言剪髪麗手,自以為牲,用祈福於上帝,實也。言雨至,為湯自責以身禱之故,殆虛言也。孔子疾病,子路請禱。孔子曰:「有諸?」子路曰:「有之。
伝わる書に言う。湯が七年の旱に遭い、身をもって桑林で禱り、六つの過ちで自らを責めると、天はそこで雨らせた、と。あるいは五年と言う。禱りの辞に言う。「余一人に罪がある。万夫に及ばしめないでください。万夫に罪があるのなら、それは余一人にあります。一人が敏くないからといって、上帝や鬼神が民の命を傷つけることのないようにしてください。」そこでその髪を剪り、その手を麗いで、自ら牲となって、上帝に福を祈った。上帝は甚だ説んで、時の雨がそこで至った、と。湯が身をもって桑林で禱り自らを責めたと言い、髪を剪り手を麗いで自ら牲となって上帝に福を祈ったと言うのは、実である。雨が至ったのが、湯が自らを責めて身をもって禱った故だと言うのは、おそらく虚しい言である。孔子が疾病になったとき、子路が禱ることを請うた。孔子は「そういうものがあるのか」と言った。子路は言った。「あります。
誄曰:禱爾於上下神祗。」孔子曰:「丘之禱久矣。」聖人修身正行,素禱之日久,天地鬼神知其無罪,故曰禱久矣。《易》曰:「大人與天地合其德,與日月合其明,與四時合其敘,與鬼神合其吉凶。」此言聖人與天地、鬼神同德行也。即須禱以得福,是不同也。湯與孔子俱聖人也,皆素禱之日久。孔子不使子路禱以治病,湯何能以禱得雨?孔子素禱,身猶疾病。湯亦素禱,歲猶大旱。然則天地之有水旱,猶人之有疾病也。疾病不可以自責除,水旱不可以禱謝去,明矣。湯之致旱,以過乎?是不與天地同德也。今不以過致旱乎?自責禱謝,亦無益也。人形長七尺,形中有五常,有癉(一作瘴)熱之病,深自克責,猶不能愈,況以廣大之天,自有水旱之變。湯用七尺之形,形中之誠,自責禱謝,安能得雨邪?人在層台之上,人從層台下叩頭,求請台上之物。台上之人聞其言,則怜而與之;如不聞其言,雖至誠區區,終無得也。夫天去人,非徒層台之高也,湯雖自責,天安能聞知而與之雨乎?夫旱,火變也;湛,水異也。堯遭洪水,可謂湛矣。堯不自責以身禱祈,必舜、禹治之,知水變必須治也。除湛不以禱祈,除旱亦宜如之。由此言之,湯之禱祈不能得雨。或時旱久,時當自雨;湯以旱久,亦適自責。世人見雨之下,隨湯自責而至,則謂湯以禱祈得雨矣。
誄に、なんじを上下の神祗に禱ると言います。」孔子は言った。「丘が禱ってから久しい。」聖人は身を修め行いを正して、素より禱っている日が久しく、天地や鬼神はその罪のないことを知っている。だから禱って久しいと言ったのである。「易」に言う。「大人は天地とその徳を合わせ、日月とその明を合わせ、四時とその敘を合わせ、鬼神とその吉凶を合わせる。」これは聖人が天地や鬼神と徳や行いを同じくするという意味である。禱りを須って福を得るのなら、それは同じでないことになる。湯と孔子はともに聖人であり、みな素より禱る日が久しい。孔子は子路に禱って病を治めさせなかったのに、湯がどうして禱って雨を得られようか。孔子は素より禱っていたのに、身はなお疾病した。湯もまた素より禱っていたのに、歳はなお大いに旱った。それなら天地に水や旱があるのは、人に疾病があるのと同じである。疾病は自ら責めて除くことができず、水や旱は禱り謝して去らせることができないのは、明らかである。湯が旱を致したのは、過ちによるのか。それなら天地と徳を同じくしていないことになる。今、過ちによって旱を致したのではないとすれば、自ら責め禱り謝しても、やはり益はない。人の形の長さは七尺で、形の中に五常があるのに、癉や熱の病があって深く自ら克ち責めても、なお愈えることができない。まして広く大きい天には、おのずから水や旱の変がある。湯が七尺の形、形の中の誠をもって自ら責め禱り謝して、どうして雨を得られようか。人が層台の上にいて、人が層台の下から叩頭して、台の上の物を求め請うとする。台の上の人がその言を聞けば、怜れんでこれを与えるであろう。しかしその言を聞かなければ、至誠が区区であっても、ついに得るものはない。そもそも天が人から去る距離は、ただ層台の高さではない。湯が自ら責めても、天がどうして聞き知って雨を与えられようか。そもそも旱は火の変であり、湛は水の異である。堯が洪水に遭ったのは、湛と言うべきである。堯は自ら責めて身をもって禱り祈らず、必ず舜と禹がこれを治めた。水の変は必ず治めることを須つと知っていたのである。湛を除くのに禱り祈らなかったのだから、旱を除くのもまさにそれと同じであるべきである。これによって言えば、湯の禱り祈りは雨を得られない。おそらく旱が久しく、時がまさに自ら雨るべきであり、湯は旱が久しいので、やはりちょうど自ら責めたのであろう。世の人が雨が下るのが湯が自ら責めるのに随って至ったのを見て、湯が禱り祈って雨を得たと言ったのである。
傳書言:「倉頡作書,天雨粟,鬼夜哭。」此言文章興而亂漸見,故其妖變,致天雨粟、鬼夜哭也。夫見天雨粟、鬼夜哭,實也。言其應倉頡作書,虛也。夫河出圖,洛出書,聖帝明王之瑞應也。
伝わる書に言う。「倉頡が書を作ると、天が粟を雨らせ、鬼が夜に哭いた。」これは文章が興って乱が漸く見えたから、その妖しい変が、天が粟を雨らせ鬼が夜に哭くことに致ったという意味である。そもそも天が粟を雨らせ鬼が夜に哭くのを見たというのは実である。それが倉頡が書を作ったのに応じたと言うのは虚である。そもそも河が図を出し、洛が書を出したのは、聖なる帝、明らかな王の瑞応である。
圖書文章與倉頡所作字畫何以異?天地為圖書,倉頡作文字,業與天地同,指與鬼神合,何非何惡而致雨粟(神)〔鬼〕哭之怪?使天地、鬼神惡人有書,則其出圖書,非也;天不惡人有書,作書何非而致此怪?或時倉頡適作書,天適雨粟,鬼偶夜哭,而雨粟、鬼神哭自有所為。世見應書而至,則謂作書生亂敗之象,應事而動也。天雨谷,論者謂之從天而下,〔應〕變而生。
図や書の文章と、倉頡が作った字や画と、何が異なるのか。天地が図や書を為し、倉頡が文字を作ったのだから、業は天地と同じであり、指すところは鬼神と合うのに、何が非で何が悪くて、粟を雨らせ鬼が哭く怪しみに致ったのか。もし天地や鬼神が人に書があるのを悪むのなら、その図や書を出したことが非である。天が人に書があるのを悪まないのなら、書を作ったことの何が非であってこの怪しみに致ったのか。おそらく倉頡がちょうど書を作り、天がちょうど粟を雨らせ、鬼が偶々夜に哭いたのであって、粟を雨らせたことや鬼神が哭いたことには、おのずから為すところがあったのであろう。世は書に応じて至ったのを見て、書を作ることが乱れ敗れる象を生じ、事に応じて動いたのだと言ったのである。天が穀を雨らせたことを、論ずる者は天から下り、変に応じて生じたのだと言う。
如以雲雨論之,雨谷之變,不足怪也。何以驗之?夫雲(雨)〔氣〕出於丘山,降散則為雨矣。人見其從上而墜,則謂之天雨水也。夏日則雨水,冬日天寒則雨凝而為雪,皆由雲氣發於丘山,不從天上降集於地,明矣。夫谷之雨,猶復雲(布)〔雨〕之亦從地起,因與疾風俱飄,參於天,集於地。人見其從天落也,則謂之天雨谷。建武三十一年中,陳留雨谷,谷下蔽地。案視谷形,若茨而黑,有似於稗實也。此或時夷狄之地,生出此谷。夷狄不粒食,此谷生於草野之中,成熟垂委於地,遭疾風暴起,吹揚與之俱飛,風衰谷集,墜於中國。中國見之,謂之雨谷。
雲や雨で論ずれば、穀を雨らせる変は怪しむに足らない。何によってこれを験すか。そもそも雲の気は丘や山から出て、降り散れば雨となる。人はそれが上から墜ちるのを見て、天が水を雨らせるのだと言う。夏の日なら水が雨り、冬の日は天が寒いので雨が凝って雪となる。みな雲の気が丘や山から発することに由るのであって、天の上から降って地に集まるのではないことは明らかである。そもそも穀の雨も、雲や雨と同じように、やはり地から起こり、そこで疾い風とともに飄り、天に参り、地に集まるのである。人はそれが天から落ちるのを見て、天が穀を雨らせたと言う。建武三十一年中、陳留に穀が雨って、穀が下って地を蔽った。穀の形を案じ視ると、茨のようで黒く、稗の実に似ていた。これはおそらく夷狄の地にこの穀が生じ出るのである。夷狄は粒を食わないから、この穀が草や野の中に生じ、成熟して地に垂れ委ねていたところ、疾い風が暴しく起こるのに遭い、吹き揚げてこれとともに飛び、風が衰えて穀が集まり、中国に墜ちたのである。中国はこれを見て、穀を雨らせたと言ったのである。
何以效之?野火燔山澤,山澤之中,草木皆燒,其葉為灰,疾風暴起,吹揚之,參天而飛,風衰葉下,集於道路。夫天雨谷者,草木葉燒飛而集之類也。而世以為雨谷,作傳書者以〔為〕變怪。天主施氣,地主產物。有葉、實可啄食者,皆地所生,非天所為也。今谷非氣所生,須土以成。雖雲怪變,怪變因類。生地之物,更從天集,生天之物,可從地出乎?地之有萬物,猶天之有列星也。星不更生於地,谷何獨生於天乎?傳書又言:伯益作井,龍登玄雲,神栖昆侖。言(龍)井有害,故龍神為變也。
何によってこれを效すか。野の火が山や澤を燔けば、山や澤の中の草木がみな焼け、その葉が灰となる。疾い風が暴しく起こってこれを吹き揚げれば、天に参って飛び、風が衰えて葉が下って、道路に集まる。そもそも天が穀を雨らせるというのは、草木の葉が焼けて飛んで集まる類である。それなのに世は穀を雨らせたと思い、伝わる書を作る者は変や怪としたのである。天は気を施すことを主とし、地は物を産むことを主とする。葉や実があって啄み食えるものは、みな地が生じたものであって、天が為したものではない。今、穀は気が生じたものではなく、土を須って成る。たとえ怪しい変と言っても、怪しい変は類に因る。地に生じる物が、かえって天から集まるのなら、天に生じる物が、地から出られるのか。地に万物があるのは、天に列星があるのと同じである。星がかえって地に生じないのに、穀がどうしてひとり天に生じようか。
伝わる書にまた言う。伯益が井を作ると、龍が玄い雲に登り、神が昆侖に栖んだ、と。井に害があるから、龍や神が変を為したという意味である。
夫言龍登玄雲,實也。言神栖昆侖,又言為作井之故,龍登神去,虛也。夫作井而飲,耕田而食,同一實也。伯益作井,致有變動。始為耕耘者,何故無變?神農之橈木為耒,教民耕,民始食谷,谷始播種。耕土以為田,鑿地以為井。井出水以救渴,田出谷以拯飢,天地、鬼神所欲為也,龍何故登雲?神何故栖昆侖?夫龍之登玄雲,古今有之,非始益作井而乃登也。方今盛夏,雷雨時至,龍多登雲。雲龍相應,龍乘雲雨而行,物類相致,非有為也。堯時,五十之民擊壤於塗。觀者曰:「大哉,堯之德也!」擊壤者曰:「吾日出而作,日入而息,鑿井而飲,耕田而食。堯何等力?」堯時已有井矣。唐、虞之時,豢龍御龍,龍常在朝。夏末政衰,龍乃隱伏。
そもそも龍が玄い雲に登ったというのは実である。神が昆侖に栖んだというのと、井を作った故で龍が登り神が去ったというのは、虚である。そもそも井を作って飲み、田を耕して食うのは、同じ一つの実である。伯益が井を作って変動があったというのなら、初めて耕し耘った者は、どういう理由で変がなかったのか。神農が木を橈げて耒とし、民に耕すことを教えて、民は初めて穀を食い、穀は初めて播き種えられた。土を耕して田とし、地を鑿って井とする。井は水を出して渇きを救い、田は穀を出して飢えを拯う。天地や鬼神が為そうとするところであるのに、龍がどういう理由で雲に登り、神がどういう理由で昆侖に栖もうか。そもそも龍が玄い雲に登るのは、古今あることであって、伯益が初めて井を作ってから登ったのではない。まさに盛んな夏に雷雨が時に至れば、龍は多く雲に登る。雲と龍が相い応じ、龍が雲や雨に乗って行くのであって、物の類が相い致すのであり、為すところがあるのではない。堯の時、五十の民が塗で壤を撃った。観る者が「大いなるかな、堯の徳は」と言うと、壤を撃つ者が言った。「わたしは日が出れば作し、日が入れば息み、井を鑿って飲み、田を耕して食う。堯の何の力であろうか。」堯の時にすでに井があったのである。唐と虞の時には、龍を豢い龍を御して、龍が常に朝にあった。夏の末に政が衰えて、龍はそこで隱れ伏した。
非益鑿井,龍登雲也。所謂神者,何神也?百神皆是。百神何故惡人為井?使神與人同,則亦宜有飲之欲。有飲之欲,憎井而去,非其實也。夫益殆之鑿井,龍不為鑿井登雲,神不栖於昆侖。傳書意妄,造生之也。
伯益が井を鑿って龍が雲に登ったのではない。いわゆる神とは何の神か。百神がみなそれである。百神がどういう理由で人が井を為すのを悪むのか。神が人と同じなら、やはり飲みたい欲があるはずである。飲みたい欲がありながら井を憎んで去ったというのは、その実ではない。そもそも伯益が井を鑿ったのに、龍は井を鑿ったからといって雲に登らず、神は昆侖に栖まなかった。書を伝える者の意が妄りで、造り生んだのである。
傳書言:梁山崩,壅河三日不流,晉君憂之。晉伯宗以輦者之言,令景公素縞而哭之,河水為之流通。
伝わる書に言う。梁山が崩れて河を壅ぎ、三日流れなかったので、晉の君はこれを憂えた。晉の伯宗が輦く者の言によって、景公に素の縞を着てこれを哭かせると、河の水はこれのために流れ通った、と。
此虛言也。夫山崩壅河,猶人之有癰腫,血脈不通也。治癰腫者,可復以素服哭泣之聲治乎?堯之時,洪水滔天,懷山襄陵。帝堯吁嗟,博求賢者。水變甚於河壅,堯憂深於景公,不聞以素縞哭泣之聲能厭勝之。堯無賢人若輦者之朮乎?將洪水變大,不可以聲服除也?如素縞而哭,悔過自責也,堯、禹之治水以力役,不自責。梁山,堯時山也;所壅之河,堯時河也。山崩河壅,天雨水踊,二者之變無以殊也。堯、禹治洪水以力役,輦者治壅河用自責。變同而治異,人鈞而應殊,殆非賢聖變復之實也。凡變復之道,所以能相感動者,以物類也。有寒則復之以溫,溫復解之以寒。故以龍致雨,以刑逐(暑)〔景〕,皆緣五行之氣用相感勝之。山崩壅河,素縞哭之,於道何意乎?此或時何壅之時,山初崩,土積聚,水未盛。三日之後,水盛土散,稍坏沮矣。坏沮水流,竟注東去。遭伯宗得輦者之言,因素縞而哭,哭之因流,流時謂之河變,起此而復,其實非也。何以驗之?使山恆自崩乎,素縞哭無益也。使其天變應之,宜改政治。素縞而哭,何政所改而天變復乎?
これは虚しい言である。そもそも山が崩れて河を壅いだのは、人に癰や腫があって血脈が通じないのと同じである。癰や腫を治める者が、素の服や哭き泣く声で治められようか。堯の時、洪水が天に滔り、山を懐き陵を襄した。帝堯は吁き嗟いて、博く賢者を求めた。水の変は河が壅がれたのより甚しく、堯の憂いは景公より深かったが、素の縞や哭き泣く声でこれを厭え勝てたとは聞かない。堯に輦く者のような賢い人の術がなかったのか。それとも洪水の変が大きくて、声や服では除けなかったのか。もし素の縞を着て哭くのが、過ちを悔いて自ら責めることであるなら、堯や禹が水を治めたのは力や役によったのであって、自ら責めたのではない。梁山は堯の時の山であり、壅がれた河は堯の時の河である。山が崩れて河を壅いだことと、天が雨を降らせて水が踊ったことは、二つの変に殊なるところがない。堯と禹は洪水を力や役で治め、輦く者は壅がれた河を自ら責めることで治めた。変が同じで治めが異なり、人が均しくて応が殊なるのは、おそらく賢く聖なる者の変復の実ではない。およそ変復の道が相い感じ動かせる理由は、物の類によるのである。寒があれば温でこれを復し、温は寒でこれを解く。だから龍で雨を致し、刑で景を逐うのは、みな五行の気に縁って相い感じ勝つのを用いるのである。山が崩れて河を壅いだのに、素の縞を着て哭くのが、道において何の意があるのか。これはおそらく、河が壅がれた時、山が初めて崩れて土が積み聚まり、水がまだ盛んでなかったのが、三日の後に水が盛んになり土が散って、やや坏れ沮れたのであろう。坏れ沮れて水が流れ、ついに注いで東に去ったのである。たまたま伯宗が輦く者の言を得て、それで素の縞を着て哭き、哭いたのに因って流れ、流れた時にこれを河の変がここから復ったと言ったのであって、その実ではない。何によってこれを験すか。もし山が恆に自ら崩れるものなら、素の縞を着て哭いても益はない。もし天の変が応じたものなら、まさに政治を改めるべきである。素の縞を着て哭いて、何の政を改めたから天の変が復ったのか。
傳書言:曾子之孝,與母同氣。曾子出薪於野,有客至而欲去,曾母曰:「願留,參方到。」即以右手扼其左臂。曾子左臂立痛,即馳至問母:「臂何故痛?」母曰:「今者客來欲去,吾扼臂以呼汝耳。」蓋以至孝,與父母同氣,體有疾病,精神輒感。曰:此虛也。夫孝悌之至,通於神明,乃謂德化至天地。俗人緣此而說,言孝悌之至,精氣相動。如曾母臂痛,曾子臂亦輒痛,曾母病(乎),曾子亦病〔乎〕?曾母死,曾子輒死乎?考事,曾母先死,曾子不死矣。此精氣能小相動,不能大相感也。世稱申喜夜聞其母歌,心動,開關問歌者為誰,果其母。蓋聞母聲,聲音相感,心悲意動,開關而問,蓋其實也。今曾母在家,曾子在野,不聞號呼之聲,母小扼臂,安能動子?疑世人頌成,聞曾子之孝天下少雙,則為空生母扼臂之說也。
伝わる書に言う。曾子の孝は、母と気を同じくしていた。曾子が野に薪に出ていたとき、客が至って去ろうとしたので、曾の母は「留まってください。参がちょうど到ります」と言って、すぐに右の手でその左の臂を扼んだ。曾子は左の臂が立ちどころに痛んだので、すぐに馳せ至って母に問うた。「臂がどういう理由で痛むのですか。」母は言った。「さきほど客が来て去ろうとしたので、わたしが臂を扼んでお前を呼んだだけだ。」至れる孝によって父母と気を同じくし、体に疾病があれば精神がすぐに感ずるのだという。答える。これは虚である。そもそも孝悌の至れるものが神明に通ずるというのは、徳の化が天地に至るという意味である。俗人がこれに縁って説いて、孝悌の至れるものは精気が相い動くと言うのである。もし曾の母の臂が痛めば曾子の臂もすぐに痛むのなら、曾の母が病めば曾子も病み、曾の母が死ねば曾子もすぐに死ぬのか。事を考えると、曾の母が先に死んだが、曾子は死ななかった。これは精気が小さく相い動かすことはできても、大きく相い感ずることはできないということである。世は申喜が夜にその母の歌を聞いて心が動き、関を開いて歌う者は誰かと問うと、果たしてその母であったと称する。母の声を聞いて、声音が相い感じ、心が悲しみ意が動いて、関を開いて問うたのであり、おおよそその実であろう。今、曾の母は家にあり、曾子は野にあって、号び呼ぶ声を聞いていない。母が少し臂を扼んで、どうして子を動かせようか。おそらく世の人が頌め成して、曾子の孝が天下に双ぶものが少ないと聞いて、空しく母が臂を扼んだという説を生んだのである。
世稱:南陽卓公為緱氏令,蝗不入界。
世は称する。南陽の卓公が緱氏の令となると、蝗が界に入らなかった、と。
蓋以賢明至誠,災蟲不入其縣也。此又虛也。夫賢明至誠之化,通於同類,能相知心,然後慕服。蝗蟲,閩虻之類也,何知何見而能知卓公之化?使賢者處深野之中,閩虻能不入其舍乎?閩虻不能避賢者之舍,蝗蟲何能不入卓公之縣?如謂蝗蟲變與閩虻異,夫寒溫亦災變也,使一郡皆寒,賢者長一縣,一縣之界能獨溫乎?夫寒溫不能避賢者之縣,蝗蟲何能不入卓公之界?夫如是,蝗蟲適不入界,卓公賢名稱於世,世則謂之能卻蝗蟲矣。何以驗之?夫蝗之集於野,非能普博盡蔽地也,往往積聚多少有處。
賢く明らかで至れる誠によって、災いの虫がその県に入らなかったのだという。これもまた虚である。そもそも賢く明らかで至れる誠の化は、同じ類に通じて、相い心を知ることができて、はじめて慕い服するのである。蝗の虫は閩や虻の類である。何を知り何を見て卓公の化を知ることができようか。賢者を深い野の中に処らせたら、閩や虻がその舍に入らないでいられようか。閩や虻が賢者の舍を避けられないのに、蝗の虫がどうして卓公の県に入らないでいられようか。もし蝗の虫の変は閩や虻と異なると言うのなら、そもそも寒温もまた災いの変である。一つの郡がみな寒いときに、賢者が一つの県の長であれば、一つの県の界だけが独り温かくいられようか。そもそも寒温が賢者の県を避けられないのに、蝗の虫がどうして卓公の界に入らないでいられようか。こうであるから、蝗の虫がちょうど界に入らず、卓公の賢い名が世に称えられたので、世はそれで蝗の虫を卻けられたと言ったのである。何によってこれを験すか。そもそも蝗が野に集まるのは、普く博く尽く地を蔽えるものではなく、往々積み聚まるのに多少の処がある。
非所積之地,則盜蹠所居;所少之野,則伯夷所處也。集過有多少,不能盡蔽覆也。夫集地有多少,則其過縣有留去矣。多少,不可以驗善惡;有無,安可以明賢不肖也?蓋時蝗自過,不謂賢人界不入,明矣。
積まれない地は盜蹠が居るところで、少ない野は伯夷が処るところということになる。集まり過ぎるのに多少があって、尽く蔽い覆うことはできない。そもそも集まる地に多少があれば、その県を過ぎるのに留まることも去ることもある。多少で善悪を験すことはできないのに、有無でどうして賢いか不肖かを明らかにできようか。おそらくその時に蝗が自ら過ぎたのであって、賢い人の界だから入らなかったのではないことは、明らかである。