いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

異虛篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 15 · 漢字 2,448字 · 朗読 9.8分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

殷高宗之時,桑谷俱生於朝,七日而大拱。高宗召其相而問之,相曰:「吾雖知之,弗能言也。」問祖己,祖己曰:「夫桑谷者,野草也,而生於朝,意朝亡乎!」高宗恐駭,側身而行道,思索先王之政,明養老之義,興滅國,繼絕世,舉佚民。桑谷亡。三年之後,諸侯以譯來朝者六國,遂享百年之福。高宗,賢君也,而感桑谷生,而問祖己,行祖己之言,修政改行。桑谷之妖亡,諸侯朝而年長久。修善之義篤,故瑞應之福渥。此虛言也。

殷の高宗の時、桑と谷がともに朝に生え、七日で大きさが両手で囲むほどになった。高宗はその相を召して問うた。相は言った。「わたしは知っていても、言うことができません。」祖己に問うと、祖己は言った。「そもそも桑や谷は野の草ですが、朝に生えました。朝が亡ぶという意でしょうか。」高宗は恐れ駭いて、身を側めて道を行い、先王の政を思い索め、老を養う義を明らかにし、滅びた国を興し、絶えた世を継ぎ、佚れた民を挙げた。桑と谷は亡せた。三年の後、諸侯で訳を介して朝しに来た者が六国あり、ついに百年の福を享けた。高宗は賢い君であって、桑と谷が生えたのに感じて祖己に問い、祖己の言を行い、政を修め行いを改めた。桑と谷の妖が亡せ、諸侯が朝して年が長く久しかった。善を修める義が篤かったから、瑞応の福が渥かったのだという。これは虚しい言である。

祖己之言「朝當亡」(哉)〔者〕,夫朝之當亡,猶人當死。人欲死,怪出。國欲亡,期盡。人死命終,死不復生,亡不復存。祖己之言政,何益於不亡?高宗之修行,何益於除禍?夫家人見凶修善,不能得吉;高宗見妖改政,安能除禍?除禍且不能,況能招致六國,延期至百年乎!故人之死生,在於命之夭壽,不在行之善惡;國之存亡,在期之長短,不在於政之得失。案祖己之占,桑谷為亡之妖,亡象已見,雖修孝行,其何益哉!何以效之?

祖己が「朝がまさに亡ぶべきだ」と言ったのは、そもそも朝がまさに亡ぶのは、人がまさに死ぬのと同じである。人が死もうとすれば怪しいものが出、国が亡もうとすれば期が尽きる。人が死んで命が終われば、死んだ者は再び生きず、亡んだ国は再び存らない。祖己が政を言ったことが、亡びないことに何の益があり、高宗が行いを修めたことが、禍を除くことに何の益があるのか。そもそも家の人が凶を見て善を修めても吉を得ることはできないのに、高宗が妖を見て政を改めて、どうして禍を除けようか。禍を除くことすらできないのに、まして六国を招き致し、期を百年まで延ばせたであろうか。だから人の死生は命の夭いか寿いかにあって、行いの善悪にはなく、国の存亡は期の長短にあって、政の得失にはない。案ずるに、祖己の占のとおり桑と谷が亡ぶ妖であるなら、亡ぶ象がすでに見えているのだから、孝行を修めても何の益があろうか。何によってこれを效すか。

魯昭公之時,鵒來巢。師己采文、成之世童謠之語有鵒之言,見今有來巢之驗,則占謂之凶。其後,昭公為季氏所逐,出於齊,國果空虛,都有虛驗。故野鳥來巢,師己處之,禍(意)〔竟〕如占。使昭公聞師己之言,修行改政為善,居高宗之操,終不能消。何則?鵒之謠已兆,出奔之禍已成也。鵒之兆,已出於文、?成之世矣。根生,葉安得不茂;源發,流安得不廣。此尚為近,未足以言之。夏將衰也,二龍戰於庭,吐而去,夏王櫝而藏之。夏亡,傳於殷;殷亡,傳於周,皆莫之發。至幽王之時,發而視之,流於庭,化為玄黿,走入後宮,與婦人交,遂生褒姒。褒姒歸周,歷王惑亂,國遂滅亡。

魯の昭公の時、鵒が来て巣を作った。師己は文公・成公の世の童謠の語に鵒の言があるのを采り、今、来て巣を作った験があるのを見て、占ってこれを凶とした。その後、昭公は季氏に逐われて齊に出、国は果たして空しく虚しくなった。都が虚しくなる験があったのである。だから野の鳥が来て巣を作ったのを師己が処って、禍は結局占のとおりであった。もし昭公が師己の言を聞いて、行いを修め政を改めて善を為し、高宗の操を持っていたとしても、ついに消すことはできなかったであろう。なぜか。鵒の謠がすでに兆し、出て奔る禍がすでに成っていたからである。鵒の兆は、すでに文公・成公の世に出ていた。根が生じれば、葉がどうして茂らずにいられようか。源が発けば、流れがどうして広がらずにいられようか。これはまだ近いことであって、言うに足らない。

夏が将に衰えるとき、二匹の龍が庭で戦い、涎を吐いて去った。夏の王は櫝に入れてこれを蔵した。夏が亡んで殷に伝わり、殷が亡んで周に伝わったが、いずれもこれを開かなかった。幽王の時に至って開いて視ると、涎が庭に流れ、化して玄い黿となり、走って後宮に入り、婦人と交わって、ついに褒姒を生んだ。褒姒が周に帰いで、厲王は惑い乱れ、国はついに滅亡した。

幽、歷王之去夏世,以為千數歲,二龍戰時,幽、厲、褒姒等未為人也。周亡之妖,已出久矣。妖出,禍安得不就?瑞見,福安得不至?若二龍戰時言曰:「余,褒之二君也。」是則褒姒當生之驗也。龍稱褒,褒姒不得不生,生則厲王不得不惡,惡則國不得不亡。徵已見,雖五聖十賢相與卻之,終不能消。善惡同實,善祥出,國必興;惡祥見,朝必亡。謂惡異可以善行除,是謂善瑞可以惡政滅也。

幽王や厲王が夏の世から去る時間は、千を数える歳である。二匹の龍が戦った時、幽王・厲王・褒姒などはまだ人となっていなかった。周が亡ぶ妖は、すでに出て久しかったのである。妖が出たのに、禍がどうして就らずにいられようか。瑞が見えたのに、福がどうして至らずにいられようか。二匹の龍が戦った時に言ったという。「余は褒の二人の君である。」これは褒姒がまさに生まれるべき験である。龍が褒を称したのだから、褒姒が生まれずにはいられず、生まれれば厲王が悪からずにはいられず、悪ければ国が亡びずにはいられない。徵がすでに見えたのだから、五人の聖と十人の賢が相いともにこれを卻けようとしても、ついに消すことはできない。善と悪は実を同じくし、善い祥が出れば国は必ず興り、悪い祥が見えれば朝は必ず亡ぶ。悪い異を善い行いで除けると言うのは、善い瑞を悪い政で滅せると言うことである。

河源出於昆侖,其流播於九河。使堯、禹卻以善政,終不能還者,水勢當然,人事不能禁也。河源不可禁,二龍不可除,則桑谷不可卻也。王命之當興也,猶春氣之當為夏也。其當亡也,猶秋氣之當為冬也。見春之微葉,知夏有莖葉。睹秋之零實,知冬之枯萃。桑谷之生,其猶春葉秋實也,必然猶驗之。今詳修政改行,何能除之?

河の源は昆侖から出て、その流れは九河に播がる。堯や禹が善い政でこれを卻けようとしても、ついに還らせられないのは、水の勢いが当然そうであって、人の事では禁じられないからである。河の源を禁じられず、二匹の龍を除けないのなら、桑と谷も卻けられない。王の命がまさに興るのは、春の気がまさに夏となるのと同じである。まさに亡ぶのは、秋の気がまさに冬となるのと同じである。春の微かな葉を見れば、夏に莖や葉があることを知る。秋の零ちる実を睹れば、冬の枯れ萃むことを知る。桑と谷が生えたのは、春の葉や秋の実のようなもので、必ずそうなることがむしろ験されているのである。今、詳らかに政を修め行いを改めて、どうしてこれを除けようか。

夫以周亡之祥,見於夏時,又何以知桑谷之生,不為紂亡出乎!或時祖己言之,信野草之占,失遠近之實。高宗問祖己之後,側身行道,六國諸侯偶朝而至,高宗之命自長未終,則謂起桑谷之問,改行修行,享百年之福矣。夫桑谷之生,殆為紂出,亦或時吉而不凶,故殷朝不亡,高宗壽長。祖己信野草之占,謂之當亡之徵。

そもそも周が亡ぶ祥が夏の時に見えたのだから、また桑と谷が生えたのが紂が亡ぶために出たのでないと、どうして知れようか。おそらく祖己がこれを言ったとき、野の草の占を信じて、遠近の実を失ったのである。高宗が祖己に問うた後、身を側めて道を行い、六国の諸侯が偶々朝して至り、高宗の命が自ら長くてまだ終わらなかったので、桑と谷の問いを起こして行いを改め修めて百年の福を享けたと言ったのである。そもそも桑と谷が生えたのは、おそらく紂のために出たのであり、またおそらく吉であって凶ではなかったので、殷の朝は亡びず、高宗の寿は長かったのである。祖己が野の草の占を信じて、これをまさに亡ぶべき徵だと言ったのである。

漢孝武皇帝之時,獲白麟戴兩角而共,使謁者終軍議之。軍曰:「夫野獸而共一角,象天下合同為一也。」麒麟野獸也,桑谷野草也,俱為野物,獸草何別?終軍謂獸為吉,祖己謂野草為凶。高宗祭成湯之廟,有蜚雉升鼎而。

漢の孝武皇帝の時、白い麟を獲たが、二つの角を戴いてそれが共に一つになっていたので、謁者の終軍にこれを議させた。軍は言った。「そもそも野の獸でありながら角が共に一つであるのは、天下が合い同じて一つとなることを象るものです。」麒麟は野の獸であり、桑と谷は野の草である。ともに野の物であるのに、獸と草に何の別があるのか。終軍は獸を吉とし、祖己は野の草を凶とした。高宗が成湯の廟を祭ったとき、蜚ぶ雉が鼎に升って鳴いた。

祖己以為遠人將有來者,說《尚書》家謂雉凶,議駁不同。且從祖己之言,雉來吉也,雉伏於野草之中,草覆野鳥之形,若民人處草廬之中,可謂其人吉而廬凶乎?民人入都,不謂之凶,野草生朝,何故不吉?雉則民人之類。如謂含血者吉,長狄來至,是吉也,何故謂之凶?如以從夷狄來者不吉,介葛盧來朝,是凶也。如以草木者為凶,朱草莢出,是不吉也。朱草莢,皆草也,宜生於野而生於朝,是為不吉。何故謂之瑞?一野之物來至或出,吉凶異議。朱草莢善草,故為吉,則是以善惡為吉凶,不以都野為好丑也。周時天下太平,越嘗獻雉於周公。

祖己は遠くの人が将に来る者があるのだと考えたが、「尚書」を説く家は雉を凶とする。議が駁って同じでない。また祖己の言に従って雉が来たのが吉だとすると、雉は野の草の中に伏していて、草が野の鳥の形を覆っている。民人が草の廬の中に処っているようなものであるのに、その人は吉で廬は凶だと言えるだろうか。民人が都に入っても凶とは言わないのに、野の草が朝に生えたのを、どういう理由で吉でないとするのか。雉は民人の類である。もし血を含む者が吉だというのなら、長狄が来至したのも吉であるのに、どういう理由でこれを凶と言うのか。もし夷狄から来る者が吉でないというのなら、介の葛盧が来朝したのも凶である。もし草や木であるものを凶とするのなら、朱草や莢が出たのも吉でない。朱草や莢はみな草であって、まさに野に生えるべきものが朝に生えたのだから、これは吉でないことになる。どういう理由でこれを瑞と言うのか。同じ野の物が来至したり出たりするのに、吉凶の議が異なる。朱草や莢は善い草だから吉だというのなら、それは善悪で吉凶を為しているのであって、都か野かで好し丑しを為しているのではない。周の時、天下が太平で、越嘗が雉を周公に献じた。

高宗得之而言。雉亦草野之物,何以為吉?如以雉所分有似於士,則亦仍有似君子;公孫朮得白鹿,占何以凶?然則雉之吉凶未可知,則夫桑谷之善惡未可驗也。桑谷或善物,象遠方之士將皆立於高宗之廟,故高宗獲吉福,享長久也。

高宗はこれを得て言った。雉もまた草や野の物であるのに、どうして吉とするのか。もし雉の分かれるところが士に似ていると言うのなら、また君子に似ているところもあろう。公孫述が白い鹿を得たのは、占でどうして凶なのか。それなら雉の吉凶が知れないのだから、そもそも桑と谷の善悪も験すことができない。桑と谷はおそらく善い物で、遠方の士が将にみな高宗の廟に立つことを象ったのであり、だから高宗は吉い福を獲て、長く久しく享けたのであろう。

說災異之家以為天有災異者,所以譴告王者,信也。

災異を説く家は、天に災異があるのは王者を譴め告げるためだと考える。これは信ずべきである。

夫王者有過,異見於國;不改,災見草木;不改,災見於五谷;不改,災至身。左氏《春秋傳》曰:「國之將亡,鮮不五稔。」災見於五谷,五谷安得熟?不熟,將亡之徵。災亦有且亡五谷不熟之應。(天)〔夫〕不熟,或為災,或為福。禍福之實未可知,桑谷之言安可審?論說之家著於書記者皆云:「天雨谷者凶。」

そもそも王者に過ちがあれば、異が国に見える。改めなければ、災が草や木に見える。改めなければ、災が五穀に見える。改めなければ、災が身に至る。左氏の「春秋伝」に言う。「国が将に亡ぶとき、五たび稔らないことがまれでない。」災が五穀に見えれば、五穀がどうして熟せようか。熟さないのは将に亡ぶ徵である。災にはまた、将に亡ぶのに五穀が熟さない応もある。そもそも熟さないことは、災となることもあり、福となることもある。禍福の実が知れないのに、桑と谷の言をどうして審らかにできようか。論じ説く家が書や記に著したものはみな言う。「天が穀を雨らせるのは凶である。」

(書)傳〔書〕曰:「蒼頡作書,天雨谷,鬼夜哭。」此方凶惡之應和者,天(何)〔偶〕用成谷之道,從天降而和,且猶謂之善,況所成之谷從雨下乎!極論訂之,何以為凶?夫陰陽和則谷稼成,不則被災害。陰陽和者,谷之道也,何以謂之凶?絲成帛,縷成布。賜人絲縷,猶為重厚,況遺人以成帛與織布乎!夫絲縷猶陰陽,帛布猶成谷也。賜人帛不謂之惡,天與之谷何故謂之凶?夫雨谷吉凶未可定,桑谷之言未可知也。

伝わる書に言う。「蒼頡が書を作ると、天が穀を雨らせ、鬼が夜に哭いた。」これがまさに凶悪な応だというのなら、天が偶々穀を成す道を用いて、天から降して和したのだから、むしろ善いと言うべきである。まして成った穀が雨に従って下るのはなおさらである。極めて論じ訂せば、何が凶なのか。そもそも陰陽が和せば穀や稼が成り、そうでなければ災害を被る。陰陽が和するのは穀の道であるのに、どうしてこれを凶と言うのか。絲が帛となり、縷が布となる。人に絲や縷を賜るのさえ重く厚いことであるのに、まして人に成った帛や織った布を遺るのはなおさらである。そもそも絲や縷は陰陽のようであり、帛や布は成った穀のようである。人に帛を賜るのを悪とは言わないのに、天が穀を与えるのをどういう理由で凶と言うのか。そもそも穀を雨らせることの吉凶が定められないのだから、桑と谷の言も知ることができない。

使暢草生於周之時,天下太平,人來獻暢草。暢草亦草野之物也,與彼桑谷何異?如以夷狄獻之則為吉,使暢草生於周家,肯謂之善乎!夫暢草可以熾釀,芬香暢達者,將祭灌暢降神。設自生於周朝,與嘉禾、朱草、莢之類不殊矣。然則桑亦食蠶,蠶為絲,絲為帛,帛為衣。衣以入宗廟為朝服,與暢無異。何以謂之凶?衛獻公太子至靈台,蛇繞左輪。御者曰:「太子下拜,吾聞國君之子,蛇繞車輪左者速得國。」太子遂不下,反乎舍。御人見太子,太子曰:「吾聞為人子者,盡和順於君,不行私欲,共嚴承令,不逆君安。今吾得國,是君失安也。見國之利而忘君安,非子道也。得國而拜,其非君欲。廢子道者不孝,逆君欲則不忠。而欲我行之,殆吾欲國之危明也。」投殿將死,其御止之不能禁,遂伏劍而死。夫蛇繞左輪,審為太子速得國,太子宜不死,獻公宜疾薨。今獻公不死,太子伏劍,御者之占,俗之虛言也。或時蛇為太子將死之妖,御者信俗之占,故失吉凶之實。夫桑谷之生,與蛇饒左輪相似類也。蛇至實凶,御者以為吉。桑谷實吉,祖己以為凶。禹南濟於江,有黃龍負舟。舟中之人,五色無主。禹乃嘻笑而稱曰:「我受命於天,竭力以勞萬民。生寄也,死歸也。死歸也,何足以滑和,視龍猶蜓也。」龍去而亡。

暢草で言えば、周の時、天下が太平で、人が来て暢草を献じた。暢草もまた草や野の物である。あの桑や谷と何が異なるのか。もし夷狄が献じたのだから吉だというのなら、暢草が周の家に生えていたら、これを善いと言おうとしたであろうか。そもそも暢草は熾き釀して、芬しい香を暢べ達かせ、将に祭って暢を灌いで神を降すものである。もし自ら周の朝に生えていたなら、嘉禾・朱草・莢の類と殊ならなかったであろう。それなら桑もまた蠶を食わせ、蠶は絲となり、絲は帛となり、帛は衣となる。衣は宗廟に入る朝服となるのだから、暢と異なるところがない。どうしてこれを凶と言うのか。

衛の献公の太子が靈台に至ったとき、蛇が左の輪を繞った。御者が言った。「太子、下りて拝してください。わたしが聞きますに、国君の子で、蛇が車の輪の左を繞った者は速やかに国を得るといいます。」太子はついに下りず、舍に反った。御者が太子に見えると、太子は言った。「わたしが聞くに、人の子たる者は、君に和順を尽くし、私の欲を行わず、共しみ厳かに令を承け、君の安きに逆らわない。今、わたしが国を得れば、それは君が安きを失うことである。国の利を見て君の安きを忘れるのは、子の道ではない。国を得て拝するのは、君の欲するところではない。子の道を廃するのは不孝であり、君の欲に逆らうのは不忠である。それをわたしに行わせようとするのは、おそらくわたしが国の危うきを欲していることが明らかだからだ。」殿から身を投げて死もうとし、その御者が止めたが禁じられず、ついに剣に伏して死んだ。そもそも蛇が左の輪を繞ったのが、審らかに太子が速やかに国を得ることであったのなら、太子はまさに死ぬべきでなく、献公はまさに疾く薨ずべきであった。今、献公は死なず、太子が剣に伏した。御者の占は、俗の虚しい言である。おそらく蛇は太子が将に死ぬ妖であったのに、御者が俗の占を信じたので、吉凶の実を失ったのである。そもそも桑と谷が生えたのは、蛇が左の輪を繞ったのと相い似た類である。蛇が至ったのは実は凶であったのに、御者は吉とした。桑と谷は実は吉であったのに、祖己は凶とした。

禹が南に江を済ったとき、黄い龍が舟を負った。舟の中の人は五色が主を失った。禹はそこで嘻と笑って称して言った。「我は天から命を受けて、力を竭くして万民のために労している。生は寄るものであり、死は帰るものである。死んで帰ることが、どうして和を滑すに足ろうか。龍を視ることは蜓を視るようなものだ。」龍は去って亡せた。

案古今龍至皆為吉,而禹獨謂黃龍凶者,見其負舟,舟中之人恐也。夫以桑谷比於龍,吉凶雖反,蓋相似。野草生於朝,尚為不吉,殆有若黃龍負舟之異。故為吉而殷朝不亡。

案ずるに、古今、龍が至るのはみな吉とされるのに、禹がひとり黄い龍を凶としたのは、それが舟を負って、舟の中の人が恐れたのを見たからである。そもそも桑と谷を龍に比べれば、吉凶は反対であっても、おおよそ相い似ている。野の草が朝に生えたのを、むしろ吉でないとしたのは、おそらく黄い龍が舟を負った異のようなところがあったからであろう。だから吉であって、殷の朝は亡びなかったのである。

晉文公將與楚成王戰於城濮,彗星出楚。楚操其柄,以問咎犯,咎犯對曰:「以彗斗,倒之者勝。」文公夢與成王博,成王在上,其腦。問咎犯,咎犯曰:「君得天而成王伏其罪,戰必大勝。」文公從之,大破楚師。向令文公問庸臣,必曰:「不勝。」何則?彗星無吉,搏在(上)〔下〕,(無)凶也。夫桑谷之占,占為凶,猶晉當彗末博在下為不吉也。然而吉者,殆有若對彗見天之詭。故高宗長久,殷朝不亡。使文公不問咎犯,咎犯不明其吉,戰以大勝,世人將曰:「文公以至賢之德,破楚之無道。天雖見妖,臥有凶夢,猶滅妖消凶以獲福。」殷無咎犯之異知,而有祖机信常之占,故桑谷之文,傳世不絕,轉禍為福之言,到今不實。

晉の文公が将に楚の成王と城濮で戦おうとしたとき、彗星が楚に出た。楚がその柄を操る形であったので、咎犯に問うた。咎犯は対えて言った。「彗で斗えば、これを倒に持つ者が勝ちます。」文公は夢に成王と博り、成王が上にあって、その脳を嗽った。咎犯に問うと、咎犯は言った。「君は天を得られ、成王はその罪に伏しました。戦えば必ず大いに勝ちます。」文公はこれに従って、大いに楚の師を破った。もし文公が庸しい臣に問うていたら、必ず「勝てません」と言ったであろう。なぜか。彗星に吉はなく、博って下にあるのは凶だからである。そもそも桑と谷の占は、占が凶であった。晉が彗の末に当たり、博って下にあって吉でなかったのと同じである。それでも吉であったのは、おそらく彗に対して天を見たような詭きがあったからである。だから高宗は長く久しく、殷の朝は亡びなかった。もし文公が咎犯に問わず、咎犯がその吉を明らかにしないまま、戦って大いに勝ったとしたら、世の人は将に言うであろう。「文公は至って賢い徳で、楚の無道を破った。天が妖を見せ、臥して凶い夢があっても、なお妖を滅し凶を消して福を獲たのだ。」殷には咎犯のような異なる知がなく、祖己の常を信ずる占があったので、桑と谷の文が世に伝わって絶えず、禍を転じて福と為すという言が、今に至って実でないのである。